キャンベル市辺り

三崎伸太郎

第1話

キャンベル市辺り 

三崎伸太郎  05・18・2020

一章:古い町の古い人々

アメリカ、カリフォルニアにあるキャンベル市は小さい古い町だ。サンホセ市の近くにあり、ここが市として独立しているとは気づきにくい。

市庁舎の近くに古い町並みがある。短い一本の通りの両側に昔の古い小さな消防署と建物が並んでいた。現在、消防署はミュージアムになっていて、昔の消防に関する器具が並べてある。その横手にイタリア系移民が所有する小さなモール (小さな商店街) があった。昔の宿泊場所で、馬車の駐車場だった中庭に面して、中央の奥まったところには、三階建ての古い木造建築がある。手前にのほうに小さな店が10店舗、対になって並んでいる。店の数は、木造三階建て家屋の一階にある二つの店を含めると12店舗になる。中庭には二三の大きな木が立っていた。

通りに面した部屋は時計の修理屋で、店の親父が木から落ちる種が飛び散るのを見て、あれを吸い込むと肺をやられると言ったのは三年前だった。それが医学的に正しかったのかはさておき、時計屋の親父は亡くなった。この付近のアパートに住んでいたイラン系アメリカ人の男性が、この小さな街のア-ンテイーク・ショップからヒントを得てオンラインのインタービジネスのモデルとなったイーベイ(eBay)を設立した頃、この古めかしいモールのオーナーは、80歳を超えたイタリア人の女性だった。彼女は月に一度、娘の運転する車で集金に来た。足が悪いようで車からは出なかったが時々ハンカチで鼻をかんでいる姿を見た。家賃は最初350ドル(3万5千円)で、高くはなかったが店子の人達はオーナーが死んで娘や息子が引き継ぐと高くなるだろうと話していた。

宮崎一郎の家内の多恵子が小さな店を借りたのも、丁度その頃のことだ。当時、店のほとんどはアンティークの小さな店で、店のオーナー達もアンティークのような高年齢者ばかりだった。

多恵子が一番若く、店舗のオーナー達は彼女がアンティークをビジネスにするには未だ若すぎるので、最初は見くびっていた。しかし、彼女の商売のセンス良さに驚いて、次第にすこしづつ近づいてきた。

多恵子が店をやりたいと言い出したのは、夫の稼ぎが悪かったからだ。彼達には六歳になる息子がいる。多恵子が定職に就かなかったのは「教育は大切、したがって母親は家に居るのが一番よい」という夫の意見に従ったに過ぎない。夫の一郎は、日本からアメリカに上陸した食品会社で働いていた。多恵子と一郎はロス・アンゼルスで出会った。一郎は小さな新聞会社でアルバイトのような仕事をしていた。その前は鮨屋の皿洗い。最後はナーシング・ホーム、これは多恵子が経験だと言って彼に勧めた。給料は極端に安かった。

一郎は多恵子と結婚して彼女が妊娠すると、知人の伝(つて)で食品会社の配達とセールスを兼ねた仕事に就いた。

数年後、会社はサンホセに支店をだして、一郎が赴任することになった。一郎の給料は相変わらず安かった。

多恵子は悩んだ結果、小さな店を持つことに決めた。

当時、キャンベル市の中心街は古い街の様子を呈していた。

多恵子の横は年齢が七十歳近い白人のダーナの店で、やはりアンティーク店である。当時、彼女の旦那はまだ生きていて、時々店に来ていた。元軍人の亭主は口数が少なく、店に立ち寄ると直ぐに帰って行った。ダーナは乳癌で乳房を取っている。数人の姉妹がいたが皆癌でなくなり、ダーナはいつも自分の健康を心配していた。そして、月に一度は美容院で散髪をした。

