1-6

 竜騎士団兵舎内。

 大きな廊下を一人歩くトーマスは、普段誰にも見せない笑顔を浮かべていた。

 まるで童のような、曇り一つ無い、清々しい笑顔を。

「迷っていたのか……お前も……」

 トーマスの扱う大剣。それには……かつての相棒バースの力が込められている。

 竜の骨とは、古くからあらゆる道具の素材として加工されてきた。

 磨けば磨くほど、より光を反射し、叩けば叩くほど、鋼より鋭い切れ味を出し、熱すれば数年単位で保温が可能。

 更には加工も容易という点もあり、竜骨製の道具がその利便性通り流通していれば、国内の生産力や様々な技術力をさらに大きく助長しただろう。

 唯一、入手が容易であればの話なのだが。

 竜の骨の加工には、一つ大きな問題がある。

 それは、「加工時期」だ。

 未成熟な骨は言わずもがな。成長しすぎた骨は硬くなりすぎてしまい、どんな加工方法も受け付けなくなる。

 その上、竜の成長スピードがヒトの何十倍もあることと、竜は個体ごとに成長スピードが異なる点があり、最良の状態の骨の入手がかなり困難なのである。

 それはバースとて例外ではなかった。

 バースが亡くなった時の骨の状態は、加工面で言えば最悪。手のつけようがなかった。

 だが。

 方法は定かではないのだが、スーファスがバースの遺骨を大剣に加工してみせた。

 それからのトーマスは、片時も肌身離さずバースの大剣を身に着けていた。そうすれば、いつでもバースが一緒に戦ってくれている……と信じてやまなかったからだ。

 結局は、失った哀しみに負けてしまい、自分の道が見えなくなってしまっていたが。

「君のその顔を、どれだけ見たかったことか……」

 どこまでも穏やかな口調の男が、トーマスの肩に手を置きながら声をかける。

「スーファス総帥……」

「君は本当に分かりやすい。何を思って、何を成そうとしているのか。だから、私も目が離せなくなる。……君には謝らねばならないね。バースのこと……」

「……」

 申し訳なさそうに頭を下げるスーファスに、言葉が出ないトーマス。

 スーファスの脳裏に浮かび上がる光景は、トーマスとバースが空を駆ける……そんな光景。

「言い訳などしない。私のせいで、君は竜と騎士道を無くしたのだ……。そんな私が何を言おうとも…」

「そんなこと……ありません」

 スーファスの言葉を遮るトーマス。その顔は笑顔が咲いている。

「確かに貴方を恨んだことはありました。……ですが、こうして竜騎士団にいられることも、亡き相棒バースと共に戦えることも、全て貴方のおかげだ。感謝しています。そして……それは……、フレドに対しても……」

 背の大剣を引き抜き、刀身を日に輝かせる。

 見事な大剣は刃こぼれが一切なく、只々美しい。

 その大剣、いや、大剣になった相棒に語り掛けるように話し始める。

「俺は恐らく……フレドと剣を交えなければ、人の闇の底まで堕ちていったと思います。例え、バースがここにいたとしても。それに……お前の『迷い』が本当にフレドに伝わっていたのなら……『或いは』だと私は思った。だから……総帥。私の意思はバースの意思。もう一度、バースの存在と私自身の道を気付かせてくれたフレドを、私は竜騎士にさせましょう」

 熱い宣言に思わず涙を流すスーファス。

 スーファスはずっと気にかけていたのだ。

 ヤム平原侵攻作戦を国に反対したが、結局圧力で負けてしまったこと。

 一番「信」のあるトーマス率いる一竜騎に任せたこと。

 誤報続きで敗れた一竜団の責任を、一身にトーマスに受けさせたこと。

 トーマスの愛竜を失わせたこと。

 トーマスの意思を聞かず、勝手に愛竜を大剣にしたこと。

 ずっと長い間、スーファスは一人で苦しんでいた。

 総帥の立場であろう人間が、なんと不甲斐ないことか。

 一人の部下の心情も支えられないで、何が総帥か。

 己を責めた夜は、いくつあっただろうか?

 老体に響くであろう絶食や不眠を、どれだけ行っただろうか?

 頭を抱えた時間は、どれ程あっただろうか?

「フレド君を竜騎士に、か……。私はこのまま……君達の総帥でいいのだろうか……と、時折思う。私は椅子に腰かけ、君達に剣を持たせ、血を流させるばかりで、フレド君や君に敬されるような者じゃない。そんな……」

「今なら分かります。貴方の気持ちが……」

「……?」

 スーファスの言葉を遮るトーマス。

「貴方は、どこまでも我々を信じておられる。我々の苦難を乗り越える力も、成長する力も。だから……見届けたくなるのですね。芽吹く若葉が、大樹になるのを」

「まさか……ッ!」

 胸のところで輝いている三竜団長の階位章を軽く触れ、そして、強く叩く。

「私を三竜団長に留めてくれていたのは、他でもない貴方だ。そして今回のフレド、カルラの両名に、強引に特例を作ったのも貴方だ。貴方の存在の大きさは……誰もが認めていますよ」

