(1)

 ハッとして目を覚まして体を起こすと、見慣れた部屋の中にいた。


(今のは何……?)


 アパートの窓からは朝の日差しが入ってきている。胸がドキドキしていた。誰かに手を握られたような感触がまだはっきりと残っている。私は首を振って背伸びをしてから、ベッドから起き上がり、洗面台で顔を洗った。冷たい水のおかげでようやく気分がスッキリとした気がした。


 朝食のパンをトースターに入れてから、スマホの画面を見た。時刻は8時を過ぎていたが、特に誰からの連絡もない。


 この前、安田と会った日から数日経って、快からは「成功報酬を入れておきます」というメールがあり、一旦2万円が口座に振り込まれていた。しかし、それ以降は全く音沙汰がない。


(結局、仕事がないと当然報酬はないということよね——)


 前払いで10万円を貰っているのはあるが、「月給制で払う」という快の言葉の雲行きが怪しく感じてくる。それでも、その仕事自体に若干の興味は湧いていた。まだ半信半疑ではあったが、この前の小杉の話を目の当たりにすると、少なくとも彼らが自分の手がけた仕事に直接的に感謝していたという現実だけは認めざるを得ない。


(また、あの仕事が出来ないかな)


 もちろん、給料が欲しいという理由もあったが、それよりももう一度、同じような仕事をしたいという思いの方が強かった。


 トースターからパンを取り出し、何気なくテレビのワイドショーを見ていた時、突然、スマホが音を立てた。見るとメールが届いていて、開いてみると快からだった。慌ててその文面に目を通していく。


『次のご依頼がありました。明後日の午後3時頃に着くように、新幹線で岡山駅まで行ってください。現地でレンタカーを借りておきます。それと往復の新幹線代として5万円を振り込んでおきます』



 ******



 4月中旬のその日は、雲一つない晴天だった。久しぶりに新幹線に乗ったが、途中に見えた富士山が頂上の方まではっきりと見えて、思わずスマホのカメラで写真を撮った。名古屋くらいまでは前の会社の時にも出張があったが、それより先は初めてだ。「足代」があったので、指定席を取ったものの、新大阪駅を過ぎると急に乗客が減り、隣の席はもちろん、その向こうの3席並んだ同じ列のシートにも、岡山駅まで私1人しか乗っていなかった。


『岡山、岡山です』


 乗降口を降りると、ホームのアナウンスが聞こえ、発車メロディーが流れ出す。この曲はどこかで聞いたことがある気がするが、何の曲だったのか思い出せないまま、改札口へのエスカレーターを降りていく。


 改札を出て左右を見回すと、人通りも多く、意外と大きな駅だ。改札前の表示看板には、東口と西口という表示が見える。どちらに行ったら良いのか分からず、コンコースの端の方に寄ってから快に電話をかけた。彼はすぐに出てくれたが、「僕もよく分からないんですが……あ、桃太郎の像が見えますね」と明るい声で答えが返ってきた。


(桃太郎の像なんて、本当にあるの?)


 結局、どちらに行ったら良いか分からなかったので、とりあえず身近な東口の方に降りた。


 エスカレーターを降りると、噴水が見えた。その手前には、待ち合わせをしているような人達がスマホを手に時間を潰している姿がある。そこに何気なく近づいて行くと、その傍に、腰に刀を付けた精悍な桃太郎の像があるではないか。


 本当にあったことに驚き、改めて周りを見回す。その向こうは送迎用のロータリーになっていて、車が停まっては人を降ろし、そして人を乗せては再び動き出して行く。そのロータリーの端の方に、車の脇に立ってこちらに手を振っている人間が見えた。


(多分あれだわ……)


 そちらに歩いて行くと、やはり快だった。レンタカーはシルバーの小型セダンを借りていた。流石に彼の乗っているような商用車風のバンではない。


「すぐに見つかってよかったです。この駅って、意外と人も車も多かったので、見つけられないかと思いました」


 快はこの前と少しも変わらず、短髪のやせ型だ。何かよく分からないキャラクターが描かれたTシャツの上に緑色の長袖のシャツを着て、下はジーンズというありふれた格好をしている。例によってそのシャツもヨレヨレで、服装に気を遣っていないことが一目で分かった。私は軽く頭を下げて、車の助手席に乗り込む。


「もしかして、髪切りました?」


 車を発進させてしばらく経ってから、快が尋ねてきた。私は、小杉の件が終わってから、その報酬もあったので、会社を辞めた一区切りにすべく、美容室で髪をバッサリと切った。今後のカットの料金も馬鹿にならないと思ったので、これまで何年もセミロングにしていた髪を、一気にショートにカットしたのだった。


「それって、褒めてます? ……まさか、長い髪の方が良かったみたいなこと言わないですよね」


「ハハハ……そんなことは……」


 快はそれ以上、特に肯定も否定もしなかった。きっとこの男は長い髪の女が好きだ。だからといって、たとえ雇い主であるとしても、私が彼を喜ばせるためにロングヘアにしておく必要はない。


 車のナビを見ると、市内から南の海側に向かっているようだった。ナビには既にどこかが目的地として登録され、到着が約1時間後、と出ている。


「元気にしていました?」


「ええ。おかげさまで。安定収入がないことがこんなに不安だとは思いませんでした」


 私はやや悪意を持って言ったが、快はそれに気づいているのかいないのか、「そうですか」と答えただけだった。


「神主さまはどうだったんですか? あんまりこの仕事の依頼は無いのですか?」


「その『神主さま』は止めてください。まあ、この仕事はなかったのですが、春の時期は、祭りやら、起工式やら、お祓いみたいなこととかが結構ありまして……」


 具体的な仕事の中身を聞いていると、どうやら、本当に忙しかったようだ。無職の身からすると、仕事があることを羨ましく思う。


「本当はもう少し早く来たかったのですが、遅くなってすみません」


「まあ、私はいいんですけど。どうせ暇だから。それで、今日はどんな人なんですか?」


「今回は若い子です。高校生の男子」


 快は前を向いたまま答えた。ふうん、と私は言って外を見た。市内の大通りから、瀬戸内海の方に車は真っすぐに向かっているようだった。窓の外の景色が流れるように移り変わっていくのを見ながら、ふと、前に聞いた快の言葉を思い出していた。


『この仕事は、生命の終わりに近づいている人から依頼があります』

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