九 ※

 清月きよげつ(旧暦八月)の、ある日。

 日近ひぢか領から嫁御様よめごさの乗った駕籠かごが出立した。


 その日は、分家の田代たしろ屋敷へ寄ることになっていた。

 本家屋敷の婚儀に招かれるのは、七族五老しちぞくごろうでも上の者たちだ。以下の者たちは、今日、田代屋敷に集まって玖八郎くはちろうを祝いたがっている。


 夏山なつやま領を過ぎ、もうすぐ田代領に入るというところで、久兵衛貞友きゅうべえさだともは、行く手に馬が二騎、駆けてくるのを見た。


「止めよ」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、駕籠かごを止めた。


 馬上の若者は、供の夏目なつめを連れた玖八郎くはちろうその人だった。


「これは。玖八郎くはちろうさま」

日近ひぢか殿、御苦労である」

 

 さっと馬から降りた玖八郎くはちろうは、駕籠かごの外から声をかけた。

「疲れてはいないか。清水を持って来た」

 少し上げた簾から、駕籠かごの中のフウに差し出されたのは、竹の筒に入れた水と、梅鉢草の白い花だった。

 まだ開いたばかりの五つの白い花弁。梅の花に似ているから、梅鉢である。

 


 玖八郎くはちろうといえば田代の城で待っていればよいのだが、落ち着かなく、「清水を届けよう」と思いついたように駆けてきた。途中で、咲いている梅鉢草を見つけて摘んできた。

 

「ありがとうございます」

 思っていなかった本家嫡男ちゃくなんの出迎えに、フウは驚いている。


「では、田代に間もなく到着すると報告してこよう」

 玖八郎くはちろうは来たときと同じく、供の夏目と田原の方角に戻って行った。

 それを、久部衛貞友きゅうべえさだともは見送った。


(もしやもしやだが、フウは思われておるのか)




 田代屋敷では嫁御様よめごさ駕籠かごの到着を、今か今かと、当主、八平兵庫信近はちだいらひょうごのぶちかは待っていた。

 山間の士族の分家の、できる限りの心尽くしで日近ひぢかの一行を出迎えた。

 駕籠かごから降りたフウの布面ぬのめん姿には、多少、驚いたようだが、「日女ひめはしばらく、巫女として山で暮らしていたため、人馴れしておらず」という、久兵衛貞友きゅうべえさだともの言葉に、「ああ」とうなずいた。


「神隠しから還った娘じゃ。常人とは違って当然であろう。しかし、本家の玖八郎くはちろうさまが妻にと望まれるとは、妖術でも遣ってたぶらかしたか」

 この兵庫信近ひょうごのぶちか、平素より口が悪い。


「――」

 何か言おうとする父より先に言い返したのは、フウだった。

「そのようなことができるなら、とうに日近ひぢかは、このような山の中で腐っとりませぬ。われも、いっつか(とっく)にんでおる」

「……日女ひめ、じゃよな」

 兵庫信近ひょうごのぶちか久兵衛貞友きゅうべえさだともに確認する。


「――ですでっ。人馴れしとらぬとっ。日女ひめとしてのしつけは、いっさいしとらぬからっ」

 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、やや、やけくそになった。


 がははと、兵庫信近ひょうごのぶちかは笑った。

「いや~、気に入ったぞ! 八平はちだいらの女は、こうでなくちゃあっ。久兵衛きゅうべえあねさまなどは、これ以上だった!」

 


日女ひめ

 ついと、兵庫信近ひょうごのぶちかの長男、治左衛門勝吉じざえもんかつよしがフウの近くに進み出た。

「神隠し子は、神の知恵を授かって還ってくると、我らのむらでも言い伝えられとります。妖術のたぐいなどとは決して思うておりません。我が父ながら口が過ぎました。お許しいただけますか」


「もとより」

 フウはうなずいた。

「このように、我ら一行を出迎えてくだすったこと、フウ、生涯、忘れませぬ」

 たおやかに膝をつき、細い指先を揃えこうべを垂れるフウの所作に、布面ぬのめんを通しても、間違いなく、この日女ひめは美しかろうと、誰もがが思った。

 それこそが術ではないかともいえる。


 そう言えば、本家の殿が、この日女ひめの母親に懸想けそうしていなかったか――、古参こさんの家来の内には、ふと思い出すものもいた。




 さて、嫁御様よめごさ一行をもてなす祝宴は、日が沈まぬ内からはじまり、満ち足りた月が高天にかかるまで続いていた。 

 男共は馳走ちそうをたいらげ、蒸し風呂に入り、それから、また酒じゃ、さかなじゃという段取り。

 フウとさいは、早々にうたげから引いたのだが。


 丁寧ていねい丁寧ていねいに、さいはフウの夜支度よじたくをした。

「もしかしたら、今宵こよい、お越しになるかもしれんよ」

たれが?」

 フウは小首を傾げた。


たれって」

 さいはひくついた。


(え~と。側室さま、気がつかなかった? 祖母上ばばさま、いや、教えづらいか。大巫女おおみこさま、専門外だったか~)


