(9)
プルルルル——。
電話の呼び出し音が何度か鳴っていた。5回ほど鳴らしたところで、そろそろ切ろうとしたその時、「はい」と相手の声が聞こえてきた。
「あ——」
私は声が出せずに、沈黙してしまった。ただ、相手も黙っている。
「あの……私……」
ようやくそれだけ言う。それ以上は続けられない。電話を切られるのではないかと思ったが、長い沈黙が続いても相手も何も言わないまま、通話状態が続いている。
『美里……』
ようやく相手の声が聞こえた。私は頷いただけで、ただ黙っている。
『美里だよね?』
私はそれでも沈黙する。その沈黙が答えだと言うように、声には出さずに何度も頷く。相手にその様子が分かるはずはないのに、頷くしかなかった。その声は、懐かしい声だった。心の中に穏やかな風が吹き込んでくるような気がして、そのまま話し始める。
「ごめんね、突然。いま大丈夫?」
『うん。ちょっと出かけてるところだけど、大丈夫。……どうしたの?』
「いや、あの……久々だなあ、と思って。元気にしてた?」
『えっ……うん。相変わらず、お婆さんと2人で、神社の仕事を何とかやってるよ』
そう、と言いながらなぜか安心する。本当はそんな事を話したい訳ではなかったが、どうしてもそれ以上切り出せない。2人とも沈黙が続く。
『美里も元気だった? まだ、東京……なんだよね?』
相手から沈黙に耐えられなくなったように言葉が出た。「うん」とだけ私は答える。本当はもっと伝えたいことが山ほどある。しかし、それをなかなか言葉にはできない。
『何か、あったの?』
そんな私の気持ちを見透かしたように声が聞こえた。
「いや、何となくね……少し嫌なことがあったの。誰かに話をしたいなあ、と思っただけ。ふと昔の大学時代の頃が懐かしいなあと思って、加代とかにも電話したんだけど、ちょっと繋がらなくてね。それでスマホのメモリを何気なく見て……快の名前が初めの方にあったから、ちょっとかけてみただけよ」
フフっと明るく笑って末尾の言葉をごまかす。何気なく掛けたのは嘘だ。スマホのメモリを見つめ、しばらく考えて迷った末に、思い切って掛けた電話だ。もう彼とはここ数年、一度も電話をしていないのだ。私は明るい口調で言ったつもりだったが、自分でもそれが空回りしているのがよくわかる。
『何でもいいから、話していいよ』
静かな声が耳元から聞こえてきた。その声が、私の心にズシリと重く響いていく。私は必死に自分の気持ちを抑え込む。何か話さなければと思って、迷っているうちに、言葉の代わりに涙が溢れてきた。
私、あなたと別れてから、会社で必死に働いて、そして会社の先輩と付き合って、妊娠して、だけど裏切られて捨てられて、産もうとしたけど、死産だったんだよ。
全て話してしまいたい。全て話して、私の悲しみを伝えたい。しかしその一方で、それを言葉に出すことができない私もいる。数年前に、私から快に事実上の別れを切り出しているのだ。私は自分でそれを選択した。その彼に話して、私は一体、どうしたいのだろう。彼に何と言ってもらいたいのだろう。彼に何を期待しているのだろう。
溢れた涙が頬を伝っていく感覚で、私はハッとする。心の葛藤を隠すように、私は再び、フフっと乾いた笑いを返した。
「ごめんごめん。そんなに深刻な話じゃないの。……ただ、さっきね、少しだけ変な夢を見たの。大した話じゃないけど、たまたま快が出てきたから、懐かしいなあ、と思って。本当はそれで、電話したの」
精一杯、明るく言う。夢の話だけをするために、長い間連絡を取っていなかった彼に急に連絡を取る訳がない。自分でもおかしな言い訳だと思った。しかし、相手はそれを不審がることなく、「夢?」とだけ言って少し沈黙して、再び静かに言った。
『その夢のこと——僕に、詳しく教えてよ』
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