18上

****

足りない


そうだ

まだ

足りない


もっと

必要だ


やっぱり

あいつには

もっと惨めで

ひとりぼっちが

相応しい


そうだね

あれは笑えた


次は

どうしようか


ああそれは

いいかもね


やろうか

折角

最後なんだから


しかし

どのタイミングで?


どう思う?


いつやるのが

一番傷つくかな

****




「“鬼”は、必要とされていたんですよ」



 日下はそう言った。


「それはつまり、不思議なことに対する説明としてか?それとも、事件から注意を逸らす口実としてか?」

「いいえ、それ以前に、その存在によって幸福になる人が居たということです」

 分からない。化物で幸せになる人間がいるのか。

「最初から、順を追って説明してくれ」

「そもそもの始まりは、どこになるんでしょう…国家の安寧を目指した者達の話なのか…人の安心を作ろうとした男の話、それともこの地に恩恵をもたらした『何か』の話かもしれません」

「ちょっと待て、壮大な脱線の気配がするぞ」

 「これが脱線ではないから、ややこしいのです」と、日下は困ったように首を横倒す。

 「何か」。

 神様か。

 確かにあの異常事態には、相応しい異存が要る。

 あの日見たものを思い出す。




 あの後。

 俺が男の——揉腫足の死体を発見した後。

 あまりにも多くの事が、起こり過ぎた。

 いや、思えばこの一週間程度が、これまでの17年と同等以上の、濃密な重さを伴っているのだが。

 

 まず、商店街のメンバーのほとんどが、自刃していた。


 どうやら揉の死を見届けたと同時に、近くに居た者が一斉に凶行に及び、そこから行動が伝播していったようだ。

 躊躇ったまま動けなくなった者や、日下が取り押さえた者など、一部の人間は生存したが、まともに話も出来そうになかった。


 俺達は、間に合わなかった。


 それを見せつけられた時の、あの日下の顔が頭から離れない。

 唇を噛み、端正な顔を歪め、一目で口惜しさが見て取れる表情。

 厭な顔だ。

 踏み荒らされた新雪のように、持ち前の真っ直ぐさに曇りが見えた。


 俺達は急いで麓まで引き返し、駐在所経由で轍刑事に連絡を入れた。

 救急隊と警官達が駆け付け、大きな混乱の中、生き残りの確保と、死者の回収が行われた。

 後程分かったことではあるが、死因はあの槍ではなくて、掌部からの出血を放置されたこと、即ち衰弱死だったらしい。

 なるべく混乱を大きくしないようにという努力は為されたが、まあ当然の如く露見した。

 今や、「田舎としては珍しい」どころの話ではなく、「戦後最大の大事件」といった勢いで、マスコミやらネットニュースやらの餌食となっている。

 俺達があの現場に居たことはまだ知られていない。が、時間の問題だろうな、とも思う。


 ともかく、轍刑事を始めとして、噂に聞く東京の警視庁まで参入し、大規模な捜査態勢が敷かれた。

 大方の予想通り取り調べではかんばしい結果は得られず、真相究明は現場検証に託された。


 の、だが。


 上へ下への大騒ぎに乗じて、多くの証拠の回収・破壊が行われたらしい。

 例の地下室もいつの間にやら埋め立てられ、俺達の証言だけではどうしようもなかった。

 日下がスマートフォンでいつの間にか撮影していた映像も、それで逆転できる程の材料にはならなかった。

 実物が調べられるならともかく、深く調査する役割の警察自体が握られている以上、動画一つでは追究のしようがない。決定的な何かがあったわけでもなく、単に警察関係者の関与を、間接的に示す資料があるだけ。

 戦うには、あまりにも弱く頼りない武器。

 しかも使い所を間違えれば、何者かが「処分」しに来る。


 社の方は、中にほとんど物が残っていなかった。縦の一本と、横に一本、足のつもりであろう追加二本、愚直な直線で構成された人型が、棒を組み合わせ作られているだけだった。足ではなく、躰を貫く縦棒で自立しており、雑に作られた印象を与える。ご神体にしても粗末なものだ。こちらも重要度が低いために、そのまま残されてしまったのだろう。



