六 

 

 「……」

 巫女は何も答えぬまま、後ずさるようにやしろの中へ入った。


 唐輪髷からわまげ女子おなごは、仁王立ちのままだ。

「本家のぼうだか知らんが、出直いてきな」

 そうして、玖八郎くはちろうらがやってきた小道を指した。


「そうすることにする」

 玖八郎くはちろうの眉間のしわは、もう消えている。

「失せ物は見つかった」


「いや、はや、どうも」

 生田しょうだは、これからも、この若君に振り回される予感しかしない。




 玖八郎くはちろう生田しょうだ夏目なつめの三人が日近ひぢかの山城に戻ると、久部衛貞友きゅうべえさだともの顔から笑みが消えていた。

 案内役あないやくの若い百姓から事情を聞いたに違いない。


「山で迷ってな」

 玖八郎くはちろうは悪びれず言う。

やしょで巫女に会った。あれは、日近ひぢかいち日女ひめであろう?」


「そうでございますが」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともが口角を上げた。そうすると、目尻も自然に下がって大層誠実に見えるのを本人は知っている。


(貼り付けたな)と、玖八郎くはちろうは思った。

 父、美作貞能みまさかさだよしが言っていた。『久兵衛貞友きゅうべえさだとも八平一はちだいらいち、腹の読めぬ男だ』と。


「本家に隠そうとしたか?」


「誓って、そのようなことは。御神託ごしんたく下りました娘ゆえ、巫女さまの元で育てました。人とはへだたりを持つ者、不知日女しらずひめでございます」


「神託とな」

「七つになる前に娘は神隠しに逢いました。見つかり申すなら、巫女としてお仕え申しあげまい(あげます)と我ら、祈り捧げますと、七日の前に、呼ばわり山で見つかりました。ゆえに」


 玖八郎くはちろうは考えているようだった。

日女ひめはいくつであったか」


とおと三つになるのかと」

 久部衛貞友きゅうべえさだともは自分の娘の年に、なぜか曖昧あいまいな答え方をした。


「承知した」

「は?」

「六年、神に仕えりゃあ十分ではないか? 日近ひぢか殿、嫁入りのまわし(支度)をいたせ。不知日女しらずひめは、我が妻に迎える」


「それは。本家さまに相談もなく――」

「無論。父だけでなく和田出雲わだいづも殿も御存じじゃ」


 七族筆頭しちぞくひっとうの和田家、そして日近ひぢか当主の亡き妻の父親。その影響は絶大で、久兵衛貞友きゅうべえさだともは、その妻を越える者はいないと後室の席は空け、側室を置いている。


玖八郎くはちろうさま、そのような大事、一気に申し上げるものではございませぬ。日近ひぢかさまもお困りですわ」

 生田しょうだが、やんわりと間に入った。


日女ひめと話さん限りは、何とも」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、できる限りは言うてみた。

「納得? そのようなことが必要か?」

 やはりな返答を、玖八郎くはちろうはしてきた。


 一族の中で、未婚の女子おなごの意見が聞かれることなどない。

 女子おなごは婚姻により一人前とみなされ、また、子を成して、ようやく意見を言うことができる扱いだ。

「では、日近ひぢか殿、よしなに」


 この若者は決して引かない。

 何より本家に逆らえるはずがない。

 日近ひぢか当主、久部衛貞友きゅうべえさだともは、ぐいと本心を呑み込んだ。



 明くる日には、不知日女しらずひめ日近ひぢかの領主屋敷に戻ると決まった。


 不知日女しらずひめであった少女は戸惑っていた。

 呼ばわり山の暮らしになじんでいた。巫女暮らしは、わびしくはなかった。

 大巫女おおみこが書き物や読み物、まじないや薬草の知識を教えてくれた。

 時折、仏門に入った祖母上ばばさまが便りをくれた。

 訪ねてくる人との交流はあったし、生活全般、日近ひぢか当主が見てくれているのだ。かえって、気ままにできたといえる。


「――いん極まりゃあように転じ、よう極まりゃあいんに転ず。いんようも、そこにとどまることはできひん」


 大巫女が、ぶつぶつと唱えている。

 少女は、それを子守歌代わりに聞いて育った。


「――あらゆるもの一切、これを大別すると、いかなおっきなものでも、いかにちっさなものでも陰と陽の二つの気からなる。この二気にきは離れんとて、一つで存在することもあらへん。陰は陽のかげにかくれて陽を助け、陽は陰の表に現われて陰を導く。すなわち、明と暗、生と死、男と女、吉と凶、天と地――」


