1-8
場所は変わり、どこか暗い闇の中。
小川のせせらぎも、木々の賛歌も聞こえない空間。
恐らく、地下の施設であろう場所に、一人の男が不敵な笑みを浮かべて佇んでいる。
足元まで伸びる長いマントで身を包み、フードを深く被る。
口元のみを覗かせる姿は、さながら悪人のようで。
おもむろに歩を進め始める男は、十数人がかりで開けるような大きな扉を一人でこじ開ける。
そして、先に伸びる狭く細い通路を、甲高い靴の音が一定のリズムを奏でていた。
「君! そこで何をしているッ!?」
通路の最奥で見張りをしていた二人の衛兵が、現れるはずのない男を不審に思い、声をかける。
「止まりなさいッ! ここは立ち入り禁止だぞッ!」
衛兵の静止を促す声は、どうやら男に届いている様子はなく、歩みは止まることを知らない。
不敵な笑みを、浮かべたまま……。
「くっ……止まれと言って………」
一人の衛兵が腰の剣に手をかけたと同時か、それより速いか。
ボトンッと首が地面に転がり、体が崩れ落ちる衛兵だった……肉塊。
その一瞬すぎる一連の光景に理解できないもう一人の衛兵も、同じ最期を辿ってしまった。
この男。まさに、災厄。風貌も相まって、歩く死神とも言えよう。
そんな男の向かう先。そこは、囚人の集まる牢屋だった。
ドガッ! ガンッ!
壁や牢を激しく殴る音が、暗闇の奥から響き渡る。
「クソッ! あの餓鬼どものせいで、商売あがったりだ! たかが上等騎士と見習い 騎士でもねぇ餓鬼どもがぁああああッ!」
声を荒げ、尚も壁を強く殴りつけていたのは一人の商売人の男。いつか、フレドにオークションを邪魔され、カルラが検挙したことで捕まった商売人の男だ。
その男は、牢屋の中で身体の自由を奪われていた。
フードの男は、その商売人の男の牢屋の前で立ち止まると、牢屋のドアを粉々に砕く。
まるで、刃物で切ったかのような破片を散らばらして。
「テ、テメェ……何者だ?」
「くくくくっ……いい憎しみだ。君の感情は利用しやすそうで助かる」
低く。低く。低く。
あまりにも低い薄笑いと共に紡がれる言葉は、どこまでも暗く、重い。
深淵の闇を具現化するのならば、このフードの男と指せるだろう。それくらい、黒い。
そんな「不気味」の権現の前に、商売人の男も息を詰まらせるしかない。
「……僕は君に用はない。君の憎しみに用があるんだ。だから……僕に口を利くな」
「……」
言葉の圧は周囲の空気をも圧倒する。息がしづらい程に。
「君のような屑には……これをあげよう」
マントの下から取り出したのは、黒い宝石のような物が埋め込まれたネックレス。
だが、そのネックレスは極太のチェーンで、とても人に使う物のようには見えない。
黒い宝石も綺麗というより、どこか禍々しい。
どんな貴族も欲しがらないであろう、気味の悪いネックレスの正体を、商売人の男は知っていた。
「そりゃあ……隷属契約のネックレス!? どの裏ルートでも入手が出来ねぇ……レアもんじゃねぇか!」
「くくくくっ……やはり君は分かるね。この玩具が何なのか」
フードの男は嘲笑を浮かべながらクルクルとネックレスを指で弄ぶと、適当に放り投げる。
それを、商売人の男はなんとか床に落ちる寸前で、受け止める。
「君は申告のない竜を飼っているだろう。それ用だ」
「なっ!? なんでそれを……」
「言ったろ? 僕に口を利くなと。次はない」
「うっ……」
「とは言っても、もう君に用はないんだ。さぁ、好きに暴れてくれ。僕の悲願の為に……」
そう言うと、フードの男は霞のように、その場から姿を消してしまう。
最初からそこに、いなかったかのように。
一人残された商売人の男は、夢でも見せられていたかのような不思議な感覚に囚われるが、手に持つネックレスの感触に、すぐに我を取り戻す。
「な、なんだか分かんねーけど……アハハハハッ!」
悦びの感情に支配される高笑いが、響き渡る。薄暗い牢屋の中で……。
いつもの早朝打ち込みを終え、次は座学の時間。
他の生徒よりも多く教科書を持つフレドとカルラは、とりあえず、バルバからおススメされた文献を読み漁っていた。
