1-4
——砂の波の中で、トーマスは少し昔の記憶を見る——
それは、北に位置するエルドリア国と戦った時の話だ。
当時のトーマスは一竜団長として前線で戦っており、戦死者を多く出しながらもヤム平原を制圧した時だった。
平原から敵は撤退したはずだったのだが、なんの間違いか伏兵に奇襲を受けた。
……それもトーマス達の行動を初めから分かっていたかのような奇襲に。
元来、一人の竜騎士は徒歩と騎馬の三十名隊と同等の戦力を持ち合わせていると言われている。
だが、この奇襲には幾重にも罠が用意されており、壊滅的被害を受け、生き残ったトーマスと十竜士、百竜士の計十名は竜を捨てなければならない程に追い詰められた。
無論、竜のいない竜騎士などただの騎士。
戦力有利から数的不利に傾いてしまうと、そこからはもう……負の流れになってしまう。
「トーマス団長! 一時撤退すべきです! 撤退し、ここを絶え凌ぐことさえできれば、半刻程で後方からアクア二竜団長の隊が来るとの報告があり、立て直すことができるはずです!」
伝令係の竜騎士は状況の説明と案を進言するが、トーマスは少し考えると、その案を棄却する。
「……その報告の信憑性が今は疑わしい。敵の撤退の誤報でこの有り様だからな」
そう。先程の奇襲は完全に情報が錯乱し、最大の武器である竜を失ったのだ。
余程の信憑性がない限り……情報の取捨選択を迫られるのは上官の責任だ。
「で、では……?」
「……竜を奪還する。もし仮にアクアが来たとしても、それまで竜の安全は保障できん」
「わ、我々だけで……ですか?」
困惑の色を浮かべる竜騎士達。
それもそのはず。戦法を多少なれど齧っている十、百竜士達は、皆一様に撤退の二文字しか考えていなかったのだから。
だが、トーマスは違っていた。
「何も無策に飛び込むわけじゃない。俺が平原横の川辺から敵の背後に回り、そこでひと暴れする。残りの三、三、三で混乱している敵を三方向からつつけば、誰かは竜を奪還できるはずだ」
簡易的に地面に線を書きながら説明するが、これは圧倒的にトーマスに負荷がかかる。
その上、トーマスの危機に誰も駆けつけられない布陣なのだ。
当然、賛成する者など出てこないのだが……。
「竜を殺させるわけにはいかん! 絶対に救い出すぞ!」
トーマスの強い姿勢に口をつむり、頷く竜騎士達。
これは一重に、トーマスへの信頼あっての頷きなのだろう。
作戦を実行すべく各々は所定の位置へ。分隊はトーマスが敵を引き付けるまで待機。
トーマスは敵に気付かれないように川辺を移動し、狙いの箇所まで難なく辿り着く。
「待っていろ……バース」
バース。トーマスの愛竜の名。
トーマスが竜騎士団に所属した時からずっと一緒に戦場を駆けてきた相棒。
竜騎士トーマスの誕生の意味を込めて、バースと名付けたのだ。
そのバースが今、他の竜騎士達の竜と共に拘束されていた。
「よし……」
完全に敵の死角に潜り込んだトーマスは、自分のタイミングで仕掛ける。
まずは手練れ。隊長と思しき敵から……。
「……ッ!?」
一歩目を踏み出した瞬間、強烈な爆音と共に、視界を砂煙で埋め尽くされる。
慌てて距離を置くが……トーマスはいつの間にか二十数人の敵兵に囲まれていた。
それも、完璧な配置で。
「くっ……」
あまりにも一瞬の出来事に全てを理解できないが……。
恐らく、嵌められた。ここに来るように仕向けられた。
それだけでは……ない。
今の爆発。何かおかしい。
エルドリアが守の国として知られる所以の《地中爆弾》。一定の圧力により起動する爆弾だとか。
厄介な性質としては、この爆弾を地中に埋められると、人や竜では容易に探し出せないところだ。
故に、トーマスが現れる所を狙うように配置したのは、まだわかる。
だが……ここは一度、トーマス達が制圧した場所。安全等はしっかり確認したはずだった。
では、ここだけピンポイントで埋め直した? 否、それは自らの目が証人となっており、選択肢として考えにくい。
だとするならば、複数個埋めておく選択肢もあるのだが……それもありえなかった。
脳をフル回転させ、あらゆる可能性と今後の展開を即座に思案するトーマスだったが、砂煙の向こうの人の気配に意識を集中せざるを得なかった。
「困惑しておるなぁ? アパータムのトカゲよ。まぁ分からんでもないがな」
隊長と思しき男が、ずかずかとトーマスに近付く。
その手に持つ片手半剣には、べっとりと血が付いている。
「これ程簡単に地に堕ちるとはな。所詮、竜なしでは我々と剣を交えることも敵わんということだ。がははははっ!」
「何を勘違いしている? 俺の目的は、俺に貴様等をぶつけることだぞ? 《地中爆弾》も当たらなければただの目くらまし。時期に………………ッ!?」
「やっと気付いたか。俺ぁ……その顔が見たかったんだよぉおおお! そうさ! お前の後に来る奴らは既に全員殺したぁ……。ついでにこれも処分しといたぜ? くくくくっ…。一竜団長様よぉ……絶望の味はどうだぁ? あひゃひゃひゃひゃ!」
トーマスの目の前に投げ捨てられたモノ。
それは……竜の翼。
竜にとって翼は第二の心臓とも呼ばれている。
神経系が特に集中しており、体温調節、体幹、さらにとある力を使う際に必要になってくるのだ。