対面はユダヤ系のフェイリスで商売がうまく、アンティークの商品も良いものが店に並んでいた。彼女の亭主も元軍人で、フェイリスと喧嘩をするたびにポケットから櫛を出して髪を整えた。奥面に位置する隣の店が商売をやめて店を空けると、フェイリスは直ぐに店の権利を借りて二店舗をつなぎビジネスを拡張した。フェイリスの店の側面の通りに面した店は人形店。オーナーは学校の事務と、週末や特別な日には教会のピアノを弾いている。店は時々しか開けない。多恵子と仲が良かった。彼女の亭主も又軍人で、高齢ながらバイクに乗っていた。殆どの店のオーナは女性で、年齢が年齢だけに亭主は「元軍人」になる。要するに第二次世界大戦で軍人だった男性達だ。

キャンベル市という、古い街の古いアメリカ人の中に入った女房の多恵子を、一郎は楽しげに見ていた。我々は日本人だから、相手はどう出るか面白いよねと身勝手なことを言った。

反対のモールの入口が時計屋だ。彼は、時計の修理だけでは十分に稼げないと、夜はセキュリティー・ガード(守衛)の仕事を続けていた。

ダーナの横は、画家が画商を営んでいる。画家は正面の建物の二階にもいて、彼は数人の生徒に絵を教えている。私達は画家の姿をめったに見なかった。それでも数ヶ月に一度ぐらいは、偶然に出くわした。長身の白髪の老人で誰とも話したがらない。直ぐに自分の住居兼アトリエに上がって行く。

画廊の横にネイル・ショップがオープンしたのは、かなり後のことだ。オーナーはベトナム人で、旦那はギャンブラーだと噂に聞いた。この話は本当だったようで、後で旦那が博打で儲けたとかで一軒家を買った。そして、しばらくするとその家も売り払った。つまり、博打で大損したらしい。直ぐに彼女は他のベトナム人に店を売ってラスベガスに引っ越した。彼女の亭主は一人娘にギャンブラーのノウ・ハウ(実際的知識)を、小さい頃から教えていたと、隣の店のダーナが言った。きっと、彼女の娘は凄腕のギャンブラーになっているだろう。

このモールの横には「スキップ」というアンティークの大きな店が並んでいる。家具類を専門にしている。オーナーの名前がスキップで、彼はたびたび従業員や気に入った隣人、多恵子や一郎に料理を作っては食べらせた。彼の従業員は二三のメキシカンと会計の八十歳の老婦人で優しい人だった。しかし、彼女は足が壊疽(えそ)になり歩けなくなった。そして最終的には両足を切断することになったと、メキシカンの従業員に聞いた。

足の悪い人が多い街だった。通りに面してキャンベル新聞社があり、そこのジャックは、足を引きづりながらニュース記事を書いていた。そして、小さな映画館の経営者だった。赤レンガで出来た小さく古い映画館は、古い映画を不定期に上映していた。ジャックの奥さんは靴のセールスマン、と言っても昔はオペラ歌手だったと聞く。

多恵子の夫の一郎は、学生の頃「映画研究会」に属していたという口実で、たびたび映画館に足を運んでいた。「とにかく古い映画なんだ」と、一郎は多恵子に言ったがそれ以上のことは話さなかった。多恵子は内心、内容のないくだらない映画だろうなと思っていた。しかし、映画好きの客がジャックの映画館では哲学的な内容を持つユニークな作品を上映すると話すのを聞いた。多恵子は「だから、この店の人達は映画館に行かないのだわ」と、片足を引きづりながら歩いているジャックの後姿を見ながら思ったりした。「だって、哲学や思想とはかけ離れた人たちだもの」と付け加えた。

多恵子は「キャンベル・プレス」という、ローカル紙に時々広告を出した。店の名前「ダンテ」の登録を維持する為と、この小さな新聞社に少しお手伝いするという気持ちからだった。

