眠たがりの探偵姫

ゆーと

第1話 勝手になりだすピアノ

「明日香、起きて。頼まれたこと終わったよ」


人のよさそうな顔を困ったように歪めた彼、梶井 麟は机に突っ伏している神原 明日香を揺するように起こす。


しかし、彼女は「う~ん、もう少し~」と眠たげな声で返事するのみで一向に起きる気配がない。


流れるような綺麗な黒髪、陶磁器のような白い肌、長いまつ毛が印象的な目元、吐息の漏れる唇、そして呼吸とともに上下するその姿態。眠っている彼女は童話の眠り姫のようでとても美しいのは間違いないが、だからと言って麟にとっては見慣れたものだ。


彼は彼女がタダでは起きないことを知っている。なので彼は鞄からチョコレートを取り出し、「ほら、チョコ好きでしょ? 食べていいよ」と口元に差し出す。


するとチョコの香りを感じたのか、鼻がすんすんと動き、今まで閉じられていた目がかすかに開いた。


「……チョコ食べていいの?」


「いいけど、起きてから食べなよ?」


麟がそういうと、明日香は緩慢な仕草で上半身を持ち上げ、麟の手からチョコを奪って口の中へ放り込む。


それを確認すると麟はすかさずお茶を差し出し、明日香もそれが当たり前かのような仕草でお茶を口に含んだ。


「ん~、よく寝たな。30分くらいか、麟ちょっと遅くない?」


明日香は伸びをしながらそう言った。自分は寝ていたのに文句を言うなんて厚顔無恥なこと甚だしいが、麟は全く意に介した様子もなく「とりあえず、鍵と話をざっくりとだけど聞いてきたよ」と答える。


「じゃあ、さっそくだけど行こうか」


明日香は立ち上がるとそう宣言し、さっさと扉に向かって歩き始めた。麟は毎度のことながらこちらの意向など意に介さない明日香に、ついつい苦笑いを浮かべてしまう。


麟と明日香の通う高校には先週あたりから、妙な噂があった。音楽室にあるピアノが独りでに鳴り出すといったものだ。噂自体が学校の七不思議のようだが、最近では確実に起こるその現象と語る人物の多さによって、学校中に広まっている噂だった。


「先生たちも困ってるみたいだよ? 被害がないから大きな騒ぎにはなってないけど、先生たちも見回りしたり、音楽室を調べてみたりしたけど分からなかったんだって」


「ふーん、先生たちも困ってるんだ。でも、先生たちが調べたけど原因がわからなかったっていうのはポイント高いな~」


「もちろん、音楽が鳴っている時に鍵はしまってたし、中には誰もいなかったみたい」


「中には誰もいなかったっていうのはどうしてわかったの? 音楽なっている時に鍵使って中を調べたとか?」


「ううん、一人が扉を見張ってる最中にもう一人が鍵をとりに行ったみたい。入ったときには音楽が鳴りやんでたみたいだけど、人の影はおろか怪しいもの一つなかったってさ」


「ということは完全な密室だった、ってことか」


密室殺人、ではないけれど、明日香の好奇心を刺激するには十分だ。音楽室は完全な密室、だが中ではピアノが奏でられているというのは確かに明らかに事件と言ってもいいほどのトラブルだ。先生たちが困っているというのもあながち間違いではないのだろう。


でも、


「でも、密室の中で殺人が起こったならまだしも、音を鳴らす方法なんていくらでもあると思うけどね~」


明日香はこともなげにそういう。


「ということは、もう大体わかってるの?」


「う~ん、どうだろ。10個くらい方法は思い浮かんでるけど、それが正しいかどうかは何とも言えないかな~」


麟は思わず肩をすくめる。


つまり、明日香にとってもはやこの噂は解決すべき問題ではなく、答え合わせをするだけのものになってしまっているということだ。


相も変わらず普段の眠たげな姿からは想像もできないほどの頭の速さだ。その反動で変人っぽい部分が出てしまっているのかもしれないが、麟はその部分は特に気にしていないどころか、彼女の愛すべき長所だとすら思っていた。彼女が何かをしている姿は美しい、彼は明日香に恋愛というよりも崇拝に近い感情を持っていた。


