第29話

 結局のところ。


 暗殺者はエイプリル王妃殿下——追い詰められたディオール公爵家に雇われた人間であると発覚した。生活苦から仕事を引き受けたらしいが、貧しくとも法を犯さず暮らしている人間はいくらでもいる。情状酌量の余地はない。暗殺者に関しては、密かに処刑が執行されたらしい。平民で、しかも王族に危害を加えようとしたらしいから、もっとも厳しい刑罰の一つ、八つ裂きの刑となったそうだ。


 そしてエイプリル王妃。いや、もう王妃ではないか。元々国王陛下から疎んじられていた彼女は、正式に離縁を言い渡され、『監獄島』と呼ばれる北方の島に幽閉となった。暗殺を企んで斬首や縛り首、火あぶりにならなかっただけまだマシだろう。プライドが高く強欲な彼女にとって、監獄島での厳しい生活は、ある意味極刑よりも厳しい沙汰であるのかも知れないが。


 セオフィラス殿下とヴァネッサの婚約は白紙に戻った。セオフィラス殿下に散々辛く当たられていてもお家のためと我慢していたヴァネッサに、宰相でもある公爵閣下はそれはもう平謝りであったらしい。家族との関係がどうなるかはわからないが、頻繁にヒューストン家の屋敷に来るところからすると、良好ではないのだろう。そんな彼女は最近、ユリシーズといい仲になり始めているらしい。ユリシーズは光属性持ちの有望株だ。友人として、ヴァネッサの幸せを願わずにはいられない。


 セオフィラス殿下は、王城でかなり肩身の狭い思いをしている様子。人事が次々と刷新され、本来彼が担うべきだった政務が回ってきているのだが、サボり癖のついているセオフィラス殿下はロクにそれらをこなせないのだ。かと言って軍事的な才能があるわけでも、領地経営の才能があるわけでもなく、下手に臣籍降下させるわけにもいかない。国王陛下もどう扱ったものかと悩んでいる模様。


 ワイズマン教授とスザンナは、有言実行のジュリアス殿下の提言で設立された王立魔道具研究所の所長と副所長に就任することが決まった。ワイズマン教授は書類仕事が増えたなんてぼやいているけれど、スザンナは好き放題研究ができる環境に、アカデミー卒業前からウキウキしている様子。ちなみにスザンナに恋人ができる様子はない。これからどうなるかは、わからないけど。例えば、ワイズマン教授との年の差婚とか、あり得なくはないんじゃないかしらね。


 ヴァネッサと出かけることが多くなったユリシーズは、卒業前から騎士団付の軍医としてもう仕事を始めている。軍医は、医者としての仕事以外にも覚えることが多いんだそうだ。体力も必要な仕事だ。実際に魔物討伐に随行もしているらしい。そんなユリシーズに、ヴァネッサが手ずから刺繍をしたハンカチを贈った、という事実を聞いた時にはひっくり返りそうなほど驚いた。以前のヴァネッサだったら、絶対にそんなことはしなかっただろうに。


 カチュア殿下は、だいぶ魔力暴走が押さえられるようになってきて、今では『魔力制御』のチョーカーを外して生活している。とはわたくしが家庭教師をしていること自体は変わりない。魔法学に対する興味が強いようで、王立魔法アカデミーへの入学を目指して学業に励んでいる。シェリーもそれに触発されたのか、カチュア殿下に負けじと勉学と訓練に励んでいる。二人とも才能のある子どもだから、将来が楽しみである。ユージンの騎士ブームは未だ終わる様子がないようなので、たぶんこれは一生続くだろう。彼はマイペースに騎士を目指している模様。


 わたくしの知らないところで(一部関わってるところもあるけれど)、政情も、周囲の人間関係も一気にまとまった。ディオール公爵家が大きく勢いを失い、宰相閣下がすっかり大人しくなったことで、宮中もジュリアス殿下を王太子としてお支えすべく一つにまとまりつつある。もはや他国が介入する隙はないだろう、というのがお父様の見解だ。


 そして、わたくしたち。


 一つにまとまったジュリアス殿下が選んだ婚約者がわたくし――王家を守る矛の一つであるヒューストン侯爵家の長女であるわたくしが嫁ぐこと自体は、特におかしなことではないのだけれど、これまで社交をサボってきたこともあって、おそらく令嬢がたからと思われる呪い付きの手紙が送られてくるようになった。国内でもトップクラスの魔法師であるわたくしに呪いとはいい度胸である。分析にかけて犯人は特定しているので、いつ告発するか、ジュリアス殿下と目下相談中だ。



「う゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛ッ」


 大泣きしているのは、誰であろう——社交界で『氷の貴公子』と呼ばれるジェフリー・ヒューストンその人である。


 こんな姿を見られたら——幻滅するか、新たな扉を開くかどっちからだろうなあ。どちらにしてもアレだな。などとわたくしは思う。


 今日はわたくしとジュリアス殿下の婚約が公表される日だ。正式にそういう式典があるわけではないのだが、慣例的に「婚約式」と呼ばれ、ヴァネッサとセオフィラス殿下の時もこの式典は行われた。