多恵子の店の名前「ダンテ」は、一郎がつけた。 

「ダンテは、ね」と一郎は多恵子に言った。

(ほら、きた・・・)多恵子は黙っていた。

「ダンテは、一夜起きたら自分が有名になっていたのさ」と一郎は言い、ニコリと笑った。

(ニコリと笑うことでもないわね)と、彼女は思ったが「へェ・・・」と、小さく声に出した。

「うらやましい限り。一夜にしてだ、よ」

「まるで、ギャンブルね」

「僕の小説がダンテのように売れたら、君にダイヤモンドの指輪を買ってあげるよ」と、一郎は適当に現実味のないことを言った。こんな軽がるしい言葉を若い夫から聞くと、多恵子は結婚したことを少し悔やんでいる自分に気づく。

一郎は、若い頃は文学青年だった。詩を書いたり、短い小説を書いてはロス・アンゼルスの日系紙に掲載してもらっていた。日本では同人誌にも書いていたらしい。

文章は、なかなかのもので少し才能を見せる片鱗もあったが全体としてはしまりのない作品になる。本人の気の弱い性格が表れているようだ。

多恵子は、それでも年下の一郎を見守った。作家とか言う当てのない職業等、夢のような話で、ここはアメリカだった。ハイテク等の会社で働き、人並みの給料を得るにはアメリカの大学を卒業していることが必要だ。アメリカは、実力主義といわれているが学歴主義の部分がより強く残っている。確かに、人生の勝者になることをあきらめても暮らせる。福祉的な援助が進んでいて、最低生活が保障されるからだ。しかし、生活の保護を政府から受けると、人は体たらくになる。保護を継続する為に、働こうとしない。そして、勤労の意欲も次第に失われる。

ロス・アンゼルスに住んでいたころ、多恵子は一郎に大学に進むように何ども勧めた。

しかし、彼は聞く耳を持たなかった。

「大学?ぼくは日本でも途中下車。今さらアメリカで切符は買えないさ」などとつじつまを合わせていた。多分自信がないのだろうと多恵子は思っていたが子供が小学生になり、しばらくすると勉学に目覚めた。突然大学にもどると言い始めた。二年制の大学の試験を受けて入学すると、頭を叩きながら夜学のコースにすすんだ。昼間は働かなければならなかったからだ。二年生大学をセールスの仕事をしながら頑張りとおして卒業すると、今度は四年生だといい始めた。

「アメリカの場合、二年生の大学から四年生の大学に進学するのは、簡単なんだ。だから、後二年勉強したいのだけど・・・」

「だって一郎さんはロスにいるときに、私が大学に進むことを勧めたけど、必要ないと言ったわよ」

「あの時は、ね。でも、アメリカは結局学歴主義なんだ。僕の給料が安いのは、そのせいさ」

一郎は、自分の稼ぎの悪さを学歴のせいにした。

多恵子は、一人息子が成長してきたので、一郎の進学に躊躇した。

「雄介の学校の成績がよいので、少し経済的にもなんとかならないかしら」多恵子は一郎に聞いた。しかし、彼は平然として言った。

「大丈夫、キャンパスとインターネットの授業を取れるようにするから」

「でも、もう貯金がないわよ」

一郎は、すこしおどろいたが「なんとかなるさ・・・」と、諦めなかった。

キャンベル市のメインストリートは、フォー・ブロック(400メートル)と、短い。年二回、五月と十月にフェスティバルがある。

当時、シリコンヴァレーはコンピューターやICチップ、インターネットのビジネスが勢いを増していた時代で、人口はうなぎのぼりだった。キャンベル市のフェスティバルには歩行客が道を覆いつくすほどになる。モールの中庭には各店がテントを張って商品の一部を並べた。特に木製の小さなテーブルや台等はいくらでも売れた。

フェスティバルが近づくと、多恵子が手に入れてきたガラクタのようなテーブルや小箱などを一郎が器用に修理して準備した。

飛ぶように売れた。

押しめくように、途切れなく続く客の列は、旺盛な購買力でメインストリートの小さな各店舗にうれしい売り上げをもたらした。

モールの反対側の駐車場にはステージが設けられる。スイスの民族音楽が多恵子の店のモールに反響する。「ふと、貧乏を忘れる時だわ・・・」多恵子は、椅子に腰をかけて店番をしている一郎を眺めながら思った。通りのあちこちにはテントの店がオープンしている。フード・ショップではソーセージが数本にポテトとパンが付いているプレートや、焼きとうもろこし、チキンのバーベキュー、大きな串にさしたチキンの焼鳥など盛りだくさんで、人々は次から次と食べていた。

