十 ※

 次の日。

 めでたのときに、嫁御様よめごさ駕籠かご田代たしろ屋敷を発った。そして、夜を待って朔手さくての城の麓にある本家屋敷に入った。


 篝火かがりびの中を、フウの乗った駕籠かごは控えの間に運ばれる。

 すでに、まわりの者は本家の家臣に代わっているだろう。

 フウは白い小袖と白綾しろあやの打掛を身に着けていた。

 布面ぬのめんは、さっき、そっと外した。

 婚礼の儀は、大上臈おおじょうろうという役目の数名の侍女で取り仕切られると聞いた。


 駕籠かごすだれが持ち上げられる。

 大上臈おおじょうろうの一人の手が、フウに差し伸べられる。その手に右手を預け、こうべをこごめて、フウは駕籠かごから出た。


 広間の屏風びょうぶの前には対に灯がともされ、すでに玖八郎くはちろうがそこにいた。身にまとった勝色かちいろ直垂ひたたれ頂頭掛ちょうずかけ懸緒かけおをつけた烏帽子えぼしは、夜に一層、深い色となった。はかまの腰、胸紐むなひも袖露そでつゆ小露こつゆの紐は純白で、夜空のような色具合の直垂ひたたれに映えていた。

 フウはいざなわれ、玖八郎くはちろうの左に座る。

 二人の前には、一の盃、二の盃、三の盃を置いた盃台。この盃で三度ずつ神酒を酌み交わす。その三婚さんこんの儀にて、婚姻は整う。

 


 別室では心尽くしの膳が、日近ひぢかの家臣とさいに振舞われた。

 八平はちだいら本家の家臣たちも同席しており、ちゃっかり、永順えいじゅんもいるではないか。

 日近ひぢかに帰って婚儀の様子を、フウの祖母上ばばさまの墓前に報告するのだろう。


 茶碗に山盛りのめしに、さいは歓喜する。

 芋の煮たの。それにウサギをあぶったもの。砕いた胡桃くるみえた青菜。きのこ汁。焼き味噌みそ。それに酒。


「うんまいっす」

 さいには何なのかわからないもんもあったが、うまかった。

さい意地汚いじきたねいのは直しなぁ」

永順えいじゅんさまだって」

「ふぐぐ」

 永順えいじゅんは飲んべえだ。


 宴会は、無礼講ぶれいこうとなっていった。

 下っ端の男衆おとこしゅたちが、やいのやいのと騒がしい。


「――黎明レイメイ公さまは、なんだな。鉄砲隊を新たに編成するというぞ」

八平はちだいらの若い者をよこせと言うとる。鉄砲と火術を習い覚えよと。まず、数人が覚えて帰って、皆に教える。それで、鉄砲を使える者を増やせっと」


 参之國サンノコクは、疾風シップウ公より鉄砲の威力を知った。

 八平はちだいらだけでなく菅沼すがぬまにも声をかけ、足軽の装備として、鉄砲を扱えるようにとのお達しであった。

「都に近い淡海國オウミコクに鉄砲鍛冶の一族がおるという。都の将軍様が鉄砲を作らせはじめ、疾風シップウ公も早くから鉄砲の名人を召し抱えとったというぞ」


 淡海國オウミコクは鉄が採れる。そして神代かみよの代から鋳鍛ちゅうたん技術があった。


「そんな鉄の筒をどうするのじゃ。武家のたましいは刀ぞ」

 おー、という雄叫びが、無意味に入る。


わしは、な、習うてみたいかの。鉄砲、扱えるようになりゃあ、手柄もたてられーかな?」

「おお、えぇんじゃん。行ったれ!」


「ところで、ムスメ。見ぬ顔じゃな」

 もう酔っている男にさいからまれた。


「その者は、日近ひぢか日女ひめの付き人じゃ。御容赦ごようしゃのほど」

 やんわりと、永順えいじゅんさいを男から引きはがす。

「なら、歓待せねば。ほれ、飲もうぞ。祝いの酒じゃ」

 さいは、ぐいと盃を押しつけられる。


「ん~」

 ごっくん。

 たちまち飲み干したさい永順えいじゅんが「呑めるんか」と呆れる。

「まぁ、たしなみだよぉ。乙女の」

「馴染めるか心配したが、杞憂きゆうだったな……」


 婚礼の祝いは、夜を徹して行われた。

「下の者には、腹いっぱい食って呑める機会じゃからなぁ」

「まさか、フウさまは、こんな奴らに絡まれとらんね」

「フウさまは奥の間で、女共が接待じゃろ」

「そうか、安心した」





 高天に月がかかるとき

 衣擦れの音が遠くなる。

 白い小袖姿になったフウを寝所に案内すると、大上臈おおじょうろうたちはいなくなった。

 妙な緊張にフウは胸元から布面ぬのめんを出して、再び顔にかけた。

 布団の側に正座して、主人の訪れをを待つ。落ち着かない。

 はじめて口に入れた酒を、飲み込まぬつもりが少し飲んでしまい、今になって体が熱い。祝いの膳も、そんなには箸が進むわけがない。余計に酔いはまわってしまった。


 床は畳が敷いてあり、吊るされた蚊帳かやで囲まれた空間だ。

 蚊帳かやの外に燈明とうみょうが灯してある。

 枕元にあるのは、両手で持ち上げられるほどの蛍石ほたるいしだ。この石は暗闇で発光し、毒虫を寄せ付けない。


 ふすまを開ける微かな音がして、顔を上げると玖八郎くはちろうがいた。

 玖八郎くはちろう蚊帳かやをめくって床に入り込むと、もう何も言わずフウをいだいてきた。

 外の夜気を連れて来たのだろう。夜の匂いがする。


(主さまにお任せしておればよい)

