七 

 そのうち、駕籠かごは山城のふもとの屋敷に到着した。そこは平常時に日近ひぢか当主が暮らす屋敷である。

 山城をふもとから見れば全方位に防御を巡らし、敵にとっては攻めるに、いやな城であろう。山の斜面と川を天然の要害ようがいとして組み込むは必須。(東)の方角の尾根からの侵入防御を特に意識した砦城とりでじろであり、八平はちだいらとり(西)の方角へ進むならば、拠点となる。

 日近ひぢかの屋敷自体は本家のように大きくもなく、長者の屋敷程度であった。


 それでも、たちまち、こざっぱりした侍女たちに少女二人は囲まれ、奥まった部屋へ連れて行かれた。そこには、二人のために娘らしい小袖や帯が用意されていた。


 日女ひめには白綾しろあやの地に、控えめに桔梗ききょう撫子なでしこ、小花をあしらった小袖の打掛うちかけが着せかけられた。

 打掛うちかけの上半身は脱いで、腰に巻きつける。夏の正装だ。それは、いまだ、霧の中に立つ巫女のあらわしのようだった。

 日近ひぢか当主は、巫女であった日女ひめを、いきなり原色の現世うつしよへ連れ戻すのをためらって、その小袖を選んだのだろうか。


布面ぬのめんを……」

 侍女たちは、日女ひめの顔を隠している布面ぬのめんをはずしたいらしい。

「このままで」と、少女は拒んだ。「今、しばらくは」と。


 人におもてを見せぬ生活を、数年だ。

(見るのも見られるのも、おそがい(怖い)……)


「さぁ、参らまい(参ろう)」

 そんな少女を気遣って、さいが、ぐっと左の手で日女ひめの右手を取った。


 さい日女ひめの付き人にふさわしく、よそ行きのなりをさせられた。

 侍女姿に太刀二振り。頑として手放すのを拒んだせいで、女装の若者に見まごう。

 きょうに乗ってさいは両手を広げ、くるりと回って袖の雪輪文ゆきわもんを見せた。

 水浅葱みずあさぎの地色に白く抜いた雪輪ゆきわの丸い文様。あえて夏に、雪の文様を持ってくるのだ。


「ひんやりと、りりしいな」

 素直に思ったことを、日女ひめは口にした。

女子おなご女子おなごの格好をして、その褒め方」と、さいおどけてみせる。


 そのまま、二人は侍女の案内で、廊下伝いに広間へと向かった。

 板敷の廊下は、素足に冷たく心地よかった。ぴっかりとよく磨かれていて、砂埃すなぼこりなどもあがっていない。日近ひぢかの下働きには、よほど心がけのよい者がいるのだろう。

 民が、日近ひぢか当主を慕っているのは本当のところであった。思い出すのは、えらい(つらい)ことだが、前の当主と嫡男ちゃくなんのことも、皆は慕っていたのだった。


 広間では、上座に日近ひぢか当主、久部衛貞友きゅうべえさだともが坐していた。一段下がった場所には、側室と、ちんまりと日女ひめのタオが待っていた。

 日女ひめが板敷の床に片膝を立てて座り、さいは控えて、また片膝で坐すると、「あねさま、おかおをかくしてらっしゃるの」と、いとけない様子で、タオが右の手でいち日女ひめを指差した。


「タオさま。いち日女ひめさまは、不知日女しらずひめさまとして過ごされた時間が長いですで、よろしいのですわ」

 側にいた側室が、タオの右手をやさしい手振りで下げさせ、小声でささやいた。

 この女は、幼い日女ひめ久兵衛貞友きゅうべえさだともの身の回りを世話するため、側室にあがった。

(出過ぎましたかや)と、さりげなく久兵衛貞友きゅうべえさだともと視線を合わせるところを見ると、奥事情はうまくいっている。


「お久しゅうございます。父上さま」

 まずはいち日女ひめは座り直すと、久兵衛貞友きゅうべえさだともに深々と礼をした。


「――よう、お帰りくだすった」

 万感があふれて、久兵衛貞友きゅうべえさだともは何度もうなずく。

 そして、「人としての名を、お返ししまい(しましょう)」と申し出た。


「あなたさまの名は、


 それが、不知日女しらずひめの名であった。


「覚えとります」

 その名を呼んで、抱きしめられた覚えがある。

 あれは。 

 深く沈んだ記憶の中で、その名は、きらきらと小さくきらめいた。

 泉の底に沸く水に、きらめく砂のように。


(その名を、なんで知っとった?)

