第6話 桜舞う青空

 正午過ぎ。

 が到着した頃には、すでに駅の解体作業が始まっていた。

 工事用のフェンスの向こう側から、建物を壊す重機の駆動音が聞こえてくる。

 せめて最後に駅舎の中を見て回ろう、なんて淡い期待は露となって消えた。


「けれど……ええ。これでよかったのかもしれないですね」


 私は広場に咲く満開の桜を見上げて、そっと微笑む。

 すでにお別れは済ませた。なら、立ち止まることはない。

 あの人との思い出は、今もこの胸の中にある。



 トオルくんが東京の大学に進学した頃、私は地元で式を挙げた。

 それ以降、『』という姓を名乗ることはなかった。

 夫は優しい人で、子供も二人生まれた。

 何不自由のない暮らしが続いたけれど、心の何処かで引っかかりを感じていた。


 さくらぎ駅は、今も昔も私を優しく迎え入れてくれる。

 子育てが終わって自由を得た私は、ポットに入れた紅茶と自家製のスコーンを持って駅に通った。

 電車に乗るわけでもなくお茶をして、日が暮れるまで本を読む。

 いつかのようにホームで待っていたら、あの人が帰ってくるのではないか。そう思って。

 そんな私の空想は、ひょんなことから実現してしまう。


 ――遠くに離れてしまった想い人と再会できる。


 駅舎の取り壊しが決まったこともあり、一縷いちるの望みを賭けて桜の木に願った。

 すると、どこからともなくアオさんが現れてこう言ったのだ。

 『紅茶とスコーンを恵んでくれるかな? それでキミの願いを叶えよう』と。


 それから始まった奇跡の数日間。

 再会を果たしたあの人は、出逢った当時の姿のままだった。

 彼の目には、私はどう映っていたのだろう。


「ありがとうございました。そろそろ行きますね」


 桜の木にお礼を述べて広場から離れる。

 風が吹き、桜の枝葉がサワサワと揺れた。

 ふわり、と目の前にハンカチが飛んでくる。


「これって……」


 見覚えがある。トオルくんと再会した日、紅茶をこぼした私に彼が差し出してくれたハンカチだ。


 ハンカチを拾い上げる。ハンカチは半分に折りたたまれていた。

 広げてみると――


「栞……それにこの字は」


 古びた栞につづられていたのは、互いに向けた愛の言葉。

 今となっては恥ずかしさを覚える、少女時代の思い出。

 あの人が投げかけてくれた言葉は、今も私の胸に深く刻まれている。


 けれど、栞には記憶にはない新しい言葉が綴られていた。

 見覚えのある、あの人の字で。



 ――さようなら。いい夢を、ありがとう。



 桜舞う青空を見上げて微笑む。

 ひらひら舞い散る淡い桃色の花弁がとても綺麗だ。


 駅の跡地には、本格的な紅茶を出す喫茶店が出来るらしい。

 店長はおそらく礼服が似合う長身の女性に違いない。

 オープンしたら、茶飲み友達を連れて遊びに来ようと思う。

 昔好きだった、あの人の話でもしながら―――


 了

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蒼櫻 空下元 @soranosita_h

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