八平本家

一 

 八平はちだいら領、朔手さくての城は、当主の帰還と主國あるじこくの戦勝に沸き返っていた。

 涼月りょうげつ(旧暦七月)のことだ。

 砂利だらけの山路を汗と土埃つちぼこりにまみれて帰って来た男たちに、女たちは清水を汲んで振舞った。 

「うんまい」

 男たちは、口々に言い合う。

 故郷の山々を見て誰もが、やっと帰って来たと思えた。


 山間の高原は、平地に比べると冷涼で雨が多い。

 今は雨の時期を過ぎた夏で、汗をかけば邑人むらびとたちは、ざんぶりと川に入った。

 川からは、小高い場所にある八平本家の朔手さくての城が見えた。


 ここから、うま(南)の方角に下れば川沿いに菅沼すがぬまという一族の領がある。

 とり(西)の方角の低い山を越えれば、なだらかな平地の参之國サンノコク

 (東)の方角には、いにしえに竜が住処としたという臥竜山がりゅうさんがそびえたち、(北)の方角に横たわる山脈を越えれば、尾之國オノコクの領国とキョウの領国それぞれである。


 また、川下にある菅沼一族は、上流の山間を田峯菅沼だみねすがぬまという本家が治めてもいる。

 この八平はちだいら菅沼すがぬまが、平地の士豪たちからは山家やまがと呼ばれているのだった。


 八平が、この地に根を降ろして、早、五代。

 今の当主、美作貞能みまさかさだよしの祖父に当たる方を引き合いにすれば、この方は主君をすげかえて生き残りを図るという山家やまがの生き方を、御自分の一生で示されたような方だった。

 まずは、黎明レイメイ公がお生まれになっていない時代に、その祖先にあたる方に属されていた。その二十七年後は珠流スルという國に属し、山家やまがの領以外にも三千貫の地をたまわっている。が、次の年は黎明レイメイ公の曾祖父の父にあたる方に従った。しかし、その次の黎明レイメイ公の曾祖父にあたる方を不器用者として、再び珠流スルへと帰参。

 ところが、黎明レイメイ公の父にあたる方が平地の制定に乗り出すと、一転、そこに下る。そして、晩年近くに、もう一転、珠流スルに帰参した。


 これだけ、コロコロと主君を変えて、よく生き残れたものだなと思うが、山家やまがの士豪は山のことを熟知していたから、大國は彼らが裏切ったとしても、一族を根絶やしにはしなかった。懐柔して手足として使うことを、まず望んだ。

 そのことが、八平はちだいらをはじめとする山間の士豪たちを、卑怯ひきょうなぐらい理を見て動く人間に仕上げていった。

 



「ようも御立派な、お働きを」

 本家一族が住む屋敷では、当主、美作定能みまさかさだよし側室そくしつが、夫と惣領そうりょう息子を出迎えた。


千代丸ちよまるもエンも、よい子にしとったか」

 上座に美作貞能みまさかさだよしが、どっかと腰を下ろす。

「はい」「はい」

 玖八郎くはちろうの妹と弟は、行儀よく答えた。

 妹のエンは十と二つ。弟の千代丸ちよまるは十になったばかりだ。二人は、それぞれ乳母を伴って参じていた。


「お出迎え、ありがとうございます」

 やや、かしこまった挨拶を玖八郎くはちろうがしたのは、元服した者の意識というよりは、側室が玖八郎くはちろうを産んだ母ではないことにもよるだろう。


 玖八郎くはちろうの母親は、九年前に死んだ。川を下った平地の士豪の日女ひめだった。

 母は誓詞の証として、珠流するへ差し出されていたから、玖八郎くはちろうが物心つく頃には、もう朔手さくての城にはいなかった。

 

 あの日、珠流スルの国主が尾之國オノクニとの戦いで討死すると誰が予想できただろうか。

 それをきっかけとし、まず、珠流スル質子ちしであった黎明レイメイ公が独立を目指した。次に、山家と平地の士豪が呼応するように、珠流スルに歯向かった。

  これに怒った珠流スルの跡継ぎは、人質としていた黎明レイメイ公側の武将の妻や娘、十三人を処刑した。そのうちの一人が玖八郎くはちろうの母だった。


 母の父も兄も、そのあとの平地の戦で死んだ。

 幼い玖八郎くはちろうが乳母から聞かされたのは、『腹十文字にかき切り、はらわたつかんで投げかけ、荒人神あらびとがみとなりて障礙しょうがいをなさん』という、御伽草子おとぎぞうしの一節を思い出すような最期だった。

 その乳母が父の側室になっている。いや、もう側室であったのか。

 



和田出雲わだいずもさまが、お越しにございます」

 小姓が、男を伴って来た。

「何事ですかな。わしをお召しとは」

 どかどかと裸足はだしの足音を立てて、男が入って来た。

 その頭には白髪も混じるが先の戦で受けた矢傷も、かすり傷と気にもしない。いかにも山家やまがの男だった。和田八平出雲貞行わだはちだいらいづもさだゆきである。


 和田出雲わだいずも胡坐あぐらをかいて下座に座ると、美作貞能みまさかさだよしは目線で女共に退室をうながした。

 側室は娘を伴い下がろうとする。


「いや、われはまだおる」エンが、側室の手を振りほどいた。

千代丸ちよまるはいて、どういて、われだけ」

「千代丸は男子おのこですで」

 当然のように、側室は言う。

「いやだいやだいやだ」

 エンは駆け出すと、玖八郎くはちろうに、しがみついた。

「兄さまに、やっとかめ(久しぶり)、お会いできたに」

「また、あねさま、わがままじゃ」

 年下の千代丸に言われている。

千代丸ちよまるさま」

 お口が過ぎますぞと乳母である女が、たしなめた。


「エン、夕餉ゆうげのまわし(支度)をしてくれんか。エンの握った飯はうまいと、いつも父上と言っとるのだぞ」

 玖八郎くはちろうが、やさしく言い聞かせる。

「はいっ」

 兄の言葉に気をよくした妹は側室の前をすり抜けて、バタバタと行ってしまった。

 乳母があわてて、そのあとを追いかけて行った。


「やれ、あれが本家の日女ひめとは」

 美作貞能みまさかさだよしが嘆息した。

「いや、女子おなごも元気がいちばん」と和田出雲わだいずもが、すかさず主君を立てる。


「では、われも」

 側室は、娘の後を追って退室した。






※〈山家〉 山間の士豪

 〈不器用者〉 統率者としての器量の無い者

 〈障礙〉 障害  

 〈日女〉 この世界の武家の女性の敬称

 〈参之國〉〈尾之國〉〈峡〉 この世界の大國

 〈質子〉 人質

 〈首座〉 いちばん上位の席


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美作貞能(32歳) 八平本家当主

玖八郎貞晶(15歳) 八平本家の総領息子

和田出雲貞行 和田家三代 貞能の曾祖叔父

千代丸(10歳) 玖八郎の弟 

エン(12歳)玖八郎の妹


※この世界の山家の言葉は三河の方言寄り

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