二人は雑談をしながら音楽室を目指す。この高校には音楽室は3つあるが、そのうち噂のもととなった音楽室は2つ。つまり、1つは勝手にピアノが鳴り出すといったこともない普通の音楽室というわけだ。


二人が最初についたのは、その旧校舎の音楽室。


麟は職員室から借りてきた鍵を取り出し、音楽室の扉を開ける。扉を開けるとすこし埃っぽい空気が流れだしてきた。


「この音楽室って初めてきたかも。なんか音楽室っぽくないような……?」


「ここは軽音楽部が練習で使う部屋みたいだよ。あんまり授業では使わないみたい」


「だから来たことなかったのか。このブースみたいなところで練習するのかな?」


この音楽室にはピアノこそあるものの、ほかには古びたスピーカーと椅子がいくつかあるだけで殺風景なものだった。しかし、ほかの音楽室にはない防音室のブースがが3つあり、軽音楽部の部室のようになっているようだ。


「確かこの音楽室だけはピアノ鳴らないんだっけ?」


「今のところはね。何かわかったの?」


「別に何も。というか、ここだけ鳴らないっていうのは、ここだけ鳴らせないって思ったほうがやっぱり自然だよね」


「やっぱそう思う? でも、ここだけ鳴らさない理由があるのかもよ」


「う~ん、まあそうだったらそれはそれでいいんだけど、ちょっと面倒臭いんだよね~」


明日香は部屋の中を物色しながら、顔をしかめる。


「例えばさ、ここの部屋で出来ないからピアノを鳴らさないのだとしたら、トリックがある程度絞れるじゃん? でも、この部屋でも出来るけど何らかの理由があってやらないんだとしたら、トリックが絞れないじゃない? そうなると、犯人の動機とかも考えなくちゃいけないから面倒くさいんだよね」


「明日香的には犯人の動機とかどうでもいい感じ?」


「うん、どうでもいい感じ」


明日香は「ふぅー」と大きな吐息を吐くと、「もうここはいいや、次いこ」と扉に向かっていった。


麟は慌てて音楽室に鍵をかけて、明日香を追いかける。


「次の音楽室は北校舎だっけ?」


「えっ? あ、うん。北校舎3階の突き当たりのところ。そこはほとんど毎日鳴っているらしいよ」


「そっか」


明日香はどこか遠くを眺めながら答える。


彼女は何を考えているのだろうか。麟はふとそんなことを考える。まあ、彼女の考えていることなど今日の夕飯くらいなもので、何も考えてないことが大半なのを彼は知っていた。


でもそう考えずにはいられないほど、彼女の顔は物憂げで、有り体に言えばに魅力的だった。


そんなことを考えていると、音楽室についていたようで、明日香が「麟、早く開けて」と憮然とした感じで言ってきた。


麟は笑ってしまいそうになるのを堪えて、「ちょっと待ってね」と鍵を取り出す。


北校舎の音楽室。そこは先ほどの音楽室とは異なり、ピアノやメトロノームと言った音楽室にありがちなものだけでなく、プロジェクターやパソコンといった先進的な機械がいくつもあった。この部屋は音楽室としてだけでなく、教材ビデオなどを見るための視聴覚室としての用途もあり、それを反映した部屋となっていた。


