17
※※※※
彼女は本当に
親身になってくれた
僕の力になると
約束してくれた
僕は今まで
一人で生きているのだと思っていた
それは間違いだったのだ
とにかく
僕は探さなければ
何か
大切な事を
失くしているのは確実で
違和感の正体は
欠落だ
あるべき何かが
そこに無い
僕が失ったもの
僕に今足りてないもの
それは
焦るのは良くない
むしろ空回りする
まずは僕を知る人から聞くのだ
他人を頼るのだ
人は
一人では生きていけない——
…………あっ
※※※※
「“鬼”の正体は、その牛乳とかいう…」
「“吟遊”ですよ先輩」、と呆れたように日下からの指摘が入る。冗談の通じん奴だ。冗談を必要とする程不安定なのは俺だが。
「そう、そいつらが流した噂だったってことか?」
「それではまだ正体の一端といったところでしょうか。彼らがその噂を流してまで隠したかった何かがあります。それを解かなければ」
まあ、そう上手く事が運ぶはずもない。
ここにある情報で答えが出るなら、運び出される際に後回しにされていない。
これだけで何かを立証できるとは思えない。ネット上に放流したところで、よく出来た造り物か、とち狂った陰謀論者の黒歴史ノートとして、おもちゃにされ忘れられるだろう。
相手はそういった技能に長けているようだ。
「即焼却炉行きでなかっただけ幸運だったと思うべきか…」
「そこがまた疑問点です。どうも、あそこの備え付けの溶解処分シュレッダーが機能していないようです。何か作為的なものを感じます」
日下が指す方を見れば、紙を挿し込むスレッドを持った機械が、部屋の片隅にポツンと置かれていた。電源は入らなかったらしい。
「作為って…この調書の中でも出て来る『裏切り者』か?だが一体誰が国を裏から操る組織に逆らってまで、商店街に味方する?」
「或いはまた別のものの為に動いているのかもしれません。彩戸広助の属する側も、事態を掌握出来ていなかったようですし」
「そんな危ないヤツが、国家保有の特殊部隊に入ってたらダメだろう…。いや国がバックに居るのかはまだ確定じゃないが」
それと問題がもう一つ。
「サンシ製薬かよ、よりによって…俺丁度痒み止め持ってきてるぞ」
「またバックストーリーが広がってしまいました。企業間の代理戦争でもやっているんですかね?」
だとしても、起こしていることはやはり意味不明だ。そもそも何が目的で始まった事件なのかが未だに見えてこないのは、頭が痛くなるばかりである。
「それで、先輩」
そうして、探偵の目がこちらを向いた。
「貴方は…その、どう感じました?」
珍しく、探るような、遠慮がちな口調だった。
「『どう』って、何が」
「貴方は明らかに入り込んでいた。途中からほとんど暗宮進次と同調していたように見えましたよ?」
「…まさか」
「過度の感情移入。前に聞いた話です。貴方は小学生の時分から既にそういった傾向があった。ただ純粋で感受性が高いだけかと思っていましたが…。現在の貴方の在り方とも何か関係が?」
「そうだとして、事件に関係あるかよ」
少しぶっきらぼうに過ぎる言い方になってしまったが、しかしこれは一種の防衛線である。踏み込まれたくない境界だ。いくら探偵と言えど、好奇心だけで掘り返すなら、俺はこの場を去らなければならない。それはもう、誇りも何も無く逃げる。
「すいません。ただ、貴方の意見を聞きたいんです。仮にも暗宮進次を演じた貴方から見て、彼はどのような人物でしたか?彼に関わった人々の中で、誰に目が行きましたか?」
日下らしくもない、漠然として、情緒的な問いかけだった。
俺は考える。
手帳は、暗宮進次の分身とも言えるものだった。
3年前に捜査を外されて、その後から先月事態が動くまで、長くて遠い空白がある。
その間、彼には他に何も残らなかったのだろう。
彼の内側を感じさせる
そこから見て取れる人物とは。
暗宮進次は——
あの男は——
「抜き身だ」
そう「抜き身」、その表現が一番相応しい。
「というと?」
「ブレーキが無い。自分の中に確固たる正しさがあって、それを疑いもしない…違うな、疑いたくないタイプだ。人間誰しもそうだろうが、暗宮の場合はそれが顕著だ。自分ルールに合うか合わないか。それが判断基準となっている」
そう、彼にとって重要なのは、自らが従うルールから外れないこと。そのルールの中に、「協調性」とか「妥協」とかいったものが存在しないように見える。運動エネルギーを奪われれば仕方なく止まるが、もし何かに再始動されることがあれば、障害を切り伏せながら突き進む。
「必要と感じたなら、何でもやりそうな恐ろしさがあるぜ」
参考になるかは分からないが、直感的に述べてみる。日下の役に立つのだろうか。
探偵は、いつも通り首を傾けている。
腕を組み、瞼は閉じられ。
ウロウロと、忙しなく歩き回る。
