1-12

 街に出掛けたある日。

 当時八歳のカルラは人混み慣れをしておらず、人の波に流されて目を回していた。

 カルラはノビリス家の末っ子で女の子。

 本来、誰からも可愛がられるはずのカルラは、実の両親から疎い存在とされていた。

 カルラの生まれたノビリス家は常に新王国の中枢におり、その権力の維持は軍事力にあった。

 ノビリス家の系譜を見ると、必ず男子は竜騎士団に所属しているのだ。

 では、女は?

 ……すべからず、ノビリスの名を捨てさせられていた。

 そんな暗い歴史を持つノビリス家に、生を賜ったカルラはいつも一人。基本的に誰もカルラと関わりを持とうとしなかった。

 たった一人を除いては。

「カルラ様は、何か食べたいものはありますか?」

 カルラの手を取り、その身を引き寄せる一人の女性。

 その顔の近さは彼女の癖なのか、あまりにも近く、カルラは鬱陶しそうに顔を押しのける。

「様は止めてって言ってるでしょう? パルシー」

 ノビリス家にはたくさんの召使いが働いているが、その誰もがカルラの父に服従しており、父の意思がそのまま服を着ているような者達だった。

 だが、このパルシーと呼ばれる召使いは、よく父の目を盗んでカルラの遊び相手になってくれていたのだ。

 そんな面倒見のいい姉のような存在は、この日も無断でカルラを家から連れ出していた。

 今日は、見習い騎士になったカルラにお祝いがしたかったらしい。

 人混みに目を回すような新米だが、カルラの騎士団入団を一番喜んでくれていたのは、他でもないパルシーだったのだからカルラも断り切れなかった。

「今日は私の奢りですよぉ! 何でもどんと来いですっ!」

 胸を叩くパルシーは自信満々の笑みを見せる。

「それはいいんだけど……パルシーって手持ちあるの?」

「あ、ありますよっ!? 安心してください! カルラ様には絶対に出させませんよ~!」

「ほどほどに期待してるね」

「なんで私に、全幅の信頼を寄せてくれてないんですかっ!?」

「そ、それは……」


 ガッチャーーン!

「すいませ~~んっ!」

 パリーーン!

「あ、わ、わ、わぁあああっ! ごめんなさ~~いっ!」

 バキバキ……ドーーン!

「……うわ~~ん!」

 ドガラ……バキッ! ……ガッシャーーン!

