第39話 優しくしないで

「私のことは優しくしないでください」


 突然のことに、ツンになったかと思った。世の中、ツンだのデレだの光属性だの闇属性だのと直ぐにカテゴライズされないと思うが。


「はあ? 梅香さん」


 勇み足だったかな。失言とかない筈だが。


「初めまして、優花さん。私は、高校を暫く休んだみたいで、私の方が後輩みたいです」

「私も自己紹介しないとだわ。今は、大神優花なの。兄さんが帰って来たので、ただいま動揺中よ」


 今って意味深だな。遠くへ行くようなら、兄さんが馬車で送ってやりたいが。ありり。頭がファンタジックだ。


「優花さんのバイオリンケースに飾られているチャームに白馬がありますね」


 優花はいつの間にか気遣いも大人っぽくなったな。以前は、ダサいものコレクターの俺から貰う物を照れまくっていたのに。


「これは、兄さんが厩舎の見学に行ったときのお土産なの。アルビノってどんな風に強く出るか分からないわよね。だから受験のお守りにいいかと思ってね」


 大学受験を控えている夏休みだったな。それからどうなったのか訊きたいけれども、勇気ないよ。一段と綺麗になった妹の話はな。


「だってさ。兄さんは面白いから、有名な学業の神様の所へは行かないんだよね」


 俺の胸にトスッと人差し指で突いて来た。えーえ。ちょっと変わってますよ。優花のほっぺたをぐりぐりしてやった。


「父さん達、今日は臨時休業にしようか? 皆で旨いものでも食べるか」


 親父、珍しいな。食べ物屋が外食とは。そこへ、ぴょこんと、梅香さんが跳ねる。


「お店はお休みなさることないです。生蕎麦おおがみにて、ご用をどんどんお申しつけください」


 自分の豊な胸に手を当てた。頼もしいと大神家の人々は見つめ合った。


「優花さん、エプロンお貸しいただけますか?」

「いいけれども、母さんの四葉のクローバー入りだよ」


 台所へと優花が消えると、胸ポケットに幸せを運ぶ四葉のクローバーが刺してあるエプロンがやって来た。


「まあ。素敵なステッチではないですか」


 キラキラした瞳の梅香さんが、こちらへ目配せをする。


「母さんが、小さい頃から持ち物にはこれを描いてくれたんだ」

「だから、エプロンは中学の家庭科で作ったのよ。その胸ポケットに四葉をブツブツの刺繍だけれどもしてみたの。恥ずかしいわ」


 俺達、大神兄妹の話を黙って聞いてくれた。


「カラフルな色使いも素敵だと思いますよ」

「梅香さん、褒め上手だわ。お姉さんと仲良くなっちゃおうっと。優花ちゃんって呼んでくださいね」


 優花が小首を傾げる。両親が俺達の光景を見守っていた。こんなときが、大神おおがみ直幸なおゆきさんと三谷みたに美雪みゆきさんにもあったのか。親父と母さんの馴れ初めなんて知らないから、ちょっと悔しいな。


「え? ええ? お姉さん……」

「えー、義理の姉じゃないの?」


 俺も割って入る。梅香さんが頬をピンクに染めているからだ。


「ゆうーか。人の気持ちは敏感に扱って欲しいな」

「兄さんの想いを尊んだだけだよ。あー。尊いわ」


 ハイタッチを沢山してみた。こんな所で、わちゃわちゃしてどうする。


「生蕎麦おおがみをお手伝いさせてください!」


 ピッと腰を折ってお辞儀された。これにはもう大神一家で声を揃えるしかない。


「えええ――!」


 ◇◇◇


「ええと、献立は覚えられるかな? 梅香さん」

「はい。お蕎麦が大好きなので、がんばります」


 柔和な親父に一所懸命応じている。働き者だとは思っていたけれども、行動的なんだな。


「朝練は休むね。授業は午後から行くから」


 優花まで、そわそわしている。


「はい、お献立はバッチリです! どんどんお願いします」

「今日は、店内のお客様に給仕だけ頼みますね。休憩を一時間毎に挟んでくださいよ。立ち仕事は、慣れたつもりでもこたえるのですよ」


 母さんが、何かに気が付いた。


「そうだ。梅香さんのご両親はどこにいらっしゃるの? ご連絡しなければ」


 今度は、お嫁にくださいの番かと、肝を冷やした。俺は立派にできるのか。


「私の眠っていた病院で、ママの杏南あんなは医師として、パパの春樹はるきは看護師として働いております。スマートフォンの番号は分かるのですが、この時間に出られるか、コールしてみましょうか」