部屋に入ると明日香は先ほどと同様に部屋を物色し始める。


「もしかして、この部屋ってさっき言ってた中を調べても人がいなかったっていう部屋?」


明日香が突然そんなことを言い始める。


「確かそう。でもなんでわかったの?」


聞いた限りでは先ほど話に出た、一人が扉を見張ってる最中にもう一人が鍵をとりに行った部屋というのは、この北校舎の音楽室のことで間違いない。


「ん? いや、音楽が鳴りやむまで鍵なかったんでしょ? だったら、一番職員室から遠いこの音楽室かな~って思っただけだよ」


明日香は何やらスピーカーを弄りながら事もなげに言った。


まあ、2分の1だし驚くほどではないが、音楽が鳴りやむまで鍵なかったという事実と職員室から一番離れているという立地的な条件をつなぎ合わせるというのは驚愕に値する。


明日香は5分ほど音楽室を物色すると「ここももういいや、次で最後だよね?」と突然立ち上がり言った。


「うん、次で最後だよ。僕たちがいつも行ってる音楽室」


「あそこか~。ちょっと遠いな~」


「一番最初にしとけばよかったね」


明日香と麟はそんな会話をしながら、次の音楽室へと向かう。


最後の音楽室、新校舎の音楽室につくころには窓の外は暗くなってきており、夕日が差し込んできていた。


いつも通り鍵を開け中に入ると、先ほどまでとは違い、明日香は一直線にスピーカーへと向かい、いきなりしゃがみ込むと「お、あった~」と何かを手にしていた。


「ねえ、それ何?」


「ん? USBメモリー」


明日香は手に持っていたものを麟に放る。麟が危なげもなくキャッチすると、それは確かにUSBメモリーだった。


「もうわかったからいいや。早く帰ろ?」


明日香は退屈気ににあくびをしながらそう言った。


誰が何のためにこんなことをやったのか、本当に一切の興味がないのだろう。そこが彼女の長所であり、短所でもあるのだけど。


麟は思わず苦笑いをしてしまい、明日香が音楽室を出たのを確認すると鍵を閉める。


その後は二人で教室に戻り、職員室で鍵を返すと帰路に就いた。


「それでどういうトリックだったの?」


「気になるのかね、ワトソン君」


「気になるから聞いているんですよ、ホームズさん」


「別に大したことじゃないよ。さっき渡したUSBメモリーで音楽再生しただけ」


明日香はあくび交じりに話し始める。


「まず最初の音楽室だけど、そこだけ鳴らなかった理由は単純。USB対応のスピーカーがなかったから」


「ということはピアノが鳴っていたわけじゃなくて、スピーカーが鳴ってたってこと?」


「うん、そうだよ」


「じゃあ何でピアノが鳴るっていう噂になったの」


「知らないよそんなの」


彼女は吐き捨てるようにそう言った。


本当に自分が興味を持ったこと以外はどうでもいいらしい。おそらくだが、頭の片隅ですらそんなことを考えていなかったのだろう。


「最初は無音で最後の何分かだけ音楽なるようにすれば、セットした何時間か後に音が鳴る。そういう音源を作って、USBメモリーで再生すれば密室にもかかわらず、音が鳴るピアノの完成だよ」


「でもそれだと、CDでも良くない? それにそれだとスピーカーの電源が入りっぱなしだと思うけど……」


「CDは90分しか録音できないし、なり始める少し前に音楽室いると怪しいと思われたんじゃない? あと、スピーカーは操作がないと3分で自動的に落ちる設定になってた。だから音楽が鳴りやんだ後に音楽室を調べても怪しいところがなかったんだよ」


明日香はまたあくびをする。


「あっ、これ忘れないうちに渡しておくね」


彼女はそう言って、またUSBメモリーを放ってきた。


「北校舎にもあったよ、あとで先生にでも渡しておいて」


「あったならその時言ってくれればいいのに……」


「まだそれが原因か確証がなかったんだよ。あんまりそういう時に賢しらなことを言うのは好きじゃない」


ふむ、本当にホームズみたいなことを言うものだ。


「この後どうする? ファミレスでも行く?」


「うん、お腹減ったし何か食べたいかな!」


「じゃあ、適当なところ行こうか」


麟がそう提案すると、明日香は嬉しそうに「どこがいいかな~!」とスキップして麟の少し前を歩く。


麟はそれを見て、同じく嬉しそうに笑い、USBをそっと鞄に滑り込ませた。

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