五 

 八平はちだいらの領でも、日近ひぢかは山深いところにある。

 山際の野道を、三人は騎馬でゆっくりと巡った。馬は、ずんぐりとした体で、ぱっこっ、ぱっこっと進んでいく。

 領内の百姓ひゃくしょうが一人、やや小走りでついてきていた。


「――玖八郎くはちろうさまは、馬はどのような気質のものを好まれますか」

 生田しょうだが馬談義を始めた。


「そうよのう、穏やかなもの、たけきもの、どちらも一長一短あるからな。わしは持久力のあるものが好ましい」


「――ところで、かわいらしい日女ひめでしたのん」

 夏目なつめが、ほじくり返した。


 実は、生田しょうだは根回しして、日近ひぢかには日女ひめを若君の御前に出すように伝えておいた。カンの良い男なら、顔合わせ(お見合い)だと気づくはずだ。


日近ひぢか久兵衛貞友きゅうべえさだともともあろう方が、ぼんやりはあるまいわ」と、生田しょうだは返す。


雲間くもまの月のように隠された」

 玖八郎くはちろうは苦笑いしている。


「月?」と、夏目が。


「あの日女ひめより上の日女ひめがおる。日近ひぢかめ。とぼけおって」


「よほど大切な日女ひめなのだろ」

 生田しょうだが、なだめにかかる。

わしめとらせたくないということか」

「そこまでは言っとりませぬわ」

かくいたとは気がすまぬ」

「それ、それ、もう」

 若君は青い。生田しょうだは、なだめる。


 夏目は調子に乗って、若君をきつける。 

「もったいをつけとるのか、日近ひぢかさまは。それで、とんでもない醜女しこめであったら、目も当てられぬ」

 

「いや、とんでもない醜女しこめであるで、不知日女しらずひめなのでは」

 結局のところ、生田しょうだまで言い出す。

 この三人は兄弟のように育ってきた。親の目が届かぬところでは、互角の口を叩いた。


「あのタオという幼女の姉なりゃあ、それはない」

 玖八郎くはちろうは、年の頃五つほどのタオを見て確信していた。


「おや、若君、そのような考え方をなさるとは、御成長はなはだだしい」

 生田しょうだが、とした視線を若君に送る。

 女子おなごに興味が湧くのは、よきことだ。本家は血筋の御子を、たんとこさえねばならぬのだから。



 話している内に、野道は狭くなり急に終わった。


「ここからは、山ですのん」

 夏目が、木々の奥を透かして見た。

 そこから見える奥の木々に、神域を示す紙垂かみたれをつけた縄が張ってあった。


「この先には何が?」

 玖八郎くはちろうは、案内役あないやくの若い百姓に聞いた。


「呼ばわり山にごぜえます」


「呼ばわり山とは?」

「失せ物があると、ここに来て巫女さまに探していただきやす」

「怪しきたぐいの者か」

「いえ、滅相めっそうもねぇ。日女ひめさまのお世話もなすっとるお方すから」


日女ひめ

 聞き逃さなかった。

「では、我らも失せ物を探そう」

 玖八郎くはちろうは馬を降りた。




「おやめくださいませ。お館様に叱られまするうー」

 若い百姓が力なく叫ぶのを、夏目が押さえていた。


 玖八郎くはちろう生田しょうだが山に一足、踏み込んだとたん、その声は聞こえなくなった。


「おぉ、まさに、結界?」

 生田しょうだは恐れる風もない。むしろ興味深げだ。


「音がせぬ」

 不思議だった。

 葉擦れもせぬ。足裏にしっとりとした地面の感触はあるが。

 雨が降っていたはずだ。しかし、木々は濡れもしていないような。

 道がない、と見えたのは目くらましだったのか。

 はっきりと人為的な、ゆるい石階段が見えていた。


 石階段は、玖八郎くはちろう生田しょうだを山の奥へ誘う。

 その先に門が見えた。

 

 門の向こうにあるのは、やしろと言うよりは、ふるびたわらぶき屋根のいおりのようだった。

 その入り口に、布面ぬのめん巫女みこが一人立っていた。


 布面ぬのめんは顔を覆った白い布の上両端に細い紐がついていて、元結もとゆいで結んだ下げ髪の頭の後ろで結わえているようだった。

 巫女と思えたのは、緋色の切袴きりばかまを身につけていたからだ。

 小袖の上に着た、千早ちはやと呼ばれる前を胸紐むなひもで合わせた白い上衣も、いわゆる巫女の姿だった。


「失せ物探しか」

 しわがれた声だ。

 老婆であろうか。

 だが、髪は黒々としている。


左様さよう

 生田しょうだが応える。

「人を探しておる」


「その者の名は何と」

「……」

 生田しょうだは言葉に詰まった。そういえば、日近ひぢかいち日女ひめとしか知らぬ。


「フウ」

 玖八郎くはちろうが、ためらいなく言った。


「……その、者は」

 巫女の声が、少し震えたようだった。


「フウ、だ」

「……」

 半歩、巫女は後ろへ下がった。

 玖八郎くいちろうは、それより早く、衣越しに巫女の腕を掴んで引き寄せた。

 巫女の体の弾力は、老婆ではない。

 途端に玖八郎くはちろうは、みぞおちに一発、くらった。


無礼者ぶれいものがっ。馬のクソでも踏め!」

 巫女が叫んだ。りんとした声だ。


玖八郎くはちろうさまっ」

 思いがけない巫女の反撃に、生田しょうだも目を白黒させた。


「何者ぞっ」

 今度は、若い女子おなごが走り出てきた。

 男のような身なりに唐輪髷からわまげというのだろうか、山家やまがでは見かけない歌舞かぶいたをした上に、太刀を二振りたずさえていた。


「怪しいものではない。本家の玖八郎くはちろうさまじゃ」

 生田しょうだは、本家の惣領息子をかばって前に出た。

「本家の」

 走り出て来た女の殺気が引く。ただ、険しい目つきは変わらない。


 生田しょうだ片膝かたひざでひれ伏した。

「申し訳ありませぬ」 

 とにかく、この場を治めるが先決。分家のさとでいざこざを起こしては、本家の沽券こけんにかかわる。


「巫女殿」

 玖八郎くはちろうは、しかめつらでありながら笑っていた。

「あなたこそ、不知日女しらずひめであろ。そして」

 したたか打たれたみぞおちを抱えて、玖八郎くはちろうは、ようやく立ち上がった。

「フウ、だ」


 玖八郎くはちろうは、巫女の手を見たのだ。

 巫女の声はしわがれていたが、上衣から少しだけ見えた指先はなめらかだった。


「迎えに参った」






※〈不知森〉 この世界の神の領域

 〈不知日女〉 その巫女

 〈元結〉 髪を束ねるのに使う紐

 〈唐輪髷〉 前髪を真ん中で分けたのちまげは髪を頭上でまとめ上げて二つ   

       から四つの輪を作り根元に余った髪を巻きつけて高く結い上げる髪型

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