番外編 ジュリアスとジェフリー

 第二王子ジュリアス・クリスティアン・グリトグラには何名かの従僕が宛がわれている。


 基本的には「行儀見習い」の名目で登城してきた高位貴族の子弟である。能力が高いかどうかは考慮されていない。というよりか――むしろ能力の低いものが選ばれている節がある。


 宮廷におけるジュリアスの立場はあまり良いとは言えない。特に三年前、母である第一王妃クラリッサが逝去してからはそれが顕著になった。第二王妃エイプリルの勝手を諫める者がいなくなったのだ。


 第二王妃エイプリルは宰相ウィリアムズ公爵と手を組んで、セオフィラスを立太子するつもりでいるらしい。しかし第一王子セオフィラスは、まったくの無能というわけではないものの、さりとて優秀でもない。育て方に問題があると言った方が適切だろうか。希少な光属性の豊富な魔力量を持ち、容姿も優れている。しかし政務にまつわることに関しては、これは意図的に学習を避けられて育てられた。セオフィラスはディオール公爵家、ウィリアムズ公爵家両家の傀儡としてあえて無能に育てられたのである。


 そんなセオフィラスの下には、優秀な文官が集められている。しかし、彼らは仕事をしない。宰相が意図的にセオフィラスとその部下に仕事を回さず、ジュリアスの元に仕事を回すようにしているのだ。おそらく過剰な仕事をジュリアスの元に回して、潰れるのを待っている。そして父王もこれを黙認している――というか、せざるを得ない節がある。


ジュリアスの父である国王セドリックは王族でありながらいわゆる『魔法不能者』であり、生まれつき魔法を使うことができない。それでもセドリックが玉座に就けたのは先王直系の男子が彼一人だったからに他ならない。魔法不能者が王であることに少なからず反発はある。それを抑えているのがウィリアムズ公爵家とディオール公爵家であるため、国王セドリックが彼らの専横を苦々しく思っても、あまり強くは出られないのである。


 正直なところジュリアスとしては国王が傀儡であっても国は回るし、現在嫡男が取りまとめているウィリアムズ公爵領の評判自体は悪くない――むしろ評価が高いので、異母兄であるセオフィラスが立太子して、両公爵家の傀儡になったとしてもそれはそれで問題はないのではないかと考えている。国の頭が誰であろうと、民草には関係のないことだ。


 ただ父セドリックはジュリアスを王太子にと考えているようではあるのだ。顔を合わせると『ジュリアスが立太子してくれないかなぁ~、そうなったら父上嬉しいのになぁ~』と言ってくる。確かに特定貴族の専横は許容できるものではないし、ジュリアスはセオフィラスと違ってしっかり教育も受けている。


魔物討伐の指揮を執るし、なんなら自ら先陣を切る――実際はストレス解消のためなのだが――ことも多いので、騎士や魔法師からの信望も厚い。最近では王都のあるユーリエ島と北のグリ島を結ぶグランド・グリ・ユーリエ島の建造指揮にも携わっている。実績から言えばジュリアスの方が圧倒的に上なのだ。それゆえ国王を始めジュリアスを王太子にと推す声も多い。


 もちろんジュリアスとしても期待に応えたい……という気持ちがないではない。しかしセオフィラスのように社交に精を出し、婚約者を選び、自ら派閥争いの先頭に立つ気にはならなかった。ジュリアスは日々の政務で疲れ切っていたし、母の生家であるクリスティアン侯爵家は代替わりしたばかりで家中の取り纏めに苦心している。後ろ盾は期待できない状況であった。


