第12話
サンタクロースもすっかり形を潜めた頃、高瀬は柴田とともにT大法医学教室にいた。
「いつものコーヒーが切れちゃってね」
インスタントでいいかと月見里が瓶を掲げると、高瀬は野良犬でも追い払うように手を振り、顔をしかめた。
「お前の煎れたコーヒーは、インスタントですら殺人的にマズイ」
「酷いな」
「それより」
高瀬は月見里の抗議の声を無視して言った。
「間宮が自供した。バンパーの傷とブリッジが適合したんだ。それを突き付けたら、あの野郎、簡単に落ちたぜ。ブリッジに、微量だが塗膜片も残ってたしな」
「へえ」
言いながら、月見里はカップにインスタントコーヒーを入れている。
一杯、二杯、三杯――。四杯目を入れようかどうか考えている月見里の顔を見て、高瀬は苦い顔をした。不味い筈だ。傍らでは柴田が顔色を失っていた。これから柴田はアレを飲まねばならない。流石に同情を禁じ得なかった。
「それで、どうだったの?」
月見里は、香ばしいと言うより焦げ臭いコーヒーをかき回すと、柴田と自分の前にカップを置いた。
柴田が恨めしそうな目を向けてくる。が、それに構わず高瀬は言った。
「月見里の推理通りだ。殺害現場は浴室。間宮のマンションだった。前日に話し合いをしようと呼び出し、隙を見てアルコールに睡眠薬を入れた。ドラールは以前、間宮自身が不眠を患った時に処方された物だ。不眠は現代病だからな。簡単に手に入る」
「ストッキングは?」
月見里の問いに、高瀬は下唇を突き出し肩をすくめた。
「自分で脱いだんだよ」
「自分で?」
「ああ。間宮は、西川小春に縁談は断ると話した。勿論口からでまかせってヤツだ。でまあ、仲直りって事でだな」
そこまで言って、高瀬は栞に視線を移した。
正月休みまでに済ませておきたい仕事を片付けているようだ。デスクに向かい、山ほどの書類と格闘している。
恐らく聞こえてはいないだろうが──。
「ああ、うん。分かった」
高瀬の様子から話の筋に気付いたらしい。月見里も栞の様子を窺うと、手を翳して制した。
過保護としか言い様のない話だが、高瀬と月見里は、揃いも揃って、この手の話を栞の耳に入れる事に及び腰となっていた。
「それで、だ」
高瀬が声を顰めて前屈みになると、月見里と柴田もそれに倣い、大の男3人は、テーブルの上で額を突き合わせてコソコソと話し始めた。
「間宮は女に風呂を勧め、湯船で意識を失ったところを沈めた。服は何とか着せられたが、ストッキングは無理だった。四苦八苦している内に破れてしまい、捨てた」
「なるほど。それで素足だったんだ」
「ああ。俺達同様、ストッキングがそれ程重要だとは思わなかったって訳だ。あと、遺体の処分も月見里の言った通りだった。談合のアリバイ作りに協力すると見せかけて自身のアリバイに利用し、その間に例の手順で処分。外れないよう、ダブルハングズマンノットを使い、更に不信感を持たれないよう、西川小春の部屋に釣り雑誌を置いた。ご丁寧に指紋まで付けてな」
「で、翌日には何食わぬ顔で渡航したって事だね」
「そう言うこった」
そしてあの日、犯行に及んで以来、貪る様に読んでいた携帯のニュース速報を見てた間宮は、帰国以降、忙しくて後回しにするより仕方のなかったバンパーの交換に走った。
保身の為に行ったそれが、まさか自分の首を絞める結果になろうとは、間宮も思わなかったに違いない。
「動機は? 彼女の存在……なのかい?」
「それな」
高瀬は溜息を吐くと言った。
「あの野郎、横領もしてたんだよ」
豪華なマンションに車。それらは皆汚れた金で得た物だった。
「西川小春はそれを知ってた。別れるなら、それをリークすると詰め寄られていた。──それが動機だ」
「そう……」
月見里はコーヒーカップをテーブルに置いた。それは見事に空になっている。
それをぼんやりと眺めながら、高瀬はふと御伽噺を思い出していた。
取り違えた恋人に心を奪われた王子の命を奪うことも叶わず、泡となった人魚姫。
だが、西川小春は諦めなかった。密告と言う剣を突きつけた。
