不知日女

四 

 

 ざあっと、通り雨が降って来た。

 山間の地では、少しの平地あらば開墾かいこんして、山肌にへばりつくように稲田が作られている。

 山の泉から引かれた水が田に満たされ、さらに、この雨で稲が育つ。


 日近ひぢかの城は八平はちだいら本家三代さまの折り、築城された。

 三代さまは、次男を日近ひぢか初代領主と定めた。それが日近八平久兵衛貞友ひぢかはちだいらきゅうべえさだともの父だ。

 

 とおと四年も前のこと。一度、日近ひぢかの城は陥落している。


 八平本家五代さま、美作貞能みまさかさだよし日近ひぢかの初代当主が結託し、その時の主君であった珠流スルを離反した。

 尾之國オノコクの勢力が増していた時だった。日近ひぢか当主であった久兵衛貞友きゅうべえさだともの父は、疾風シップウ公に、昇る朝日の輝きを見て、主君を乗り換えようとした。

 だが、負けた。

 

 日近ひぢかを継ぐはずだった、久兵衛貞友きゅうべえさだともの兄は誅殺ちゅうさつ

 久兵衛貞友きゅうべえさだともの父を離反の首謀者として討ったのは、八平本家の大殿、つまり本家筋が祖父上じじさまと呼ぶ貞勝さだかつ公だ。

 そうすることで八平本家は、主君である珠流スルゆるされたものである。

 あの時、美作貞能みまさかさだよしは、遠い山寺への蟄居ちっきょを命ぜられた。死罪相当の処分のはずが、一年ほどで放免された。 

 この曖昧あいまいな処分も、珠流スルの治世がほころびかけていた兆しだったのだろう。

 それより、日近ひぢか領は本家預かりとなり、今に至る。



 涼月りょうげつ(旧暦七月)の通り雨は、日近ひぢかの領主屋敷の石置屋根いしおきやねも濡らしていった。

 屋敷のくりやでは、下働きの者共が忙しく立ち働いている。


「茶を三つだ。若さまの茶は、タオに頼む」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、くりやの者に差配した。


 急なことだった。

 本家から嫡男ちゃくなん玖八郎くはちろうが供を伴って、日近ひぢかの山城を訪れてきた。

 玖八郎くはちろうの元服の祝いに対する礼も兼ねて、見分けんぶんに来たという。

 いやいや、本家が分家に礼など、わざわざ参じる必要はない。

(あれも、本家さまに似て強引か)


 久兵衛貞友きゅうべえさだともにとって、八平はちだいら本家五代となる美作貞能みまさかさだよし従兄弟違いとこちがい(従兄弟の子供)にあたる。


 山間にへばりついた日近ひぢか領の〈百姓久兵衛ひゃくしょうきゅうべえ〉とか、〈兵糧兵衛ひょうろうべえ〉とか揶揄からかってくる美作貞能みまさかさだよしは何とも言い難い。

 日近ひぢかは既に本家の所領であるから、もっと縛りがあってもよさそうだが、久兵衛貞友きゅうべえさだともの裁量に任されている。


(――まぁ、昔々の日近ひぢかの離反のせいで、とおになったばかりの美作みまさかさまが質子ちしに取られたこともあったしなぁ)


 十分、互いに尻拭しりぬぐいをしあっている。

 互いに、食えぬとも思っていることだろう。


 遺恨は八平はちだいらは遺さない。

 そんなものを持っていたら、生きてゆけない。

 味方になれば酒を酌み交わし、敵になれば刀を交える。

 そういうことだ。



「タオ、頼んだよ」

 日近ひぢかの当主は、幼い日女ひめに声をかけた。

「はい、おとぅさま」

 タオは小さな手で神妙に椀の乗った盆を引き寄せた。

 侍女が介添えして、ゆっくり、板張りの廊下を歩いていく。そのあとに久兵衛貞友きゅうべえさだともも続いた。

 



 広間で客はくつろいでいた。

 本家の若君の供として五老ごろうの家の若者が二名、従っていた。


 五老ごろうとは八平はちだいらの古くからの家臣である家柄、五つを指す。

 すなわち、生田しょうだ山崎やまざき兵藤ひょうどう黒屋くろや夏目なつめの五家である。

 今日は、生田しょうだと夏目の若者が供をしていた。


 そこへタオは現れて、いちばん上座に座った本家の若君に、茶碗の盆を差し出した。

 何か言ったが、わらわの舌足らずで聞き取れぬ。懸命なのは伝わってくる。


「これは、愛らしい」

 思わず、生田しょうだ家の四郎兵衛勝重しろうべえかつしげの口元がほころんだ。

「オ、オサヅマにも、ほどが。いや、その」

 夏目なつめ家の次右衛門治定じうえもんはるさだが、自分で自分の口をふさいだ。


 両名とも先の戦が初陣ういじんで、功を挙げた若者である。

 生田しょうだ玖八郎くはちろうの四つ年上で、幾分かは夏目より落ち着いている。

 ちらりと、若殿の様子を伺うと、「……」、玖八郎くはちろうは黙って茶を飲んでいるが。


日近ひぢかの新茶でございます。お口に合いますかどうか」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともが、小さな娘の側にかしこまった。


「うんまい」

 年上の日近ひぢか当主に玖八郎くはちろうは臆さない。生まれながらの総領のうつわである者は、悪気ない。



 雨の間、歓談し、雨雲が切れたところで、玖八郎くはちろう一行は山城の周りを散策することにした。

 散策と言う名の見分けんぶんである。


「山には入られませぬよう。雨で地面が(ぬかるんで)おりますし」

 そう久兵衛貞友きゅうべえさだともは送り出した。


「そうだなぁ」と、言いながら玖八郎くはちろうは山を見た。

 山は、低くたれ込めた霧にいだかれていた。

 雨は霧を連れてくるのだ。





 

※〈石置屋根〉 板葺きの上に石が置いてある屋根

 〈厨〉 台所


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八平久兵衛貞友(34歳) 八平日近領当主

生田四郎兵衛勝重(19歳) 三男であったが生田家の跡継ぎとなる

夏目次右衛門治定(17歳) 夏目家の総領息子


※八平美作貞能という名前の場合 

 〈いみな〉=〈貞能〉は口にすることを憚っている

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