 早く臣籍降下でもして宮廷から抜け出したい。ジュリアスは日々そんなことを考えていた。


 そんなわけで疲れ切ったジュリアスの表情は(戦場を除いて)常に精彩を欠き、実情を知らない者からの評価は下がっていくのだった。


 風向きが変わったのは、ある従僕の少年がジュリアスの元に『行儀見習い』の名目で派遣されてきたからであった。



 ***



「――君が新しい従僕か」


「ヒューストン侯爵アーノルド・ヒューストンの長男、ジェフリー・ヒューストンと申します」


 書類だらけの執務室で疲れ切った目を向けると、アイスブルーのさらりとした髪を持つ、とびっきりの美少年が臣下の例をとっていた。ヒューストン侯爵家と言えば、王家の矛とも言われるエリート魔法師の家柄だ。ユーリエ島付近のバタール島を領土とし、これをよく治めている。彼女の姉は王立魔法アカデミーに所属する天才的な闇魔法の使い手で、『バタールの魔女』とか呼ばれているのだったかと、ジュリアスは疲れた頭でぼんやりと思い出した。


 ジェフリーの年齢は十一歳だと言う。行儀見習いとしてやってきたにしても、若い――というか、幼い。見た目はもっと幼い。小柄な上に童顔で、男装した女の子だと言われれば信じてしまったかも知れない。


 それくらいかわいらしい顔立ちをしていた。表情の変化に乏しいのが残念でならない。


「本日より政務のお手伝いと御身のお世話をさせていただくことになりました。何卒お引き立てのほど、よろしくお願いします」


 ジェフリーはにこりともせず臣下の礼を取ると、澄ました顔でそう言った。


「――君、まだ十一歳だろう? 政務の手伝いなんてできるのか」


 ジュリアスの問いに、ジェフリーは淡々と答える。


「幼少期より領地運営の基礎を叩き込まれているのでご安心を。それとヒューストン家の人間は自分のことはできるだけ自分でするよう、一通りの教育は受けていますので身の回りのお世話も滞りなくこなせます。姉は『できるのにやらない』人ですが」


「姉って、アカデミーのブリジット嬢か。『バタールの魔女』とか呼ばれてる」


「たぶんそのブリジットです」


「うん、まあそれはいい。だがヒューストン侯爵家は魔法師の家系だろう? 見習いっていうなら魔法師団の方が」


「ジュリアス殿下におかれましては、よほどお疲れのご様子だと。貴方様の窮状を見かねた父が私を王宮に送り込んだのです。それくらい察してください」


「――侯爵は俺に付くつもりなのか?」


「さあ。父からは手伝ってこいとしか聞いておりませんので。とりあえずこの書類の山をどうにかしましょうか」


「どうにかって……」


「どうにかはどうにかです。父も姉もそうなのです。書類や書物をそこらに散らかして、使用人たちを困らせています。本人たちはどこに何があるかわかっているから問題ないと抜かしていますが、どう考えても非効率です。仕事を円滑に進めるにはまず整理整頓と、適度な休息が必要です。緊急性に応じて書類の振り分けを行いますので――殿下、とりあえず隈がひどいので隣室で仮眠をお取りください。最低でも三時間」


 少年らしからぬ理路整然とした口調で畳みかけられて、ジュリアスはぐっと押し黙る。


「いや、しかしだな」


「もしかして不眠症ですか? なら魔法で眠らせても構いませんが」


「わかった、寝る……」


 社交界にも中央の政治にもあまり関わらない。しかし貴族社会において圧倒的な存在感を持つ王家の旧臣。それがヒューストン侯爵家だ。その嫡男ともあれば、相当厳しい教育を受けてきたのであろう。王族を相手にして有無を言わせない圧の強さに、ジュリアスは根負けして仕事をおいて、別室に移動して仮眠をとることにした。


 当代のヒューストン侯爵は圧倒的な実力を持つ氷属性の魔法師であり、嫡男であるジェフリーもその資質を受け継いでいる——いや、それ以上の才能があると専らの評判だ。


 少年らしからぬ言動はまさに冷たい氷そのもの。今後もあの調子で小言を言われるのかと思うと少し辟易とするが、中央の政治に干渉しないヒューストン侯爵がジュリアスの現状を見かねてわざわざ送り込んで来たのだ。有能であることに間違いはないだろう。


