【実話】女子高生とUFO

綾部まと

存在理由

陽が暮れた学校ほど、おかしなことが起こる場所はない。人生で最もおかしなことが起きたあの場所は愛知と岐阜の県境にある、私立の中高一貫校だった。


あの頃、高校校舎の一階廊下の突き当りに鏡が置かれていた。何の特徴もないガラスの板だ。だだ、置いてある場所が妙だった。誰が廊下で身だしなみを整えるだろう? 機能としては最悪だが、高校生の暇潰しには最高だった。正解のある受験勉強に飽き飽きしていた生徒たちは、「鏡を撤去すると呪われるから」「鏡には神様がいるから」と、正解のない存在理由を探すゲームを楽しんでいた。


『一階廊下の鏡は、日が暮れると別の世界へ繋がる』という噂が流行りだしたのは、高校二年生の中間テスト直後。散々な成績で両親から大目玉をくらった、五月の終わりだった。


私は西日が差す廊下を、小走りで歩いていた。小学生の頃から叩き込まれた『廊下は走らない』というルールを守って。名古屋の予備校で宿題を教室へ置き忘れたことに気づき、取りに戻ったのだ。愛知県から岐阜まで、電車に一時間乗って。教室は一階廊下の最奥。横には噂の鏡があった。


教室前に着くと、ある女子生徒が廊下で体操座りをしていた。教室の壁によりかかり、ぼうっと窓の外を見ている。幽霊のように白い肌と脱色しすぎて傷んだ髪が、より存在を薄くさせていた。


「何やってるの?」と話しかけた。確か同じクラスだ。あまり話したことはないけど。彼女は今ちょうど私の存在に気づいたかのように、ゆっくりと顔を向け、覇気のない声で応えた。


「鏡の噂、あれ本当かなと思って。暗くなるの、待ってるんだ」。


いつもなら適当に返事をして宿題を取り、立ち去っていただろう。予備校へ行き、英語の授業を受け、自習室で宿題を済ませ、親に車で迎えに来てもらう曜日だ。でも、この日は違った。何かが私の判断を狂わせた。五月だというのに、夏のような陽気のせいかもしれない。


「私も残ろうかな。隣、座っていい?」


彼女にとっても予想外の返答だったらしい。マスカラとアイラインで縁取られた目が大きく見開かれ、澄んだ瞳が見えた。すっぴんの方が男受けは良さそうだ。


「良いの? あっちの世界、行くと戻れないみたいだよ。あたしみたいなクズはともかく…‥」


何かを言いかけ、飲み込んだ。そして私が横に座れるように、黙ってスカートを寄せてくれた。校則を違反するくらい短いスカートだ。それを見ながら、一ヶ月前から気になっていたことを尋ねた。


「どうして留年したの?」


「出席日数が足りなくて。あと、遅刻が多すぎた」


「お母さん、休ませてくれるんだ。良いなあ。うちの親、絶対に怒るよ。学校行けえ! って」


おどけた声色で場を和ませようとするも、失敗したようだ。彼女は考え込み、真面目な顔で言った。


「まとちゃん、いつも頑張ってて、たまに見てて心配になる。休んで良いよ、もっと楽に生きなよ、って思う。宿題忘れて戻ってくるとか、それだけですごいよ」


今度は私が驚く番だった。「もっと頑張れ」でなく「頑張るな」と言う人とは、生まれて始めて出会った。彼女は「お前はもっと頑張れよ! って、ツッコまれそうだけどね」と朗らかに笑った。花が咲くような綺麗な笑みだ。私は彼女に好意を抱き始めていた。二人で窓から空を眺め、くつろいだ時間が流れる。床はひんやりとしていて、太陽の眩しさとちぐはぐだった。


もちろん日が落ちても、鏡は別の世界へ連れて行ってくれなかった。分かりきったことだ。でも、そんなことはもうどうでも良かった。どちらともなく、下校する流れになった。校舎を出てグラウンドを横切る途中、ふと違和感に気付いた。


辺りが異様に明るい。どこかに大きな蛍光灯があるかのようだ。そして沈黙に包まれていた。その静けさは、冷え切った鏡のような『死』を連想させた。背中を嫌な汗がつたり、短い十数年の生涯が、走馬灯のように蘇った。


両親や先生の顔色を伺い、彼らの期待に応えようともがき続けていた。うまく休めず、いつも頑張ってしまう。お稽古ごとのピアノやバレエ、受験勉強。私は本当に好きで、それらをやっていたんだろうか?


吐き気がした。後悔が波のように押し寄せる。でも今更、どうしろと言うのだ。存在理由があいまいなまま、一生を終えるかもしれないのに。救いを求めるように、空を見上げた瞬間。異様な光を放つ、謎の物体が目に飛び込んできた。


それは飛行機にしては大きく、クリームパンのような形状をしていた。同じく足を止めた隣の彼女と、顔を見合わせる。「うそ!」「UFOじゃん!」「やばい!」と知性の欠片もない単語を並べたて、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。UFOらしき物体はそれを楽しむかのように、ゆったりと旋回する。そして、もう満足したと言わんばかりに、加速して彼方へ消えていった。


時計を見た。宿題も授業も間に合わない。親や先生に怒られるだろう。でも大丈夫。きっと夜を越えて行ける。今日だけは、そう思えた。それはUFOに「生きろ」と言われた気がしたからだ。存在理由なんて、いつか見つかる。そう励ますかのような、優しい光だった。


あれから十数年が経つ。おかしな体験を共にした彼女は、地元の高校で先生をしているらしい。生きづらさを抱える生徒と出会い、またUFOを出現させているかもしれない。「生きろ」と、伝えるために。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【実話】女子高生とUFO 綾部まと @izumiaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画