「人魚姫ってのは、自己犠牲の象徴だと思ってたぜ」
「自己犠牲が美徳とは限らないよ」
ソファーに体を沈めて足を投げ出し、腹の上で手を組む高瀬に、月見里はそう言うと、儚げな笑みを浮かべた。
「でも、どうして腐敗しないで屍蝋化したんですかね。や……やっぱり」
高瀬は二の腕をさする柴田を一瞥した。
「なんだお前。西川さんの話真に受けてんのかよ。バッカじゃね?」
「西川さんの話って?」
「いや、西川小春の父親がな……」
馬鹿馬鹿しい話だと言いながらも、高瀬は前日、報告の為に会った際、西川が話した事を言って聞かせた。
「行方不明になって以来、娘が毎晩夢枕に立ったんだと。自分は殺された。遺体が上がっても、決して焼かないでくれってな」
「まあ、確かに焼かれてたら終わってたね」
月見里は身も蓋もないことを言って、はははと笑った。
「笑い事かよ」
「だから、やっぱり小春さんの怨念がですね……」
「バカッ」
「だって、普通は腐ってますよ!」
柴田は頬を膨らませた。
水死体の殆どが腐敗し、ガスが溜まって巨人様化して浮き上がり発見される。冷蔵庫と一緒に沈めた死体が、その冷蔵庫と一緒に浮いたと言う事すらあるのだ。
それを柴田が主張すると、月見里もそうだねと同意した。
「けど、元々、女性は男性より皮下脂肪が多いから屍蝋化しやすいんだ。屍蝋化は、脂肪が分解されて脂肪酸に変化し、これがカルシウムやマグネシウムと結合して起こるからね。今度の件も、水中だったと言う事と、今年は夏が早く来たでしょう? それが助けになったと言うべきかな」
月見里の説明を、ふんふんと聞いていた柴田が、最後にあれと云う顔をした。
「濡れてたり、暑かったりしたら腐りやすいんじゃないんですか?」
「いや。屍蝋化は水分が多く、空気の流れの悪い所で起こりやすい。水中は絶好のポイントなんだ。その上、高温だと屍蝋形成が早い。つまり夏だね。2~3週間で始まってしまうんだよ」
「へぇ~……」
と、その時、高瀬の腹が盛大に鳴った。
「腹減った」
「そろそろお昼ですね。何か食べに行きます?」
「金ねぇし」
言ってじっと高瀬は月見里を見、月見里は長い溜息をついた。
「……分かったよ」
外に出ると雪が降っていた。
風はないものの、やはり寒い。3人は学生の間を縫うようにして歩いた。
「でも」
不意に月見里が口を開いた。
「やっぱり彼女は人魚だったのかもね」
「おい、お前までなんだよ」
高瀬はコートの衿を立てると、呆れたように月見里を見た。
「生前水に近付かなかったのは、泡になることを恐れたのかもしれないよ? そして、最後は人魚に戻り、海に帰って行った」
「裏切った王子に、剣を突きつけてか?」
「ある意味、御伽噺の人魚姫より、悲しい最期ですね」
柴田がそう言うと、月見里はそうだねと言いながら舞い落ちる雪を受け止めた。
それは月見里の掌で、あっという間に消えた。
「さみ。俺は海より温泉がいいわ」
コートのポケットに手を突っ込み、高瀬が言った。
「唐突だね。相変わらず」
「どうだ。お前も行きたくなったろ?」
「遠慮するよ。文孝のは『行こう』じゃなくて『連れてけ』だから」
「ケチケチすんなよ。サウナでもいいぞ」
ポケットに手を突っ込んだまま、高瀬が月見里に肘をぶつける。その勢いで前に飛び出した月見里は、同じだよと言うと、すたすたと歩き出した。
「んじゃ、銭湯!」
あくまでも月見里のスネを齧る気らしい。高瀬は早足で月見里の背を追いながら食い下がった。その後を柴田も追う。
「入浴剤でも入れて、家で温泉気分に浸ったらいいじゃないですか。寂しいなら、僕がご一緒して差し上げてもいいですよ」
「気色悪ぃ事言うな!」
「そうそう。止めといた方がいいよ、柴田君。文孝のアパートの風呂は、公園の池より酷い」
「んだとぅ!」
「逃げろ!」
月見里は柴田の背を押すと、赤門へと向かい走り出した。
了
白い人魚 桜坂詠恋 @e_ousaka
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