 店にある電話では、コールは三回も鳴らなかった。


「はい。丹羽です」

「ママ?」

「梅ちゃん!」

「元気にしています。大神直人さんと仰る大好きな方ができました。お蕎麦屋さんを営んでいるのですが、お手伝いしてもよろしいですか?」


 梅香さんが、静謐なモチーフのようだった。淡々としている。


「梅ちゃん! 暫く養生させて、退院となったのに、家にいないから、びっくりしましたよ」


 受話器の向こうから顔がうかがえるようだった。


「ごめんなさい。ママ……。パパはお仕事?」

「もう、勤務時間に入っている頃ね。今夜は夜勤がないそうだから、そのときにでも話します」


 電話は短く切られた。


「さあ、お店を開ける前に、特訓してください」


 明るく振舞った梅香さんからは、翳りなど感じられなかった。


「いらっしゃいませ! 生蕎麦おおがみです」


 梅がほころんだような笑顔が満点だった。


「どこを特訓するのか、ボクには分からないよ」


 暖簾を外に出すと、いよいよお店の本番となる。


「ボクは、配達をがんばるよ」

「一段と頼もしいな。直人」

「母さんは、厨房で補佐をするわね。分からないことや困ったことは、全部直人さんに相談して欲しいわ」


 これは、作戦か。俺も跡取りとして、がんばらなければ。もう、あずま大学とか、卒業していなくても、ご飯を食べるに困らないだろう。


 ◇◇◇


「いらっしゃいませ。生蕎麦おおがみへようこそ」

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


 最初はダブル美少女で、梅香さんと優花とで一緒に給仕していた。特筆すべきは、スマイルフラワーとでも名付けるか、笑顔での接客だ。勿論、母さんだって素敵だが、ぴっちぴちの二人とは、格が変わった感じがする。


「花が多いと、店の雰囲気も変わるな」

「そうだな。直人。配達に専念していてくれ」

「分かったよ。あっちへ行きたかったなと」

「男は辛抱。女は女神」


 見て来たかのように指摘されると、えぐられるものがある。注文の合間に手を休めた店主に相談した。


「ああ、親父。パンを焼けるようになったから、今度店で出そうか?」

「蕎麦にパン……。春まで、考えさせてくれ」


 そんな風に一日が過ぎた。優花も午後の授業以外、手伝い通した。


「あー、お疲れ様です!」

「本当に、優しくされなくてよかったと思います」


 俺は、オレンジジュースに口を付けると、咳き込んだ。


「そんなに大変だった?」

「鴨が切れる程の鴨南蛮のご注文があり、『鴨抜きは如何ですか』と訊いたら、『もう、葱も要らないなあ』と大笑いされましたよ」


 女子二人は、リンゴジュースをコクコク飲んだ。


「そのお客様、お優しいんじゃないか。優しくされているよ」

「気が付きませんでした……」


 グラスを研ぎ出しに置くと、暫く考えているようだった。


「パパとママがお仕事の都合を付けて、三日後の日曜日に来るそうです」

「どうしましょう。うち、散らかっているのよ」

「もっと、大切なことあるよね。母さん」


 ともあれ、これも乗り越えなければならない壁としてがんばろう。


「優花さんのお部屋に泊まらせていただいていいのですか」

「まさか、ゲームと一緒はちょっとよね」


 待てや。俺の主張も聞いて欲しい。


「俺の部屋のゲーム、全部電源を切って、片付けたんだ」


 全員、しーんとなった。


「まさか! 直人」

「直人さん。お熱計りましょう」

「兄さん、洗脳された?」


 ゆっくりと訳を話すのには、まだ時間が要りそうだ。

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