「キャアアアアアアアアアアッ!?」


 一体何をしたらここまで騒がしくなるのか分からない事を、毎日のようにしでかしている口が、何を言っているのか。

 せめて、何も起きない一日を過ごしてから言って欲しい。そう思うカルラは言葉を濁すしかなかった。

「まぁいいよ。それより、どこにしようかなぁ……?」

「私的には……私の料理がいいって言ってくださると凄く……」

「あ、あのお店……。美味しそうなのがありそうね!」

「き、聞いて下さいよ~~!」

 半泣きパルシーがカルラの後を追うように、一件のお店の中に入る。

 赤い鋭角屋根と白と赤の縞模様の旗がトレードマークのお店は、昼間だというのにかなり暗い店内で、人の喋り声の一つも聞こえてこない。

 レストランっぽいテーブルの配置のお店だったことから、まだ準備中かな? と思ったカルラはとりあえず店の者がいないか探してみることに。

 その時。

 カルラの頬に一滴の水滴が落ちる。

「ひゃっ!? 雨漏り……?」

「え? ここ一週間、雨は降っていませんよ?」

「でも確かに水滴が……」

 カルラは頬に付いた水滴を指で拭う。

 その……生温かい感覚が、不覚にもカルラの全身を逆なでする。

「カルラ様……ここは出直しましょう……。嫌な感じがプンプンします」

「ど、どう言うこと?」

 店内を見回すパルシーは何かを感じ取ったのか、冷や汗を流していた。

 そして厨房らしき店内の最奥を、睨む。

「人の気配がないにも関わらず……油と血の臭いが凄いです。兎に角、早く出ましょう」

 ただならぬパルシーの発言に、さすがのカルラも従うことに。

 急ぎ足でドアの方へ駆ける、その瞬間。

 カルラが手を伸ばしたドアに、一本の矢が突き刺さる。

「えっ!?」

「カルラ様! 伏せてッ!」

 パルシーはカルラの手を引き、すぐそばにあったテーブルを立てて身を隠す。

 矢が飛んできた方向はパルシーが睨んでいた、店内の最奥。

 僅かに顔を出して確認してみるも、人の影は確認できない。

 だが……、誰かがいる気がする。

「カルラ様……ここは危険です。逃げて下さい」

「わ、分かったわ! ……パルシー!?」

 冷静な態度で逃げるよう促すパルシーは、何故かテーブルを盾に少しずつ前進しようと試みており、その行為にカルラは驚きを隠せなかった。

「私はカルラ様の御身を第一としなければなりません。ですので、ここは共に逃げるよりも、私が襲撃者の注意を引いた方が、カルラ様が安全に逃げられると思います」

 いつもふわふわした雰囲気のパルシーからは考えられないくらいの、ピリピリした空気が溢れ出ており、それがより一層、カルラの心配を掻き立てる。

「嫌よっ! パルシーも一緒よっ!」

「すいません。それはできま……せ…………ッ!?」

 袖を引くカルラを宥めるパルシーの頬にも、一滴の水滴が落ちる。

 その異様な臭い。鼻の奥を突くような棘のある臭いの正体は、上を見上げたパルシーに戦慄を覚えさせた。

「………………なあっ……………………ッ!?」

 暗い場所に慣れてきた目に映ったのは、無数の紐に吊るされた……バラバラの遺体だった。

 見える範囲にいるだけでも、人の腕、鳥の足、……竜の翼。

 張っている紐の様子から見て、恐らく店内中にバラバラの遺体が吊るされているのだろう。

 思わず凄まじい吐き気に襲われるパルシーだったが、即座にカルラの顔を見る。

「カルラ様! お願いします。逃げて下さいッ!」

 初めてカルラに語気を荒げるパルシーは、尋常じゃない量の汗を流しており、目もどこか虚ろに見える。

 そんな異常事態に、カルラの騎士としての正義感が、勝ってしまった。

 腰の細剣に手をかけて、勢い良く立ち上がろうとするカルラ。

「駄目ですッ!」

 パルシーはカルラの体を素早く抑え込む。

 その拍子に、立てていたテーブルが倒れてしまう。

「わ、私は見習い騎士よっ!? 何か起きているなら、私が……」

「何も起きていませんッ! ……ですが、騎士は常に最悪の状況を考えるべきです。民を導き、安心と安全を第一とするのが騎士の務めなのですから」

 そっと微笑むパルシーは確かに震えていた。

 背後に潜む恐怖と、頭上の惨劇をカルラに悟られることに。

 いつもの笑顔は作れないが、精一杯の作り笑いでカルラを諭すしか、今のパルシーにはできなかった。

 カルラが上を向かないように、頭を撫でながら。

