不明
「ひどい目に遭った」
「おまえの記憶を取り戻そうとしてあんなことをやらかした親父も悪いが、さっさと思い出さない。今も思い出していないおまえも悪い」
翌日。
彼の邸に向かって通された客室には、まだ記憶が戻っていないらしい彼と彼女が向かい合ってソファに座っていたので、彼と彼女の合間にあるソファに座ろうとしたら、彼女に彼の隣に座ればいいと凄まれたのでその通りにすれば、彼女は前のめりになっていた身体を姿勢正しく座り直して、こほんと小さく咳を打った。
「まあ、いい。過去のおまえが誰が好きだろうと、今のおまえには婚約者の彼女がいるんだからな。支えて、支えられて、公私ともによきパートナーになれよ」
「まあ。そのつもりだ」
「いえ。今日はお断りのお話をしたくて参りました」
「「困る」」
彼と彼女に詰め寄られたが、考えを改める気はなかった。
気持ちが伝わったのだろう。
彼と彼女は元の位置に座り直して、じっと私を見た。
私は彼と彼女の目をきちんと見て、口を開いた。
「あなたとは会社のため、よきパートナーになれると思いました。なので、結婚をしなくてもいいと思うのです」
「いや、よくないな。私は結婚をすすめる。あなたを逃せば、もうこいつは結婚できない。断言できる」
「まったく覚えていないが、ぼくも幼馴染の彼女と同じ意見だ。どうしてか、君を見ていると心が安らぐ。むしろ胸が熱くなる。恋だ」
「いえ、気のせいですし、やはり結婚は互いに好きな気持ちが必要だと思うのです」
「「結婚から生まれる好きもある」」
「そのような意見もあるでしょうが、私は違いますので。勝手ではありますが、おゆるしください」
「………わかった。今は引こう」
「おい、それはぼくのせりふじゃないか?」
「おまえは黙ってろ」
「………わかった」
「今は引くが、私の気持ちも変わらない。あなたがこいつと結婚すべきだと断言する。が。押し過ぎたらかえって反発させるだけだからな」
「お互いに、ですね」
「ああ。だからまあ、まずは。友達からだな。こいつとも私とも」
彼女は不敵に笑って手を伸ばしたので、私も手を伸ばし熱く握手を交わし、その上から彼が両の手で包み込んだ。
ややこしいことになっちゃったな。
内心で苦笑いしたが、今はこれでよしにしようと思いました。
「あの。おひとつお尋ねしてもよろしいですか?」
「口調が乱暴すぎたか?」
「いえ。そのままがいいです。気持ちがすっきりしますので」
「そうか。で?」
疲れたからと自室に戻る彼を見送り、今。私は彼女と向かい合って、メロンソーダを食していた。
「あなたのお父様は彼が生まれた時から警護しているのですよね。あなたもお父様と同じ道を歩もうとは思わなかったのですか?」
目を丸くした彼女は、残っていた氷をガリガリ噛み砕いて、冷たいと笑った。
「ああ。私は警察官になりたかったからな。ずっと。憧れだったから。まあ。少しは迷ったけど。親父は、昔はすごかったけど、最近じゃ頼りないし。けど、あいつも応援してくれて決めたんだ。結婚はしない。恨みを背負う身体で婿も子どもも愛せる自信がないからな」
「………そうですか」
「あいつにはさ。結婚してほしいんだよ。そりゃあ、結婚がすべてじゃないさ。けど。寂しがり屋のあいつには結婚相手が必要なんだ。あなたがね」
「買いかぶりすぎですよ」
「これからわかるさ」
わからないですよ。
氷で薄くなったメロンソーダを少し飲んで、笑った。
恋なんて。
それもだれにも言えない恋なんて。
多分、一生わからない。
(それにしても、彼の好きな相手は誰だったのかな)
(2022.5.17)
偽りの薫風 藤泉都理 @fujitori
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