第38話 ボクの大切なひと
俺は、梅香さんとうちの店前にある庭でいつまでもイチャイチャしていられないと、そっと離れた。不思議そうな顔をして、上目遣いに見つめられると、あざと可愛いと思ってしまう。だが、誘惑は、ここまでだ。
「先ずは、ゲームの電源を切りに行かないと」
「私も手伝います」
そう来ると思っていたよ。ただ、俺達に問題が一つある。二人共幽体ではないかとの疑念だ。
「所で、梅香さんの姿は、皆に分かるのかな」
「私の本当の体は、霊峰富士の麓にある病院で眠っていました。高校生の頃、学校でスケッチのハイキングに来ていたのですが、樹海で足を踏み外して、気を失う程の怪我をしてしまったのです」
女子高校生か。花園のドラゴンは梅香さんまでも花園へ招待していたのだな。
「ペガサスから降りて、中腹の富士の壁に当たったとき、突き抜けて飛ばされて行きました。そこは、病院の天井で、下には私がいたのです」
「幽体離脱のギリギリの状態だったんだな」
梅香さんが、また俺の胸に甘えて来た。コツリと拳で叩かれた。
「やりたいことがあります。神様お願いです。この命を私に戻してください。――声になりませんが、心で精一杯繰り返しました」
いや、少し震えている。怖い思いをしたのだろうな。
「神様からお告げがありました。人の言葉ではなく、念の形で。もう苦行はよかろうと」
「花園の生活は苦行なのか?」
わちゃわちゃと楽しくさせたいと思っていたのに。真逆だったのか。
「花園の秘密については、私にもよく分かりませんが」
「ニャートリー先生でも梅香さんでも難しいことがあるのだね」
小さな震えを堪えて、梅香さんが、俺から離れ、梅の木の下でワンピースの裾を持ちながらクルリと回った。
「この通りです。本当の自分の姿になるとの願いは、叶ったのだと思います」
「うん、可愛いよ」
紅梅そっくりに真っ赤な顔をして、梅の木に顔を臥してしまう。
「とても苦しい思いをしました。だって、具合が悪いのですよ。頭部も切れていたようで、縫ってありました」
「大怪我だったんだね」
梅香さんは、肩で憂いを語った。
「一人の名前を呼びたかったので、呻き声に近いものを出しました」
「誰を?」
木から俺へと向きを変えて、もじもじとしている。どうしたんだ。
「それは、その……。大神直人さんですけれども。いけなかったですか? 叫んだら、こちらに着いていました」
「そんなことないよ。寧ろ光栄だよ」
マジで俺か。お礼をしないとな。
「ええと、お腹空いている? 梅香さん」
ちょっと恥ずかしいな。でも、このままって訳には行かない。
「うちへ来る? 生蕎麦おおがみってお店なんだ」
みるみるうちに、ぱあっと顔が晴れて行く。
「ええ! お蕎麦屋さんなのですか。おうちの方が営んでいらっしゃるの?」
「そうなんだよ。その話もしたくて、姿を見られるようになりたいんだ」
そうそう、電源だったな。
「自室にゲームがあるから、散らかってるけれども、ご一緒しませんか?」
「よろしくてよ」
俺は、お姫様の手を取った。店はまだ開いていないから、裏の玄関へ回る。
「あはは」
「うふふ」
ええっと、梅香さんは、そうした訳で姿が見えるんだよな。
「親父、母さん。いる?」
店へ仕込みに行ったのかな。
「今の内に上がって」
「はい。お邪魔いたします」
遠慮なくと、二階へ押しやった。彼女を先にしたら、トトトと可愛い足音がして、生きているんだと実感した。
「この引き戸がボクの部屋」
「私が開けないと入れないから、失礼するね」
部屋から出て来るときは、さほど自室など気にしなかった。入口からは、ゲームとそのコードとで、壮観だ。
「恥ずかしい」
口元を覆っていると、俺の袖が引っ張られた。
「私がいるから、大丈夫よ。さあ、電源を切りましょう。そうして、仲良くしましょうね」
「ぶっ。仲良くって……。なんっすか」
二人で笑い合いながら、電源を探す。プレイ中のゲームが色々とあるが、只今進行していたのは一つだった。
