第40話 永遠のニャートリーノ

「お父さん、お母さん。梅香さんをボクにください」


 雪見障子の向こうは、本日はお日柄もよくだ。そして、研ぎ出し塗りの向こうに、梅香さんのご両親が、座布団にも膝を置かずに頭を下げている。


「例え猫の子でも、相手は吟味したいと思っている。パパだからな」


 ふんぬっと鼻息も荒く、淡々としている梅香さんからは想像できない程だった。お父様だからだろうか。冷静でいる方が難しいな。


「春樹さん。生真面目過ぎる梅香を想ってくれる方が現れたのよ。簡単にあしらうようなことは止しましょう」


 お母様が、黒いジャケットの肘を引くと、お父様が前のめりになる。猫が睨むように振り返って、八つ当たりをし出した。


「杏南も仕事仕事で、どれ程梅香が一人で歩いて行けるようになるのを見て来たんだ。看護師の自分が幾分か時間を作って、育てたと自負したい」


 まあ、娘に申し込む男性なんて、どんなんでも可愛くないよな。


「弱気ね。自負しているでいいわ」


 このご家庭は、お母様が上だと認識できた。そこへ我が家ののんびり母さんだ。


「まあまあ、お茶が冷めてしまいますね。今、新しいものをお持ちいたしますわ」

「母さんは、ここで休んでいて」


 おう、妹よ。ナイスフォローだ。


「優花が気を利かせてくれるようになったわよ。お父さん」

「うーむ。女子大生になると変わって来るものだな」


 今、聞き間違えでなければ、今冬には結果が出ていたのか。


「ええ? 優花が大学へ進学したのか。どこの大学?」

「あずま大の短期だ」

「あー。父さんが教えたら、私の楽しみがなくなっちゃう」


 んまあ。兄さんと同じ大学へ行きたいとか、ふざけて喋っていたのかと思ったら、本命だったのか。これは、話題にしないと。


「短期大学部へ行って、どんな勉強をするんだい?」

「編入試験を受けて、兄さんと同じ育種に行きたい。農学部万歳よ」


 きっと、俺と同じ育種遺伝学を狙って、大学院にも進学してくれるだろう。俺と違って努力家なのを知っている。


「それでね。昨日、女子会を催したのですよ。優花さんのお部屋で、私はたっぷりお兄さんのお話を聞けて至福です」

「母さんも入れて貰ったの」


 梅香さんと母さんも交えてだって。驚くわ。


「だああ! ゆーか、アレもコレも喋んなかったよな?」

「え? アレとかコレってなんだろう?」


 人差し指を立てて天井を眺めても許さないよ。優花め。


「惚けたって駄目だよ。ボクからも、ソレとかドレとかばらすから」

「伏字が多すぎて既に分からないですよ。大神直人さん」


 梅香さんまでかい。どすこい、どすこい。


「盛り上がったのはドレですか?」

「ああ、大神直人さん。パンのバリエーションを広げて作りたいとかですよ」

「うふー。だったら、よかったっす。ボクの首が繋がったっす」


 薄ピンクのハンカチを梅香さんが貸してくれた。でも、綺麗過ぎて、首なんて拭けやしない。すると、彼女から、俺の汗ばんだ所を拭ってくれた。


「兄さん、ゲームのことを気にしているの?」


 優花の台詞にご両親が被さって来た。


「おやおや。直人くんは、ゲームがお好きなんですか」

「春樹さん、デリケートな問題に突っ込まないのよ」

「杏南だって、それなら二人は趣味が合うと思うだろうよ」


 二人と趣味の二文字が太字で俺に迫る。


「趣味だって?」

「……趣味なんです。私の趣味は、ゲームなんです」


 梅香さんは、本当のことを言い出したのだろうか。


「じゃ、じゃあさ。『ペガサバ』はプレイしたことあるのかな。マニア受けのゲームだよな。隠れた名店の刺身みたいな」

「大神直人さん、遠回し過ぎて分かり難いです。ともかく、『ペガサバ』はクリアしました」


 俺にも見えなかった遠いエンディングを見たのか。


「クリアしてどうなったの?」

「ペガサスに跨った勇者が、迷宮に潜む大量の敵を斃しました。それから、サバトは元から阻止しようと、本当の魔女を見つけて、剣を交え、魔法を唱えて立ち上がれなくした隙に、迷宮を抜けて帰還できました。きっとここまでが本来のゲームだと思われます」


 単純にゲームとしても気になるけれども、梅香さんの翳りについても知りたい。


「それから?」

「霊峰富士の中腹で弾かれて、大怪我をしたと私は思っていたのです」


 お父様とお母様が深く長い息を漏らした。


「梅香……」

「梅香さん……」


 ご両親は、首を左右に振るばかりだ。


「でも、パパとママに訊いたら違ったようなのです」

「梅香は、幽体離脱したと主張するんだ。ドラゴンに連れて行かれたとも。そこで、苦行の転生を繰り返し、魔女とまで呼ばれたのがいたたまれなかったと、こちらへ駆け付けた途端に話を聞かされたんだ。嘘みたいな話で、パパは混乱したよ」


 様々なデータを整理し出した。


「梅香さんは、見た目は、病院で安静にしていただけです」

「私達もそう思っておりました」


 ゲームか。ホワイトシュシュに乗って落ちてしまった世界。懐かしいな。花園のニャートリー。そして、特技のニャートリーノは強大だと今でも思うよ。


「ボクは、梅香さんの魂が二度出入りしたと思うんだ。高校生の頃、ハイキングに来ていたが、樹海で足を踏み外して、気を失う程の怪我をしたとき。眠ったまま、花園のドラゴンが魂を連れて行った。帰還するとき、霊峰富士の壁を突き抜けて真っ直ぐに向かったのが病院で、幽体離脱から正常な状態に戻ったのもそうだ」


 熱い視線が俺を焼く。このピンクのふわもこはあざと可愛くて罪作りだな。


「ニャートリーノは永遠だと思う――。ボクの青春が全て駆け抜ける程……。愛しているから!」


 この中で、ニャートリーノが分かるのは、俺達だけだった。先程のハンカチとはまた別の白いハンカチで、梅香さんが、自身の目元を押さえている。俺は立ち上がり、両手を開いた。いつでも梅香さんを大神梅香さんにしたい。


「もう一度、いや、何度でも申し込ませてくれ。ボクの傍にいつもいて欲しい――!」


 直ぐそこにいるのに、北極から南極程の距離をお互いに駆け寄った。オーロラのカーテンを抜けて。それは障壁ではなく、あたたかい愛を感じる。


「このまま……。離さないでください……」


 永遠のニャートリーノよ。不思議な力を俺にまぶしておくれ。

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