「こう見えても私、多少は腕があるんですよ? ……これだけは、信用して下さいね?」

 ばつが悪そうに苦笑いを見せるパルシーに、それ以上カルラは何も言えない。

「カルラ様は近くの衛兵を呼んできて下さい。何もないかは……私が確認してきますから」

「……分かったわ。でも……無理はしないで?」

「もちろんです。まだカルラ様の見習い騎士祝い、していませんから。あ、何を食べたいか……考えておいてくださいね?」

「うん……」

「では……ご達者で」

 それだけ言い残すと、パルシーは再びテーブルを盾に、店内の最奥を目指して走り出す。

 カルラも同じタイミングで勢いよくドアを開け、お店からなんとか逃げ出すことが……できた。

 この時、カルラが振り返ることは一度たりともなかった。

 パルシーは大丈夫と。そう信じていたから。

「最期は……信じてくれて…………ありがとうございます。カルラ様。私は貴女を……」

 カルラの頭を撫でている時から、既に死に体の状態だったパルシー。

 なぜなら……ずっと背中に、無数の矢を穿たれていたからだ。

 痛みによる悲鳴を上げるどころか、そんな素振りも一切見せなかったパルシーは、ただただ振り返らなかったカルラに感謝していた。

 きっと背中の矢を見てしまったら、優しいカルラはひどく混乱し、この場から逃げてくれないかもしれなかったのだから。

「カルラ様の……騎士道に…………栄光………………あれ……」

 十歩進むことも叶わず、膝から崩れ落ちるパルシーの意識は、もう……なかった。


 怪しいお店から無傷で逃げ出せたカルラは、急いで衛兵を探す。

 きっとパルシーは大丈夫。何度もそう……自分に言い聞かせながら。

 街中を走り回って、やっとの思いで衛兵を見つけて。事情の説明も上手くできないまま例のお店に戻る。

 そしてドアの下に着いたと同時に、それは起こってしまった。

 大爆発と共に、店内から高温の熱気と炎が立ち込めたのだ。

 その威力は住宅の火災などの比ではなく、大量の可燃物に引火しなければまず起きないであろうスケールだった。

「危ないッ!?」

 衛兵の一人が身を挺してカルラを庇うが、その凄まじい熱気はカルラの全身を焼き切るかのように襲い掛かる。

 それだけではない。否、それ以上にカルラの心を蝕む恐怖が……目の前にあった。

「う……そ……。パルシーが……あぁ…………いや……いやいやいやいやいやぁあああああああああああッッッッ!」

 半狂乱状態に陥ってしまうカルラは、最悪の結末を悟ってしまう。

「『大丈夫』って言ったじゃないッ!? 『信用してください』って言ったじゃないッ!? なのに……なのに……ッ!」

 もしかしたらパルシーは既に脱出していて、カルラと合流しうよと探し回っているのかもしれない。そんな望み薄な希望は今のカルラの脳裏にも、どこにもなかった。

 あの時、パルシーと一緒に逃げていれば……。

 あの時、パルシーとこのお店に来なければ……。

 あの時、パルシーのお祝いを断っていれば……。

 幾つも自分を責めるカルラは、自分の心を何度も刺した。

 後悔という名の刃物で、何回も、何十回も、何百回も、何千回も……。

 たった一人。カルラを支えてくれた人を失った……自分の無能さをただ……恨むしかできなかった。

 涙を流すことしか……できなかった。


 覚醒する意識。

 今、目の前に迫っている《竜炎》が、あの日のお店の中から溢れ出す炎と同じように見え、重ねてしまった。

 本当なら、あの時にカルラはパルシーと一緒に死ぬべきだった。

 まさに、生き恥を晒していると言えるだろう。

 だから……カルラに、この《竜炎》を拒む理由はなかった。

 もしかしたら……。

「貴女に会えるなら……もう……」

 どんな死も受け入れられる。あの時の謝罪を、パルシーにしたいから……。

 だから……、細剣が手から離れる。

「させない……ッ! カルラは……僕がぁあああ……ッ!」

 カルラと《竜炎》の間に飛び込むフレド。その身は《竜炎》に耐えられる鎧などなく、完全な生身。

 そんな状態で飛び込んでくるなど、自殺行為以外の何ものでもない。

 だと言うのに、何か作戦があって飛び込んできたわけでもない。

 ただカルラを庇うように両手両足を伸ばすのみ。衝動的に動いたフレドには、こうするしかなかった。

 たちまち……直撃する《竜炎》。

