三 

「兄上、兄上」

 広間では、千代丸ちよまるが仔犬のように玖八郎くはちろうにまとわりついている。

 玖八郎くはちろうの弟、千代丸には、元服をして大人の髪形になった兄がまぶしくて仕方ないのだ。


「千代丸も早く、お父上のお役にたちとうございます」

「おう、千代」

 玖八郎くはちろうは弟を抱き上げようとしたが、「重くなった。もう、さげられん(抱え上げられん)」と笑った。

 仲の良い兄弟は、そのまま中庭に出て相撲すもうをとりだした。

 の光が、くっきりと軒先の影を地面に映している。


「本家も、ますますの御安泰ごあんたい

 玖八郎くはちろうと千代丸の様子に、和田八平出雲貞行わだはちだいらいづもさだゆきは目を細めた。


 この八平はちだいらには、七族しちぞくと呼ばれる七つの重臣家がある。

 八平本家初代さまの二男以下が、別家を立てて臣下につらなったものである。


 代を重ねるごとに、別家が増えた。

 三代さまのときには、中金なかかね夏山なつやまはぎ田代たしろ稲木いなき石波いしなみ日近ひぢかというふうに。

 ただ、この中で石波いしなみ家は、若くして当主となった祖父上じじさまに謀反むほんを企み、和田家の手によって一族郎党誅殺ちゅうさつとなり、断絶した。


 和田わだ家は、初代さまの次男の血筋。

 中金なかかね家は、初代さまの弟御の血筋。

 夏山なつやま家は二代さまの血筋。朔手さくての城に近い支城を任されてもいる武勲ぶくん家格かかく

 はぎ家、田代たしろ家も二代さまの血筋。

 稲木いなき家は和田の流れで、先の石波家討伐の功により七族に列せられたもの。

 日近ひぢか家は、三代さまの次男の血筋である。

 なかでも、八平本家の朔手さくての城に続く街道をやくしている(要所を占めている)和田八平わだはちだいら七族筆頭しちぞくひっとうであった。


 この朔手さくての城から本宮山ほんぐうさんうま(南)の方角に見据えると、手前が和田領、本宮山の向こうは雨山あめやま領といって、そこは阿知波あちわという一族が屋敷を構えている。とり(西)の方角に行けば、滝山たきやまの麓が田代たしろ領。その川を挟んだ向うが中金なかかね領。田代から向こうに行けばが夏山領。それから山に分け入って日近ひぢか領だ。言い忘れるところであった。いちばん平地に近いのははぎ領だ。

 

「そろそろ玖八郎くはちろうに嫁を迎えれねばの」

 今日、美作定悦みまさかさだよし和田出雲わだいずもを呼び寄せたのは、その相談のためである。


菅沼すがぬま日女ひめをとお考えか?」

 菅沼は、八平と同じ山家やまがの一族だ。


 今、大國としては三つの國があった。

 すなわち、北の山向こうの科野シナノという國を飲み込み領国としたキョウ

 西を治め、これもまた北の山向こうの美之ミノという國を領国としかけている尾之國オノコク

 南の大海を望む國として、参之國サンノコクだ。


 これらの國にとって山家やまがの位置は、格好の交通路だった。

 平地の参之國サンノコクにとっては、八平領のある山間の地が、脅威である二つの國を防戦するためのつつみとなる。

 故に、この山家やまがの地は大國が攻防を繰り返す。 



 さて、八平はちだいら代々の当主のしつは、同じ山家やまがの領の菅沼すがぬまか、川を下った参ノ國サンノコクの士豪の日女ひめか、それか分家の日女ひめと決まっていた。


玖八郎くはちろうの室は、身内の七族しちぞくから迎えたい。今は、婚儀によって同盟を結びたい一族は出尽くした」


七族しちぞくからと申しますと」

 本家の総領息子に釣り合う日女ひめがいたろうかと、和田出雲わだいずもは首を傾げた。

日近ひぢか久兵衛きゅうべえ日女ひめがおったろう。お前の孫娘だ」


 日近ひぢか久兵衛貞友きゅうべえさだともは、和田出雲わだいずもの死んだ娘の婿むこだった。

 美作貞能みまさかさだよしにとっては、祖父の弟の息子が久兵衛貞友きゅうべえさだともだ。

 

「そうでしたわ。しかし、あれは」

 和田出雲わだいずもは言いよどんだ。

不知森しらずもり不知日女しらずひめでございます」


「――不知森しらずもり。あぁ、山の神の御座所ござしょか」

「そうです。その山の巫女に預けましてございます。故に、不知日女しらずひめと皆は呼ぶのでございます」


「巫女であるというか」 


日女ひめは幼き折、神隠しにうたのです。『いち日女ひめをお返し願えりゃあ、我が命、差し出しまい』と日女ひめの母が神仏に願ったところ、数日の後に姿を現したそうです。美作みまさかさまもご存じのように、日女ひめの母であった我が娘は、ほどなく亡くなり申した。その供養のためにも、日女ひめ不知森しらずもりこもったのでございます」


 いつの間にか、玖八郎くはちろう千代丸ちよまるが戻って来ていて、かしこまって神妙に話を聞いている。


玖八郎くはちろう、どう思うか?」

 美作貞能みまさかさだよしは、惣領そうりょう息子が話に加わることを許した。もとより、玖八郎くはちろうの関わる話だ。


「それで、その日女ひめは美しいのかと」


 若者らしい率直な意見に、美作貞能みまさかさだよし和田出雲わだいづもも、思わずわろうてしまった。

日女ひめかんばせを見た者がおらんというのです」

「ほぉ、和田出雲わだいずも、お前もか? 孫であろう?」

「ええ。戦に明け暮れて、そんな暇はございませなんだの」


「では、すぐに、日近ひぢかに行ってみとうございます」

 玖八郎くはちろうは願い出た。

「確かめてまいります」


 明快だった。

「美しいなら、妻にいたします」

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