第9話 海辺の少女(9)

 まだ梅雨なので、雨や曇りの日も多かった。でも、晴れた日で、体育の時間のある日は、体育の時間を飛ばして一時間早く授業が終わる。そして、みんなで、あの唐子からこ浜の砂浜に来て泳ぐのだ。それで水泳の授業をやったことになる。ふだんの日でもここの中学校と小学校の子はこの浜に泳ぎに来てかまわない。

 つまり、この浜は、第三中学校のプールがわりというわけだ。中学校にもプールはある。でも、それは、浜が小学校の授業で使われているときに使うだけで、あとは防火用水のかわりにしかなっていないという。

 それと、あとは更志郎こうしろうのロボットのテスト用か。

 水泳は最後の授業時間に家の近くの砂浜でなので、みちるは、先に家に戻って学校の荷物を置き、家で水着に着替えて浜に下りることにした。最初は村のなかを水着のまま歩くことに抵抗があったけれど、房子ふさこ

「先輩たちもそうしてきたし、夏に海水浴に来るお客さんもそうしてるから、そうしなよ」

と言われたので、そうすることにしたのだ。

 舞浜に住んでいたころからお母さんは朝早く出て夜遅く帰ってきていた。それが片道で一時間半もよけいに時間がかかるようになった。だから、みちるが朝起きたときにはお母さんはいないし、夜も十時を過ぎないと帰ってこない。

 夜、一人の時間で、宿題も片づけもしなくてよい時間、みちるはネットで「玉藻姫たまもひめ騒動」を調べてみた。

 岡平おかだいら城の復原想像図が出てきて、それはたしかに夏弥子かやこが言ったとおり、いま岡平城址じょうしとされている範囲よりも広いものだった。

 この唐子浜と駅とのちょうどあいだぐらいに「玉藻姫首くくりの松」という名所があることも知った。

 相良さがら讃州さんしゅうという家老については、市の公式サイトには

「無情に年貢を取り立てた悪臣だと言われてきましたが、現在では、藩政改革にまい進したすご腕の政治家として高く評価されています」

と書いてある。

 「二代目易矩やすのり」と名のる人が作ったホームページもあって、そこでは、讃州を「悪臣」と呼ぶのがどんなに不当か、文献を一つひとつ挙げながら論証していた。残念ながら、そこに引用されている文献の意味がよくわからないので、みちるには何とも判断できない。ただ、ネット上で相良讃州をたたえる記事はだいたいこの「二代目易矩」のページからそのまま引用したものだということがわかった。

 みちるは何となくいやな気分になった。

 相良讃州の子孫については、城下を逃れ、山中の久本ひさもと村に住み着いて久本氏を名のり、そこでずっと畑を耕して過ごしたと紹介してある。子孫という項目もあって、

「讃州易矩本人から数えて六代目の久本恭龍(やすたつ)氏は向洋こうよう瓦斯ガス創業者、八代目の久本恭三(きょうぞう)氏は海軍中佐、魚雷戦の名手として知られ、駆逐艦長などを歴任、十代目の恭純(やすずみ)氏は岡平市議会の市政改良連盟会長、また、コンピュータープログラミングの若手の登竜門として知られる新星杯の県大会ですぐれた成績を挙げている久本更志郎君は十一代目にあたる」

という紹介もあったから、房子と夏弥子の言っていたことはまちがいないわけだ。次の日に久本更志郎に

「お父さんって市議会の偉い人なんだね」

というと

「県会議員だったこともあるんだ」

と嬉しそうに言っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る