第13話
アムリはルシアンを確認してから、据わった目でミハエルたちを睨みつける。
「ルシアン様を解放しなさい。今なら許して……」
「ぐあああっ!」
左足を突き刺された。
「おい、メスガキ。誰が喋っていいって言った? お前が少しでも動けば、ルシアンを殺す。次は無い」
アムリは目を見開き、凝然と固まる。
「いいか、よく聞け、クソガキ。魔術を使っても無駄だ。障壁付きの装備があるからな。使った瞬間、このカスは死ぬ。容赦はしねえ。で、このカスを助けたければ、お前が死ね。そしたら、ルシアンだけは助けてやる」
「逃げろ、アムリ!」
「ボルト」
突き刺さった剣から電流が奔り、体を内側から焼かれるような激痛に視界が白む。アムリの両目からは大粒の涙がこぼれ、唇をかみしめていた。
「喋るなよ、ルシアン。せっかくメスガキがお前のために来てくれたんだ。お前が暴走して死んじまったら、意味が無いだろ? なあ?」
「にへ……ろ」
「キロボルト」
再度の電撃で痺れて口が回らない。
「おい、ジャリガキ、今から俺がてめぇを殴る。大人しく殴り殺されれば、お前の大好きなルシアンは助けてやるよ。愛ってやつを示してみせな」
ミハエルに目配せされたシャルロットは剣を抜き、それをルシアンの首につきつけた。アムリは黙ったままミハエルをにらむ
「逃げんじゃねえぞ!!」
ミハエルは笑いながら駆け寄り、渾身の一撃をアムリの顔にねじこんだ。アムリはのけぞるだけで、倒れはしない。怒りの火を灯した眼光で睨み返すだけだ。
「このガキ……! どこまで耐えられるか見ものだなぁっ!」
ミハエルは笑いながら拳を叩きこむ。だが、アムリは動かない。一言も発さない。その場でひたすら殴られ続けた。ルシアンが「やめろ」と口を開けば、シャルロットの電撃で黙らされる。
「シャル……やめさせてくれ……頼むから……」
「頼まれても困るんだけど?」
冷淡な声で返される。
「相手は子供だぞ……」
「だから?」
「だからって……」
「あのさ、ウザいから言っとく」
ため息まじりにシャルロットは肩をすくめた。
「私があんたに近づいたのは、ミハエルからあんたの剣術の
頭を踏みつけられた。
「あのツボもミハエルがお金を集めろって言ったから。詐欺に決まってるじゃん。でもさ、あんた、私に惚れてるから利用してやったの」
頭の上で甲高い笑い声が聞こえた。
「私、弱い男に興味無いんだよね。いい加減、眼中に無いってわかれよ」
わかってた。
わかったうえで、見ないフリをしてきた。自分に都合のいい妄想を重ねて、もしかしたらミハエルに脅されて言うことを聞いているのかもしれない、とか考えていた。
わかった。もうすがらない。
自分が惚れた女は最初からいなかった。ただのクズで救いようのない悪女だ。認める。受け入れる。そのうえで尚も悪女に縋るよりほかない。
「……俺がウザいのも弱いのもわかったよ。お前に利用されたことも気にしない。笑顔で許すよ。だから、アムリのことだけは許してやってくれ。あいつは……」
こんな価値の無い自分を大切にしてくれた。
それが真実なのかはわからない。もしかしたら、浮浪児とういう過酷な環境で壊された心から生まれた偽りの感情なのかもしれない。
それでも、優しくしてくれたのだ。
「俺はどうなってもいい……だから、アムリのことは助けてくれ」
「あんた、忘れてるかもしれないけど、私もあのガキにやられてるんだよね」
顔を思い切り蹴られた。
「止めるわけないじゃん」
月明かりの下、シャルロットは獲物を前に舌なめずりするような笑みを浮かべていた。綺麗だと感じてしまう自分がわからなかった。
本当の邪悪というものは、美しい虚飾で人を惑わすから邪悪なのだろう。
不意にアムリが殴り飛ばされた。木の根元にもたれかかるアムリの顔は、誰だか判別できないほどパンパンに膨れ上がっている。
「もう、やめてくれ……」
「ミハエル、もうトドメ刺しちゃいなよ」
「おう」
ミハエルが鞘から剣を抜き――
「アムリっ!」
――少女の胸に突き立てた。
アムリは驚いたように潰れた目を開いてから、ルシアンを見る。
そして静かに微笑んだ。
「あああああああああああああっ!!」
もがきながら這うようにアムリのもとへと近づいていく。そんなルシアンを見てミハエルは大声で笑っていた。
「あはははは! おいおい、どうしたんだよ? 虫みたいじゃねぇか、ルシアン」
シャルロットは冷然とした口調で「こいつも殺したら?」とミハエルに言う。
「すぐ殺したらかわいそうだろ? お前に騙されて、メスガキ殺されて……しっかり絶望させてやらねえとな!」
全身を使って這いながらルシアンはやっとアムリのもとにたどり着いた。
「アムリ!」
女神のように整った顔立ちは見るも無残なほどに変形し、鼻や口から鮮血が零れ、白い髪には赤黒い血がこびりついている。
「どうして……」
どうして逃げなかった? どうして戦わなかった?