 フウは、いきなり現れて名を呼んだ若者のことを思い出した。きらきらした記憶の砂の向こうに、何かひっかかっている。


此度こたび、あなたさまを呼び戻すことになりました、その理由わけですが」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、娘の名を呼ぶことに慣れなかった。

「次期本家当主、玖八郎くはちろうさまが、あなたさまを妻にと」


 ――玖八郎くはちろう。あの不埒者ふらちもの

 フウは思い出していた。

「われは、ずっと呼ばわり山で、大巫女おおみこさまのお手伝いをするものと思うておりました。それが、御神託ごしんたくだと――」



 呼ばわり山には、いつの頃からか巫女がいた。

 巫女になるのは、先読さきよみやものを探す能力がある女子おなごだった。

 今の大巫女おおみこも、先代の巫女も出自はわからぬが、気がつけば呼ばわり山の巫女さまと付近の者たちに慕われていたのだ。


「われは七つになる前に、神隠しに遭ったと」

「そうじゃ」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともはうなずいた。

 


 穏やかな秋の日であった。

 忽然こつぜんと、日近ひぢかいち日女ひめの姿が消えた。


「『いち日女ひめをお戻しくださるなら、わが命差し出します故』との母の祈りを神が聞き届けたか、七日の前に、あなたは戻ってこられた。神からの預かり子と思うて、この世と切り離して一生を終えさせてほしいと、お前の亡き母御は」


 やはり、フウと呼んで抱きしめたのは、母であったのだろう。


「ただ、本家の意向はまねばならぬ」 


「もし、許されるなら、その布面ぬのめんを取って、父にかんばせを見せてもらえないだろうか」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、遠慮がちに娘に申し出た。


 いち日女ひめはうなずくと、顔を隠していた白い布面ぬのめんを外した。

 父は涙ぐんだ。

「生き写しじゃ、母に。タオも面影あって、かわいらしいが。お美しくなられた」

 

 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、心の中で本心をつぶやいた。

(あの本家の総領息子。なぜに、この日女ひめかんばせも見んで妻と決めた。その眼力がんりきめてやらにゃならまい)




 それから、夏の夕暮れ。

 日近ひぢか当主一族は夕餉ゆうげの膳を、どことなく不器用に囲んだ。

 当主を上座に、フウはタオと向かい合って、タオの側には側室が控えていた。

 

 フウについてきたさいは付き人の身分だから、くりやの近くで使用人と食事をとっている。


「あねさま」 

 タオは、いきなり出現した姉日女あねひめに夢中だった。

 フウが神隠しに遭った時、タオは亡くなった室の腹にいたのだ。タオを産んで、乳離れするのを見届けるように室は亡くなった。今のフウに、実の母の面影を探しているのだろう。


「……」

 側室は黙って、こくがゆをんでいた。昨日までは気にせず、かっかと食ろうていたものが、今日はのどにつっかえる。


いち日女ひめが戻って来て、あのようにあるじさまもお喜びというのに。自分は、それを心からは喜んどらん。小さな日女ひめなついてくれとったものを、今はいち日女ひめしか見とらん……)


 幼子おさなごは正直だ。

 あるじ久兵衛貞友きゅうべえさだともも正直だ。亡くした室より自分を大事に思うとるはずはない。

 急に、側室は自分だけが余所者よそものであると気づいた。


「……」

 実を言うと、いち日女ひめも似たような心持ちだったかも知れぬ。

 父、久兵衛貞友きゅうべえさだともを父親だと思うのだが、この屋敷で暮らしていた頃の記憶が、すっぽりと抜けていた。急に目の前に現れた血縁というものに実感が沸かなかった。

 

たくましい父、わきまえた側室、愛らしい妹……。われは、そこで異質ではなかろうか……)


 だが、そんなことはかまわぬのが、日女ひめ、タオだった。


「ねぇ、あねさま。今日きょおは、タオといっしょに寝てくれましょー」

「まぁ」と、側室は笑ったような困り顔をフウに向けた。いち日女ひめが、当たり障りなく断ってくれるかと。


「おかぁさまも」

「え」

「おとぉさまも」

「おぅ?」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともが、武士もののふにあるまじき頓狂とんきょうな声をあげた。その声に、フウと側室は同時に箸を取り落としそうになった。


「ふ、ふふっ」

 鈴が鳴るような声で笑い出したのは、いち日女ひめだった。

「よいですわ(よいですよ)。タオさま」

「わい!」

 タオが体全体でうれしさを表わしてひっくり返ったもので、「ふ」と、つられて側室も笑ってしまった。


 ずっと後になっても、久兵衛貞友きゅうべえさだともは、このときのことを何度も思い出したものである。






※〈要害〉 防御と戦闘性に富んでいること またはそうした場所


※ この時代の子供は けっこう長く母乳を飲んでいたらしい  

  乳を赤子にやっている間 女性は妊娠しないので 

  子を産むのが役目の正室の子に乳母があてがわれるのは そのせいとも

  ここでは二の日女には乳母もいたが

  母親も自分の余命を察し乳を与えていたと推察

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