太く硬い首を落とさずとも、翼を落とされた竜は間もなく死ぬ。それも苦痛にまみれながら。
それが分かっていて、この男は翼を落とした。
竜騎士に対する、最上級の侮辱と分かって。
あえて…………バースの翼を選んで。
「ぁあああああああああああああああああああああああッッッッ!」
響く慟哭。震える大地。それにたじろく敵兵達。
喉が潰れんばかりに吠えるトーマスは、確かに何か壊れる音が聞こえた。
自分の中で、今まで表に出してこなかった支柱が、バラバラと瓦解していく。
「かっ! 見っともねぇなぁ……。泣くなら……あの世でなぁあああああああああッ!」
トーマスを狙って振り下ろされる片手半剣。
仲間や竜の血が付着しているその剣は、今度はトーマスの鮮血をまき散らす……はずだった。
しばらくしても、肉を断ち切る音もしなければ、金属音の一つもせず……。
トーマスはそれを、片手で受け止めていた。それも……素手で。
「…………はぁ?」
素手で片手半剣を止めるなど、ありえない。
ありえないことが目の前で起き、隊長も、周囲の兵達も声が出ない。
なんとかトーマスの手を振り解こうとするも、一切動かない片手半剣。
流れ続けるトーマスの血。
完全に常軌を逸した存在を前に、今更「恐怖」がその場の人間に生まれだす。
だが、それに気付くには遅すぎた。
もう一方の手で引き抜かれた大剣は、音より速くその場の全員を切り捨てていた。
吹き上がる血飛沫に、赤く染まる大地。
朦朧とする意識のトーマスには、今、自分が何をしたのか分かっていない。
ただ大きな悲壮感と、己の弱さに打ちひしがれていた。
己の欲を優先し、部下の命も、竜の命も失った。
竜は使えなくなれば廃棄するのが定石。
ましてや、今は戦場にあるのだ。竜の命の優先は最も低い。
それでも、恐らく、知っていたのだろう。
トーマスが竜を救うことが。
だから敵兵達の、《地中爆弾》の配置だったのだ。
竜をすぐに殺さなかったのは、トーマスをおびき寄せるためのエサ。
全て仕組まれていた。何もかも。
「………………」
はるか前方から百近い徒歩と騎馬が駆けてくる。
一体、どこから湧いたのか。最早、そんなこと……どうでもよかった。
ただ、自分に向かってくる敵は一人残らず葬るだけだ。
「うがぁああああああああああああッッッッ!」
覚醒する意識。
今は下らない昔話など関係ない。
夢抱く子供の、夢物語を砕かねばならないのだ。
急接近する足音。視認する必要もない。
砂の波ごと消し飛ばす——ッ!
「ふんっ!」
大剣を振り、《刃》で周囲の砂の波を一気に吹き払う。
いくら《刃》が視認できるフレドでも、同じ砂の波の中では避けられないはず。
……はずだった。
「はぁあああああああああああッ!」
トーマスの不意を打ち、頭上に姿を現したフレドの片手半剣は、トーマスの首を狙う。
凄まじい勢いのフレドに寸止めなどできようか。
最悪の場合、トーマスを斬ってしま……。
だが、フレドがことの異変に気付いた時には、全てが遅かった。
視界がぐるっと大きく回り、地面に叩きつけられていたのはフレドなのだから。
「えっ……?」
状況の把握をしようにも、軽い脳震盪を起こしてしまい、焦点が合わないでいた。
そんなフレドを目掛け、今度は大剣が振り下ろされる。
さすがのフレドも、今度ばかりは受けるどころか避けきれない。
まさに……絶体絶命。
それでもフレドは、焦点の合わない状態でも、なんとか切っ先を見る。
諦めるなど……ありえないのだ。フレドには。
ザンッ!!
大剣の刺さる音が、決闘場全体に静かに響き渡る。
二人の行く末に誰もが注視し、誰もが期待していたからだ。
その結果は……。
「……何故避けなかった? 貴様ならその状態でも、避けられたはずだ」
トーマスの大剣。それはフレドの頬を掠り、地面に突き刺さっていた。
もしフレドが避けていたら、場合によっては死もありえた。
そうであっても……避けない選択は、まず取らないはずだ。
焦点が尚も合わないでいるフレドだったが、なんとか口を開く。
「剣が……迷っていたからです」
「俺が……迷う?」
「違います。その剣……が……」
「何を言って………………まさかッ!?」
「……」
「……おい?」
ぐったりと目を瞑るフレド。
息はしているので……恐らく気を失っただけだろう。
無理もない。あれだけの熱戦を格上の人間と繰り広げ、負傷も疲労もいっぱいなのだから。
たちまち膨れ上がる決闘場中の歓声。
それは決して、トーマスのみを讃えるものではない。
竜騎士団の団長とほぼ互角の戦いを繰り広げ、あまつさえトーマスを押していたのだから。
まだ正式な階位を持たない、無名の少年が、だ。
「フレドォオオオオオッ!?」
決闘場中央に滑り込んでくるカルラの顔は青ざめており、誰よりも心を乱していた。
「救護班ッ! 早くッ! 何をしているのッ!」
大慌てでフレドを運ぶ救護班のケツを蹴り上げるように急かすカルラ。
その後ろ姿を見て、トーマスは空を見上げる。
いや、恐らく空ではない。
自分自身……だろう。
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