第11話 再会(1)

 数学の、図形の応用問題だった。

 ちょうどみちると久本ひさもと更志郎こうしろうが当たった。二人で前に出て問題を解かされた。

 更志郎は黒板の前に来ると問題をすらすらと解き始めた。みちるにはまるでわからなかったけれど、苦にはならなかった。更志郎は天才少年なんだから、すらすら解けてあたりまえだと思う。みちるは「わかりません」で投げてもいいと思った。でも、授業で当たっているのだから、最初から笑顔であきらめることもできない。考えるふりぐらいはしなくてはいけない。

 とりあえず問題を図にしてみた。

 二等辺三角形の問題だった。図にした二等辺三角形を見る。見るふりをする。

 隣では久本更志郎がすごい勢いで字を書いている。黒板を強くにらみつけている。チョークが黒板を擦る。火花が出そうな勢いだ。

 すごいな、と思う。

 たしかに、こんな子が子孫にいるのなら、その相良さがら讃州さんしゅうとかいう家老もただの悪家老ではなかったのだろうな、とか考えた。

 そんなことを考えていると、自分の問題解きは少しも進まない。気が散っている。

 久本更志郎の問題解きは、二列めに進んでいる。

 自分も考えている振りぐらいはしなければ、と思う。

 自分の書いた図から、少し間を取って首を傾けてみた。そうやれば考えているように見えるだろう。

 その目の傾きが、二等辺三角形の、等しい辺のうちの一本と重なり合った。

 「あれ?」

 これって、ほかと等しくない一辺をはさんで、上の二等辺三角形を折り返せば、すぐに解決つくじゃない?

 つまり、下にもう一つ二等辺三角形を描くように補助線を引いて、菱形ひしがたを作れば、かんたんに証明できてしまうのでは?

 横では、あいかわらず、猛然とダッシュを続けるように久本更志郎が解答を書き続けている。

 天才少年の久本更志郎がまちがえることはない。だから、いまみちるが思いついた簡単な証明は、どこかにミスがあるに違いない。

 でも、いいと思った。

 もともと教科書のレベルを超えた応用問題なのだ。

 みちるがすらすらっと自分の考えた答案を書き終えたとき、久本更志郎も答案を書き終えてチョークを置いた。

 更志郎はいつものにこにこした顔で教壇を下りて席に戻った。みちるは、たぶんあいまいに笑って席に帰ったと思う。ずっと何もせずに考えるふりばかりしていて、最後に書いたのも、思いつきだけで書いた、お話にならないような答えかも知れないのだ。

 数学の先生は、二つの答案を見較べて、

「うん」

と軽くうなった。

 「まず、久本の答案だが、とてもよくできているな。きちんと筋道を立てて論理を展開していて、隙がない。必要な変数を置いて、ほんとうに、きちんきちんと展開しているな」

 そう言って先生は更志郎の答案の左上に赤チョークで三重丸をつけた。

 ああ、自分の答案は見る必要もないのだと思う。

 ところが、じっとみちるの答案を教壇の下から見ていた先生は、勢いをつけて教壇に上がると、黙ってその左上に同じように赤チョークで三重丸をつけた。

 「エレガントな解きかただね、これは」

 「これ」というのは、まだみちるの姓名を覚えていないからだろう。

 「うん。発想がいい。この証明の方法を見つける生徒が出るのは三年に一度ぐらいなんだけど、今年は当たり年というわけだ。三重丸以上を出したいところだけど、たとえば、「どこでも同じ」というより、「一定」と書いたほうがいいし、説明が重複してたりわかりにくかったりするところとかもあるから、三重丸」

 意外だった。

 面映おもはゆかった。こんなちゃんとした証明なのなら、もっときちんと書くべきだったと思う。

 みちるの席から直接に更志郎の席を見ることはできない。だから、このとき、更志郎がどういう反応をしたか、みちるはうかがうことができなかった。

 その日の昼は普通だった。房子ふさこのところに夏弥子かやこもやって来て、いろんなことを話しながらいっしょにお弁当を食べた。

 お弁当の時間が終わるころ、出畑でばた武登たけとという男子生徒が来た。最初に更志郎に会ったとき、廊下から更志郎に声をかけた男子生徒のうちの一人だ。

 お弁当を食べていたのは房子の席なので、房子が顔を上げて

「なに?」

ときく。みちるも顔を上げると、武登は、みちるから軽く目を逸らして

「あとで、来て」

と言う。

 「うん」

 房子はうなずいた。でも何か納得いかなさそうだ。

 お弁当が終わり、房子はたぶんその武登に会いに席を立った。夏弥子も自分のクラスに戻り、みちるも自分の席に戻った。

 雰囲気が変わったのはその夕方からだった。

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