「時に先輩、夜持さんは、この山に登ったことがありますか?」
「あ、ああ…。例の震災の翌年だから、中1の4月に。この辺りは被害が軽い方だったしな。親睦を深めるオリエンテーション、っていうよくある校外学習で、俺と一緒に…」
「例の社には?」
「行ってたぞ。俺も居た」
「その時、夜持さんは強い興味を見せていませんでしたか?」
「よく分かったな。その行事が終わった後でも色々と調べ始めて、意外な趣味だと驚いた記憶がある。そう言えば、あれもいつも通り挫折したのか?その覚えも無いな」
そしてふと、ピタリ、と立ち止まった。
「隠そうとした者、暴こうとした者。挑発が『同じ』。ならば彼は何をした?」
一度瞠目し、再び歩みながらの思考姿勢に戻る。
動きながら、考えを整理しているようだ。
果実のような唇から、言の葉の種が零れ落ちる。
“真相”という実を結ぶであろう、種が。
「製薬会社が目指したのは安心…理論だけは完成して…確かに机上ならできる。ならば舞台は…そうか、そこしか無い。それで、見えてしまった…?そう、ここで正体を得てしまったのだとしたら。ああ、なんてことでしょう…それが答え?答えが出たからあの末路へ?だから裏切った?辻褄は合います。そして“吟遊”…その手管はそのまま使われた…裏切り者の存在、それで全てが通ってしまう。一本に結ばれて行きます。そして、彼は分かっていなかった。だから彼自身が…」
埋まっていく。
知られざる行間。
嚙み合う歯車。
不自然な空洞。
日下の中で、
明らかに何かが形を成していく。
「目隠しをされて、だから分からなかった。しかし、あれが起こってしまったから、そう確か容態が急変したのは11月の頭。だから焦った。だから気付かれて…それで、彼はそれを共有しようとして…。そこが『デッドライン』…敵対行動…」
そこで日下はまた歩みを止める。
周囲をキョロキョロと見廻し始め、表情には次第に焦りが浮かんでくる。
「もしこの推測が正しいのなら、彼らの団結が信仰によるものだとしたら…その御神体は…!」
弾かれたようにこちらを向いて次の瞬間には出口へ駆け出す!
「しまった!時間がありません。直ぐに彼らを追わなければ、もう既に手遅れになっているかもしれませんが、しかし行かなければ!」
「ちょ、ちょっと待て!説明しろ!」
我に返って慌ただしく後を追う。日下は既に階段を昇り切っていた。それでも立ち止まる気配が無い。再び大移動を追跡し始める。
「説明の時間ももどかしいです!とにかく、最悪の予想が外れるのを祈りつつ、そうなった場合の覚悟もしておいてください!」
「だ、だったら、簡単でいい!何を恐れているのかだけでも!でないと…防ぎようがない!」
日下はこちらを一顧だにせずに——
「人が死ぬんですよ!それも、もしかしたら大勢!」
悲鳴のように叫び、ピッチをますます上げていく。
人が死ぬ?
それはあの迷彩野郎の一派に、この隠れ里が、襲撃されるということか。
だが俺のありきたりな発想は、程なくして見えてきた、異様な光景によって忘れ去られた。
円だ。
炎の円環だ。
輪になっている。
何かを囲んで松明の炎が、数多く揺らめき燃え盛っている。
人々は両手の指を組み、祈るような姿勢をとっている。
だがまだ武器を手に取っている者もいる。
殺気立っていることがここからでも分かる。
目は血走り、何かを喚いている。戦闘態勢で立っている奴らは、皆例外なくそうなのだ。
ここは戦場だ。
この国では忘れられてきた、簡単に人死にが量産される、容赦の無い殺し合いの場だ。
構わず行こうとする日下に何とか追いつき、手を引っ張って無理矢理止める。
「おい正気か!?今度という今度は間違いなく死ぬぞ!?」
「彼らに追いすがられても、走り抜ければそれまでです!まだできることがあるなら、私はやりますよ!」
「てめえは!終わらせたんだろうが!」
「はい?こんな時に何を——」
「お前は終わらせた!もう後悔する必要はねえ!あそこにあるのはお前の後悔じゃねえんだよ!!」
怯んだ、ように見えた。日下の力が、一瞬抜ける。
その隙に彼女を引き摺り下ろし——
俺が、
一歩、前へ出た。
「後悔しないようにするのは、今は俺の役目だ」
——それに、「お願い」されたしな。
今度こそ明確に、日下は驚愕の表情を浮かべていた。
「あの中心に行けば、何かあるんだな?何かできるんだな?」
「先輩、それは」
「時間がねえ、プランを言うぞ。俺がまず突っ込んで奴らの注意を惹きつつ、ハーメルンよろしく連れ廻す。お前はその後だ。本命はお前だ。頼めるか?」
日下は、何か言いたそうにしていた。していたがそれを飲み込むと、真っ直ぐこちらを見つめ頷いた。
それでいい。
お前はその方が良い。
それが合図だった。
「お」
俺は、地を蹴り、上を目指す。「社を目指してください!」という、探偵の声を背に受けて。
「あ」
腹に力を入れ、震える足にもうひと踏ん張りさせる。止まらないように。減速すら許さないように。
「ああぁあ」
派手に行く。俺は囮だ。囮が恐れるな。
目立て。
お前が追いかけられるんだ。
「ぉおおおああああああああああぁぁぁっぁあああああ!!!」
モンキーレンチを持った
猟銃を持ったじいさんが、えっちらおっちら付いてくる。
鋤を担いだおっさんが、歯を剝きながら迫ってくる。
死相だ。
彼らの顔にはくっきりと浮かんでいる。
ここに居るのは、
死霊の軍勢だ。
人が
人が
人が人が
人が人が人が人が人が
ある者は向かってくる。
ある者は狙ってくる。
ある者は殺しに来る。
——殺される。
だから
走る。
もう周りは見ない。
ただ、進むことだけ考えろ。
彼らの声が聞こえて来る。
何を叫んでいるのか分かった。
唄だ。
知っている唄。
市歌だ。
歌っているんだ。
〽東に清流 西に黄金
北にまします 天子の腰掛け
ああ丹畝よ 我らが母よ
夕焼け小焼けで またおわす
追う者も、祈る者も
一様に。
熱病に苦しむ唸り声のように。
奇跡を言祝ぐ宗徒のように。
黙れ。
入って来るな。
今は、
今だけは、
俺には、
やらなきゃならないことが。
お前達の気持ちなんか、
分かりたくない。
分かってたまるか。
——そうだ、妹に電話をしておくんだった。
遅すぎる思いつきが脳裏を
それと共に、余計なことも。
——こうしている今も、見られているのか?
俺は、
俺の行動は、
どこまでが奴の思い通りだ?
違う、
「奴」などいない。
それは、幻だ。
分かっているのに。
苦しい。
足が重い。
藻掻いているのに、
前に進めていないような。
まるで、
溺れているような——
——やめろ!
——ここは川じゃない!
——ビビんな。
——恐怖を忘れろ。
——何か別の事を考えるんだ。
「視線」。
そうだ。
その主は、必ずしも敵なのだろうか?
「見てくれている」「見守っている」、そうだとしたら、
今俺を見ているのは、
あの探偵か?
——だったら、
——これ以上の不恰好だけは——
——ああ、空だ。
——空が見える。
視界が、開ける。
大丈夫、記憶通り。
社への道、その途中には、薄暗闇が晴れる場所がある。
そこだけ緑に覆われておらず、光が直接当たる場所。
その時丁度太陽が雲間から出で、頭上には輝く青が広がる。
今は午後だから、俺もそちらに目を向けられる。
何故「午後だから」なのかは、よく分からない。
方角が、問題だったか。
空。
青い空。
——空は、本当は青くないんだ。
そこで俺は
——空が青いと人は言うけど
——それはみんなが、勝手に言ってるだけ。
——僕らは地面と空を分けて考える。
——自分達の世界と、それ以外。
——でも、あそこには大気の層があるだけだよ。
——空は無限に続く虚無で
——今いるここはその一部だ。
——どこにも隔たりなんか、有りはしない。
——青く見えるのは、僕らを閉じ込めている色だ。
——そこに無い振りをした、何かの色。
——それはきっと、僕らを守ってくれている。
——僕らを優しく包んでいる。
——本当は存在しない境界線は、
——僕らを安心させてくれる。
——けれど、
——けれどね。
——僕は、その向こう側へ行きたくなったんだ。
——人が決めた限界、
——禁忌とされた、青色の外側。
——だから僕は
——これから、逢いにいくよ。
——“目に見えない空色”
——それで見えなくなったもの。
——それを
——探しにいくんだよ。
相変わらず、何を言っているのか意味不明なヤツだ。
いや、それは俺が、踏み込むのを恐れていただけだ。
それで良かったから、俺は夜持と友達だった。
夜持は、俺の逃げ場所だったんだ。
だけど今なら、できるかもしれない。
俺は、お前に——
気が付けば、社に着いていた。
稀に手入れされる以外に、管理らしい管理はされていない。
直線的かつ左右対称な
外周四方は全て扉となっており、開け放たれたそこからは向こう側の景色が見える。
神社としての規模が小さいどころか、下手をすれば
そこに、
その場所に、
男が
建物の正面に立つ、十字に組まれた木柱。
そこに上裸の状態で、
掌に釘を打たれ、
腹部は刺し貫かれ、
一目で死んでいると分かった。
凶器であると思われる槍は、長い棒に金属の刃を取り付けたもので、
未だに突き立てられている。
その男のことは初めて見る。
けれども、
どこかで見たことがあるような、
そんな錯覚を感じてしまう。
両掌に鋭い痛みを感じながら、
場違いにも思案してしまう。
そしてふと、
違和感を覚える。
——そうか
あの唄が聞こえなくなっていた。
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