第13話 再会(3)

 房子ふさこのことと、この香村かむらみさ子の傘の事件があって、その日は気分がずっと暗いままだった。

 お母さんの帰りはいつも遅い。晩ご飯はお母さんが作っておいてくれたものをレンジで温めて食べる。みちるが自分で作ると言ったこともあった。もう中学生なのだから、と。今度の家に来てからも、お母さんは帰りが遅くてたいへんなんだから、と言った。でも、お母さんは相手にしてくれなかった。

 お母さんが作ってくれた肉じゃがと焼き魚を食べながら、家にお母さんがいつもいてくれたほうがいいのかどうか、考える。

 こんな気分が落ちこんだときには、お母さんが家にいれば、相談に乗ってくれるだろうか。

 いや。

 そんなことはない。

 お母さんは最初から学校のことをよくわかっていない。わかっていないだけならばいいけれど、どうも、お母さんが思っている学校は、みちるが知っている、感じている学校とは違うようだ。

 だから、学校のことを話せば、

「で、けっきょくみちるは何が言いたいの?」

と言われるだけだ。

 小学校のとき、学校で「お父さんお母さんには、その日、学校であったことを話しなさい」と言われて、熱心に話そうとしたことがあった。

 けれど、何も変わらなかった。

 だから、みちるは、一人で考えるしかない。これまでもそうだった。これからもそれは変わらないだろう。

 お父さんが小さいころ住んでいたという家、そのあとは、ただ桑江くわえ家の物置のようになっていた家――。

 その家の、黒ずんだ木の柱と、やはり灰色に変わっている白い壁を見ながら、みちるはそんなことを考えた。

 房子は何を怒っているのだろう?

 夏弥子は怒っているようには見えないけれど、それでも、自分と会ってくれないのは、自分のことを怒っている房子がいつもいっしょにいるせい?

 その夜はそんなことを考えてつづけていつまでも眠れなかった。

 次の朝、雨は上がっていた。空の半分は雲に覆われていたけれど、晴れ間の空は真っ青で、そこから見る雲は、白と黒のコントラストがはっきりしていて、ころんころんしているように見えた。

 昨日の気分の沈みぐあいは雨のせいだったのだろうか。

 今日は一日をいい気分で始められた。気が重くなる原因のいろんなできごとも、ここからいいほうに向かうのだ。そう信じよう。そう思って、海に向かうコンクリートの段の上から、みちるは学校へと歩き出した。

 ところが、そうはいかなかった。

 二時間目の国語の宿題の作文を書いたノートが見あたらなくなった。たしかにかばんに入れて、持って来たはずなのに。だから、授業の最初に「作文を持ってこなかったひと」と言われたときに手を挙げなかった。でも、ないのだから、たぶん忘れたのだろう。

 作文の先生は、大熊おおくま先生という、年を取ったベテランの男の先生だ。顔にいっぱい黒いひげを伸ばしていて、ほんとうに熊のようだ。授業は、何を言っているかよくわからないうえに、すぐ怒る。まだ仲が悪くなる前の房子が

「あの先生は、もう十年以上も生徒から、熊、熊って呼ばれて、性格がねじけてしまってるから、気をつけたほうがいいよ」

と言われたのを思い出す。でも、しかたがない。

 提出する列に並んで

「すみません。忘れました」

と言ったものだから、先生は怒った。

 「忘れたのなら、なぜ最初に手を挙げない?」

 「あのときは持って来たと思いこんでいましたから」

 「思いこんでいましたから、って、確かめもしないで。何をやってるか!」

 いかにも軽蔑するように言われた。教室からは冷たい笑いが起こる。空は晴れてきていたけれど、みちるの気分は落ちこんだ。

 昼休みには筆箱がなくなった。五時間目の理科の授業ではノートが取れない。どこで落としたのだろうと思う。休み時間に捜しに行こうとすると、学級委員の、長谷川はせがわ澄名すみなという子が、何かのどの詰まったような感じの声で

「あの、桑江さんの筆箱、大熊先生のところに届いてるって」

と言いに来た。あわてて職員室まで行くと、大熊先生は、転校して来て浮かれてるんじゃないとか、いなかの学校だと思ってなめてもらっては困るとか言い、みちるが

「わたし、次の授業なんですけど」

と言うと、

「待て。まだ話は終わってない。すぐに逃げようとする。こういう心構えだから」

と話がさらに続いた。次の授業には十五分も遅刻した。

 このあたりで、みちるはようやく気づいてきた。そして、帰りに、靴を持ち上げてみると、何か音がした。ひっくり返してみると右足の靴に画鋲が五本も入っていた。

 このあまりに露骨なできごとがあって、みちるが気づいたことは、思い過ごしではなく、事実だと思わなければならなくなった。

 みちるは、いじめられているのだ。

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