 どうやら、誰も、婚儀のを、この日女ひめに教えていないということに、今、さいは気づいた。と言っても、さいも、おおまかにしか知らないのだが。


「もし、お運びということあれば、玖八郎くはちろうさまは、その気で満々マンマン

 サイは自分で言っておいて、真っ赤になった。

「いや、婚儀の前に、それはないか?」


「フウさまにおかれましては」

 障子の向こうから、田代の侍女の声がした。

「若君さまが、お越しです」


「来たっ」

 さいは、あわてて隣の部屋へ逃げ出した。




(その気とは何の気か)

 聞き損ねたフウは、玖八郎くはちろうと二人っきりにされて向かい合っている。お互い正座だ。

 たぶん、次の間にさいはいると思うが。


「お疲れになりましたか」

 玖八郎がフウをいたわってきた。昼に見た素襖すおうの袖を省いた肩衣かたぎぬはかま姿だ。

 玖八郎くはちろうは、もっと早くにフウに話しかけたかったものだが、人目をはばかったし、縁戚に連なる者共が、今の時間まで放してくれなかったのだ。


 フウはといえば、膝の上の手を、きゅっと握りしめている。


わしがおそがい(怖い)ですか」

 玖八郎くはちろうが聞いてくる。

「表情がわからぬでは、何とも」


 フウは、まだ布面ぬのめんをしたままだった。


わしは、その。フウさまをおそががらせて(怖がらせて)しまいましたで」

「……」

「婚儀までに、その」

「……」

「話などをしたかった」


 フウは、うなずいてみせる。


 それに、ほっとしたように、玖八郎くはちろうは話を続けた。

「私は、フウさまにお会いしたことがあるのです。フウさまは六つでした。覚えとられぬか?」


 六つというからには、フウが神隠しに遭った年だ。


「てっきり覚えとられるかと思っとったで、呼ばわり山では、失礼なことをした。そもそも、元服した者のとる態度ではなかった。お許し願いたい」

 

 そうだ。

 あのとき、玖八郎くはちろうは何とも懐かし気に、フウに駆け寄ったのだ。


「……われは、その頃の記憶が曖昧あいまいなのです。神隠しに遭った者は、神の記憶をもらう代わりに自分の記憶を粉々にすると聞きました。おそらくは」

 申し訳なくフウは思えてきた。


わしが、覚えとるでよいのです」

「昔、何かお話ししましたか。われたちは」

「他愛ない話を」

「どのような」


 少し、ためらってから、玖八郎くはちろうは言った。

「フウさまは、わし嫁御様よめごさになると申されました」


「……」

 ぶわわと、フウは上気した。布面ぬのめんをしていてよかったと思えた。


 明らかに狼狽ろうばいした様子のフウに、玖八郎くはちろうは気づいて少し話を盛った。

「それは、もう何度も『嫁御様よめごさになる』と」

(ひぃ)


「だから、まさか、きれいに忘れ去られとるとは、よもや思わんで」

(ひぃぃぃ)


 改めて、フウは玖八郎くはちろうを見た。

 布面ぬのめん越しに恥ずかしげもなく、しげしげと見る。

 比較する対象がないから何とも言いようがないが、見目ヨイ若者ではないだろうか。

 それは、最初からわかっていたことだ。


「は、ハズカシイ」

「はは、わしもです」


「……」

「……」


 すい、と玖八郎くはちろうが決心したように、フウへ距離を詰めた。

 フウは思わず後ろへのけぞり、板敷に打ちつけられるのを覚悟したが、玖八郎くはちろうの腕で抱えられ、そっと横たえられた。


「顔を見せてはもらえませんか。フウさまだけが、さっきから私の顔色を読むのは不公平だ」

「長い年月としつき、このような様子でおりましたで」

 フウは必死に目を閉じ、顔の布面ぬのめんを抑える。

「……」

 玖八郎くはちろうは、フウが倒れた拍子に肌小袖がめくれ、すんなりとした素足が丸出しになっているにもかかわらず、顔の布面ぬのめんを必死で抑えている状態を、しばらく眺めた。


(そうだ。幼いフウも無防備で、かわい気のある方であった)


 玖八郎くはちろう日近ひぢかの夏を思い出していた。

 二人とも真っ裸で、ふちで泳いだことがあるとは言わない方がいいだろう。

 忘れてくれていて、幸いかもしれない。


「では、あかりを消しますから。それなら、よろしいか」

「それなら、よい……」


 青白く光を放っている蛍石ほたるいしの灯に、玖八郎くはちろうは布をかけた。

 そうして、フウの顔を隠していた布面ぬのめんをとる。

 髪を撫ぜ、頬を撫ぜる。それから唇。

 互いの息がかかるほどに近づくと、フウはただ、玖八郎くはちろうの瞳を覗き見ようとしていた。


(確かに、この瞳を、われは見たことがある)

 見えぬのに、フウは思った。






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八平兵庫信近 田代領主

八平治左衛門勝吉 信近の息子

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