 ひとまず書類の山をジェフリーに委ねることにして、ジュリアスは一時の眠りに落ちた。



 ***



 ジュリアスの目が覚めた時、もうすっかり日が傾いていたものだから俺は愕然とした。ジェフリーから言い渡された睡眠時間は三時間だが、自分で思っていた以上に疲労が溜まっていたらしい。


 慌てて体を起こし、小走りに執務室に戻る。


「なんですか殿下。王族たる方がはしたない」


 少々乱暴に執務室の扉を開けると、眉をひそめてジェフリーからさっそく小言が飛んできた。


「い、いやすまない。執務が残っていたというのに眠り過ぎて、焦ってしまってな」


 ジュリアスがそう弁解すると「そうですか」と頷いた。


「それだけお疲れだったのでしょう。独断で恐縮ですが、今日明日中に殿下の裁可が必要なものだけ仕分けしてあります。王族の方直々に目を通す必要のないものについては担当部署の文官たちに突っ返してきました」


 ジェフリーに淡々と言われたジュリアスは、書類で散らかっていた執務机に目を向ける。山積みになっていた書類はもはや半分以下に減っている。これなら今日中に仕事は終わる。ジェフリーの手腕にジュリアスは感嘆した。


「それにしても城の文官は無能すぎますね。大方ジュリアス殿下を過労で潰そうとかいう魂胆なのでしょうが、やり方がずさん過ぎます。文官をまとめているのは宰相閣下なのですから、明るみに出れば責任を負うのはあの御仁ですよ」


 その辺りご理解されてるんですかね、と述べるジェフリーの言い様は辛辣だ。――事実ではあるのだが。


 だが少し引っかかるところがある。彼はいかに大人びた振る舞いをしていてもたった十一歳の少年だ。


「なあ、ジェフリー。君、どうやって文官たちを説き伏せたんだ」


 ジュリアスの問いに、ジェフリーは小さく首を傾げる。その仕草がいかにも年相応でかわいらしい。しかし回答は全然かわいくなかった。


「最初は論理的な説得を試みたのですが」


「うん」


「聞く耳を持たないので室内の温度を下げました」


「……そう」


「それでも『お話』を聞いてくれない方には、姉の名前を出しました。姉は闇属性の優秀な魔法師で、魔力量は僕と大きな差はないのですが、技術や知識に関しては歴代でもトップクラスの実力があるのです」


「へえ」


「社交界では多少誇張されているようですが、姉は暗殺や呪殺の類が得意分野でして」


「いや剣呑過ぎないか、君の姉」


「それを我欲のためでなくただ興味本位で突き詰めたというのが姉の素晴らしいところなのです」


「それ素晴らしいか? なあジェフリー、君、目がきらきらしてるけど俺の感覚がおかしいのか?」


「姉は両親に似て社交嫌いでして……だらしないところはありますが優しい人なのです。しかし社交界では尾ひれ背びれがついて『バタールの魔女』などと呼ばれているようですね。ちょっと名前を出しただけで真っ青になっていましたよ。面白い人たちですね、ふふ」


 そう言ってジェフリーは花が綻ぶような笑みを浮かべた。稚児趣味のないジュリアスでも思わずドキッとするほどの可憐さだ。紅顔の美少年というのはまさしくこういう子のことを指すのだろう。言っていることはかなりやべぇが。


 色々と腑に落ちないところはあるが、ジェフリーが姉に心酔していることは良くわかった。


 まあなんにしてもだ。


「とにかく今日は助かった。明日からも通いで来てくれるのか?」


「はい。及ばずながらお力添えをさせていただく所存です」


「そうか……そうだな、文官たちに色々手を回してくれただろう? あいつらには手を焼いていたんだ。俺には後ろ盾がないから、宰相殿の手前そう強くも出られなくてな。褒美にと言ってはなんだが、何か欲しいものはないか?」


