誰も知らない一輪花

はじめアキラ

誰も知らない一輪花

 図書室に入ったらすぐ、そのまま読書スペースへ。

 スペースを右手に折れて奥の方に行くと、少し奥まったところに小さな二人席のテーブルがある。そこが、私が本を読むと決めている場所だった。窓際の観葉植物に隠れて、他の人からは見えづらい場所だからである。

 同時に。そこは“彼”のお気に入りの場所が、よく見えるスペースでもあった。

 私は二人席の片方に荷物を置くと、適当な本を持ってもう片方の場所に座る。二人席の反対側に座られないための処置だった。一人で堪能したいのもあるし、向かいの席に誰かに座られると見たいものが見えなくなってしまうというのもある。一人で実質席を二人分取るようなもので申し訳ない気持ちもあったが、“この”時間だけが私にとって彼をじっくり観察できるタイミングなのだ。今だけは多少の独占は、勘弁して欲しいところだと思う。

 A高校の図書室は、全体的に日当たりがいい。

 特に読書スペースの一番窓に近い場所は、優しい日光を浴びながらまったり本を読むことのできる最適な場所と言って良かった。彼、塩谷遙稀しおやはるきはいつもそこで本を読んでいる。放課後、帰宅部の私が図書室に来るとほぼ必ずといっていいほど先客としてそこにいるのだ。教室が私のクラスよりずっと近い位置にあるためだろう。

 読んでいる本のジャンルにあまり偏りはなかったが、最近はミステリーがお好みであるらしい。目の前のテーブルには、同じ作者のシリーズ本が複数積まれている。今日のうちに制覇してしまうつもりなのだろうか。


――綺麗だなあ。


 本を読む体で私も手元に一冊本を持ってきているが、正直全く意味はない。丁度そのへんにあったライトノベルを、タイトルも見ないで適当に持ってきただけであるからだ。本を逆さまにして読んでいるフリをするほど馬鹿ではないが、ページは開いたままほとんど動いてはいない。私は本を読む遙稀の姿を見たくて、毎日のように此処を陣取っているだけなのだから。きっと向こうは本に夢中で、こうして見つめている私の姿など全く気づいてはいないだろうけど。

 同じクラスだったなら、授業中だって観察することができたのに。残念ながら、私達はクラスが違うどころか学年も違う。遙稀は高校一年生の私よりひとつ上、高校二年生だった。背はそこそこ高いけれど童顔なので未だに中学生に間違えられるとよく嘆いているのを知っている。A高校の制服が、すぐ近くのB中学の制服にそっくりなのも問題なのだろう。本人は、早く大人になってヒゲを生やして年相応に見られるようになりたいと考えているようだが、個人的にはやめてほしいと思っていた。私は、彼のまだ小学生のようにあどけなくて可愛らしい顔が大好きだったからだ。


――綺麗だし、可愛い。芸術的ってまさにこういうのかな。


 本を読んでいる時の遙稀は、本当に幸せそうである。特に放課後の図書室、淡いオレンジ色の光に照らされて、彼の少し明るい髪の毛がキラキラ光るのが最高に素敵だった。肌の色も文学少年らしく白いので余計映えるのである。長くて繊細な睫毛が影を落とし、本の世界に没入して僅かに微笑んでいるようにさえ見えるその顔。ここまで詳しく知っているのも、私くらいのものだろうと自惚れたくなる。本当はもう少し近い場所で、それこそ観葉植物の影に隠れるようではなく堂々と間近で観察したいのが本心だった。

 ああ、それができたらどれほど良かっただろう。

 貴方のことが好きです――なんて。そんな使い古された言葉が言えたなら。

 残念ながらそんな大それたことができる勇気など、私にはあるはずもないのである。そして恋人同士でもなんでもないのに、目の前に座ってその綺麗な顔を見ていてもいいですか、なんて馬鹿げたことが言えるわけもなく。結局私はこうも、誰かに知られたら不審者としか思われないような行動を繰り返してしまっているのだ。


――ほんと、神様って残酷。遙稀のことならほんとよく知ってるってのにさ。


 好きな食べ物も知っている。好きな色も、趣味も。

 それなのに彼の恋人は私ではない。

 向こうから気づいて告白してくれる時が来ないかな、なんて淡い期待を抱いたこともあったけれど、本当はそんな時など訪れないことを知っている。チャンスが辛うじてあるとすれば、私の方から告白する勇気が持てた場合のみ。残念ながら、そんな時など生涯やってきそうにないけれど。


