1-13

 カルラの掘り起こされた記憶。

 それは、パルシーだと判断される真っ黒に焦げた骨。

 かろうじて残っていた背骨と右足の骨に、無数の十字痕が発見できたのだ。

 そして、爆風で吹き飛んだドアに突き刺さっていた、カルラに当たらなかった矢の先の形状が、パルシーの骨に刻まれた十字痕にぴったり一致してしまった。

 ここでやっと、幼く未熟であったカルラは、パルシーが自分を犠牲にして守り抜いてくれていたことに気付いてしまう。

 自分の無力さ、非力さに涙が止まらない。

 悔やんでも、悔やんでも、悔やんでも、悔やんでも……。

 カルラが負った心の傷は治ることはない。あの日から、今に至るまで。ずっと。

 なぜなら、第二の母を失ってしまったから。

 そんなパルシーの仇が、もう少しで討てそうだと言うのに……。

「何で……何でなのよッ!? ……フレドッ!?」

 男の首元に迫る細剣は、片手半剣の腹で防がれていた。

 なんと、あのカルラの神速に追いついていたのだ。……フレドが。

 フレドはそのままカルラを抱え、その場を離れる。

「もう……少しだったのに…………」

「カルラ……」

 静かに流れる涙にはいろいろな感情が詰まっており、それと同時に、何が本当の自分か分からなくなっていた。

 騎士ならば、罪も人も断罪しなければならない。

 殺める行為に躊躇など……なくてもいいのだ。

 では、この手の震えは?

 まだ誰も殺めたことがないところから来る、恐怖心なのか?

 それとも、仇が討てなかった悔しさか?

 はたまた……仇討ちを邪魔されたフレドに対する怒りなのか?

 ……。

 ……。

 分からない。自分が分からない。

 分からない。

 分からない。

 分から……。

「カルラ……。君の覚悟はどうしたの?」

「…………え?」

 カルラの目だけしか見ていないフレド。

 ただ真っすぐに。一点の曇りもなく。

「き、聞いてた通り、こいつはテメェに効くんだなぁ?」

 今更、一連の光景に理解できた男は、おもむろに挑発を含めて口を開く。

 右手で弄ぶL字型の道具か何かを、フレドに向けながら。

 だが、その余裕もすぐに消え去ってしまう。

「……五月蝿い。黙ってろ」

 フレドの、先程までとは全く違う口調と、その低い、圧のある声色に、思わず口をつぐんでしまう男は、そのまま後ずさりしてしまう。

 カルラも、初めて見るフレドの覇気に言葉が出ないが……、フレドは気にせず続ける。

「カルラが仇を討ちたいのは分かる。だけど……本当にそれは、カルラがしなきゃいけない事なの?」

「……そうよ。私が騎士になれたのは、パルシーのおかげなの! 私が『私』としていられたのはパルシーのおかげなの……ッ! だから……だから……ッ!」

「……僕にはパルシー? さんがどんな人か分からないけど、その人は、カルラに仇を討ってほしいって思っているの?」

「違うわッ! パルシーがどう思っているかじゃないのッ! 仇は討たないと……いけないのッ!」

 カルラの悲痛な叫びは、誰にも理解できるものではないだろう。

 フレドとて、誰か最愛の人を失ったわけではないのだから。

 だから……、フレドは今のカルラではダメだと思う。

 思う故に、見捨てない。なぜなら……。

「パルシーさんが大切……だったんだね。それなら……うん。一つ聞いてもいい?」

「……」

 肯定の無言。フレドは続ける。

「カルラは……パルシーさんが信じていた、『カルラ』を信じられる?」

「~~~~ッ!?」


 それは、カルラがまだ幼いながら、ノビリス家での自分の価値を知ってしまった時のこと。

 三日三晩、ひたすら泣き続けたあの時からだ。

 父や母、他の兄達に距離を置かれ、家の召使い達も蔑む目を向けてきた。

 ずっと孤独の理由、そしてこれから自分に降りかかる、苦難の大きさに絶望してしまったのだ。

「私は……生まれてこなかったら……」

 身投げ。首吊り。自傷。溺死。

 数多く存在する死ぬ方法を考えていたカルラの目には、生者の光はとっくに消えていた。

 そんな、触れれば簡単に砕け、朽ちてしまいかねないカルラに、身を寄せる者がいた。

 ノビリス家の召使いの一人。

 なんの同情か、哀れみか。幼いカルラに理解できるはずなどなく、無情にも召使いを突き離していた。

 なのに……何度も何度もカルラに近寄って来た。

「カルラ様」

 悲しげな表情の召使いは、はっきりとした声でカルラの名前を呼ぶ。

 いつぶりだろうか。カルラが「カルラ」と呼ばれたのは。

「優しい言葉をかけることが、今のカルラ様に必要だと分かっています。ですが……カルラ様は強くあらねばなりません」

 カルラはずっと目を合わせようとしなかったが、召使いは膝を折り、カルラと同じ目線でカルラの目だけを見て、続ける。

「カルラ様は弱くありません。強くなれる方法を知らないだけです。ですから……『竜騎士団』を目指して下さいっ!」

 カルラに頭を下げる召使いを見て、カルラずっと不思議だった。

 何故、私に頭を下げるのか。

 何故、私なんかに頭を下げるのか。

 他の召使いは、誰もカルラに関わろうとしないというのに。

 この召使いは、涙を流しているのだ。私の……為に。

「でも……」

「カルラ様が竜騎士団を目指して頂けるのなら、私は全てサポート致しますっ! お金のことなども任せて下さいっ! ですから……カルラ様は、ただ強くなって下さいっ! そしていつの日か、カルラ様が竜騎士団に所属なさることができれば……ご兄弟達、そしてご両親を見返すことができますでしょうっ!」