「俺たちも、何か食べようか?」一郎が多恵子に声をかけたのは昼過ぎで、少し客足も遠退いてきていた。

「そうね・・・」

「ソーセージ。ジャーマン・スタイルで美味しそうだ。アレにしょう」

多恵子が考えている最中に、一郎は勝手に決めて手をだした。お金の請求だ。多恵子は、お金を入れている箱から二十ドル札を二枚出して渡した。

「無駄に使わないでね」いつもの言葉だ。

「もちろんだよ。でも、こんな皺くちゃな札は嫌だね。もう少し新品のをくれ」一郎はいつもの返答をした。彼は、お札が古かったり汚れたりしているのを嫌った。

多恵子から新しいそうな二十ドル紙幣を渡されると、紙幣の両側を両手でつかみ高く上げた。

「見える、見えるホワイト・ハウスだ」多恵子を振り返って言った。

二十ドル札の裏側にはホワイト・ハウスがデザインされているから、当たり前のことだ。

「無駄に使わないでね」

多恵子は客に対応しながら、再び日本語で一郎に言った。彼は白いテントの外に出ると、椅子に座った多恵子を振り返り、テントの枠を手の指でたどるように動かすと「ホワイト・ハウス」と言って、歩き出した。

近くの音楽のステージからは、ヨーデルが響いている。

多恵子は、実は年下の夫に秘密を持っていた。

三十五歳になった時、一向に結婚しない娘を気遣った元農林省課長の父親が多恵子に言ったのは、子供を持ってみないかという一言だった。

相手の男性に全てを求めるな。年齢、背の高さ、学歴、美男子、家柄など色々あるだろうがあまり気にしないことだ。一つだけに絞りなさい。出来れば誠実な男性を選びなさいと父親は言った。

確かに夫は誠実な人だ。しかし、経済能力に欠けている。六歳年下の一郎は、誠実さのほかに何も無いような男性だった。農家の出身で次男、学歴は大学中退で文学青年という怪しげな経歴を持っていた。長男は航空自衛隊で三佐という地位だと聞いた。田舎臭い一郎の身元だったが、なぜか、多恵子の父を安心させた。そして、一郎の両親は、元農林省の課長という多恵子の父親に満足した。

「こどもを、つくりなさい」多恵子の父親は、娘を見つめながら言った。(どうしてだろう?)多恵子は内心に思ったが父親が年下の男性との結婚を許したと受け止めた。

そして、多恵子の父親は自分の住んでいた家を、五人いる子供たちに遺産として譲渡しなかった。家は、多恵子に残したと多恵子の兄から聞いた。

父親は、多恵子は、もしかしたら子連れで戻ってくる可能性もあるからと云ったという。父親は多恵子に、子供を作れ、そして、女性として母親を自覚するのが女性の幸福だと言ったが

年下の経済力のなさそうな文学青年を選んでしまった自分の娘を、少なからず不憫に思ったのだろう。

ああいった男を選んだからには、いづれ別れて子供を連れて帰ってくるだろうと、多恵子の父親は思っていた。しかし、彼は多恵子が一郎と別れることもなく子どもを育てていることに満足していたがある日、風呂の中で心臓発作を起こし亡くなってしまった。



第二章 クリスマスからお正月まで


毎年クリスマスのころになると、多恵子は不安になる。アメリカは日本とは違い、十二月の末日で年度決算が終わる。したがって、会社の仕事の首切りも十二月に「レイ・オフ(一時解雇)」と云う体裁の良い言葉で始める。