逃げてよかった。自分の身を一番に考えればよかったのだ。
「よか……っ……ご……無事で……」
アムリがいつくしむようにルシアンの顔に手を添えた。
「まだ生きてんのか? とっととくたばれ」
ミハエルが無造作にアムリから剣を引き抜く。血が流れる。アムリが大切にしていた服が真っ赤に濡れていく。
アムリの体から血が……
真っ赤な血が。
命とともに流れていく。
視界が赤くなっていく。血のように。炎のように。怒りのように。
(殺す……)
全身が憤怒によって内側から焼けただれていく。
熱かった。悲しかった。切なかった。許せなかった。
無慈悲な敵も。無力な自分も。献身的なアムリさえも。
目の前の現実が。世界の全てが。
憎くてしかたがなかった。
「殺す! 殺してやるぁぁぁぁつ!!」
叫んだ瞬間、真っ白な空間に放り出された。
『結局、またこうなってしまうのね……』
頭上から声がする。怒りの赴くまま、声の主をねめつけ上げる。
白いローブのような服を着た女だった。
だが、顔はボヤけていて見ることができない。
『あなたにとっての生は苦痛の連続だった。むしろ、この場で終わらせるほうがその魂は救われるかもしれない』
アムリが死んだ。
『彼女たちは因果へ叛逆した。それは抗いようの無い罪。罪には神によって罰がくだされる』
アムリに罪は無い。
『罪無き者など、この世にはいない。誰もが地獄の底で揺籃される亡者にすぎないのだから』
罪人はアムリじゃない。
『あなた自身が地獄の業火。あなたの行末に救済は無い』
かまわない。
『……愚かで悲しい人。生に価値があり、死に意味は無いと言うのは地獄を知らない愚者の言葉。あなたは己の生存のために、多くの他者を踏みにじり、屍山血河を生み出す。その力が、あなたにはあるの、ルシアン』
力が欲しい。
『あなたが望むなら、私はあなたに力を与えましょう。地獄を生み出す力を』
アムリを救う力が欲しい。
『…………』
俺はどうなっても構わないから。
『そう……私の知るあなたと少しだけ違うのね……』
頭を内側からハンマーで殴られたかのような衝撃が走った。なにかが頭の中に入り込んでくる。
『私はあなたに禁忌の知識を与えるだけ。それをどう使うかはあなた次第……』
君はいったい……。
『もう二度と、あなたと会わないことを願うわ、ルシアン』
一瞬だけ、女の顔が見えた気がした。
どこかで見たことのあるような、そんな悲しげな微笑みだった。
次の瞬間、ルシアンは再び不自由な肉体に戻る。
「あぐぁっ!」
脳が攪拌される感覚。世界が周り、頭が焼けるように痛む。血反吐を吐いた。それを見てミハエルが笑っている。
(今のは……)
なにがなんだかわからない。だが、アムリを救う方法はわかった。
わかってしまっている。
(生物は細胞というもので構成されており、細胞は分裂を繰り返して入れ替わる。傷が治るのは細胞分裂による修復の結果……)
どうして、そんなことを知っているのか、わからない。わからないが……。
(そうか、治癒魔術の理屈は細胞分裂の増進。だが、アムリの傷は深いし、細胞分裂には細胞ごとに限界値がある。足りない部分は……細胞には幹細胞と呼ばれる種類の万能細胞がある。それを作り出してしまえば、傷はふさげる)
魔術とはこの世界を意識の力で上書きすることだと言われている。
それがマナと呼ばれる生命エネルギーだ。
頭の中で術式を組み上げていく。
ルシアンはアムリの手の平に口づけをしながら魔術を発動した。
――
アムリの体が光り輝き、傷が消えていく。その光景に驚き固まるミハエルとシャルロット。
「やっぱりバケモノじゃねぇか!」
ミハエルが再び剣を突き立てようとしたところにルシアンが体ごとアムリに覆いかぶさった。背中に灼熱。剣で貫かれる。
「なに邪魔してんだよ、てめぇっ!」
叫びながらミハエルが剣を引き抜く。激痛と後悔のなか、アムリのぬくもりを確かに感じた。生きている。死んではいない。ルシアンの安堵に呼応するようにアムリは目を開く。
「ルシアン……様……?」
「死ねよ、バケモノっ!」
ミハエルがアムリめがけて剣を振り下ろした瞬間、ミハエルの剣が光った。遅れて雷鳴が鳴り響く。ミハエルとシャルロットが稲妻で貫かれながら吹っ飛んだ。
