終章 愛

第41話 いのちと幸せ

 それから、一年。

 梅香さんは、生蕎麦おおがみで、あくせく働いてくれた。俺の方は、三月十八日に、大学を無事卒業でき、就職先は実家を選んだ。大学院へ行く時間が勿体なくて、早く梅香さんとの時間を増やしたいと思ったから。もしも、優花が進学してくれたら、それは嬉しいと思う。


「がんばるっていいものだな」

「直人さんは、ゲームなら人一倍がんばりますね」


 うーめっかさん。偶に、突っ込みが痛いんだよな。


「今日は、招待状を支度するんだろう?」

「本当に、お店でパーティーにするのですか」


 その辺は、親父とよく話し合ってある。


「身内だけだし、お店の新装開店を祝って。……かな」

「お蕎麦屋さんとパン屋さんの異色のコラボ、いいと思います」


 しかし、結婚披露宴で宣伝も兼ねるのは、梅香さんにとっては残念だったかな。梅香さんは、招待状とこれからの店舗展開について書かれたリーフレットを黙々とパソコンで作ってくれている。ホテルで挙式すれば、丸投げもできた作業なんだがな。


「そうなんだよ。挽き立てお蕎麦に、焼き立てパン。親子で二本柱で行きたいんだ。理解してくれて、ありがとう」


 ◇◇◇


 結婚披露宴当日のこと。六月十六日だ。

 準備は万端だったが、俺のサラダチキンなハツが萎え萎えになっている。隣の梅香さんと真向いになっていた。さっきまで隣だったのに。


「駄目だ――。綺麗な純白の梅香さんが、眩し過ぎる」


 俺は俯いてしまった。目をしっかと瞑って。


「直人さん。正面を向いてください」


 ふおお。女神ボイスは健全だ。他の女神達よりも一段と上品な声を独り占めか。


「酷なことできないよ」

「指輪を交換したいのです。お願いだから、私からも受け取って欲しいと思います」


 俺は海亀化して、泣いていた。こんな顔を晒したくない。


「さあ、誓いましょう」

「ニャートリー先生……。ボクには、無理です」


 どわははは。ははは。店舗の場内が沸いた。


「ニャートリー先生って、漫画の読み過ぎだろうよ」

「ニャートリー先生? どうした、大神の倅は」


 もう、白目に鼻水が出ていてもいい。抗議する。


「煩い! ボクは一生懸命なんだ。一生懸命、この人を幸せにしたいと思っているんだ!」

「直人さん……」


 抗議ではなく、誓いを立ててしまった。


 ◇◇◇


 そんな挙式当日と熱海温泉への新婚旅行については、全く覚えていない。いや、寧ろ細かく覚えているのだが、幸せモード過ぎて、俺のノーミソハッピー一色になった。本当のピンクになったのだな。真面目なお付き合いをさせていただいたので、梅香さんと一緒に寝所を共にするのも初めてだ。