一郎は過去に二度もクリスマスに会社を首になった。

十二月は雨が降る。少ない家計のなかから小さい息子のために多恵子と一郎はクリスマス・ツリーを買った。あたりにはクリスマス・ソングが流れている。

十二月に入ると多恵子は「今年は、大丈夫かしら」と、一郎に聞いた。

「何が?」テレビを見ていた一郎が振り向いた。

「お仕事、大丈夫かしら・・・」不安だった。

「ああ、そうだね。僕は、いつも十二月にレイオフ(解雇)になる」

「父も亡くなったので、もう誰も助けてくれないわよ」

一郎は、ソファの背もたれに背筋を伸ばすと両手を上げて軽く欠伸をした。

「でもね、会社は分らない。僕は日本人だから、アメリカ人より首を切りやすいらしい」

一郎は、日本からアメリカに来た日本企業で働いている。中小企業で、給料は安い。

一郎はまじめに働く性格だが妙に理屈っぽいところがあり、上司に対する無頓着な態度は会社員には適しているとはいえなかった。要するに、田舎者だった。要領も悪く出世はしない。

多恵子は、かって一郎が職を失った時、彼と別れて日本に子どもと帰ろうと思ったことがある。

父親に電話を入れると、彼は娘をやんわりと説得した。外国生活が長かった父親には、事情が手にとるように分った。彼は、娘の銀行口座にある程度の金額を振り込み、出来るだけ夫をサポートして頑張りなさいと説いた。

その父親も昨年亡くなり、一郎が職を失うと少ない貯蓄を切り崩しての生活が始まる。

クリスマス・ツリーに飾りを雄介と一緒につけながら「神様って、本当にいらっしゃるのかしら?」と、毎年この時期に心からわいてくる疑問を口にしていた。

「神様は、いるよ」近くにいた雄介が答えた。

「あ、ごめん。雄ちゃん、聞こえたの?」

「うん」雄介が一つの飾りを渡した。エンジェルの飾り物だ。

「有難う。そうね。神様はいらっしゃるわよね」多恵子は念を押した。

雄介は学校の成績がずば抜けてよく、参観日のたびに先生方に「才能がある」と、繰り返し言われてきた。テストの成績は全て100点、そして成績はA+やA++だった。

「誰に似たのだろう?」夫の一郎がつぶやくように言う。

多恵子は内心、自分に似たのだろうと考えた。一郎は、学校の成績はあまりよくなかったようだ。好きな教科には抜群の成績を収めたらしいが、嫌いになると何もしなく赤点ぎりぎりだったと本人が話した。

台所に立つと、多恵子は夕食の支度を始めた。

夫は、いつも八時ごろ帰ってくる。それまでに、多恵子と雄介は夕食を済ませてします。

一郎は現在、セールスの仕事についていた。日本食のレストランに食材を販売している。給料は高くない。

夜、薄暗くなるころ雨が降り始めた。十二月の雨は珍しくは無い。その日、一郎はなかなか帰宅しなかった。多恵子は、一抹の不安を覚えたが1998年当時は携帯電話も十分に普及していなかった。夜七時過ぎ、一郎がしょんぼりと玄関のドアを開けたのは雄介の食事を終わらせたころだった。

「お帰りなさい」多恵子は、無事帰って来た一郎に安堵の声をかけた。

「うん・・・」彼は、多恵子を見た。直ぐに、分った。又、職を失ったのだ。

「夕食の用意できているわよ」明るく声をかけてみた。

「うん・・・」一郎は、なかなか玄関から中に入ろうしない。

「どうしたの? 又お仕事失ったの?」直接聞いてみた。

「ごめん」彼は、玄関で頭を下げた。

「多分、そう思った。でも、仕方が無いわよ。無事に帰ってきてくれて安心したわ」多恵子は、一郎の脱いだ靴をそろえる為に腰をかがめた。雨に濡れている靴の内側が温かい。多分、幾度と無く玄関の前を行き来したに違いない。