 そう言うと、召使いはカルラの体を引き寄せ、抱きしめる。

 その言い表せない温かさ。体の奥底から込み上げてくる初めての感情に、カルラは涙が止まらなかった。

 まだこの時のカルラに、涙の理由は分からなかったが。

「カルラ様は幸せになるべきお人です。ですが、幸せは誰かの享受では成し得ません。カルラ様自身の手で得ることに、意味があるのです」

 この時、はっきりとカルラの中で生きる目標ができた。

 幸せになるために、竜騎士団を目指す。

 そして……父を見返す。

 ……。

 ……。

 だが、その考えはいつしか変わっていた。

「いよいよ入団式ですねっ! カルラ様!」

「まだ一か月後よ? そんなに盛り上がらなくても……」

「いいえ! カルラ様のひたむきな努力の結果です! 私は……私は……ひっく……うれじ涙が……止まりまじぇん!」

「ちょちょ……。もう! 貴女って人は……」

「うううぅ……あっ! お、お祝いじまじょう! どごが……」

「あぁ……鼻水……。しっかりしてよ……もう……」

 カルラが手渡したハンカチに顔を埋める召使いは、しばらく泣いて、泣いて、泣いていた。

 そんな姿が……とても愛おしかった。

 入団式までの全ての学習過程において、この召使いが手を回してくれいた。

 金銭の工面も……全て。

「泣かないの。……私なんかの為に」

 そっと頭を撫でながら抱きしめると、召使いはさらに泣きだす始末に。

「いいえ……カルラ様だがらでずぅ……だがらごんなに……ぐっす……」

 こんなに涙脆い、情が深い人だってことは……もう知っていた。

 だから、カルラがかける言葉など既に決まっている。

「ごめん。貴女ってそう言う人だったね。……今までありがとう。……その……これからも……よろしく……ね?」

「う、う、うわ~~~~~~~~~~~んっ! カルラ様~~~~~~~~~~っ!」

「泣かないでって…………パルシー……」

 カルラの大きな心境の変化。それは……。


 ――パルシーに恥じないような……立派な竜騎士になる――


 そして、パルシーと入団式の朝に交わした会話。

「カルラ様の剣は、誰かに見せつけるものでも、目標以外の理由で抜くものではありません。なぜなら……」

「うん。皆まで言わずとも分かっているわ!」

「ふふっ。たくましくなられましたね。カルラ様の騎士道に……栄光あれ」

 片膝を落とし、胸のあたりで拳を構えるパルシーは、深々とカルラに頭を下げる。

 騎士の門出を祝うそれに、カルラはどうしようもなく嬉しくなり、パルシーの頭を両手で持ち上げる。

「ありがとう。その…………私だけの…………お母さん!」

「なぁっ!? ……ううぅ……じょれは……ずりゅい…………でしゅ……」

「うふふっ! ……行って来ます!」


 フレドの言った、パルシーが信じる『カルラ』を信じられるか。

 その言葉の意味が重くのしかかる。

 パルシーは……絶対、仇を討ってほしいなんて言わない。むしろ……。

「私が仇を討つことに……怒るわ。パルシーなら……」

 誰よりもカルラを隣で支えてくれていた彼女は、カルラの持つ剣が汚されることを、カルラ以上に嫌うはず。

 カルラ自身が汚そうとすることに、怒るはず。

 ……いつから忘れてしまったのか。本当の……『自分』の覚悟を。

「……ごめんなさい。私……私……ずっと……ッ!」

 頬を伝う涙は、留まることを知らぬよう。

 ……当たり前だ。

 パルシーの笑顔が見たくて、喜んでもらいたくて、カルラは竜騎士を志した。

 父を見返すなど……竜騎士になる時の動機にすぎない。

 以前、アクアに言われた「家の名『如き』に拘るな」とは、こう言うことだったのだろう。

 アクアと違って、カルラの背にノビリスである責任はない。それを分かっていても、無意識に意識してしまっている節があった。

 貴族故の呪縛……とでも言えようか。

 責任感の強いカルラだからこそ、呪縛にもなり得たのかもしれないのだが。

「私は……パルシーの信じてくれていた竜騎士に……なりたいッ! パルシーに誇れる…………竜騎士にッ!」

「うん! それがいいと思う! 誰かを憎むカルラより、今のきらきらしているカルラの方がずっと!」

 年下のフレドに諭されるなんて……まだまだだなと思うカルラは、溢れる涙を拭い、フレドが伸ばしていた右手をとる。

「ありがと。私の道……見失うところだったわ」

「それを言うなら僕の方だよ? 先に僕の背中を押してくれたのは、カルラだったし!」

 固い握手を交わす二人。

 もう……お互いに自分の進む道に、疑問も迷いもなかった。

「おいぃ……茶番は終わりかぁ? この俺を放ってぇ……」

 律儀にずっと黙っていた男は、絞り出すように怒りの感情を見せるが……。

 フレドとカルラは、笑顔で返す。

「うん。ありがとう。おかげで……僕たちの剣に迷いはなくなった!」

「えぇ。私は……貴方を殺さないわ。知っていることを全て……話してもらうからっ!」

 立ちはだかる困難極まりない壁と、自分の中の矛盾に向き合ったフレド。

 背負っていた全てのしがらみを振り解き、本当の自分の道を見つけたカルラ。

 本物の竜騎士の道はひどく険しく、簡単なものではない。

 では、二人の道は……この先どうなるのか?

 その答えにたどり着く前に、まずはこの戦いに勝つ必要が……ある。

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