 大巫女の言葉の癖は、都のものらしかった。

 戦で流れてきた女のようであった。

 もう何歳なのかもわからずで、邑人むらびとたちは、ただ大巫女おおみこと彼女を呼んだ。


 大巫女は少女に薬の作り方を教え、舞を教え、季節のしつらえを教え、慈しんでくれた。



 あおい木ぃ 芽吹く

 木ぃさ あかい火ぃに燃ゆる

 土に戻れ きいろの柄杓ひしゃくで 地ぃ打ちつけて

 しろの石を拾え

 石に水 降りたなら むらさきの水 木ぃに撒け

 そしたらまた あおい木ぃ 芽吹く



 大巫女がうたうと、少女もうたう。



 たとい 木ぃが土をやせさせようと

 火ぃ 石をとかそうと

 土 水をにごせども

 石の斧で木ぃ切り倒すとも

 水 火ぃを消し止めようと 




 幾度かの戦乱も、呼ばわり山の中には届かず、憂いもなかった。

 それでも、少女の祖母上ばばさまは心配して、さいという女子おなご不知森しらずもりつかわした。

 さいは、そこいらの男より剣の腕が立った。一族の中でも剣の使い手と云われた男に仕込まれたと云う。



 


 そして、涼月りょうげつ(旧暦七月)の終わり、日近ひぢかの城からは駕籠かごが仕立てられて、日女ひめを迎えに来た。


さいを連れて行け」

 大巫女は言った。


「あぁ、日近ひぢかの尼様と約束しとる」

 さいも、そのつもりだった。

「われがさいを連れて行ったら、不便やろ」

 少女の言葉は大巫女の影響を受けて、山家やまがの言葉の癖と都のそれが混じった。

 その少女に大巫女は小声でつぶやいたものだ。

「なぁに、雑な奴が減る」


「聞こえてますわー」

 どうやらさいという女は、細やかな仕事に向いていないらしい。



「もぅし、もぅし。日女ひめさま、お迎えにあがったー」

 ひょろりとした僧が、やしろの入り口から、よく通る声で呼ばわってきた。

 祖母上ばばさまの便りを持ってきてくれる、専念寺せんねんじ永順えいじゅんという僧だ。


 永順えいじゅんは僧ではあるが、書状の代筆をしたり、あるいは使者のようなこともしているという。

「歩いてですな。いろいろなものを見聞きするのが楽しいのですよ」

 今日も日女ひめにくっついて参城し、いろいろ見聞きしたことを、寺にいる祖母上ばばさまに話して聞かせるのだろう。


 今朝、少女は、いつもどおりに巫女姿に着替えようとして、大巫女にやさしく止められた。

「もう、日女ひめ不知日女しらずひめにあらず」


 しかし、肌小袖はだこそでのままともいかない。さいの小袖を一枚はおった。

「屋敷に行けば、どうにかしてくれるだろ?」

「だろ」

 さいが、日女ひめの言葉尻を真似て、にっかりと笑った。


 少女は、このさいに気持ちの上で助けられてきた。日女ひめの祖母上さまは、そういうことも案じたのであろう。


 

 さて、呼ばわり山から日近ひぢかの城は、そう遠くない。

 少女の乗った駕籠かごは、永順えいじゅんさいに伴われて、ゆっくりと進んだ。

 駕籠かごの窓を少しだけ開けて、少女は外を見た。

 街道の脇の田んぼには、緑の稲が育っていた。駕籠かごが通り過ぎる間、邑人むらびとたちは手を休め、頭を下げて見送ってくれている。


(覚えがあるような、ないような)

 七つの前までは、日近ひぢかの領主屋敷で暮らしていたのだ。母と手を繋いで、今、見ている風景を歩いたこともあるのかもしれない。

 けれど、少女は、その母の顔も、ぼんやりとしか思い出せなかった。


(水と、岩と。キラキラしたもの。)

 他人の失せ物探しは得意なのに、自分の失くし物は探せないのだ。

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