九 ※
その日は、分家の
本家屋敷の婚儀に招かれるのは、
「止めよ」
馬上の若者は、供の
「これは。
「
さっと馬から降りた
「疲れてはいないか。清水を持って来た」
少し上げた簾から、
まだ開いたばかりの五つの白い花弁。梅の花に似ているから、梅鉢である。
「ありがとうございます」
思っていなかった本家
「では、田代に間もなく到着すると報告してこよう」
それを、
(もしやもしやだが、フウは思われておるのか)
田代屋敷では
山間の士族の分家の、できる限りの心尽くしで
「神隠しから還った娘じゃ。常人とは違って当然であろう。しかし、本家の
この
「――」
何か言おうとする父より先に言い返したのは、フウだった。
「そのようなことができるなら、とうに
「……
「――ですでっ。人馴れしとらぬとっ。
がははと、
「いや~、気に入ったぞ!
「
ついと、
「神隠し子は、神の知恵を授かって還ってくると、我らの
「もとより」
フウはうなずいた。
「このように、我ら一行を出迎えてくだすったこと、フウ、生涯、忘れませぬ」
たおやかに膝をつき、細い指先を揃え
それこそが術ではないかともいえる。
そう言えば、本家の殿が、この
さて、
男共は
フウと
「もしかしたら、
「
フウは小首を傾げた。
「
(え~と。側室さま、気がつかなかった?
どうやら、誰も、婚儀のいろはを、この
「もし、お運びということあれば、
「いや、婚儀の前に、それはないか?」
「フウさまにおかれましては」
障子の向こうから、田代の侍女の声がした。
「若君さまが、お越しです」
「来たっ」
(その気とは何の気か)
聞き損ねたフウは、
たぶん、次の間に
「お疲れになりましたか」
玖八郎がフウを
フウはといえば、膝の上の手を、きゅっと握りしめている。
「
「表情がわからぬでは、何とも」
フウは、まだ
「
「……」
「婚儀までに、その」
「……」
「話などをしたかった」
フウは、うなずいてみせる。
それに、ほっとしたように、
「私は、フウさまにお会いしたことがあるのです。フウさまは六つでした。覚えとられぬか?」
六つというからには、フウが神隠しに遭った年だ。
「てっきり覚えとられるかと思っとったで、呼ばわり山では、失礼なことをした。そもそも、元服した者のとる態度ではなかった。お許し願いたい」
そうだ。
あのとき、
「……われは、その頃の記憶が
申し訳なくフウは思えてきた。
「
「昔、何かお話ししましたか。われたちは」
「他愛ない話を」
「どのような」
少し、ためらってから、
「フウさまは、
「……」
ぶわわと、フウは上気した。
明らかに
「それは、もう何度も『
(ひぃ)
「だから、まさか、きれいに忘れ去られとるとは、よもや思わんで」
(ひぃぃぃ)
改めて、フウは
比較する対象がないから何とも言いようがないが、見目ヨイ若者ではないだろうか。
それは、最初からわかっていたことだ。
「は、ハズカシイ」
「はは、
「……」
「……」
すい、と
フウは思わず後ろへのけぞり、板敷に打ちつけられるのを覚悟したが、
「顔を見せてはもらえませんか。フウさまだけが、さっきから私の顔色を読むのは不公平だ」
「長い
フウは必死に目を閉じ、顔の
「……」
(そうだ。幼いフウも無防備で、かわい気のある方であった)
二人とも真っ裸で、
忘れてくれていて、幸いかもしれない。
「では、
「それなら、よい……」
青白く光を放っている
そうして、フウの顔を隠していた
髪を撫ぜ、頬を撫ぜる。それから唇。
互いの息がかかるほどに近づくと、フウはただ、
(確かに、この瞳を、われは見たことがある)
見えぬのに、フウは思った。
※〈素襖〉
〈梅鉢草〉 この世界の山間に咲く花
〈蛍石〉 夜になると光る石 毒虫除けになる
滅菌と除菌効果もある この世界の万能アイテム
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八平兵庫信近 田代領主
八平治左衛門勝吉 信近の息子
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