第13話 光格天皇
21世紀初頭の時点において、"光"の諡を贈られた最後の天皇は 第119代 光格天皇だった。かの天皇も当然のことながら傍系出身の天皇であり、現在のところ この方が
光格天皇の次の仁孝天皇(第120代)より 5代に渡って終身 天皇の地位にあったわけだが、光格天皇の時代を画期とする事柄は 他にも存在する。その一つが、天皇号の復活だ。これまで 当たり前のように ○○天皇という表記をしてきたが、
また、かの天皇の時より 漢風諡号も復古している。古来より 天皇陛下の御名をみだりに口に出すことはなく、文章の中で尊敬の表現を用いることによって 存在が滲み出してきたが、過去にあらせられた主上と区別するため その崩御後 諡を贈られていた。その諡の
(例外はあり。
ちなみに、追号というのは、厳密に言えば正式な諡号ではなく、単なる通称の域を出ないという。後○○天皇のように
なお、明治になって追諡された例として、
第38代 弘文天皇(大友皇子)
第47代 淳仁天皇(淡路廃帝)
第85代 仲恭天皇(九条廃帝)
が挙げられる。大友皇子は 正史『日本書紀』においては 即位を認められておらず、淳仁天皇は 恵美押勝の乱(764年)に連座し廃位、次代の称徳女帝に否定され、仲恭天皇は 践祚はしたが 即位礼を行う前に廃されている。
ついでに、践祚と即位の違いだが、前者が 新帝が神器を引き継いで皇位に就くことで、後者が 新帝が皇位に就いたことを広く世に知らしめること。古代は 区別をすることはなかったが、平安期以降は 践祚の儀と即位の礼を分離し 別々に行うことが慣例となり 区分された。私達にとって 践祚がなじみがないのは、現在の皇室典範に その語が用いられていないことが関係しているだろう。
それはともかく、第119代 光格天皇は 先代 後桃園天皇から見て 傍系にあたる閑院宮家の出身だった。閑院宮家は 江戸中期の政治家 新井白石が創設に大きな役割を果たした世襲親王家であるが、かの宮家の血脈が 現在の皇室につながっている。
光格天皇即位に至るまでの大まかな経緯だが、彼の3代前にあたる桃園天皇(第116代)が 忘れ形見を残して夭折。その子を皇位に就けんがために、桃園天皇の姉が中継ぎとして即位した。かの天皇が 現在のところ 日本最後の女帝である後桜町天皇(第117代)だ。
しかし、桃園天皇の皇子は即位したものの(後桃園天皇)、男子を残さず 若くして崩御。ここで後継問題が持ち上がり、閑院宮家出身の
結果として、前者が選ばれて即位、後桃園天皇の皇女を皇后とした。先代とは 実に7親等離れていた。
奇しくも、光格天皇君臨時は 将軍 徳川家治から家斉の時代であり、時の老中 松平定信が"大政委任論"を唱え、それをもって 近代の始まりとみなす研究者も存在。尊王論が 台頭し始めた画期となる時節だった。
女系天皇について @eiitsumugu2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。女系天皇についての最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます