ー白い世界①ー

 ザワザワとした声が聞こえていた。ゆっくりと目を開けると、私はテーブル席に座っていた。


(あれ? ここは……)


 よく来ている「FANY’Sファニーズ」というファミレスだった。店内は半分程が埋まっていて、学生が勉強しているような姿も見えるが、窓の外は真っ暗だ。隣の席には私が持って来た水色のトートバッグがあり、中にはモバイルパソコンと紙の資料が何枚か入っていた。


 テーブルの上には、食べ終わった後の皿がまだ残っている。いつもの「サラダうどん」の器に、ケチャップが残った平皿。それに透明なコップ。来る度に注文に迷うが、やはり定番メニューを選ぶ事が多い。


(私……さっきまで)


 壁にもたれかかって、ここでウトウトとしていたようだ。昨日は教員課程の必須科目になっていた法学の講義の試験があり、夜遅くまで慣れない詰め込みの勉強をしていたので、かなり疲れていた。何かの夢を見ていたような気がしたが、内容がよく思い出せない。なぜか気になって思い出そうとしたが、今度は頭が痛くなってきた。


 すると、私の後ろの方から誰かがやってきて、向かいの席に座った。


「試験終わって良かったね。ミチャ」


 そこに座ったのは、薄茶色のミディアムヘアをした女性だ。白いカップにコーヒーを注いできている。


「加代——?」


 彼女の姿を上から下まで見回した。なぜか、彼女がそこにいることがたまらなく嬉しい。彼女とは長い間会っていなかったような気がする。その一方で、ついこの前もこの店で彼女に会ったような気もする。頭の中が混乱したまま、彼女の姿をじっと見つめていると、加代は私の方を不思議そうに見つめた。


「どうしたの?」


「ううん……何でもないんだけど……。何て言うか、懐かしい、みたいな……」


「ハア? 何言ってるの? 今日は法学の期末試験からずっと一緒だったじゃない。寝ぼけてるの?」


 彼女はそう言ってコーヒーを口にした。私も目の前の透明なコップに残っていた飲み物を口にした。炭酸がほとんど抜けたジンジャーエールだが、その僅かな炭酸のおかげで頭が冴えてくる。


「美里って、ああいう法律系の試験は得意なの? 私は全く駄目だわ。教員免許を取るためだから仕方ないけど」


「ううん。私も全然分からなかったわ。まあ、あの先生なら何とかしてくれるでしょ」


 その法学の講義は、教授の書いた本を持ち込み、内容を参考にしながら書くことでオッケーだと言われていた。法学系以外の学生も多数受けているし、教師を目指す教職員課程の必須科目の一つなので、とにかく受ける必要があった。文字をたくさん書けば最低でもCの評価は貰えるという噂なので、大丈夫だろうと信じるしかない。


 すると、テーブルの横に誰かが立った。


「お下げしてよろしいでしょうか」


 はい、と言ってその方を見た。


「あっ——」


 そこにいたのは、店員用の黒と青の制服を着た男だった。私はその姿を見てハッとした。


「快……」


「どうしたの?」


 呼ばれた彼は私の方を不思議そうに見た。


「いや、何でもない……」


 私は慌てて視線を逸らせた。なぜだろう。最近、私は快と一緒に色んな場所に行ったような気がする。二人で頻繁に、どこかに……。


「今日で試験終わったんだよね。おつかれさん」


「ええ。神主見習いに内定・・しているあんたと違って、教員資格を取ろうとすると大変なのよ」


 快が皿を片付けながら尋ねるのに、加代が答えた。私も快も加代も、ワンダーフォーゲル同好会の同級生だ。登山というより、川下りやスキー・スノボなどにより、季節に応じて自然と楽しむことを目的としている。活動自体はかなり緩く、行く場所の企画は度々あるが、行きたい時に参加すればよいというのがコンセプトなので、集まる時はかなりの人数になるが、数人しか集まらない時もある。だから、4年生の今になっても、メンバー全員が一体どれくらいいるのかもよく分からなかった。


 しかし、3年生の後半から就職活動が本格化したので、ここ半年ほどはその活動にも参加できていない。だから、快と一緒に旅行をするという機会も無かった筈だ。


(夢でも見ていたのかな?)