「いえ、業務として当たり前のことをしただけですから」


「まあそう言わずに。俺にも色々とコネくらいはある。仮にも王族だからな。何より愚兄と違って普段贅沢品を求めない俺が父上に『おねだり』すれば手に入らないものなどほぼないぞ? 古くからの忠臣であるヒューストン家の嫡男を小間使いにしているんだ、贈り物の一つもしないでは君の父上に顔向けができん」


 譲歩しないぞ、という意志を込めてアイスブルーの瞳を見据えると、ジェフリーは諦めたように肩を落とした。


「では、その……」


 急に頬を赤らめてもじもじし始めた。


 その容姿でその表情と仕種は確実に誤解されるからやめた方がいい。やめた方がいいと思ったがジュリアスはぐっと言葉を飲み込む。


「く……」


「く?」


「くまさんが欲しいです」


「くまさん」


 顔を真っ赤にしてジェフリーから告げられた思わぬ要求にジュリアスは鸚鵡返しに呟く。


「王都の専門店『ヒーローベア』でだけ生産しているくまさんのぬいぐるみがあるんです。極上の魔羊ウールと妖綿花を使用しての王都でも最上級の腕前を持つお針子が縫い上げた予約限定で滅多に手に入らない超大型のくまさん……六歳の時に存在を知ってからずっと注文をしているのですが手に入らず……」


 頬を赤らめてごにょごにょとそう供述するジェフリー。顔を真っ赤にして上目遣いでうるうるした瞳を向けてくる。


 自分で注文してたのか。そりゃあ相手にされないかも知れない。でも嫡男として厳しく養育された男児が「くまさん」……親にねだり辛いのはわかる。


「あっ……いや僕用じゃないんです! い、妹用ですよ! 妹用!」


 いや、言い訳が苦しすぎる。


 とはいえ相手は十一歳の男の子だ。「くまさん」だなんて、なんともかわいいおねだりである。王族の権威を使えば、それくらいの注文いくらでもねじ込める。ジュリアスは後ろ盾がないため、王城でこそ肩身が狭い思いをしているが民衆受けは良かった。ジュリアス直々の依頼とあれば、父に頼らずとも引き受けてくれるだろう。


「わかった。くま……ぶふっ、そのくまさんを手配しよう」


「……今笑いましたね?」


 ジェフリーが上目遣いに睨めつけてくる。かわいげのない子供が来たものだと思ったが、薄皮一枚剥いでみれば素顔は年相応にかわいらしい少年であった。


 一か月ほどしてジェフリー待望の「くまさん」を手渡した時、大きなぬいぐるみに頬擦りする彼の姿を見て、その場にいた使用人たち含めて心がほんわかしたことを知らないのは、当のジェフリーただ一人である。


 高い実務能力があり、かつ容姿端麗で実のところかわいげのあるこの従卒を、ジュリアスが弟のようにかわいがり、見せびらかすために社交の場に連れ出すようになったのはある意味当然のことであろう。


 これまで社交の場を避けてきたジュリアスが、同じく社交嫌いで知られたヒューストン侯爵家の嫡男を連れて夜会や茶会にちょくちょく顔を出すようになったものだから、社交界は一時騒然となった。


 将来有望なジェフリーの元には未婚の令嬢たちがわらわらと寄ってくるようになった。が、すべて塩対応、だがそれがいい。そうしてジェフリーには『氷の貴公子』と綽名がつき、ファンクラブ的なものが令嬢や貴婦人の間で結成された。つまるところ、アイドルである。


 これは当時婚約者を選ぶ気がなかったジュリアスにとって、ちょうどいい虫よけになり、いよいよもってジュリアスはジェフリーを甘やか――じゃない、厚遇するようになったのだった。

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わたくしの弟なのだからズンドコかわいいにきまっている 先山芝太郎 @sakiyama_shibataro

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