部屋の片隅には、クリスマス・ツリーの電気が光っている。

(神様にお願いしたのに・・・)多恵子は、自分に言い聞かせた。部屋の中は明るい。キッチンのテーブルで雄介が勉強をしている。

「お父さん、帰ったよ」多恵子は、雄介に声をかけた。

雄介は「お帰りなさい、お父さん」と、一郎に声をかけた。一郎も、少し笑みを顔に浮かべて「ただいま」と言うと、自分の部屋に向った。



あくる朝、一郎は部屋から出てこなかった。多恵子は、雄介を小学校に送った後、軽い朝食を一郎のために用意した。キッチンから、ふとリヴィング・ルームを見ると、クリスマスツリーの先に光る、紙でできた金色の星が見えた。昨夜雄介が金色の折り紙で作り飾ったものだ。

(神様は、本当におられるのかしら……)多恵子は再び思った。

何度も何度もクリスマスが近くなると、夫の一郎は職を失う。まるで、神に見放されたかのように一家は突然と暗い雰囲気に落ちた。

数年前までは、多恵子の父親が生きていて、経済的な援助を受けることができたがその父親も他界してすでにいない。自分たちで何とか自分たちの生活を維持することが必要だ。

ここはアメリカで、日本ではない。生活の仕方も違っている。

日本人としての誇りもあり、国の保護を受けるのには抵抗を覚える。

多恵子は、預金通帳を開けてみた。何とか数か月は暮らせる金額が残っていた。彼女は、一郎の部屋に行くとドアをノックした。

「起きてるよ…」一郎の元気のない声が聞こえた。

寝室のドアを開けると、一郎は服を着替えてベットに腰掛けて窓の外に目を向けていた。

「朝食、できているわよ」できるだけ明るく声をかけた。

「うん…」

「何を見てるの?」

「外、青い空はきついね。仕事がないと、青い空がきつい」

多恵子は窓に近寄った。カリフォルニア・ブルーと呼ばれる青い空がまぶしい。

「きれいな空ね」

「うん…」背後の一郎の声は小さかった。

多恵子は、振り向くを「朝ご飯、食べよう」と、一郎を促した。

「うん…」と、返事した一郎は動こうとしない。多恵子は、年下の夫の肩に両手を当てると彼の顔を見た。

「顔洗ったの?元気出しなさいよ。クリスマスが来て正月が来るのよ。あなたがしょんぼりしていたら、雄介が悲しむわよ。もちろん、私も悲しむよ」

「そうだね」

「ね、頑張ろう」

「そうだね…」一郎は、コクリと頭を振った。

子供が二人いる。夫と子供。年上の多恵子は、一郎に何かあるたびに心で思う。心の底の一番深いところに、丸い鉛の玉のようなものが転がっている。玉は、六歳年下の男性を生涯の伴侶として選んだ時に転がり込んできたものだった。起き上がり小法師の人形のように、何かあるたびに立ち上がらなければならない運命のよう思えた。

結婚式は牧師と、一郎の友人が一人付き添った。その日、予定した教会が使えなくなり、牧師は急遽、一般人が結婚式をあげれないような教会で式を挙げてくれた。

「神様のお恵みがこの若いカップルにありますように。アーメン」牧師の言葉の後、用意していたリングがコロリと床に落ちた。

多恵子と一郎は金のリングが祭壇の前をコロコロ転がっていくのを眺めた。そして、リングはキリストの像の前でコロリと横になると止まった。

(神様の悪戯かしら…)多恵子は内心で思った。

一郎の友達が、それを拾いに行って一郎に渡した。一郎は、多恵子の指に金の指輪をはめながら「神様からの贈り物…」と言った。多恵子はひんやりとした金の指輪の感触を持った。



何とかクリスマスも終わり、正月も質素に終わった。新しい年が明けてすぐに、一郎はキャンベル市にあるカリフォルニア州の行政機関「EDD」(雇用開発局)の地方事務所に通い始めた。職探しのためだ。一郎のもらえる失業手当の受給額では、親子三人が暮らすには少なすぎた。多恵子はミシンを買った。少しでも家計の助けになればと思って裁縫の仕事を始めた。

