1-9
フレドとカルラが三竜団に所属してから三週間。
実に多くを学び、多くを経験した。
その成長スピードはとてもではないが、三週間で得られるようなものではなかった。
やはり二人の探求心や集中力はずば抜けており、特に如実に出ていたのはカルラ。
「貴女……また腕を上げたわねッ!」
「い、いえ……そんなこと……ッ!」
「あるわ。でも本当に、聞いていた通り『見て学ぶ』タイプなの……ねッ! しかも、異常なスピードでねッ!」
激しい打ち合いに、今にも折れそうな木剣。
決闘場ではカルラとミューダが模擬戦を行っており、その光景に誰もが手を止めて目を奪われていた。
ミューダの《合詰め》とほぼ互角の速さのカルラ。
これほどの完成度……見よう見まねでできる代物ではないはずなのだが……。
「私よりセンスがあるが故の結果ね……。いいわ。私から《合詰め》を教える必要はもうなさそうで助かるわ」
「で、でも……」
「後は貴女自身で磨くのよ。それよりも、貴女には足りないモノがあるでしょう? そっちが先よ」
ボロボロになった木剣を放り投げると、ミューダは真剣に持ち直す。
「貴女、まだ《刃》を使えないでしょう? 《合詰め》のコツを掴んだのなら、優先すべきは《刃》よ」
「わ、分かりました。よろしくお願いします!」
気合を入れ直すカルラの目は、確かに輝いていた。
ミューダも薄々気付いていたのだろう。カルラの無限の可能性に。
ただ真似るだけなら、はっきり言って誰でもできる。だが、真似るための身体能力や集中力、天性のセンスには限界がある。
ミューダも一人の竜騎士。それも百等竜騎士。
階位差が大きくあるミューダと《合詰め》の速さが互角である所に驚きはあるが、カルラには「持続」がある所も注目すべき点だった。
恐らく、人の限界点を無意識に超えているのだろう。
高みを望む者にとって喉から手が出るほど欲すであろう力を、カルラは既に身に付けていたのだ。
カルラは化ける。そう納得せざる負えない現実を目の当たりにするなど、ミューダの竜騎士人生で初めてのこと。
荒ぶる胸の高鳴りを誰へとも告げることなく、表情にも一切出さないミューダは、薄っすらと笑みを浮かべるだけだった。
そんなミューダの下へ、一人の竜騎士が血相を変えて走ってくる。
「ミ、ミューダ百等竜騎士ッ! 十竜士以上の階位に招集がかかりましたッ!」
「……何かあったのですか?」
「詳しくは知りませんが……北の市街地にて、竜の集団が現れたと……」
「なっ……!? 分かりました。皆さんッ! 上からの指示があるまで待機! ……出撃の準備だけは怠らないで!」
急に緊張が走る一同。突然舞い込んだ異常事態に、状況が全く飲み込めない。
飲み込めないのなら、ミューダの指示だけに準じる他ない。とにかく、鎧と真剣の再調整と装備を済ます。
その間、一同の中で……「不安」という名の魔物が、ゆっくりと目を覚ましていた。
「もしかして、敵襲……なのかなぁ?」
「あ、ありうるぜ。周囲の国に、武器や技術が流れまくってるって話だし」
「ぅううう……。まだ私達じゃあ……戦えないよ……」
「だ、大丈夫だ! ……きっと……多分……」
ここ最近は敵襲のない、言わば冷戦状態だったせいで、どこか上辺だけの平和な日常が当たり前となっていた。
だが、隣国との戦争は未だ何十年も続いているのだ。
食うか食われるか。生きるか死ぬか……そんな時代を生きていることを、フレド達は肝に銘じておかなければならない。
一式の装備を終えたフレド達が、次なる指示を緊張と共に待機していると、神妙な面持ちのトーマスが現れた。
「今現在、北の市街地に竜の集団が現れ、市街地に甚大な被害を及ぼしていると報告を受けた。我ら三竜団は人命の保護を最優先とし、下竜士は騎士隊と衛兵との連携の下、速やかに住民を南の避難所まで誘導せよッ! 質問はないな?」
簡潔な状況説明と、フレド達の請け負う役割を告げるトーマス。
と、ここで一つ、手が上がる。その主は、いつもの陽気な感じのないウーターだった。
「む、手短に」
「い、一竜団と二竜団と一緒では……?」
先程の説明では、三竜団と騎士団のみで事態の対処を行うとなっている。
しかし、今回の竜の襲撃が誰に手引きされたものか分からないのであれば、戦力として足りないのでは? とウーターは感じていた。