「ルシアン様! 嫌です! ルシアン様っ!」
アムリは半狂乱になりながらルシアンを抱きしめる。
意識が遠くなるなか、再び魔術式を構築。
――
全身から痛みは消えていくが、体が寒くなる。かなりの熱を使うらしい。背中の痛みも左目の熱も綺麗さっぱり消えていく。
「ルシアン様……?」
「バカが……なんで逃げなかったんだよ……?」
「だって、私はルシアン様の妻ですから!」
泣きながら叫んでいた。まだ、そんな妄想を言っているのか? と思う。
「縛られてるから、ほどいてくれ」
「はい!」
アムリに腕を縛っていたロープをほどいてもらい、そのまま足の拘束も解いた。立ち上がれば、シャルロットとミハエルが伸びていた。意識はない。魔術障壁のある装備さえ貫かれたのだから、あるいは既に死んでいるのかもしれない。どうでもいい。
激情の赴くまま転がっていた剣を拾い、ミハエルへと近づいていく。
(闇墜ちか……)
アムリの妄想どおりなら、この世界や他者へ、憎悪や絶望を感じる度に強くなる
(どうやら俺の
だが、先ほどの白昼夢で出会った人物の記憶は、既にかすみがかっており、その顔も思い出せない。男だったか女だったかも曖昧だ。
昏倒しているミハエルの前に立った。
(こいつらはクズだ。生かしておく価値なんて無い)
今もなお憎悪の炎は燃え盛っている。
怒りの赴くままルシアンは剣を振りかぶった。
瞬間、シャルロットの微笑みが脳裏を過ぎる。偽りの笑顔。邪悪が纏う虚飾。実が無いからこそ美しく、人を惑わせる。だと言うのに……。
(こいつは憎めても、シャルは憎めない……)
完全に未練は断ち切っている。だが、好きだった事実は変わらないし、それでも尚、幸せになってほしいと願っている自分がいた。
(甘いんだよな……ほんと、自分で自分が嫌になる……)
シャルロットはミハエルに惚れている。クズ同士お似合いのカップルだ。
「……アムリ、お前はこの二人をどうしたい?」
「え?」
「俺はシャルロットに惚れてた。こいつを殺す気にはなれないし、このクズ女から惚れた男を奪うのも気が乗らない」
振りかぶっていた剣を下ろす。
「アムリが一番の被害者だ。お前が決めろ」
「……ルシアン様はどうするべきだと考えておられるのですか?」
「クズとはいえ、殺人は罪だ。先に攻撃されたと主張したところで、お前も俺も傷が消えちまってる。証拠が無い。正当防衛だと主張してもギルドも司法官も聞く耳持たないだろうな」
ため息をつく。
「殺して死体を処理すれば、行方不明扱いで、俺たちは罪に問われない。でも、罪は罪として残る。俺個人の願望としては、子供が人を殺す光景は見たくねーよ」
小さく肩をすくめた。
「でも、お前に正論を強要するつもりもない。俺だって殺したいよ、このクズども。ただ、まあ、クズを殺して罪の意識感じながら生きてくのもな……」
アムリが殺されていたら、殺していたかもしれない。だが、彼女は死なずに生きている。
「だから、アムリの好きなようにしたらいい。死体の処理くらいは手伝うさ」
もし、アムリが復讐を選んだら、もう一緒にはいられないとは思う。
「……私は痛みに慣れています。ですから、先ほどのようなこと、それほど苦ではありません。この方たちへの恨みより、ルシアン様を優先できた己を誇る気持ちでいっぱいです」
思いどおりの結果になったとはいえ、喜べるような言葉ではなかった。きっと、目の前の少女はルシアンが「殺せ」と言ったら、なんの躊躇もなく行動に移すのだろう。
「ですが、殺さないとするなら、この方々はどう処理しましょうか?」
「事情を話して司法官に突き出すしかないだろ。法で裁いてもらうさ。まあ、証拠が無いからすぐに釈放ってことになりそうだけど、それならそれで脅して追っ払う」
「脅すのですか?」
「俺も平穏な生活は死守したいからな。お前が本気で脅せばチビって逃げ出すだろうよ」
「承知いたしました。ですが、少々罰が軽いかと思います」
アムリは倒れたミハエルに手を添えた。しばらく目を閉じ、すぐに手を放す。同じことをシャルロットにもしていた。
「なにしてんだ?」
「魔術で
「そんなことできるのかよ?」