「これが、『ペガサバ』なんだ。『勇者はペガサスを駆り迷宮に巣食うオーロラ魔女のサバトを阻止す』だよ。このゲームに入って行った記憶はなかった。でも今振り返れば、花園に潜むものがある」
「ゲームの世界と関わりがあったとは、思いも寄りませんでした」
俺は、首肯して続けた。
「頼りないと思うが、『勇者』はボクだし、『ペガサス』のホワイトシュシュは、意外にも妹の優花に面影を感じる。『迷宮』は花園世界と古代遺跡だ。『オーロラ魔女』は、ドラゴンであって、魔女だからとニャートリー先生ではないよ。『サバト』は、古代遺跡でのパンパーティーだな。『阻止』は、ドラゴンの支配からボクらが脱出して、成功した。霊峰富士からだって、壁を抜けられたじゃないか」
俺は、ゲーミングパソコンが唸っているのを確認する。画面がチラついて判別が付かなくなっていた。ほったらかしのつけっぱなしだったからだろう。白いペガサスのシルエットだけが、分かった。羽を広げている格好だ。
「そして、今にいたると」
「成程、私達は、この中にいたのですか? 四角い箱のプログラミングを構成していたのでしょうか」
小さく、いいかいと訊いた。
「え?」
彼女の手をきゅっと握って、ゲームの電源ボタンへと導く。
「この丸いボタンで、全てが変わるのですね。もしかして、再びゲームの中に返されたりしませんよね? 大神直人さん」
「ボクは、梅香さんの言葉を信じている」
二人で呼吸を合わせる。
「さあ、ボクらを新世界へ」
「さあ、私達を新世界へ」
ボタンを押しながら唱えた。
「もう、帰らない為に。さらば、花園よ!」
「もう、帰らない為に。さらば、花園よ!」
画面が消えた。
「あら、これは? 画面にいたペガサスにそっくりですね」
「ありり、本当だ。こんなフィギュアなかったよ」
見つめ合って考えていると、家のチャイムが鳴った。
「はーい。ただいま」
俺は、いつもの調子で、玄関へ向かった。
「こっちへ来て、開けて! 父さん、母さん。兄さんが呼んでいる気がしたの。お尻を触ってくれて、もう」
「ほいよ」
戸を開けてやると、引きつった優花がいた。鞄を思いっ切り落としている。
「おーばーけー! 兄さんが化けて出た!」
「直人だよ」
体は目に映るようだな。
「父さん、かかか、母さんを呼んで。お化けが」
「寝惚けたのか? お化けは、世の中にいないだろうよ。優花」
前掛け姿の父さんが暖簾を潜って、自宅の玄関まで来た。
「おおお、おい! 母さん……!」
「どうされたんですか。二人で大きな声を出して」
四葉のエプロンが似合う、母さんまで来た。
「な……。直人さん……! よく、よく、思い留まってくれました」
妹に両親まで、俺の生還に驚いている。一体どこかで幽体になったのだろうか。それとも本当にゲーム世界を旅していたのだろうか。今となっては、分からない。
「いやあ、直人。怪我はないか。夏休みに富士山で優花と共にはぐれて以来だな」
「まあまあ、直人さん。お腹が空いていますよね。お蕎麦でも食べて。ね……」
母さんが我慢の糸が切れたかのように、泣き崩れた。
「親父、母さん。優花。愚かでごめん」
頭を垂れる。深く、深くだ。
「帰ってくれただけでいい。生きてこそだ」
「そうですよ」
「兄さん、どこまで落ちて行ったのよ。私も足を踏み外したけれども、兄さんったら、姿が全く見当たらなくて。駄目かと思った」
梅香さんは、見えないのかな。
「こちらは、梅香さん。迷っている所を助けてくれたんだ」
「初めまして、
清楚な姿で、上品なお辞儀をされると、参ってしまう。もう、メロメロだよ。
「彼女は大切なひとなんだ」
俺も丁寧に頭を下げた。家族が息を呑んだ。ああ、二人共姿が見えるんだね。
「兄さんが、彼女連れ?」
「直人さん、あらあら、散らかってますけれども」
「ふーむ。まだ雪が残っているぞ。もう春なのか」
春だとすれば、全てが梅香さんが運んでくれたものだな。
「梅香さん――。ありがとうございます」
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