(7)
ロビーに戻って夕方近くまで待っていた。処置室から出てきた医師が説明するには、充留の意識はどんどんはっきりとしてきて、きっとすぐに一般病室に戻れるだろうということだった。それを聞くと快は、「帰ろうか」と言った。美嘉と充留の母からは、何度も「ありがとうございます」と言われながら病院を後にした。
岡山駅の近くでレンタカーを返して、駅のコンコースに来た頃には、土曜日の夕方であったためか、昨日来た時より人でごった返していた。
帰りの新幹線のチケットは、私が快の分も一緒に買った。2列並んだ指定席だ。快にその1枚を渡してから、改札の向かいにある土産物や弁当を売っているエリアで、それぞれ夕食の駅弁を買った。快はさらに、お土産にするのか、地元銘菓の「きびだんご」を買っていた。
改札を通り抜け、エスカレーターでホームに上がると、しばらくして新幹線が入ってきた。指定席車両に乗り、座席番号を見ながら進んで行く快は、チケットの番号を見つけてその席に座る。私も続いてその隣に座った。
「あ……隣だったんですか?」
「別にいいじゃないですか。帰りくらい」
私が答えると、彼も少し頷いて、リュックを足元に置いた。
発車のメロディーが鳴って、新幹線が静かに動き出す。帰りの車両は、昨日来た時と違って8割くらいの座席が埋まっていた。快はシートのテーブルを降ろして、「いただきます」と言って、早速買ってきたアナゴ弁当を開けて食べ始める。私は岡山名物というちらし寿司の弁当の蓋を開けて食べ始めながら、聞きたいことを頭の中で整理していた。
「あの、この仕事って……後悔をなくして心を救うためのものだと言ってましたよね」
しばらく経ってからそう尋ねると、快は食べながらそれに頷いた。
「でも、あの子の話は未来の姿でしたよね?」
それは、と快は口を動かしながら言った。
「後悔していることは、過去だけには限りませんから」
そう言って、また茶色のアナゴをご飯とともに口に入れていく。
「あれって、本当に未来の話なんですか?」
そう尋ねると快は顔を窓の外に向ける。そして、口の中のものがなくなってから答えた。
「どうでしょうか。……ただ、夢や希望は、それぞれの心の中にあることだけは確かです」
「それは、一体——」
「僕はただ、死に瀕した人の話を……自分で心を開いて話そうとするのを、お手伝いするだけです。その人の話は、過去だろうが、未来だろうが、あくまで現実世界とは異なる世界の話でしかありません。だから、その世界をどう受け止めるかは、その話をした本人、或いは聞いた人の気持ちの問題です」
彼はそこで食べ終わった弁当の蓋を閉めて、お茶を一口飲んだ。
「そういう大切な話を聞いた人が、その話に心を強く動かされると、話をしてくれた人間の代弁者になってくれます。しかし、話をした人と同じように、誰かに話すとすぐにその話を忘れてしまう。……それは、この世界から去った人間のことをできる限り早く忘れ、自分の人生をしっかりと生きろということなのかもしれません」
「そんな——」
「忘れることも人間の能力の一つなのでしょうが、記憶も人間の重要な能力です。ですが、強い後悔の想いがある人間が、その伝えたい記憶を思い出せないままにこの世を去るのは、あまりに残酷なこと。だから、僕はその話を伝える。そのために、文字の力を使うんです。僕にとっては、本人の声ではなく、文字の方がその世界の情景をハッキリと伝えることができる。だから、美嘉さんが言っていた『おまじない』という言葉は、あながち間違ってはいないかもしれませんね」
「あなたには……そんな力があるんですか?」
私は快の方をじっと見つめると、彼はチラッとこちらを見てから、窓の外に顔を向けた。
「僕がやっていることは、話を伝えることのお手伝いに過ぎません。さっきも言ったように、その異なる世界のことをどう思うのかは、話をした本人、そしてそれを聞いた人間の気持ちの問題です。……今回は、美嘉さんに伝えていなかった充留くんの望ましい未来の姿と、それに強く共感した美嘉さんの願いが、充留くんに届き、その生きる力になったのかもしれませんね」
彼はそこまで言って、大きく欠伸をした。窓の外はトンネル区間が続いていて、窓には車内の明かりに反射した快の顔が映し出されていたが、その目が急に眠そうに細くなっているのに気付いた。
私は話しかけるのを止めて、新幹線のシートに体を埋める。トンネルを抜ける度に、窓の外はゆっくりと闇が深くなっていった。
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