「はい。神との繋がりを遮断するだけです。私たちのように禁忌の叡智を理解していれば、この呪いも簡単に解けますけど、寵姫以外にそんな人物がいるかどうか……」
要するに無神者の仲間入りということである。
ミハエルとシャルロットに待っている未来は、そこそこ地獄だ。いろんなモノを諦めながら自分の弱さを受け入れ、希望を持たずに生きていくしかない。
「ま、生き地獄に堕とすってのも復讐としては正しいか……」
「これでルシアン様のお気持ちが少しでも晴れれば良いかと」
朗らかに微笑んでいた。まるで、先ほどまでの惨事など無かったかのように。
(こいつにとって酷い事は日常だったんだろうな……)
だから、気にしない。そういう機構が欠落している。命を狙われるのが日常だったルシアンが常に猜疑心を持っているのと同じように、人として何かが欠けているのだろう。
憐れな女だと思った。自分と同じだとも思った。
だから、少しだけ信じられる気がした。
「体の具合は大丈夫か?」
「体は大丈夫なのですが、その……ただ、ちょっと服がきつくなった気がします……」
「それ、たぶん、蘇生のタイミングで全身の細胞分裂が進んだんだ。ほんの少し成長したのかもしれない」
「なるほど。どうりで胸の辺りがきつかったんですね」
そう言われた瞬間、とたんに目のやり場に困ってしまった。剣で刺されたり殴られたせいで、アムリの服はボロボロだった。まだ子供とはいえ、見てはいけないモノを見てしまった気がする。
「……とりあえず、こいつら縛って運ぶぞ」
アムリが「承知しました」と笑顔でうなずく。
「――殺せばいいのに」
その声に振り返る。
月明かりの下、一人の少女が立っていた。
燃えるように輝く赤い髪にエルフ族特有の耳。年かさはアムリと同じくらいだろうか。意思の強そうな瞳にスッと高い鼻筋。アムリも美少女だと思っていたが、エルフともなると、神々しささえある。
不意に消えたと思った瞬間、再び声がした。
「あなたらしくないわ。汚れるのが嫌ならあたしが始末するわよ?」
エルフの少女はミハエルの頭を踏みながら、ルシアンを見ていた。
「誰だ、お前?」
アムリがぴょんと跳ねる。
「リーシャ様!!」
そのままエルフの少女へと駆け寄り、抱き着いた。
「あなた、もしかしてアムリ!? あたしより小さくない!?」
「この当時はまだ十二歳なので……リーシャ様はお変わりないようで安心しました……」
「それは、あたしがチンマイってこと?」
リーシャと呼ばれたエルフの少女はアムリの頬をグニグニと揉んでいた。
「しゅ、しゅみまふぇん」
「言っとくけど、この当時で三十七歳! あなたの三倍以上年とってるんだから! もっと敬いなさいよ」
「ひゃい」
うなずくアムリの体をリーシャがまさぐっていく。
「あたしのアムリの胸が、こんなぺったんこに……まあ、これはこれでいいわね」
「そ、そんな風に触らないでください」
「いいじゃない。チビアムリなんて今しか堪能できないんだから。か・わ・い・い♪ もう食べちゃいたいわ♪」
二人とも笑いながらじゃれあっていた。ミハエルを足蹴にしつつ。
「アムリの知り合いなのか?」
リーシャは怪訝そうにルシアンを見てきた。「どういうこと?」とアムリに尋ねる。ミハエルを足蹴にしつつ。
「ルシアン様の頭までは……」
「そう……ダメだったのね……」
「意味ありげに人をバカっぽく言うの、やめてくれる?」
ルシアンのツッコミを受けたリーシャはアムリを解放し、足元のミハエルを蹴飛ばしてから、ルシアンへと近づいてきた。
そのままビシッと指さしてくる。
「あたしはリーシャ・オルト・エルデリーヤン。あなたの89番目の嫁よ」
また頭のおかしい子供が増えた、と暗澹たる気分になるルシアンだった。
※こちら、13話で打ち切りとなります。
今後、キャラクターや設定をどこかでリサイクルすることはあるかもしれませんが、ルシアンの物語はここで一度終了とさせていただきます。
未来から転生してきた108人の嫁が無能な俺の闇堕ちを全力で阻止してくる件について TANI @aiueo1031
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