『竜学史』、『竜人概論』、『其の者語』、『騎士道精神』……。
視界を遮る量の本を抱える二人は、教室に続く廊下をフラフラしながら歩いていた。
そこに、いつの間にいたのか、バルバが二人の後ろから声をかける。
「二人共……来客だ……」
声にならない驚きの二人を差し置いて、バルバは二人が持っていた教科書の塔をかっさらうと、教室の方へと歩を進める。
呆気にとられる二人は、目を丸くするしかない。
「ごめんなさい。貴方達に用があるのは、私よ」
これまた、いつの間にいたのか、廊下の壁にもたれながら本を読んでいる青髪の女性が一人。
ずっと本から目を離さないその女性は、「付いてきて」とだけ言うと、颯爽と歩きはじめる。
無論、二人が状況の理解などする間もなく。
とりあえず女性に付いていくと、バルバの小屋がある中庭に出た。
青髪の女性はそこで立ち止まると、やっと二人に話しかける。
「私はアクア=ラフィアス。二竜団の団長よ。訳あって、バルバさんから時間を貰ったわ」
改めて女性の……アクアの顔を見ると、その美貌……かなりのもので。
きりっとした目に、少し高い鼻。それでいて、騎士らしく濃くない化粧。
正面から見て初めて見える、所々赤みがかった髪。どちらかというと、ピンク色に近いだろうか。
男の方が多い竜騎士団内で、花顔柳腰と言える唯一の女性団長は、二人を交互に見る。
「貴方達が弟と同じクラスで、例のフレド=スパーバスね。そして……カルラ=ノビリス」
「……弟?」
「あら、あの子……言っていないのね。多分もう知っているだろうけれど、面倒そうなキャラのウーター=ラフィアスは、私の実弟よ」
「え………ぇえええええええええっ!?」
いきなりの衝撃発言に、驚きを隠せない二人。
とは言っても、初めて会った時にフルネームで自己紹介していたのだから、気付かない方が失礼というもので。
ところで、アクアとウーター。正直なところ、二人の見た目はあまり似ていない。
同じ個所は髪色くらいだろうか。キャラは、全くの正反対と言っても過言ではないと思う。
「まぁ、あの子が私の名前を出したくない理由は……、カルラ=ノビリスが一番理解できるでしょうから、私からはこれ以上何も言わないけれど」
「……」
自分より優れた兄弟の名など、出来れば出したくない。
それだけ優劣の差があり、その差を自ら認めてしまっている証拠になってしまうのだから。
優秀な兄弟を持つ者の、性とも言えよう。
「まぁ私の用はそっちじゃないわ。……いきなりで悪いけれど、フレド=スパーバス……貴方の《刃》は誰から教わったの?」
本当にいきなりの質問だったが、既に色々な人に何回も聞かれたことなので、ありのままを簡潔に話す。
「孤児院の……おじいさん……です」
「……本当に言っているの?」
訝しむ目。
確かに、にわかには信じられない話ではあるのだが、真実なのだから仕方がない。
「はい……」
何故か申し訳なさそうに答えるフレドを横目に、しばらく一人で考え込むアクアだったが、何を納得したのか、一つ頷くとフレドに向き直る。
「貴方が《刃》が見える理由も、そのおじいさんが関係しているのね」
目を丸くするフレド。
「えっ……? み、見えないんですか?」
「……なるほどね。大体分かったわ」
これもまた何を納得したのか、それ
「これが最後よ。……貴方の竜騎士になりたい理由は……何かしら?」
先程まで以上に真剣な口調に、フレドの態度も一層引き締まる。
「僕は……竜と友達になるためです!」
「あ……貴方……、本気なの? 国を変えると言っているようなものよ?」
「……そうです」
フレドの一点の曇りのない、真っすぐな口調と目に……アクアの纏う雰囲気が初めて柔和になる。
「……そう。トーマスがああなったのも分かる気がするわ。……感謝しないとよね」
「……?」
アクアから感謝されることなど……。思い当たる節が一つもないフレドは呆気にとられるが、アクアはそのまま続ける。