 フレドとカルラを包み込むように燃え上がる《竜炎》は、容赦なく全てを灰燼に帰す。

「フ……フレド……。カルラ……?」

 あまりにも一瞬過ぎる出来事に、状況を飲み込めないウーターやレイジや下竜士達。

 ……。

 ……。

 《竜炎》が止むと、二人が立っていた場所を含む広範囲が真っ黒の灰だけの世界となっていた。

 最早、学舎の跡などどこにもない。

 ただし……二人の周囲のみは違っていた。

 足元だけが円く焼かれずにくり抜かれていたのだ。

 フレドが《竜炎》をその身で受けた時、以前カルラがフレドに渡した盾のペンダントが眩く発光し、二人を包み込むようにドーム状に光が伸びたのだ。

 光のドームの内にいたおかげで、二人は無傷。

 そんな奇跡のような出来事に困惑していたのは、他でもない二人だった。

「あ……れ? 何が……起きて……?」

「それって……私があげた……やつ?」

 カルラがフレドに渡したはずなのだが、起きた現象が現象なだけにカルラが一番目を丸くしている。

「なんだったんだろう……?」

 光が無くなると、次第に砂と化していくペンダントは、やがてフレドの掌からなくなってしまった。

 どうやらカルラも正体が分からないらしく、ここは謎に包むしかない。

「その……ごめんね? せっかく、カルラがくれたのに……」

「全然! そんなことは……って、フレドッ!?」

「ッッ!?」

「よそ見は良くねぇよなぁ?」

 フレドの背に向かって飛来してくる何かを、フレドは振り向きざまに切り捨てる。

 男が何かL字型の道具のようなものをフレドに向けているが、それが一体何なのかは……分からない。

 分からないが、何らかの武器であることは分かる。

 当たり前だ。ここは戦場。

 気を抜いた者から、物言わぬ肉塊になってしまう、そんな場所なのだ。

「ありがとうカルラ。危なかっ……ん? どうしたの?」

 フレドが切り捨てたもの……その小さな『矢』から目が離せないカルラ。

 吹き矢程しかない短いそれには、鋭利な矢じりが付いており、側面には尖端から根元に向かって四方向に逆立つ別の刃があった。

 一度刺されば抜けなくなる、そんな返しが付いている矢は、異常な威力で発射されており、切り捨てられた後も木材を貫通して地面に突き刺さっていた。

 その木材に残る跡。……十字の跡が、カルラの記憶の中から掘り起こされた。

 ゆっくりと込み上げてくる、黒く、醜く、どろっとした感情と共に。

「……フレド。竜は……貴方一人でお願い。私は…………私の仇を討つッッッッ!」

 細剣を握り、神速で駆けだすカルラに、竜の爪、尾、その全ての攻撃は当たらない。

 この時のカルラは、竜騎士団内最速を優に超えていたと言っても過言ではなく、その場にいた誰もが目で追いつけない。

 そんなカルラが目指すは……愛しい人を穿った矢を持つ男の首。

「なぁ…………ッ!?」

 商売人の男との間合いに完全に潜り込んだカルラは、細剣を男の首に刺し穿つ―――ッ!


「人を生かすも殺すも、至極『簡単』なのだよ」

 とある人が朝食の準備の片手間に言った、後世に伝える程でもない名言。

 ティーカップにお湯を注ぎながら、その人は続ける。

「人は首を切れば死。心臓を貫けば死。憎悪や醜悪に染まれば死……」

 誰へともなく、誰にともなく。

 その人は白いテーブルクロスを前に、ティーカップの中身をわざとこぼし、朱に染まるテーブルクロスをぼんやりと眺める。

「人の道は誤りの連続。愚者の道こそ人の道。……だから人は悩み、苦しむ。時にそれが、悪しき感情に飲み込まれてしまったとしても、その咎は己のみが背負うものなのだから」

 その人が汚れたテーブルクロスをそっと撫でると、先程までの汚れは嘘のように消えてしまった。

 どこか思い耽る表情を浮かべながら……。

「だが……、いや、だから……人は生きる。間違いや悪しき自分を、受け入れられる『自分』がいるから。自分を粛清できる『自分』がいるからだ……」

 再びティーカップにお湯を注ぎ、今度はこぼさずにテーブルに置く。

 それに満足したのか、すぐ横にあるイスに腰を落とし、朝食を取り始める。

「人の子らよ。決して自分を貶めるな。決して辱めるな。決して恥じるな。そして…………、叶うならば……」


 ――自らを認め、『愛する』のだ――


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