 婚約から結婚まで一定の期間を置くのは、婚約期間中どちらかに瑕疵が発生した場合に、婚約を破棄もしくは解消できるようにするためだ。つまり、婚約とは別居状態でのお試し婚とも言える――もちろん、両者が望めば同居する場合もあるらしいが。


 まあ、そうそう「瑕疵」なんてものは発生しないので実質結婚と同じだ。だから王族の婚約に関しては式典なんてやるわけね。つまり王家側有責で婚約破棄になったセオフィラス殿下の立場は相当ヤバいんですけれど。


 まあとにかく、これまで社交の場にほとんど姿を現さなかった『バタールの魔女』ことわたくしが婚約者に抜擢されたのだから社交界は大騒ぎだ。わたくしの異物感がすごい。


 いけない、現実逃避してしまった。今はこのをなんとかしないと……。


「ぼぐの゛あ゛ね゛う゛え゛な゛の゛に゛ごん゛な゛に゛ばや゛ぐお゛よ゛め゛に゛い゛ぐな゛ん゛て゛ぎい゛でな゛い゛ッ!」


 ――もう完全に駄々っ子である。


 厄介な小姑になりそうと思ってはいたけど、これ相当拗らせているわよね。とりあえず綺麗なお顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっているので拭きなさい。これはこれでかわいいけれど。


 床でばたばたと暴れている大きい子供(13)を、ジャスパーがげらげら笑いながら宥めている。一応涙と鼻水は拭ってやっているけどあなたそれ、煽ってるだけだからね?


 そう言えば小さい頃のジェフリーってこんな感じだったわねえ。わたくしが出かけようとするとこうしてばたばた暴れて引き留めようとするの。面倒だなあと疎ましく思いつつも、どこにでもついて回ろうとする弟が、愛おしくもあった。


 無条件に慕ってくれる誰かがいること。それは胸に暖かいものもたらしてくれる。いつだって、ジェフリーはわたくしを肯定してくれたものね。最近はツン成分が多かったけれど。ジュリアス殿下との婚約が決まって、子供返りしちゃったのかしら……。


 十三とは言っても、まだまだ子供だものね。ジェフリーは嫡男として厳しく養育されたからこそ、甘え足りないのかも知れない。それに——王家に嫁ぐとなれば、もう気軽に会える関係ではなくなるものね。


 そうは言っても——。


「もう、ジェフったら。婚約とは言っても正式な結婚はもう一年以上先よ? ジュリアス殿下が立太子されることが内定したのだから、わたくしも王妃になるための勉強をしないといけないし、王室入りはもう少し先。だからすぐに離れ離れになるわけじゃないわ」


「ほん゛ど……?」


 ずびっ、ずびっと鼻を啜りながら上目遣いでジェフリーが問うてくる。


 んあああ、ズンドコかわいいわね! わたくしの弟!


「ジェフリーは、本当にリジィが大好きだなぁ」


 その様子を微笑ましげに見守っていたのがジュリアス殿下だ。この光景を見て引かないとか強い。まあこの人もジェフリーのことをかわいらしい生き物としか思っていない節があるからね。仕方ないね。


「あっ、あねうえをリジィとか気安く呼ばないでくらさい」


「かわいいなぁ義弟~~~ッ」


「ぎゃああっ、抱き着かないでください! ちょっと、へんなとこ触んないでください!」


 ジェフリーは厄介な小姑になりそう——とか思っていたけど、この分だと心配なさそうね。ジュリアス殿下、ジェフリーが何やっても「かわいい」で済ませそう。わたくしと同じ匂いがするとは思っていたけど、こんなところまで同じとは……。


「ほら坊っちゃん、顔がぐちゃぐちゃですから、もうちょっと丁寧に拭いてください。ほら、この五ゼニー硬化を見てください。あなたは段々気持ちが落ち着いてくる、落ち着いてくる、落ち着いてくる——いち、に、さん、はい!」


 ジャスパーが穴の開いた硬化をジェフリーの前で振り子のようにぶら下げて催眠術をかけようとする。いや、そんなもの効果あった。


 揺れる硬化を見つめながらしばらくぼんやりしていたジェフリーだったが、その肩がびくんと跳ねる。そして周囲をきょろきょろと見回す。


「あれ……? 僕は一体何を……?」


 効果あるのか……本気か我が弟よ……。大丈夫かなこの子……。


 悪い大人に誘拐されたりしない? まあジャスパーが付いていれば大丈夫……なのか? そのジャスパーがだいぶ悪い大人な気もするけれど。


「さ、顔をお拭きになってください」


 ジャスパーは自分でやれと言いながらも、水で濡らしたハンカチでジェフリーの顔を拭ってやっている。この人もなんだかんだ言って、ジェフリーに甘いわよね。まあジェフリーはかわいいから仕方ないけど。


