(6)

 美嘉は大粒の涙を流しながら、話を続けた。


「私はすぐにお母さんとこの病院にやって来ました。でも充留は、辛うじて息はあるものの、意識が全く戻らん状態が続いとるみたいです」


 快はICレコーダーを止めると、私に言った。


「今の話、大体の内容を文字で起こせていますか」


 私は、そっと頷いた。手元のモバイルパソコンの画面にメモしたキーワードをもとに、今の話を記憶の範囲でどんどん文章にしていく。美嘉はその作業を涙目で不思議そうに見つめていた。


「何か……できるんですか?」


「ごめんなさい。まだ分からないんですけど、私達にできることを頑張ってみます」


 快が頷いて答えた。


 数分で大体の整理ができた。快はモバイルの画面を指でなぞりながらそれに目を通していき、大きく頷いた。そして、「今、充留君のいる場所のできる限り近くまで行きたいのですが」と美嘉に尋ねた。頷いた彼女の後ろから、病院の奥の方に歩いていく。


 しばらく歩いて行くと、救急処置室のドアがあった。そこに設置された長椅子に、中年の女性がうなだれて座っていた。昨日会った、充留の母だ。


「おばさん——」


 美嘉が声をかけると彼女は頭を上げた。涙目になっているその顔を見て、美嘉は隣の席に駆け寄る。充留の母は、手にしていたハンカチで涙を拭いた。


「美嘉ちゃん。心配かけて悪いなあ。……充留はきっと、大丈夫じゃろうから」


 それに大きく頷く美嘉も再び涙が溢れてきたらしく、自分の手で目頭を拭いた。すると、快は静かに「美嘉さん」と声をかけた。


「ここでいいですから、さっきあなたが話してくれた事を、もう一度思い出してください」


 それを聞いた美嘉は、不思議そうに快の顔を見上げた。


「話? ……そうだ。私、さっきあなたに何か話して……。一体、何を話したんでしたっけ?」


 私はハッとして彼女を見つめた。彼女はどうやら、ついさっき自分が話した内容を忘れてしまったらしい。快は私が持っていたモバイルパソコンを示した。


「内容はここにあります。このメモを見れば思い出します。これを読んで、その話をあなたの頭の中で思い出してください。声に出す必要はありませんから」


 快が美嘉に静かに言うと、彼女は戸惑いながらも頷いて、快から受け取ったモバイルパソコンを膝の上に置いて、画面を眺め始めた。隣から、充留の母も不思議そうな様子で美嘉の様子を見ている。美嘉は読みながら次第に思い出していったのか、大きな瞳から流れる涙を手の甲で拭きながら画面を見つめている。やがて、彼女は快の顔を見上げた。


「市川さん……私、思い出しました」


「では、目を閉じて、充留くんの語った夢の光景を想像してみてください」


 快はそう言うと、閉ざされたドアの隣の壁に手をついた。美嘉はそれに不思議そうな顔をしながらも頷いて目を閉じた。そして、快の方も静かに目を閉じていたが、やがてハッキリと言った。


「充留君。……この光景を見てください。これは、あなたが美嘉さんに話してくれた夢です。あなたは忘れてしまっていると思いますけどね。……いいですか、充留君。この光景はね——」


 その次の言葉を聞いて、私は息を呑んだ。


「単なるあなたの夢ではなく、あなたたちの未来の姿の一つなんです」


 えっ、と美嘉が目を開けて声を出した。しかし、快は目を閉じたまま、壁の方を見つめて語り続けていく。


「妹の早紀さんが病気から快復して、あなたたちは共に就職して、結婚して妊娠する。……そして、産まれる子供も含めて、みんなで笑いあって生きていく。そういう未来の姿なんです」


 美嘉もその隣にいる充留の母も、唖然とした顔で、ただ快の様子を見つめている。


「未来を……選んでください」


 快が静かに、聞いたことのない低い声で言うと、目を開けて美嘉の方を振り向いた。そして、大きく深呼吸してから、優しく言った。


「さあ……今度は美嘉さんの番です」


「えっ?」


「あなたは、その未来の世界を、充留君と共に生きることができます。ただ、それはあなたもその未来を選択した場合に限ります。もし、あなたが、その未来を彼とともに生きたいと願うのなら、彼に声をかけてください」


「声を——」


 美嘉は一瞬呆気に取られたような表情をした。しかし、しばらくして強く頷くと、長椅子から立ちあがり、快の隣に立ち、壁に向かって口を開いた。


「充留。……私ね」


 美嘉は静かに語り始める。


「充留の夢を聞いて、私……本当に嬉しかったんじゃ。小さい頃から、ずっと仲良くしてくれよって、器用やないけど、ずっと私の傍にいてくれとったから」


 彼女の目が遠くを見ているように感じた。


「充留のこと……私、ずっと……ずっと好きじゃったんよ」


 そういう美嘉の目から、一筋の涙が流れていく。


「だからもし、充留が私と生きる未来を望むんなら、私は、喜んでその未来を受け入れる。そして、早紀ちゃんも、ここにいるお母さんも、一緒になって笑い合いたい。そして……私達の子供とも、一緒に……じゃからなあ」


 ふう、と美嘉は息を吐いた。


「じゃから、充留……私と、ずっと一緒に、生きてや——」


 美嘉は、そこまで言って、白い壁に手を突いたまま俯いてしまった。彼女の嗚咽する声が廊下に響いていく。私は思わず、彼女の背中に手を置いてそっと撫でた。


 しばらく彼女が落ち着くのをそのまま待っていた。すると、隣のドアが突然開いて、中から看護師が出てきた。充留の母がハッとした様子で立ち上がって尋ねる。


「充留は……片山充留は、大丈夫じゃろうか」


 すると、彼女も顔を向けて答えた。


「さっき、急に脈が戻り始めて……目が開いたんです。きっと大丈夫です。あの状態から、こんなに早く意識が戻るなんて、本当に信じられないんですが」


 それだけ言うと彼女はどこかに走って行った。


 すると、美嘉が急に、あっ、と叫んだ。


「充留が……今、ありがとう、って……」


 ああ、と美嘉は壁に手をついたまま、泣き崩れた。充留の母も茫然と立ったまま、その目から涙が流れていく。快も私も、ただ黙って、そこに立ち尽くしていた。

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