第2話 少女は戻ってくるのか?

「コーラ取ってきたよ」


「ん、ありがと」


麟は持ってきたコーラを明日香に渡し、向かいに腰掛けジンジャーエールを啜る。


明日香はコーラでごくごくと喉を鳴らす。


勢いよく飲むものだ、げっぷとか怖くないのだろうか。


「というか明日香何を見てんの?」


「カップル」


明日香がどこかをジーとみているので聞いてみると、端的な答えが返ってきた。視線の方向を見てみると中学生くらいだろうか、男女のカップルが言い争いをしているようだった。


「明日香ってああいうの好きだっけ? どちらかというと興味ないと思ってたけど……」


「うーん、興味自体はないんだけど、あの子たち前にも見てるんだよね」


「この店で?」


「うん。先週麟が付き合い悪かったじゃん? 一人で来たんだけど、その時にもいたんだよね」


そういえば、先週は用事があって明日香と帰ることが少なかった。どうやら明日香は一人で来ていたらしい。


「お待たせいたしました~、ミックスグリルハンバーグとライスセットになります」


「あ、私のです。ありがとうございます」


明日香の前にドンッと料理が運ばれる。これから夕飯なのにこんなに食べて大丈夫なのだろうか。……大丈夫なのだろう、彼女は普通の人の2~3倍ぐらい食べる。それで太らないのだから大したものだ。どこに栄養が行っているのだろう、やはり頭だろうか。


麟はそんなこと考えながらジンジャーエールを口に運ぶ。


「麟はドリンクバーだけでよかったの?」


「流石に夕飯前だからね」


「ふーん、食後にパフェ頼むけど一緒に食べる?」


この期に及んでまだ食べるつもりなのか。


麟は苦笑して、「じゃあ、ちょっとだけ分けてもらおうかな」と返事をする。


明日香はパクパクとハンバーグを食べ進め、麟は途中で珈琲をとりに行く。


麟が帰ってくると、明日香はあくびをしながらも先ほどまでと変わらぬスピードで食べ進めていた。


「また、睡眠不足なの?」


「ん~、一応4時間は寝てるよ。でも、パソコンがやめられなくって……」


「できれば8時間は寝たほうがいい」


「でも授業の時間も合わせればそれぐらいは寝てるよ?」


確かに明日香は授業のほとんどを寝て過ごしている。しかも、それでダントツの学年一位なのだから誰も文句は言えない。前は説教をしてくる教師もいたのだが、持ち前の頭脳で完璧論破してしまったらそういう人はとんといなくなってしまった。


「昨日はなにやってたの?」


「メイプルと掲示板の巡回。今日はCODやるけど麟も来るよね?」


「12時までならね」


「麟はIN率低いけどいると助かるからもっとやりこん———」


「もういいよっっ!? 私帰るから‼‼」


明日香の言葉は、店中に響き渡る怒号で遮られる。


二人は驚いて声の方を向くと、カップルの少女のほうが怒りに満ちた顔で店を足早に出ていくところだった。


一人残された少年の方はというとぐったりと机にふさぎ込んでいるようだ。


「痴話喧嘩って奴かな?」


「そうだろうね、あのくらいの年齢だったらよくあるんじゃない?」


「今は中学生でもそういうのあるんだ。私はそういうの皆無だったな~」


明日香はぽけーとしながらコーラを飲んでいた。


「ていうか男の子の方は追いかけないんだ。漫画だと定番だけど……」


「現実だとそんなもんじゃない? それに食い逃げだと思われそうだし」


「あ~、それはたしかにそうかも」


麟と明日香はどこ吹く風だ。それも当然、同じ店にいるとしても彼らは何の関係もないのだから。


「というか僕としてはこの後どうなるか気になるな。鞄置いていっているみたいだし、あの男の子のどうするんだろ?」


「ちなみに麟の予想は?」


「う~ん、このまま男の子がお店を出て、女の子の鞄を返しに行くって感じかな?」


「私は女の子が戻ってくると思う」


明日香は躊躇わずにそう言った。


「なんか自信ありそうだね。なんか根拠あるの?」


麟がそう聞くと、明日香は少し困ったようだった。


「根拠ってわけでもないけど……。麟は何か根拠あるの?」


「別にないかな。経験則からって感じ」


「ふ~ん、じゃあ賭けようよ。女の子が帰ってくるかどうか」


明日香は先ほどまでとは違い、面白がるようなニマニマとした顔をしていた。


明日香は誰かと競い合ったり、勝負するのが好きだ。それには賭けも含まれており、明日香と麟はたわいもない賭けを日常的に行っていた。


「負けたほうがここの代金を支払う。それでどう?」


明日香にそう問われ、麟はしばし沈黙する。


別にここを奢るのは構わない。そう考えると賭けをしても良いのだが、明日香の面白がるような顔が少し気になる。というか、勝ちを確信しているような顔をしているのが気になる。彼女は意外と顔に現れやすいのだ。


「条件追加してもいい?」


そこで彼は折衷案をとることにする。


「どんな条件?」


「鞄だけ取りに来て、仲直りしなかったら引き分けでどう?」


鞄を置いていったということは、帰ってくる可能性はある。でも、そこからあそこまで大きな喧嘩をしたらなかなか仲直りはできないだろう。


麟は明日香が鞄を取りに女の子が帰ってくるとことに賭けていると考え、そのような提案をしたが明日香は意外とあっさり「うん、いいよ。というか、それだったら私の負けでいいよ」と承諾した。