そんなウーターの疑問に、トーマスは淡々と返す。
「一竜団は西方の前線で軍事演習を含めた守備の任が下りており、二竜団は盟国の警邏に行っている。故に、我ら三竜団と騎士団でこれを対処するッ!」
「わ、分かりました!」
「では今すぐ兵舎前に集まれ! そこでバルバの指示を仰ぐように!」
促されるままフレド達が兵舎前に向かうと、既に他の下竜士達が待機しており、騎士団も列をなしてした。
気の抜けた面構えの者は誰もおらず、真剣な眼差しのみが立ち並んでいる。
そう、これは国の一大事。
場合によっては……敵襲。そして、殺し合いが起きても……おかしくないのだ。
「……君達は……騎士隊と共に……住民の……避難を……」
バルバの号令により、下竜士と騎士団は北の市街地の住民の避難誘導をしに向かう。
……。
……。
だが。
目的地に近付くにつれて、フレド達は予想だにしていない光景を目にすることとなる。
飛び交う、住民達の怒号、悲鳴。
抗えぬ、混乱した人の濁流。
破壊され、炎を上げる建物。
地を震えさせる程の、竜の咆哮。
初めて見る大きな混乱の渦に、言葉が出なかった。
その場にいた下竜士達も、騎士達も。誰一人として。
「あっ…………あぁ……」
「そ……んな……」
大きな時計塔の鋭角屋根に捕まる、赤の竜。
そのすぐ横にある、新王国最大を誇るレンガ造りの図書館を跨ぐ、青の竜。
市街地内を流れる川に架かる橋を、足の指一本で破壊する、山吹色の竜。
新王国を囲む壁に風穴をあける、翠の竜。
四体の巨大な竜は、己の思うがままに暴れ回っていた。
「これが……竜……なのか?」
「嫌ぁ……あんなの……無理よッ!? あんなの……ッ!」
「お終いだ……あぁ……そんなぁ…………」
竜騎士は、竜との契約によって初めて「竜騎士」と正式に称される。
下竜士であるフレド達はまだ契約ができないのだが、竜がどんなものかは座学程度でのみ知っている。
……だが。
彼らが知っている竜とは、精々大人一人を背に担げるくらいの大きさ。
建物を優に超える背丈の竜など……見たことはおろか、聞いたことがなかった。それも、四頭も。
故に、この状況の理解が出来ないでいるのも、混乱からくる恐怖に支配されるのも無理はないというものだった。
そんな一同の後方の空から、高速で四頭の竜に攻撃を仕掛ける数十の影が現れる。
「恐れるなとは言わんッ! だが、お前達の任は住民の避難だ! 何が何でも、その任だけは遂行しろッッ!」
緑の竜に跨って現れたのは、トーマス三竜団長。
そして総勢十六の十竜士以上の竜騎士が、四頭の暴れ狂う竜を討ちに駆けつけたのだ。
僅か十六の竜騎士達。たった十六の少数戦力は一見、頼りないと感じてしまうかもしれないが、三竜団の精鋭達は空中で目にも止まらぬ剣技を繰り出す。
その光景たるや……、圧巻の一事に尽きた。
「カルラ……見てる?」
「え、えぇ……。これが……本当の竜騎士なのね……」
ある一人の竜騎士は、見た目に反して素早い動きをする赤の竜の鋭い爪を、手綱を掴まずに難なくかわし、反撃の《刃》を放つ。
また別の竜騎士は、自らの竜の背に立ち、《合詰め》で山吹色の竜の顔の横まで瞬足移動すると、片目を斬りつけ、そのまま落下。
相棒の竜は、まるでそこに落下することが分かっていたかのように、完璧なタイミングで竜騎士を拾い上げる。
三竜団長のトーマスは、自慢の大剣と腕力で翠の竜の角を、見事に叩き割る。
そんな見事な戦いを目にしていると……フレドの中で不思議と高揚が込み上げてくる。
狂暴な四頭の竜の動きを、それぞれたったの十六騎で見事に封じていたのだから。
やがてトーマス達の勇姿は、不安の魔物を自然と打ち破る。
思わず足が止まり、応援の声を上げてしまう住民やその場にいた騎士達が現れだしたのだ。
先程までの不安はどこへやら。
この一瞬の機を逃さずに、フレドは大声で住民の避難を呼びかける。
「皆さん! 南方の避難所まで僕達が誘導しますッ! 皆さんは落ち着いて行動してくださいッ!」
話が聞ける状態になった住民は下竜士と騎士団の誘導に従い、南方の避難所を目指す。
その間に起きた落石などは、下竜士達が全て迅速に対応してみせた。
南方の避難所に向かって流れる避難民の列を見て、細く微笑む人影が一つ。
その存在に、戦闘中のトーマス達はおろか、避難誘導をしている下竜士達や騎士は気付いていない。