「多分、貴方達に言っていないでしょうけど……。トーマスは以前、一心同体とも言える竜を亡くしたの。その時から彼はずっと……壊れていた。元々貴方と同じく、竜を愛す人だったから余計に。そんなトーマスを立ち直らせたとするのが貴方なら……今の答えに納得もいくし、貴方しかトーマスを救えなかったと確信できるわ。だから……ありがとう」
アクアの脳裏に焼き付いているのは、あの時のヤム平原。
千近い死体が平原に死屍累々とし、血の赤と肉の腐る強烈な臭いが覆いかぶさっていた。
ヤム平原に遅れて合流したアクアは、その光景に言葉が出なかった。
トーマス以外の竜騎士は誰もおらず、竜もどこにもいない。
そればかりか、返り血かトーマス自身の血か定かではないが、全身真っ赤に染まったトーマスが一人で、平原の中央に立ち尽くしていたのだ。
絶望、後悔、錯乱、憎悪、殺意、正義、覚悟、哀愁……。
数えきれない感情の渦がトーマスの背から溢れ出ており、それこそ「今にも壊れそう」ではなく、「もう粉々に壊れてしまった後」の状態。
かける言葉など、一切が無意味。何を言っても、どこにも響かないことは……火を見るよりも明らかだった。
それからのトーマスは、何もかもを失った自分に殻を纏い、弱くある自分と他人を酷く糾弾し続けた。
もう……自分には何もないんだと。そう語る背中はとても小さかった。……悲しかった。
そんなトーマスの心の崩壊。その負い目を、アクアは自分勝手に感じていたのだ。
もっと速く、応援に駆けつけていれば。と。
たったそれだけのことが……できなかった。だから、トーマスは……。
それほどまでにアクアは、トーマスを心配していたのだ。
フレドにそんな秘めたる思いを伝えることは、なかったのだが。
「私の考えとしては……貴方の覚悟は認められない。何においても、甘すぎる。でも……トーマスが貴方を信じているのなら……私も貴方を肯定するわ」
フレドの目をじっと見つめるアクアは、笑みを浮かべる。
それが嬉しくて、フレドも笑みをこぼしてしまう。
「カルラ=ノビリス……貴女の覚悟も聞いていいかしら?」
アクアが次に目を向けたのはカルラ。
フレドの時とあまり変わらないはずの態度に少し臆してしまうが、自らの覚悟は胸を張って言えないようでは……騎士として恥じるべきこと。
「私は……優秀な兄様達を超える竜騎士となって……父を見返すことですっ!」
トーマスの前で言ったことを繰り返すカルラ。
フレドより現実味のある、大きく険しい覚悟だが……アクアは冷酷にこう告げるのだった。
「貴女のその覚悟。私からすると扱い易いけれど……貴女の為にならないわよ」
トーマスも言っていた。カルラの覚悟は扱い易いと。
でも……カルラの為にならない……?
「人に褒められたものでないことは、重々分かっています! でも……ッ!」
「恐らくッ! 貴女は竜騎士にならなければならない、竜騎士にしか成し得ない覚悟があったはずよ。だから……家の名『如き』に、拘らないで……」
「~~~~~~~~ッ!?」
カルラの拘っていたもの……それは、父を見返すこと。
それは、「ノビリス」の名を背負わず生きること。
それは、「ノビリス」の歴史に、汚点を残す……こと。
「貴女はまだ迷っているはずよ。自分がしたいことが何か……を。だから、ここで考え、悩みぬくといいわ」
カルラへの用はこれで終わりと言わんばかりに、視線をフレドに戻す。
「ウーターを……よろしくね」
それだけ言い残すと、アクアは兵舎の方へと歩を進めていってしまう。
言いたいことだけ言って、一人で去ってしまったアクアの方をいつまでも見つめるカルラは、心の中でアクアの言葉を反芻していた。
アクア=ラフィアス。「ラフィアス」は「ノビリス」と比べて大きな家ではないが、身分的階級で言えば貴族。
地盤はまだ緩いが、まだまだ大きくなっていくであろう家の顔ともなるアクア。その重圧はいかほどか。
それは……カルラには分からない。家から、父から期待などされていないのだから。
家の名『如き』。
その言葉の真意……いつかカルラに分かる日が来るのだろうか?
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