開店
「こんばんは~」
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ~、お好きな席にどうぞ~」
イグラシム王国に来たその晩は、エドマンドに借りている路地裏の土地で店を開いている。
正直に言うと、いつも世界中を旅しているので、こうして定期的に店を出している月末が一番客が入るので忙しい。普段が客が来なさすぎというのもあるのだが。
店自体はそこそこ広く、客もかなり入るので王都で店を出すときは従業員を1人雇っている。
「湊さん!オーダー追加で~す」
「はいよ」
それがこの環奈ちゃんなのだが、名前で分かる通り日本人である。
普段は冒険者をしているのだが、日本では接客業の経験があったようで、月末だけ『アカツキ』で働いてもらっている。本人曰く賄い目的らしいのだが。
今月もカウンターには常連客の顔が見える。その中には城門衛兵のモードレッドもいる。
彼からは、結婚祝いとしていい店の12年物の赤ワインをもらった。そこまでしてもらわなくても、と思ったのだが衛兵隊全員からと言われては受け取るしかなかった。
そして、そんな彼の隣には、今朝みたばかり新人君の姿もある。
「今日はどうする?」
「とりあえず生ビール。こいつにもな」
「あいよ」
ジョッキクーラーから冷えたジョッキを出して、サーバーから生ビールを注ぐ。
「はいよ、生2丁」
「来た来た。やっぱりここに来たらこれが無いとな!ほれ新人!乾杯!」
「あっ!か、乾杯」
注文をさばきながら、横目で美味そうにビールを呷るモードレッドを見る。本当にいつも美味そうに飲むことで。
新人君も恐る恐る口を付けて…グイっとジョッキを呷った。
「た、隊長!なんですかこのエールは!」
「ははは、やっぱりお前もそうなるか」
「それはもう!今まで飲んできたエールは馬の小便ですよ!」
確かに、いくら王都とはいえ酒場で出されているエールといえば保存を効かせるためにかなり苦く、生ビールのようにキレがあったりもしない。場によっては嵩増しのために水で割られていたりもする。
それに比べて、うちの生ビールは現代日本の有名生ビールの味を完全再現してある。それには並々ならぬ努力があったのだがそれは今はおいておこう。
そんな生ビールを初めて飲んだのであれば、感動するのも必然である。
「うちは酒にもこだわってるからな。ほれつまみだ」
出したのは、枝豆とフライドポテトだ。個人的に生ビールのお供のおつまみといえばこれだと思っている。
「おお、助かる。それと今日は…唐揚げだな、3人前」
「あいよ、3人前ね」
生ビールで感動している新人君ならうちで出している唐揚げにも感動してがっつくからだろうな。
かくいうモードレッドもうちで初めて唐揚げを食べたときは5人前をペロリと平らげたのだけどな。
こうして、いつも通りの月末の夜が更けていく。
――――――――――――――――――――――――――――
「ほな大将、また来月なぁ」
「はいはい、気をつけて帰れよ~」
時刻は日付が変わる頃、酒に酔っぱらった客を帰路につかせて店仕舞いをする。
王都では街灯の魔道具などの明かりが充実しているので市井の民の活動時間は一般の村などに比べるとかなり遅くまである。
「じゃあ、今日も遅くなっちゃたけど賄いにしようか環奈ちゃん」
「はい!今日は丼ものがいいです!」
「了解」
環奈ちゃんは生魚が好物だ。王都は内陸にあるために一応生魚は売られてはいるが、保存用の魔法が使われているため、かなりお値段が張る。
そのため、いつも賄いは生魚をリクエストする。
というわけで今日の環奈ちゃんの賄いは海鮮丼にしよう。白米も余っているのでちょうどいいだろう。
ちゃっちゃと酢飯を作って、アイテムボックスの中から生で食べても寄生虫の問題がない魚を選んでいく。
選んだのはアジ、ハマチ、サーモン、甘えび、ホタテ…に似た魚と貝。それと紫蘇と山葵と刺身醤油で整えてっと。
「はい、おまたせ」
「やった~海鮮丼だ!いただきま~す!」
このいただきますが自然に聞けるのも、数少ない同郷の者たちだけである。
それなりに召喚、もしくは転生した地球出身はいるのだがこの店と巡り会っているヒトはそう多くない。
環奈ちゃんも、その数少ない1人なのだが。
この世界で出会った元地球人たちは漏れなくこの店の虜になっている。
『ガイア』の文化レベルは地球レベルに無理矢理直すと近世初頭レベルである。産業革命も起こっていないレベルの文化レベルでは食文化にも当然満足できないだろう。
そういった客は『アカツキ』の常連になってくれている。うちで働きたいと言ってくれる人もいるのだがこちらもいろいろと事情があるのでお断りしている。
その代わりに、環奈ちゃんのようにたまに雇っていたりする。
「あれ、湊さん食べないんですか?」
厨房の換気扇の下で煙草を吸っていたところに、環奈ちゃんからそんな質問が飛んできた。
いつもなら環奈ちゃんと一緒に晩御飯を食べていたからだろう。
「あぁ~…ニーナが降りてくるまで待とうかと思っていたんだが。呼んでくるか」
晩御飯はニーナと一緒に、と思っていたのだが帰ってきたっきり2階の俺の書斎に籠って出てこないのでそろそろ呼びに行くとするか。
「ニーナァ…晩飯にするぞぉ」
書斎の扉を開けると、俺のお気に入りの社長椅子に深く腰掛けて本を読んでいるニーナが。
ニーナは今日、俺がマンガというものを与えてからというもの人間の書物に興味を持ってしまった。
積みあがった書物を見るに、書斎の端から読んでいっているのだろう。
「んあ…もう終わったのか」
「時間忘れすぎだっての。もう深夜だけど晩飯食うぞ」
「うむ」
だれかと晩御飯を一緒に食べるなんて、今まででは滅多になかったが、ニーナと暮らすとなるとこれから毎日食べるのかと考えると、なかなか慣れないなと思ってしまった。
飯処『アカツキ』 預言猫 @odoro_kaede
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