――せめて、今だけ。今だけ、だから。


 彼も受験生になったら、図書室で本を読む機械も減ってしまうだろう。受験勉強をするために図書室に篭る時もあるかもしれないが、それでも勉強ではあんな幸せそうな顔はしないに違いない。あのお気に入りの席に座ってくれることもないかもしれない。結局、どうあがいても毎日の楽しみが維持できるのは、彼が高校三年生になるまでの今しかないというわけだ。

 昼と夜の間の、静かで愛しいこの時間。彼に知られたくない気持ちと、知って問い詰められてしまいたい気持ちで今日も揺れ動いている。


――好きなんだよ。


 何処が好きなのかと言われたら、うまく説明できない。少なくとも中学の時にはもう、完全に彼の虜であったのは確かだ。きっかけなんて多すぎてわからないし、誰に対しても優しい彼のこと。落としたキーホルダーを拾ってくれたのも、私だったからではないだろう。誤解してはいけないとわかっているのに、一度高鳴ってしまった心臓はその瞬間のきゅんっとした気持ちを今なお忘れてはくれないのだ。

 強引に何かを振り切るように、持ってきた本に視線を落とす。


――好き。好き。……ぜんぶ、好き。


 他の誰かのものになる前に、自分だけのものにしてしまいたい。殺してでも、永遠に一緒にいたいと思うの。――ライトノベルの物語の中、妙に胸の大きな悪魔のヒロインがそう言いながらベッドに主人公を押し倒している。主人公はいかにもラノベのそれっぽく、真っ赤になってわたわたしながら彼女から逃げ出し、別のお姫様系ヒロインのことを思い出して拒絶しようとしているシーンだった。

 ああ、なんて羨ましいのだろと思う。悪魔の彼女のように、スタイルにも美貌にも恵まれていたら、そんなセクハラまがいのやり方で男を襲っても許されるのだろうか。一歩間違えれば逆レイプなのに、それも問題ないとこの男性作者は考えているのか。男はみんなそういうものなのか。自分はもっと美人なら、スタイルが良ければ、自信に満ち溢れていれば。

 そんなこと、現実では絶対有り得ないのに。


――あーあ。


 完全に、失敗した。私は諦めて本をぱたりと閉じる。いくらろくに読む気がないからって、もう少しチョイスを考えれば良かった。自分と重ねて不愉快になるようなキャラクターが出るような作品なんて、ちら見だとしても正直ごめんだというのに。

 いっそ、次はエロがないBL系の作品でも探してやろうかと思う。男性しか出てこないなら、嫉妬の対象もいないだろう。――高校の図書室に、果たしてBLの本があるかどうかは知らないけれど。




 ***




 ささやかで、切ない時間は――ある時あっさりと終わりを迎えることになるのだった。

 秋も終わりに近づき、帰り道が冷え込むようになった頃のこと。私はいつものように観葉植物の影の席に荷物を投げて、適当な本を持って隠れるように彼を観察していた。

 この頃、遙稀の興味はホラーに移行しつつあるらしい。彼はエロ系の本は読まなかったが(というか、一応高校の図書室なので過激な描写があるものは置いてないというだけかもしれない)、グロテスクな要素のある本は全く気にせず読む質であるようだった。

 今彼が読んでいるのは『臓物大展覧会』というものだった。小林泰三さんの作品である。表紙も相当グロテスクだが、その表紙に負けないくらい猟奇的なホラー作品であることを私は知っていた。とうのも、その本は図書室で借りるまでもなく、彼が自宅で所持していることを知っていたからである。

 以前たまたまバッグから本が飛び出していることに気づいて、“何このグロい本!?”と尋ねてしまったことがあるのだ。すると彼は目を輝かせて、“これはただグロいだけじゃないんだってば!”と熱弁してくれたのである。


『俺は、世界にどんどん沈んで、没入していく感覚がとにかく好きなんだけど。この人の作品はこう、ほんと読者をのめりこませるのが上手いんだよねえ。難しい言い回しを使わずに表現してくれるから読みやすいし。この短編集……短編連作って言った方がいいのかな?これだって読み始めたらほんと止まらないんだよ。例えばこの“透明女”って話なんだけど……!』


 普段はそこまで喋る方じゃないくせに、一度語り始めたら長いのなんの。

 恐るべき秘術を知って、凄まじい苦痛を引換に透明人間へと変貌する女性とその狂気、などなどをそれはそれは丁寧に語ってくれたのである。まあ、私はほとんど話半分に聞いていただけだったのだが。なんせ、生き生きとそれを語る遙稀の顔があまりにも可愛らしくて、そちらにすっかり見とれてしまっていたものだから。


――あのレベルの猟奇的ホラーが、まさかガッコの図書室にあるとは。粗方、他の本探してたら見覚えのある本が見つかって、ついつい持ってきえもういっかい読みたくなっちゃってところかな。


 恐ろしいホラー小説を読んでいるとは思えないほど、今日も彼の顔は夕焼けの光に照らされてキラキラしている。せめて自分に絵心があれば、その可愛らしい顔を絵にしてずっと額縁に収めておくこともできるというのに。


「塩谷君、お待たせ!ごめんね、遅くなっちゃった」

「!」


 はっとして、私は目を見開いた。本に没頭していたはずの遙稀が――今まで見たこともないほど嬉しそうな顔で、声をかけてきた女性を見上げる。

 大人びた容姿のその彼女は、遙稀のクラスメートだろうか。いや。


「いえ、いいんです。先輩も忙しいでしょ?受験勉強もあるし」


 どうやら、ひとつ上の先輩であるらしい。にこにこと笑う遙稀の前の席に、彼女は当然のように座ってノートを広げ始める。ああ、その場所はいけない、と私は思った。長身の彼女のせいで、遙稀の姿がほとんど隠れて見えなくなってしまったではないか。


「何読んでるの?……あれ、その本……」

「自分の家で持ってるんけどね!丁度棚探してたら見つけちゃって、もう一度読みたくなっちゃって。先輩も好きでしたよね、小林泰三さん。先輩がグロやホラー読める人だと思ってなくてちょっとびっくりしたの、よく覚えてます」

「グロそのものより、グロや怪異を通して見る人の真理ってのが面白いなって思うの。少し方向性は違うけど、大石圭先生とか、倉阪鬼一郎先生の本も好きだな。倉阪先生なんていろんなジャンル書いてて本当に凄いと思う」

「わかります!ちなみに倉阪先生のホラーなら、俺はやっぱり“ひだり”が好きで……」


 あの遙稀が。本を読むのも一時中断して、目の前の女性との図書談義に花を咲かせてしまった。途中で自分達の声が大きいことに気づき、若干トーンダウンしたものの。本についてひとしきり話した後、当たり前のように向かい合って読書と受験勉強を始める二人は――なんというか、“当然のようにそこにあることを許された、完璧な姿”を作り出しているように思えてならなかったのである。

 あの女性が、遙稀の実のお姉さんなんてオチだったなら、どれほど救われたことかと思う。残念ながら、彼に姉なんてものがいないことはよく知っている。恐らく、あの女性が彼がちらりと話していた“文芸部の佐久間さくま部長”なのだろう。美人で優しくて、何よりいろんな本の知識が豊富で話があうのだと言っていた。――ああ、彼女が引退して、図書室にも文芸部の部室にも来なくなったと聞いて(遙稀は文芸部だが、本を読むためならば部室ではなく図書室にいても問題ないことになっているらしいのだ)、心底安堵していたというのに。

 彼女は今、明らかに約束していた体でそこにやってきた。

 遙稀は、彼女が当たり前のようにそこに来るのを許容した。

 それは、つまり。


――知りたくなかった。……どうせ手に入らないんなら、永遠に誰のものでもいてほしくなかったのに、なんて。……わかってたけどさ、そんなこと無理だって。


 苛立ちまぎれに椅子を引いて戻したら、思いの他大きな音が鳴ってしまった。驚いたように数人の生徒がこちらを振り返る。――遙稀もまた、私の存在に気づいてしまい、こちらを見てきた一人だった。


「あれ?静音しずね?珍しいなあ。お前そんなに本好きだっけ?」


 何も知らない、天然ボケした発言をする遙稀に。私は心の中であっかんべーをしながら返すのだった。


「いいでしょ、別に。お兄ちゃんには関係ないじゃん!」

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