「姉上はジュリアス殿下なんかのどこがいいんですか……」


「ちょっとジェフリーくん? 仮にも主人に『なんか』は不敬じゃないのか?」


「そうねえ……」


 わたくしは考え込む。ジュリアス殿下のどこがいいか……。


 そんなこと、考えるまでもないわね。


「顔と地位と財力ね」


 わたくしが迷わずにそう答えると、ジュリアス殿下が喜劇バーレスクみたいにズッこけた。


「君、正直過ぎないか……? 少し傷つくんだが」


「あら、顔も地位も財力も、ジュリアス殿下の魅力の一つではありませんか。せっかく恵まれたお顔とお立場にお生まれになったのですから、それを利用して小娘一人篭絡して見せるくらいの気概がなくてどうします。仮にもあなた様は次代の王ですのよ。だいたい、最初にそれを引き合いに出したのはあなた様でしょう?」


「む、むう……」


「恵まれた容姿と地位と財力があったからこそ今のジュリアス様がいるのです。それに群がる令嬢たちに辟易されたからこそわたくしとあなたが出会ったのです。それを否定することはどうぞおやめになって?」


「はは、本当に……君には一生敵いそうにないな」


 苦笑するジュリアス殿下。この方は顔と地位と財力を差し引いた自分を見てほしいなんておっしゃるけれど、そんなことは無理よ。だって一生のお付き合いですもの。お顔は美しい方が良いし、甲斐性のある殿方じゃないといけないわ。


 それに、そのようなお立場に生まれたからこそ、今のジュリアス様はこのような方になれたのだから、そのお立場を否定することなんてできようはずもないわよね。


「むしろ100人くらいの愛妾を囲うくらいの気持ちでお構えになって。全員わたくしがいびり倒して差し上げますから!」


「思っていても予告しないでほしいな、そういうことは!?」


「ふふ、冗談ですわ。わたくしも貴族の娘として育ちましたから、浮気をなさるのも器の大きさの内と承知はしていますけれど、嫉妬くらいはそれなりにいたしますから。どうぞご承知おきくださいな」


 わたくしの言葉に、ジュリアスは思わず口元を抑えた。


「? どうかされまして?」


「……い、いや。思わずにやけてしまいそうになって……嫉妬、をしてくれるのか……そうか」


「まあ、毎日ジェフリーにメイド服を着せてにやにやしている方のお言葉ではありませんわ」


「毎日ではない。それは徹夜が二日目に入った時だけだ」


 キリッとした顔で言うことではありませんね。


「誉れ高き我がヒューストン侯爵家の嫡男にさせることではありませんが、写真を送っていただければ不問にいたします。ええと、焼き増しが……わたくしの分、両親の分、ジャスパーの分、ヴァネッサの分、スザンナの分、ベラ夫人の分……」


「姉上ェッ!」


 ふふ、いつもの調子が戻ってきたみたいね、ジェフリー。


 それはそれとして写真はもらうし、配るけど。


「とりあえず、抱きしめてもいいかい、リジィ?」


 抱き着いて来ようとするジュリアス殿下の前に、ジェフリーが立ち塞がる。


「こここ婚前交渉はダメです!」


 その言葉にジュリアス殿下の顔が微妙な感じになる。


「ええ……判定厳しいな……」


「うふふ、弟がこう言っておりますので」


「君も焦らすな」


「先に惚れた方が負け、ですわよ」


「そうかもな。……それで、君は俺に惚れてくれているのか?」


「……わたくしたちのラブストーリーはこれからですわ!」


「多方面から怒られそうな発言はやめてもらおうか!」


 間髪入れずわたくしのバカげた発言に対応してくれる。


 長い付き合いではないのに、そんなことができるわたくしと殿下はきっと相性がいいのだわ。


 恋愛譚のような劇的な展開はなかったけれど、わたくしたちはきっとこれでいいのよね。


 わたくしと殿下は、顔を見合わせて笑う。


 ジュリアス殿下は、ジェフリーをしれっと押しのけてわたくしの前に跪くと、わたくしの左手の甲に軽く口付けた。


 ……現金だけど、容色麗しい殿方にそんなことをされると少しときめいてしまうわ。


 ジュリアス殿下が笑って言う。


「じゃあ行こう、リジィ。この式典が終わったら、俺たちは国が認める正式な婚約者だ」


「ええ、ほどほどに頑張りますわ、ジュリアス」


 そう微笑みあって、わたくしたちは手を取る。


 自分で出会いのきっかけを作っておきながら、ジェフリーがさも不服そうにわたくしたちの仲睦まじい様子を睨んでいる。


 まったくもう。


 今日もわたくしの弟がズンドコかわいい!

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