(1)

 目を開けると、窓から光が入ってきていた。


(あれ? 夢か——)


 私はベッドから体を起こした。頭はスッキリとしていて、さっきまでの夢もまだはっきりと覚えていた。私は、通っていた大学で、親友の藤田加代と話をしていた。


(それは……) 


 学食の中で、彼女と話をしていたのだが、なぜかその話の内容が急に思い出せなくなる。私は何かに困っていたのだが……。


 ふと、自分のスマホを手に取った。連絡先のメモリで、「藤田加代」の名前を探して、そこ書かれている電話番号を見つめた。


(ああ、ダメだ)


 私はスマホを布団の上に置いた。前職の企業では休日も不定期で、多忙だったこともあり、大学時代の友人とゆっくりと会う機会が減り、次第に疎遠になっていった。特に、一番の親友であった加代は、関西の方で就職した筈なのだが、お互いに忙しくて会うことはもちろん、連絡さえほとんど取らずにいた。何度か電話はしたが、大した事を話した記憶がない。それに、会社を辞めた今となっては、真面目に働いている筈の彼女に連絡を取ることにやや抵抗感もある。


 私はベッドから起き上がり、パンをトースターに入れる。テレビを付けると、朝のニュースでは、ゴールデンウイーク中の新幹線の混雑予想が出ていた。今年は少し並びが悪いので、メインの期間は5月3日から6日の4日間となるが、その間の指定席の予約はほぼ満席らしい。


 その時、ふと壁に掛けてあるカレンダーが目についた。それは、前職の会社で配っていたカレンダーで、どこかの桜並木の風景を写した写真の下に、4月の日付が並んでいるシンプルなものだ。


(もう、あれから1週間なのね——)


 この前、快と行った岡山の事を思い出した。帰りに静岡駅で快と別れる時、「近いうちにまた連絡します」と彼は言っていたが、あれから全く連絡がない。それにこの前の仕事では、交通費は往復旅費以上を貰っていたが、報酬は出ていなかった。もちろん、依頼者は高校生であり、そもそも報酬を貰うことは無理だとは思うし、何も報酬が欲しいという訳ではない。ただ、仕事がしたかった。依頼者の不思議な夢の話を聞き、それを文字に起こして、誰かに伝えるという仕事。一見、単純そうで回りくどいような気もする仕事ではあるが、私は不思議と少しずつやりがいを感じ始めていた。


(また、誰かの話が聞きたい)


 そう思った私は、居ても立っても居られなくなり、快にメールを送った。こちらから彼に連絡を取ったことは一度も無かったが、仮に向こうが忙しかったとしても、メールならば邪魔にもならないだろう。


『神主さま、お元気でしょうか。また仕事のお話があれば参りますので、遠慮なくご連絡ください』


 それだけ送ってスーパーに買い物に出掛けたが、ふと気が付くとメールが返ってきていた。

 

『時間がかかってしまいすみません。次の仕事が来ました。明後日の夕方4時くらいに、東京からTEXテックスという電車に乗って「つくば駅」に来てください。今回は泊まりになるかもしれませんので、着替えの準備をお願いします』


 久々に向こうから受けたメールは、正にビジネス用のような要件のみを伝える感じだった。確かに、こちらも丁寧に「神主さま」と書いたのだから、それに対する返信ならば致し方ないだろう。ただ、何故か快の姿が目に浮かんで、不思議と懐かしい感じがする。前回の急な予定変更を気にしたのか、今回はご丁寧に着替え持参という追加の指示まで出ている。しかし、すぐに突っ込みを入れたくなった。


(何よ……交通費はないの?)


 そう思っていると、少し遅れて「交通費1万円を振り込みます」とメールが来た。



 ******



 その仕事の日はあいにくの雨だった。


 自宅から私鉄で池袋に出て、そこから山手線で秋葉原へ。人混みの中を歩いて乗り換えを行い、TEXの車両に乗り込んだ。


(懐かしいわね――)


