(7)

 安田はそこまで話すと、コップに入れたジンジャーエールで喉を潤した。


「私も、少しだけ不思議に思っていました」


 言いながら、手元にある私のメモを指で示す。


「ここに、『マルキ産業との契約書』と書かれています。つまり、このメモでは、小杉工業がこの会社と直接契約できていることになります」


 快が横で尋ねる。


「そのマルキ産業という会社は、どういう会社ですか?」


「弊社の重要な子会社で、自動車部品の製造開発企業です。つまり、自分で言うのもなんですが、巨大企業の子会社が、1つの下町の小企業と対等に直接契約する」


「それって、ちょっと非現実的ではないですか?」


 そう聞いた私に、安田は真っすぐ向いて答えた。


「いえ、本当に価値ある部品は、どんなに小さくても開発企業自体に責任を持って作ってもらう。それによって本当に良いものを継続的に作るという緊張感のある取引ができる。それが弊社グループの昔からの基本方針です。しかし、その契約形態はあまり一般的には知られていません。だから、これは逆に、非常に現実的な、あり得る話だと思ったんです」


 そこで彼はメモに視線を落としたまま、黙ってしまった。私は重ねて尋ねようとしたが、横から快がそれを制するように私の前に手を出した。しばらくして、安田は一度大きく深呼吸をして口を開いた。


「実は……社内でもごく一部の人しか知りませんが、弊社が大丸物産から、もともと小杉工業が開発した部品をベースにして小杉達が開発してきた一連の特許を買い取るんです。大丸物産の今の幹部は、その重要性を低く見ているようですが、私どもはこれが電気自動車の普及を一気に進めるための大事な一歩と見ています。そして、私が今それを、そのチームの一員として進めているんです」


「そうですか……それは、良かった」


 快がようやく口を開いた。


「ベッドに横になった小杉にもこの話はしました。彼は『本当に良かった』と涙を流しながら中尾さんに声を掛けました。中尾さんも小杉の手を握って目を潤ませて頷いていました」


 そこで安田は姿勢を正すと、私達を交互に見ながら言った。


「私は、母と私を捨てた小杉を許すことができません。でも、母も中尾さんも、このメモを見て、小杉の細くなった腕を撫でながら、『この夢のことを思い出せて良かった』と繰り返し言って、いつまでも泣いていました。そして小杉も、ベッドに横になりながら『本当にすまなかった』と私達に繰り返し泣いて謝っていました。……それを見て思ったんです。このメモが小杉の単なる夢の話であったとしても、ここに書かれた内容は、母と中尾さん、そして小杉の心を救ってくれたのだと」


 本当にありがとうございました、と安田は深々と頭を下げた。それを見て、快は首を横に振って答える。


「いえ。僕達は大した事はしていません。単に、小杉さんがお話しした内容を文字にして皆さんに伝えただけですから。しかしそれが、小杉さん、あなたのお母さんと中尾さん、そして……」


 快はテーブルの上の手を安田に向けた。


「あなたの心も救えたのだったら、何より嬉しいです」



******



 ファミレスを出てから、歩いて行く安田の姿を快と見送った。安田は何度か振り返って、こちらに手を振りながら人混みに消えて行った。


「この仕事のこと……分かりました?」


 安田の姿が見えなくなると、快は私に顔を向けて聞いてきた。


「これは、小杉さんのような人々が語る夢の話を聞き、それを文字にして、彼ら自身と、彼らがそれを伝えたいという人々に伝える。そして、一度見たり聞いたりした筈のその夢のことを思い出してもらうという仕事なんです」


「どうして、小杉さんが、ああいう話をすると分かっていたんですか?」


 尋ねると、彼はしばらくの間、前を向いて黙っていた。そして、大きなため息をついてから、前を向いたまま口を開いた。


「この仕事の依頼者には、2つ、条件があるんです」


「条件?」


「1つは、自分の今の人生に後悔があること、もう1つは生命が終わりに近づいていることです」


 えっ、と私は快の顔を見て唖然としてしまった。


「僕のこの仕事はオープンにはしていません。ただ、この条件に合う人は、不思議と僕に依頼をしてきます。『話を聞いてほしい』と」


 風がさあっと横から吹いて顔を撫でた。春先の暖かな風だったのだが、不思議とそれに身震いする。


「僕は、その人たちのこれまでの境遇を聞いて、何を本当に悩んでいたり、後悔したりしているのかを考えてみるように言います。すると、大体数日のうちに、こういう夢を見るんです。それは、その悩みや後悔があることに関するものです」


 快は私の方は見ることなく、真っすぐ前を向いたまま続けていく。


「これは、人間の深層心理に働きかける一種の催眠のようなものだと思っても良いのかもしれません。きっかけは僕が与えますが、後は本人が自分で過去に遡り、最も後悔している自分の『選択』を変えてみる。そこから分岐した人生は、人間の頭の中で内容を大きく変えた世界を創り出し、その世界が本人に夢として見える。自ら選び直した異なる人生だからこそ、それは具体的であるとともに、現在の境遇とは全く異なる世界です。しかし、その世界が心を癒してくれる」


「心を癒す……ですか」


「ええ。単なる妄想ではない、リアルな世界だからです。そして、自らの後悔に関係する人間にも、その人の想いが伝わります。ただ、本人もその夢の関係者も、その夢の世界の事を口にすると、すぐにその内容を忘れてしまうのです。だから僕達は、その世界を文字で記録し、彼らに改めて伝えることで思い出してもらう。それがこの仕事なんです」


「何だかややこしい感じですね。よく分からないような気もしますけど……」


 私は正直な気持ちで言ってから、快の方に顔を向けた。


「でも……私が起こしたメモを見て、あの人達が本当に喜んでいたことは確かだと思う。単に、小杉さんの語ったことを伝えただけなのに」


「そうですね……。それがこの仕事のやりがいでしょうか」


 快はそう言って、私の方を向いてニコッと笑った。


「どうやら、続けていただけそうですね」

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