それには麟も少し驚いたが、「じゃあ、負けたほうがおごりってことで」と賭けが開始された。


麟が少年の方を見てみると、少年はどこかに電話をかけているようだった。恐らくさっきの女の子のところだろう。これで帰ってくる確率が上がったわけだが、喧嘩の遺恨はそんなにすぐには消えないだろうと麟は思う。


明日香はというとハンバーグセットを食べ終え、メニュー片手に食後のデザートを選んでいる最中だった。


「麟ってチョコとイチゴどっちがいい? 私的にはプリンも捨てがたいんだけど……?」


「どれでもいいよ、明日香の好きなの選びな」


「えっ本当!? う~ん、選択肢が多い方が選び難いっていうのは贅沢な悩みだな~……」


明日香は頭を悩ませている。


食べたいのなら全部頼めばいいのに。彼女なら問題なく食べられるだろうし。


麟は珈琲を飲もうとしてカップを持ち上げるが、その重さで空なことに気づく。次は何を飲もうか考えながら立ち上がると、「ドリンクバー行くの? だったらホットの紅茶もお願い」と明日香は言ってきた。


麟は軽く頷いて席を立つ。そして先ほどまでとは違うルート、電話をしている少年の近くを通るルートでドリンクバーへと向かう。


電話の内容に耳を傾けてみると、少年が謝り倒し、電話の向こう側で少女が怒っているようだった。すれ違う時間も短いし、あまり露骨すぎると少年に悪いので足早に通り抜ける。この分では少女の怒りが解けるまでまだまだ時間がかかりそうだ。この勝負は珍しく僕が勝つかもしれない。


明日香のための紅茶、そして自分のためのカフェオレをもってテーブルに戻ると、明日香が注文をしているところだった。


「チョコパフェとイチゴパフェのハーフサイズを一つずつお願いします」


どうやら二つとも食べることに決めたらしい。流石にハーフサイズにしたようだが。


麟は明日香の前に紅茶を置くと「ありがと」と軽くお礼を言って、息を吹きかける。


「そういえば、明日香は何で女の子が戻ってくると思ったの?」


麟がそう尋ねると、明日香はカップを持ったまま軽く首を傾げ、「経験則?」と先ほどまでとは違うことを言った。


「というか、さっきも聞いたけど麟の根拠は何なの? 麟もやっぱり経験則?」


「うーん、それもあるけど中学生の喧嘩って長引きがちじゃない? 小学生ならすぐに仲直りとかもできるかもしれないけど、中学生は難しいと思う。それにこれは友達じゃなくて、カップルっぽいしね」


「そんなもんなんだ~」


明日香はぴんと来てないようだ。でも僕の経験としてはそんな感じの結論になる。それに加えて、先ほどの電話では仲直りまでには時間がかかりそうだし。


「明日香の経験則ってどんな感じなの?」


麟がそう尋ねると明日香は「大したもんじゃないよ」と答えた。


そして麟の後ろに視線を向けると、麟もつられてそちらを見る。すると店員さんがたっており、「チョコレートパフェのハーフサイズとイチゴパフェのハーフサイズになります」と俺たちに一つずつ配膳していった。


明日香はスプーンを手にすると、パフェ上部の生クリームを掬って口へと運ぶ。


「それで明日香の根拠って———」


麟がそこまで言うと明日香はスプーンで入口の方を指し示す。


行儀が悪いのでやめて欲しい。


麟が入口に目を向けると、そこにいたのは先ほど走って出て言った少女。


少女は少年に駆け寄ると抱き合い、互いに謝罪の言葉を口にした。


「私の勝ちだね」


麟が呆然としていると、明日香はさも当然といった様子でパフェを食べ進めていた。


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「明日香は何で仲直りするって分かったの?」


別に負けて奢ったことはどうでもいいが、種明かしぐらいしてもらわないと気が済まない。


そう思って聞くと、「ん? 経験則」と端的に応える。


明日香はこういう答え方をよくするけど、本人に悪気はない。聞かれたことを答えているだけなのだから。


なのでもう少し聞くためには、「経験則って具体的にはどういう経験から?」と言った質問をしなくてはいけない。


麟が聞くと、明日香は「この間もあの子たち見たって言ったじゃない?」としゃべり始める。


「この間も女の子が泣いて飛び出して行って、さっきみたいに抱き合ってたの」


「……、は?」


「だーかーらー、この間も同じことがあったから今回も同じかな~って思っただけだよ。本当にそれだけ」


明日香はすこしうんざりしながらそう言った。


麟としては詐欺にあった気分だ。だって、答えを知っているようなものだったのだから。


「……はぁ」


麟はため息をつき、そして苦笑いを浮かべる。


それで色々得心がいった。明日香が何故勝ちが分かっていたのか、そして突然の出来事に驚いた様子が一つもなかったことにだ。


二人はそのまま家に向かう。道は夕暮れに染まっていて、世界が赤く染まったようだった。


「ねえ、麟」


無言のまま歩いていると、明日香は突然足を止め、麟の方を振り返る。


「どうしたの?」


麟がそう問うと明日香は麟をまっすぐ見つめて口を開いた。


「もし、私がどこかに行っても麟は待っててくれる?」


「当たり前だよ」


麟はまっすぐ見つめ返してそう言った。


余計な言葉などいらない。それは天地がひっくり返っても変わらないことなのだから。


明日香は麟をまっすぐ見つめ続け、「そっか」と踵を返す。


二人はそのまま無言で歩き始める。


麟の様子はいつもと変わらず、でも明日香の顔は夕日に赤く染められていた。

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眠たがりの探偵姫 ゆーと @leafandrantan

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