 その路線には思い出があった。私はつくば市にあった大学を卒業したが、ちょうど私が大学4年生の夏にTEXという新しい鉄道路線が開通した。つくば市は、かつては陸の孤島のような場所であり、中心地のバスターミナルまでは東京駅から高速バスで2時間、又は上野からJRに1時間程乗り、最寄駅まで車で誰かに迎えに来てもらって更に20分程かかっていた。しかし、TEX開通後は、秋葉原から最速で45分程で着き、通勤圏となったことから街も大きく発展していった。ちょうど就職活動をしていた時は、まだバスが主体だったので、東京までの往復にかなり苦労した思い出がある。一方で、TEXが開通してからは、就活も終わって清々しい気持ちの中、この路線を使って東京によく遊びに行った思い出もある。今思えば卒業までの最高の時間だったと思う。


 電車は激しい雨を受けながら進んでいく。車窓には大きな雨粒が次々と上から流れ落ちている。平日の午後という時間帯のせいなのか、意外に乗客は少なく、少し離れた場所で子連れの親子が座っていて、子供が騒いでいるほかは、車内は不思議なほど静まり返っていた。




 つくば駅に着くと、バスターミナルに近い出口を目指して歩いていく。その隣に送迎用駐車場がある筈だ。その街の事はよく知っている。快とはどこで待ち合わせるか決めていなかったが、バスターミナルが目印になると思ったので、そこまで迎えに来てもらえばいいと思った。


 地下から出口に向かう階段から曇った空が見えた。雨の音も聞こえる。階段を上がり、地上に出た時だった。


「こんにちは」


 急に声を掛けられて、思わず「ひいっ」と声を出してしまった。その方を見ると、出口の隣で、黒い傘を差した快が立っている。


「な……何ですか? びっくりさせないでください」


「あっ、すみません。出口の正面にいると邪魔かなあと思って、こちらの端の方にいました」


 ハハハと笑いながら、快は「行きましょう」と言って歩き出した。


(どうしてこの出口が分かったんだろう?)


 特に何か連絡を取っていた訳ではないが、こんな場所ですんなりと会えたことが不思議だった。しかし、それよりも驚かされたことにやや腹が立つ。いや、驚いたのは自分のせいなのかもしれないが、ふてくされたように黙って彼の後をついていく。


 送迎用駐車場にはレンタカーのシルバーの小型車が停まっていた。彼が先に乗り込み、私も茶色に白いラインの入ったトートバッグを後部座席に積み込んでから、助手席に乗り込む。


「元気でした?」


「何とかです。給料がいただけなくて、カツカツですけど」


 私は悪意を持ってそう答えたが、快は、ハハハと笑っただけで、それ以上取り合わない。その様子を見て、毒づくのが馬鹿らしくなる。ため息をついてから、私は別の話題を振った。


「この辺、かなり変わったんですね」


 私がそこに住んでいたのは大学を卒業した6年前までだ。その頃は、鉄道が開通したとはいえ、駅直結のショッピングセンターがあるくらいだったが、今では高層マンションやショッピングモール自体も当時より拡張しているようだった。ただ、中心部を離れれば街の至る所で木々の緑がよく目につく印象だけは以前と変わらない。


「私、紫峰大学に通っていて、昔、この街に住んでいたんです」


 私は車外の景色を眺めながら何気なく言った。それに対して快は、ただ「そうですか」と言ってそれ以上話にのってこない。


(もう少し興味を持って聞いてくれてもいいのに——)


 そう思ったが、ただの雇い主にそこまで求めることもおかしいだろうと思い、その話をするのを止めた。


「それで、今日はどんな人の相談なんですか?」


 気を取り直して尋ねると、快は「若い研究者です」と答えた。私は、ふうん、と言ってそれ以上尋ねることもなく、ただ、街の風景の変わりようを眺めていた。


(大通りだけは変わってないわね)


 南北と東西に何本か伸びている片側2車線の大通りは、昔から変わっていないようだ。その昔、何もない山林だった場所を切り開いて、この街を作り、都内にあった大学をここに移してきたのだと聞いたことがある。だから、この街は計画的に作られ、大学とともに発展してきた。


(昔……よくこの道を通って、出かけていたな)


 私はふと、昔の友人達と夜中にドライブに行ったりしていた記憶を思い出した。交通手段が限られる地域だったので、多くの学生が車を持っていた。といっても、新車ではなく中古車か、もしくは親が前に使っていた車ではあるが、普段からお互いに乗せたり、乗せてもらったりすることが普通だった。私もあの頃、先輩から貰った古い軽自動車に乗っていた。学生時代は、沢山の人々と遊んでいたはずだが、その一人ひとりの顔は今となっては良く思い出せない。

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