 さいがそのようなことを言っていたから、フウは両の手を垂らしたまま、玖八郎くはちろうに身を任せる。


「……」

 玖八郎くはちろうが、とまどったような動きを見せた。

「フウ、また布面ぬのめんを」

 フウは布面ぬのめんを顔にかけていた。


「……落ち着かんので」

「かわいらしい――」


 玖八郎は無理に布面ぬのめんをはずそうとはせず、フウの頬や耳元や首筋を、己の唇でなぞった。

 どうすればいいのかわからぬのに、どうすればいいのかを知っている。

 しかし。


「……すまぬ」

「かまいませぬ」

 何のことかわからぬが、フウは、そう言っておく。


 ぎゅうううううっと、フウをいだ玖八郎くはちろうの手に力がこもる。

「少し、飲み過ぎた」


 この寝所にたどり着くまでにとおと五人以上の叔父や大伯父、大叔父、代わる代わる玖八郎くはちろうを足止めし、酒を勧めてきた。


 その前に父上だ。

 杯を勧めてくるし、断ると、千丸丸ちよまるに注がせるし。

 千代丸ちよまるは断ると本当に悲しそうな顔をするから、吞み続けることになり。

 完全に潰された。

 しかし、婚儀の夜は、あと一夜ある。明日は――。


 フウをいだいたまま、玖八郎は眠った。

 フウも、また、いつの間にか眠ってしまった。




 皆がいなくなった広間で、本家当主、美作貞能みまさかさだよしは、日近ひぢか当主、久兵衛貞友きゅうべえさだともと差向いで吞んでいた。


「薄めた酒を、よくうまそうに呑めるなぁ。久兵衛きゅうべえ

美作みまさかさまもでしょう」


 この二人は昔から、そうだ。

 芯から酔ったことなどない。


「よいうたげであった」

「……」

 感慨深過ぎて、久兵衛貞友きゅうべえさだともは言葉にならなかった。

 白い衣のフウは、自分の婚儀を思い出させた。

 あの美しい人を。


は、久兵衛きゅうべえの死んだしつに生き写しであったな」

「はい」


 美作貞能みまさかさだよし、この男は心が読めるのかと思うほど鋭い。

 この男の判断があれば、八平はちだいらは難局をすり抜け生き残れるだろう。


「ほんに美しい。あれなら、わしが妻にしてもよかったやぁ。もう側室は、子供を望めぬからな」

「その薄い酒で酔いましたか、美作みまさかさま」

「ここでは、美作みまさか、でよい。玖八郎くはちろうでもな」

 玖八郎くはちろうとは、代々、八平はちだいら嫡男ちゃくなんの名だ。昔は久兵衛貞友きゅうべえさだともも、そう呼んでいた。

「そうさせまいと、いち日女ひめを呼ばわり山にかくいたのではないか? おまえのしつは。本家の室が質子ちしに出て処刑された、その顛末てんまつうれえてか。そもそも、神隠しなど本当にあったのか?」


「……嘘ではございませぬ」

「そういうことにしとけ」


 美作貞能みまさかさだよしは、うまそうに薄い酒を吞んでいる。

古参こさんの者は、わしがお前の死んだしつ懸想けそうしていたと噂しておったぞ」

「……」

「まだタオがおる。気長に待とうかの~」

「……酔っておりますね。くはちろう」

 静かだが、はっきりと久兵衛貞友きゅうべえさだともは呼んだ。


「怒ったか、久兵衛きゅうべえ

「怒ってはおりませぬ。ただ、かと」


 久兵衛貞友きゅうべえさだともは、粗っぽく美作貞能みまさかさだよしに膝を突き合わせると、にらんで見せた。

 やっと、美作貞能みまさかさだよしは気がすんで、へらりと笑い返した。


 美作貞能みまさかさだよし久兵衛貞友きゅうべえさだともの室に懸想けそうしていたというのは噓ではないが、本当のことではない。

 美作貞能みまさかさだよしが執着しているのは、久兵衛貞友きゅうべえさだともに関わる全てである。

 





※〈めでたの刻〉 この世界で吉とされる刻

 〈直垂〉 上衣と共裂の袴を含めての呼称

 〈袖露〉 袖括りの緒

 〈小露〉 直垂の飾りの紐

 〈鋳鍛〉 鋳造と鍛造


※婚礼の儀は戦国時代を参考 

 三日の間の細かい儀礼についてはこだわっていない

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