「いいお湯でしたね。直人さん」

「梅香さん。ごめんよ……。お腹が痛いんだ」

「気にしないで」


 夕食後に、慣れないアルコールをいただいた。それがいけなかったかな。


「私もね、初めてで……」

「ごめん」


 ダブルベッドの中がごそごそする。


「手、繋いでもいいですか?」

「もももも、勿論」


 いかん。心臓が、脈が走っているのが、バレてしまう。


「私もです」

「な?」

「こんなに、ドキドキしています……」


 うえええ。豊かだったんですね。


「ごめん、お腹がさ」

「沢山バスタオル用意してありますよ」


 俺は、無茶苦茶変な顔をしていたと思う。


「ト、トイレとシャワー!」

「はいい!」


 俺がすっかり体を清めると、梅香さんが入って来た。


「コンコン。梅香ですよ」

「も、もう。俺がいいって言う前に入っちゃ駄目だよ」


 しゅんとするな。あぞといぞ。


「怒っていないから、大丈夫だよ」


 こんなにやわらかかったかな。今日からは、二人で眠れるのか。結婚の先まで、考えてなかった男って、俺くらいなものか。

 どれ程の時間を過ごしたのか、分からない。けれど、ニャートリーと出会ったときから、ずっと隣にいてくれた。


「ふんわりとした、俺の女神だ。――本気で、ピンクのふわもこだったんだね」

「これからは、俺でいいですよ」


 滝のように汗を掻いた。


「いや、清き梅香さんの前で、ボク以外の呼称は……。す、素でいこっか。もう一度シャワーだな!」


 寝言を放って、高いびきだったらしい。恥ずかしいじゃないか。


 ◇◇◇


 それから、二年もすると、大神家にもビッグニュースが流れる。

 十一月も十五日のことだ。


「梅香さん! 陣痛だって?」


 俺は、配達帰りに電話を受けて素っ飛んで来た。


「母さんと優花が先に病院へ行っている」

「親父? どうして落ち着いていられるんだよ。もう産まれたかも知れないだろう?」


 赤ちゃんと会うのに、仕事の服から、シャボンの香りがする綺麗な私服にした。


「母と子は、別れ難くて、そうそうに身二つにならないものだ」

「親父は、子ども二人の経験があるってか」


 財布に、スマートフォンに、他に思い付かない。あちらに、マザーズバッグがあるから、大丈夫だとは思うが。


「本当は、三人なんだよ……」

「え?」

「お前を授かる二年前、流産をしてしまった……」


 俺はこれから産まれるというときに、哀しい話で胸が締め付けられた。


「そんな大切なことを今まで黙っていたなんて、酷いだろう」

「心配するよな。直人。だから、言わなかったんだ」

「ぐすり」


 俺の海亀化スパンは、短いようだ。


「さあ、産科へ行こう」


 乗り慣れないタクシーで駆け付けた。


「母さん、優花。どうなの?」

「まだよ。はい、パパになる方、呼ばれていますよ」


 走らないでくださいと助産師兼看護師に怒られてしまった。


「梅香さんの夫です。来るのが遅くなってしまい、ごめんなさい」

「確認します。夫の大神直人さんですね」

「はい」


 お産の雲行きが怪しいのか。大丈夫かな。


「予定より早く産まれるために、少し小さく、クベースに入る予定です。こちらで、手続きをしてください」


 保育器に入って、経過観察をするようだ。


「無事、産まれるんですね? 梅香さんも大丈夫なんですね?」

「母子共に健康でありますように、我々も全力でまいります」

「お願いいたします」


 立ち合い出産はできないとのことだった。いざとなったら、ママを取るか子どもを取るかの究極の選択もした。


「梅香さ……」


 呟き終える前に、助産師兼看護師に呼ばれた。


「ン……。ギャアア」


 うちの子の声か。空耳じゃないよな。


「母子共に無事です。おめでとうございます!」

「ほえ?」


 俺は、相当間抜けな顔をしていただろうな。子はクベースに入っているので、遠くから見た。母親しか入れないそうだ。


「髪がふっさふさだな。可愛い」


 真っ直ぐ行って奥に個室がある。こんなときにドドンとお金を使わないでどうする。梅香さんのストレスを減らしたい。


「お疲れ様ですよ……。可愛い女の子だったね。お名前は考えた?」

「お産の最中も考えていました。命名辞典と首っ引きだったけれども、赤ちゃんのお顔と出会った瞬間、心の底から感動した想いは、辞典通りには行かないと思いました」


 ママとなった梅香さんに、祝福を。


「梅香さんの思い描いた素敵な名前にしよう」

「そう……。そうしましょうか」


 少しためらっていたかと思うと、スッと息をした。


「大神こずえに――」


 ◇◇◇


 一か月後、梢ちゃんは、退院した。


「チャイルドシートに乗れるかな?」

「わあ、乗れました。可愛いですね」


 クピッとお返事が聞こえた気がした。


「じゃあ、おうちへ行くからね」

「おうちは、お店屋さんですよ」


「ただいま」

「ただいま帰りました」


 親父、母さん、優花に、急ぎ駆け付けた義理のご両親も揃っていた。天ぷらを食べている。余裕だな。


「来たの? 梢ちゃん」

「可愛いじゃないか。直人に似なくてよかった」


 現実世界での女神は、俺に沢山の幸せを授けてくれる。俺も少しでもいいから、妻や子どもの幸せを支えて行きたい。


「幸せ……。か……」


 雪見障子からは、初雪が顔を覗かせた。


 色とりどりの花を支える梢ちゃん。

 幸せが、胸の中で笑った。




【完】

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ニャートリー先生のエモいスローライフでJK女神もわちゃわちゃです。 いすみ 静江 @uhi_cna

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