影に隠れるように、小さな黒い宝石の欠片を片手で弄びながら佇む姿は、さながら幽霊の様で薄気味悪い印象が強いだろう。
そんな人影は、誰へともなく口を開く。
「ふっ……こんなものも、瞬殺できんとは……」
宝石の欠片を宙に放り投げると、地面に落ちるよりも速く、粉々にしてしまう。
何をしたのか? それはこの人影のみぞ知るところだろう。
「滑稽に踊ってくれ。アパータム新王国竜騎士団……」
暗闇の彼方へと、フードを深く被りながら姿を消す人影。
この世の全てを恨み、嗤う。そんな笑みを浮かべて……。
「クソ……ッ! 避難は滞りないようだが……厳しい……」
確かに、善戦はしている。しているが……決して優勢ではなかった。
トーマスが四頭の間を飛び回り、注意を一点に集めるように立ち回り、他の竜騎士達が徐々に殺いでいく作戦であったが、先程までとは全く違った動きをする四頭の竜に攻撃が当てられずにいた。
「何かしらの制限が解かれたか……或いは、強引に引き出された力か……」
いずれにせよ、竜騎士達の疲労が積み重なれば、この場を抜かれるのも時間の問題。
何かしらの対処をしなければ……最悪の事態も想定しなければならなくなるだろう。
「どのみち、報告があった脱獄者が関係しているのだろうな。その上、アクアやヴァイラスのいない今を狙って来るとは……厄介な」
冷や汗を額に流すも、目前で不意打ちを喰らった竜騎士のカバーに颯爽と割って入る。
「ふん。フレドに気付かされたからな。そう簡単に諦めるわけにはいかんのだぁあああああッ!」
大剣の一振りから生み出された凄まじい威力の《刃》は、山吹色の竜の牙を一つ、粉砕してみせる。
「まだまだぁあああああああああああッッ!」
トーマスの凄まじい勢いに、周囲の竜騎士達は勝手に乗せられ、再度攻撃を仕掛ける。
学舎の造りをした大きな建物に、北の市街地の住民の波が押し寄せていた。
今、避難所となっている学舎は、避難民を十分に抱え込める大きさで、配給も問題なく行えていた。
最初こそ躓いてしまったが、その後の迅速な対応により、住民の顔から不安が消え去っていた。
とりあえず……下竜士の仕事はこれで終わったと言えよう。
「カルラ……」
「ん? どうしたの?」
「僕にも……何かできないかな?」
下竜士の仕事は住民の避難。それ以上は命令にない。
だが、フレドの言わんとしていることは、カルラにはすぐに分かってしまった。
「まさか……あそこに戻るつもり!?」
「だって……たった十六騎とトーマス三竜団長だけだよ? さすがに……」
「私達じゃあ足を引っ張るだけよ。分かるでしょう? 私達は戦えても生身なの。竜がいないと……」
「でも……」
心配する気持ちは分かる。
単純な計算。巨大な竜一頭につき四人の竜騎士で相手しなければならないのだ。
一人でも多く、戦力が欲しいに決まっている。
だが……それ以上にフレドとて分かっている。自分が一人の竜騎士としての戦力に……ならないことなど。
それでも、何か自分にできないのかとフレドは考えてしまう。
その時、事件は起きてしまった。
激しい爆発音が、フレド達がいる学舎からすぐ近くの所で起きたのだ。
爆発と共に起きた大きな揺れに、学舎が頼りない軋み声を上げる。
「フレドッ!」
「うん! 行こう! 何か……嫌な予感がする……ッ!?」
「フレド! 俺達も行くぜ!」
ウーターやレイジ、同じ下竜士の面々と合流し、住民の方は騎士隊に任せて、爆心地の様子を見に行くことに。
現在、避難所となっている学舎はコの字型をしており、もとより西方面に学舎はなく、住民は北と東方面の学舎に避難していた。
残る南方面の学舎はフレド達から一番遠い場所に位置しており、間違いがなければ南方面の学舎の方で爆発が起きたはず……。
「そ、そんな……一体何が……ッ!?」
到着した者の目を疑う光景……。それは、あるはずの南方面の学舎が……なくなっていたのだ。
そして、瓦礫が積もる南方面の学舎があった場所に影が一つ、佇んでいた。
「ギャハハハハハハハハハッ! やっぱ壊すのはおもしれぇなぁ!」
瓦礫の上で腹を抱えて笑い転げる男。
男はフレド達に気付くと、訝しげにフレド達を睨みつける。
……いや、フレドだけ。
「テメェ……見習い騎士にもなってなかった餓鬼じゃねぇか?」
「……あ! あの時の!?」
離れていても分かる、男の粗暴にフレドはすぐに気付いた。