 私は不思議そうに快を見つめていたが、彼は私の様子には気づかないまま、加代に尋ねてきた。


「今日は安田先生の法律の試験だったんでしょ? あれって、教科書どおりに書けばいいんじゃないの」


「そうなんだろうけどね。私はああいうの苦手。よく分からない法律用語とかたくさんあるし。教員課程の科目じゃなかったら、絶対選んでないわ」


 ハハハ、と快は笑ってから、思い出したように加代に尋ねた。


「そう言えば、加代はワンゲルでやる8月末のラフティングには行くの?」


「行くよ。もう4年で最後だし。就活も終わったから、思いきり楽しみたいわ」


「美里は、どうするの?」


 急にこちらを振り向かれて、私は慌てて答える。


「う、うん……。たぶん行くと思うけど」


 そう答えると、快は「あれ?」と言って少し不思議そうに私の方を見つめた。


「美里……髪切った?」


 言われて右手で自分の髪に触れる。数日前に、かなりバッサリとミディアムくらいのヘアスタイルにしたばかりだ。


「えっ……ああ、少しね」


「長い髪のイメージしかなかったから……何だか印象変わったね」


「そ、そう? ……それって、いい意味で?」


「えっ……ああ、うん……」


 彼は私の質問に曖昧に頷きながら食器を片付けていく。彼があまりそれを好意的に捉えていないことがその態度で分かった。


(あれ? ……私、前にもこんなやり取りをしたような気が……)


 髪を切ったのは数日前。大学入学以来、ずっとロングにしていたが、初めてここまでバッサリと切った。それ以降、初めて快に会った筈なのだ。そうだ。きっと、こういうのをデジャブと言うのだろう。


 その時、快が思い出したように言った。


「そうだ。美里に伝えないといけないことがあったんだ」


「えっ、何?」


「この前、田舎の調査をしたいって言ってたでしょう? あれ、大丈夫だから」


「田舎の調査?」


「あれ、忘れてた? ほら、卒論のための調査で美里が困ってるって、加代から聞いてさ。美里が都会の出身だから、僕の田舎で調査したいって言ってたはずだけど」


「ああ……その事ね」


 1週間ほど前にお願いしていた事だった。ゼミの教授の方針で、卒論は地域振興をテーマに書くことになっていた。ただ、他のゼミ生はみんなそれぞれある程度の田舎出身だったが、私だけは都市部の出身だったので、調査先を探していたのだ。


「ウチは田舎レベルとしては、かなり高いと思うし、地区の会長のお爺さんも、都会の学生が来るって聞いたら、張り切っているらしいよ。写真でもインタビューでも、何でもどうぞっていう感じらしいから」


「あっ……ありがとう」


 快に軽く頭を下げてから笑顔を向けた。


「それで、いつ頃に行くの? お盆前なら、僕が車で送っていってもいいけど。帰省のついでに」


「本当? じゃあ、そうしようかな」


「ちなみに、何日くらい調査する? 2、3日くらいはかかるかな」


「そうね……。たぶん、インタビューとかだけじゃなくて、普段の暮らしぶりの様子とかも写真に撮りたいから、そのくらいかかるかも」


「じゃあ、もしよければ、ウチに泊ってもらってもいいよ。かなり山奥で古い家だけど、空いてる部屋があるから」


「えっ……ああ、そう! それは、ありがたいな」


 私は明るい声でそう答えると、快は「じゃ詳しいことはまた」と言って、皿を持って去って行った。


 快がいなくなってから、テーブルの向こうで様子を見ていた加代がため息をついて言う。


「美里が髪を切ったのを残念がってるのが見え見えだったけど。何で髪を切ったのか、すぐに分かりそうなものだけどね。やっぱり、アイツは鈍感よね」


「うん——」


 少し俯いた私の前で、加代がカップに口をつけてから、フフっと笑った。


「でも、なかなか面白くなってきた」


「えっ? 何?」


「山奥の田舎出身の男に送ってもらって、その家に一緒に泊まる……。なかなかいいシチュエーションじゃないの。これはきっと、何か起こるわ。美里さん、吉報をお待ちしていますわよ」


 加代は、おかしなほど丁寧な口調で言うと、立ち上がってホホホと笑いながらドリンクバーに向かった。その姿に「ちょっと、そんなんじゃ……」と言った時、どこからか光が見えて、視界が真っ白になった。

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