EDDの建物は多恵子の小さな店から遠くはない。一郎は相変わらずのんきに仕事を探している。

今朝「今日も、帰りに店によるよ」と、一郎が言った。

職を失って数週間目だ。一郎も慣れたのか、元の能天気に戻っている。

「ねえ、一郎さん。お仕事は見つかりそう」少し心配になり多恵子は声をかけた。

玄関で軽い鼻歌交じりで靴を履いていた一郎は、後ろを振り向いてほほ笑んだ。

「ばっちりだよ。EDDではコンピューターで職探しだけどね。できるだけ、アメリカの企業をねらっているんだ」

「そう、でも、危険な仕事はよしてね」

「大丈夫。小切手製造の会社は断る」一郎が数日前、職のインタビュー(面接)を受けたところだ。銀行から依頼を受けて小切手が印刷された大きな紙を、プレス機で切り分ける仕事で危険だった。

「日本企業はダメなの?」

一郎は、少し間置くと「別に構わないけど、またすぐに首になるぜ」と、投げやりに言った。

「ほら、日系の電話帳に出ていたでしょう。人材会社。あそこに電話を入れてみたらどうかしら?」

「うん、そうだね。その手もあるね…」一郎は、意外とすぐに同意した。どうやら、EDDでの職探しは上手く行っていない様子だ。

「今日ダンテに来るでしょう?その時に、電話を入れてみたら?」

「分かった。そうする…そうします」

多恵子は財布をポケットから取り出すと、二十ドル札を一郎に渡した。

「はい、これ。帰りにドーナツを買ってきて。店で一緒に食べよう」

一郎は多恵子からお金お受け取ると、嬉しそうに頷いた。 

「店かあるから助かる」

「お店の売り上げだけでは、生活できないわよ」

「いや、そうではなくて、行くとこがないんだよ。職を失うと、行き先がない。時間がありすぎて憂鬱になる。店に立ち寄ると元気がでるんだ。空は青すぎるし…」

多恵子は一郎が職を失ったあくる日、ベットに座って窓から見える青い空を眺めていたことを思い出した。

「そう…頑張ろうね」多恵子は、若い夫を励ました。



その日の午後、多恵子がミシンに向かって裁縫の仕事をしていると、一郎が顔をのぞかせた。

「ドーナツ。買ってきたよ」

「そう、じゃあコーヒーを作るわ」

「買ってこようか?」

「大じょいうぶ。お湯を沸かして、すぐに作れるから」

「店は、どう?」

「そうね、少し暇かしら」

「アメリカも経済が悪くなってきているからね。仕方ない。僕も、できるだけ早く仕事を見つけるよ。知人で、翻訳の仕事をしている人もいるけど、あれもいいね。でも、定期的な仕事はないようだし…後で、人材会社に電話してみる」

多恵子は、コーヒーのフィルターにお湯を注いだ。小さく滴り落ちるコーヒーの音とともに、乾いた香りが漂ってきた。彼女は、なんとなく幸せを感じた。

(誠実な男性を選び子供を作りなさい)亡くなった父親の声がよみがえった。

幸福は、近くにあるのかもしれないと、ふと多恵子は思った。

「ほら、見てよ。こんなに大きい」一郎が袋からドーナツを取り出しながら言った。紙の皿に移されたドーナツは、大人の開いた手のような形をしている。

一郎は農家の出らしく大きな手を持っている。

彼は、ドーナツに片手を開いて近づけると「まるで僕の手だ。食べるときっと甘いよ」と言い、ドーナツの乗った皿を多恵子に手渡した。もちろん、ドーナツは甘い。しかし、一郎の開いた手のようなドーナツを眺めながら多恵子は、父親の言葉を再び思い出し、思わず涙を流していた。

「どうしたの?」一郎が聞いた。

「大じょいうぶ。大きなドーナツが嬉しくて…」

「なんだ、でも、なんとなくうれしいよね」と一郎は言い、ドーナツにかぶりついた。

店の外からは、スズメの鳴き声が聞こえている。

多恵子は、赤子に目をやるように、そっと一郎を見た。



了、12月29日、午後9時37分、2022年





















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