入団式の日に、路地裏で違法オークションを行っていた商売人の男だ。
どうやら商売人の男の方も、フレドだと気付いたらしい。
それが……前回だけではないらしく。
「五年前も俺の邪魔をしてくれたよなぁ……? ……あ? んでテメェが、三竜団の階位章を付けてんだよ? 見習い騎士でもなかった餓鬼が」
フレドが初めて衛兵の御用になった時の商売人と同じ男だったらしい。
と言っても、こればかりはフレドが覚えている訳はないのだが。
「これはお前がやったのか!?」
二人の因果関係など知らないウーターは、不躾に割って入る。
すると、男は何か考える素振りを見せると、笑いながら答える。
「正確には……俺のペットかなぁ?」
口角を吊り上げる男は親指を立て、そのまま下に向ける。
「ッ!? 皆……避けてッ!」
フレドがいち早く事の状況を理解し、さらに、一同の反応が頭より先に身体が動いたおかげで、フレド達が立っていた場所に落ちてくる巨大な影に誰一人押し潰されることはなく、ギリギリで回避することができた。
だが……、影の正体に一同はパニックに陥ってしまう。
「りゅ……竜だとッ!?」
「しかも……黒の竜……ッ!?」
大人の二回り以上の体躯を誇る『黒い』竜が目の前に現れたのだ。
そして、一瞬。
五人の下竜士の意識を刈り取ると、今度はフレドに迫る。
フレドはなんとか《合詰め》の応用で距離をとろうとするが、僅かに足らず、その鋭い爪の一撃を貰い、派手に吹っ飛ばされる。
「くっ……! 日和んなよッ!? ウーッ!」
「ったりめぇだ! 行くぞ! レイジィイイッ!」
掛け声と同時に、二人の一糸乱れぬ連携で黒の竜に挑むレイジとウーター。
レイジは得意の「ながらの分析」で身動きを封じ、ウーターが生まれた隙に致命的な一撃を与える。
実は、レイジ。剣がさほど上手くない上に、身体能力も他者に比べると、かなり劣っている。
その引き換えではないが、レイジは生き物の「筋」を見る能力が他者よりも長けており、しかもそれを戦闘中の激しい動きの中でも、正確に見抜くことができるのだ。
一人では強敵を相手にできないレイジの生み出した、独自の戦闘スタイルと言えよう。
逆にウーターは己の力で強引に切り開くスタイル。相手に戦略の一切を行わせない剛腕が売りなのだが……、圧倒的戦略上手を相手にしてしまうと簡単に利用されがちに。
そんな二人は、お互いの長短所をカバーし合えるため、言葉無くして背中を預け合える仲であり、最高の相棒なのだ。
だが……。
「ぐわぁあああああああああッ!?」
「ウーッ!? くっ……うわぁあああああッ!?」
二人が相手でも押し切れない黒の竜は、二人を軽くあしらい、派手に吹き飛ばすと、唯一立って残っていたカルラに狙いを定める。
「ひぃっ……!」
直接あびる威圧感と明確に向けられた殺意に、カルラの心は簡単に折られ、その場に震えながら立ち尽くしてしまう。
動かない獲物程、狩る側に楽なことはない。
体が石と化したカルラに、黒の竜は容赦なく爪を振り下ろす。
「あ……あぁ………」
「させ……ないッ!」
ギリギリで滑り込むように割って入るフレドが黒の竜の爪を受け止めるも、その凄まじい威力に膝から崩れ落ちてしまう。
「フ、フレドッ!?」
「カルラ……。住民の……避難を…………お願い……ッ!」
「なっ……何言って……!」
「僕に……あの男を、竜を任せて……」
「そ、そんなの無理よッ! 竜に勝てる人間なんているわけ……」
「大丈夫。……勝つわけじゃない……からッ!」
「え……?」
黒の竜の爪をいなし、カルラを抱えて後方に跳躍する。
その間も呆気にとられるカルラに、フレドは優しく続ける。
「僕は大丈夫だよ。だから……ウーターとレイジと一緒に、お願い」
強大な敵に、ただ震えて突っ立っていた自分と、自ら挑んでいくフレド。
決して驕りでも、自己犠牲でもないその目に……カルラ何も言えなかった。
ただ、不思議と信じられた。不可能なはずの現実を、フレドならひっくり返してしまうのでは? と……。
「分かった。……死なないでね」
「うん。任せてよ」
カルラはそれ以上何も言わなかった。いや、言えなかった。
だから……。信じる他……なかった。
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