 竜を救うために味方に犠牲を出したとして、一度は竜騎士団の階位剥奪まで話が上がっていたトーマス。

 それを全力で止めたのは、他でもないスーファス。なんとか三竜団長の階位で国に訴えかけたのだ。

 そして今回も。

 カルラはまだ上等騎士。竜騎士団に入るまでまだ十分な学力等を修めていない。

 フレドに至っては、まだスタートラインに立ったばかりだ。

 そんな二人をどうやって竜騎士団に入れられたのか。それはスーファスのみぞ知るところでしかなかった。

「……全て君に任せたよ。トーマス三竜団長」

「……我が剣に誓って」

 満足そうな顔でその場を去って行くスーファス。

 それ以上、言葉はいらなかった。

 彼の肩には責務と立場故の苦痛が、いくつも積み重なっている。

 誰がどれだけ想像しても、足りないくらいに。

 そんなスーファスは、今だけとても身軽そうな足取りだった。


 フレドがまともに動けるようになった二日後。

 三竜団の階位章を胸に、フレドは指定された部屋へ向かう。

竜騎士団に所属できたからと言って、いきなり実戦が待っているわけではない。

 これからのメインは座学だ。特にフレドには必要な部分。

「ここか……。よしっ!」

両開きのドアを前に気合の入れ直し、思いっきりドアを開ける。

室内の光景と共に一気に集まる、いくつもの視線。……思った通り。

従来の手順をすっ飛ばしての、異例の昇級。良く思う人など、いるわけ……。

「君がフレドだな!」

颯爽とフレドの前に駆け寄ってきたのは、二回りほど年上の青髪の青年。

いきなりの登場から自然な流れで、青年はフレドに向かって右手を出す。

「俺はウーター=ラフィアスって言うんだ! よろしくな!」

「よ、よろしく……お願いします……」

「敬語なんてやめよう! 確かに、フレドより俺達の方が歳は上だけど、フレドみたいな凄い《刃》を俺は使えない。ここで同じ戦友として、高みを目指そうじゃないか!」

少し熱い雰囲気のウーターは、フレドの肩に腕を回す。

「聡そうなフレドのことだ。周囲から忌み嫌われているとか思っていたんじゃないか?」

「えっ、なんでそれを……?」

意表を突かれたフレドに、してやったりと笑みをこぼすウーター。

「トーマス三竜団長との戦いを見ていた者は皆、フレドを尊敬しているよ。むしろ忌み嫌うような輩は竜騎士としてどうかしてるってもんさ!」

「あぁ……ど、どうも……」

「まぁ上の階位の人はどうか分からないけど……少なからずここにいる人はフレドを歓迎するよ。ようこそ、竜騎士団へ」

気付けばフレドは大勢の人に囲まれ、多方面から様々な質問が飛び交う。

「剣は誰に教わったんだ?」

「そ、それより、どこから来たんだい?」

「好きな食べ物は?」

「トーストには何をかけて食べる?」

たまによく分からない質問も飛んできたが、誰一人として嫌味を言う者もいなければ、敵意を向ける者もいない。

それが嬉しくて、一つずつ答えていくフレド。

しばらく質問攻めを受けていると、カルラが荒い息遣いで廊下の方から走り込んできた。

「フレド! もう大丈夫なのね!?」

「カルラ! 僕は大丈夫だよ。もうどこも痛まないし……」

「良かったぁ~~。あ、言っておくけど、もうあんな事、起こさないでよ?」

「あははは……。分かったよ」

フレドと同じく、カルラも三竜団の階位章を胸に付けている。

相変わらずフレドのお姉さん感があるカルラは、包帯がグルグル巻きに巻いてあった箇所をくまなく見て回る。

「あの怪我が二週間程度で完治って……おかしな話よ?」

「でも、ぴんぴんしてるよ?」

「あ、そう……。ならよかったわ」

心配性のカルラは、フレドの「大丈夫」を完全に信じたわけではなかったが、フレドもカルラと同じくらい頑なな性格なのは嫌というほど知っている。

カルラもそれ以上、何も言うことはなかった。

そんな二人だけの世界に、ウーターが不躾な疑問をぶつける。

「なあなあ。カルラとフレドって……ただの知り合いなのか?」

何か邪推してそうな目で二人を見るウーター。どうやら他のみんなも興味があるらしい。

「な、何もないわよ! 知り合いは知り合いだけど……変な誤解しないでッ!」

「そうだよ。僕達は……あれ? なんだろう?」

「き、聞かないでよ!」

変に慌てるカルラと、首を傾げるフレド。その様子にニヤニヤを隠せない周囲の皆だったが、一人の大男が現れたことによって空気が完全に入れ替わる。

「席に……着け」

どこまでも低い声で短く声を発すると、教壇に向かう。

この大男こそ、フレドのクラスの担任。バルバ=レジャーという。

「好きな席に……着きな。今から……授業だ」

ウーターもそれだけ言うと自分の席の方へと向かう。

恐らくバルバの真似をしたんだろうが……あまり似ていない。

それに、好きな席って言われてもどこが……。

「……私の横が空いてるわよ。そこでいいんじゃない?」

カルラが気を遣い、空いている席までフレドを案内する。

「ふふふ、よろしくね。でもまさか、カルラと一緒に授業を受けられる日が来るなんて、思ってもみなかったよ」

「奇遇ね。私もそう思っていたわ。……ふふっ」

二つ歳上のカルラと同じ教卓は、確かに違和感はあったが……どこかしっくりきた。

「よし! 頑張るぞ……」

最も大きな障害が、すぐに、姿を現すのだが……今のフレドに知る由もなかった。

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