 つまり俺達は、負けたのだ。

 今のところは。



 日下は既に、仕掛けを終えたと言った。

 今日この日、作動すれば、終わらせられると言う。

 12月25日。

 夜持の眼が見つかった日。

 始まりの事件から、丁度4年。


 朝7時。俺は今、準備をしている。日下に同行し、全てが終わるその時を見届ける準備。と言っても、取り立てて用意すべきものもない。せいぜいが護身用に通販で買ったスタンガンと、スマートフォンくらいなものだ。襲撃されたというのに、結局鍵を変えることすらしなかった。口ではどう言おうと、俺は日下が「問題ない」と言ったことを信用しているようだ。いや、「お前が見ていても気にしていないぞ」、という強がりなのかもしれない。何ならチェーンロックまでしっかり施錠している。一方、それが何処まで意味があるかも分からない。日課のテレビの聞き流しを遂行しながら、妹に恒例のおはようメールをしようとし、そこで内から出た思い付きが、瞬間俺の手を引き留めた。


——そろそろ電話をしようか…?


 何故そう考えたか分からない。だが、そろそろな気がしたのだ。俺はメールを止め、スマホを充電ケーブルから抜き、出掛けることにする。

 

 違和感。

 

 何だろう。何かが、ズレているような…

 それは、不快な変化か?

 どこかで気付かずつまずいたのか?

 それとも矢張り、見られて——


——いや、違う。充電器の調子が良いんだ。

 

 バッテリーはしっかり満タンだった。よくよく思い出してみれば、ここ数日は充電の不便さを感じなかった。ACアダプターが、いつの間にか直っていたのか。もしくは、愈々いよいよツキが巡ってきたのか。なんとなく背中を押されたように調子づき、太陽のいる方角を見ないようにしつつ、ドアを軋ませ外へ出る。


 一階の道路には、既に大型の白いバンが停車していた。

 後部座席の扉が開く。中には愛子と優子の途直姉妹。今回の進行役、日下真見探偵。その前に座って、運転しているのは湯田さんだろう。

 優子達は黒いスカートに黒いリボン、白いシャツ。愛子の不安定さは相変わらず。それよりも優子が、普段の彼女からは想像もつかない、透き通るような凛々しさを、見せているのが気になった。まだ彼女には、俺の知らない顔がある。

 日下は真っ黒なワンピースの上に同色のフォーマルコート。所々に覗く肌と、手袋はいつも通りに白い。

 彼女達が意識しているのは、恐らく喪服。ここで夜持をしっかりと葬り、宙ぶらりんな状態を終わらせるという意志。俺も似たようなことを考えており、礼服用のスーツと黒無地のネクタイを合わせている。

 この面子めんつが中に乗ったら、この車はまるで霊柩車である。


 俺が乗り込むと同時に、出発する。

 俺の右隣に日下が乗り、後ろに姉妹が肩を並べる。

 会話は、無い。

 優子が愛子の手を握り、背中をさすりながら勇気づけるのみ。

 時には強く抱きしめて、何事か囁いているようだった。

「大丈夫、もうすぐ、もうすぐだよ、愛ちゃん」

 それだって一方的だ。愛子はほとんど反応を返さない。

 だがこの場に居る全員が、ある緊張感を共有している。


 乃ち今日、決着がつく。


 電飾が明滅し、意味もなく沸き立つ中心部から、閑静な郊外へと進んでいる。

 外を流れる麦畑を見ながら、できるだけ落ち着こうと努める。今日は、劇伴も用意いていない。

「先輩、誰かに常に見られているとしたら、どう思います?」

 そうしていると、どういう風の吹き回しか、日下が話しかけてきた。

 俺の被害妄想を見抜いているのかと、俄かに背筋を凍らせる。

「ど、どうって…場合によるだろ。主にその時の精神状態とか」

「そうですね、それが問題でした。何も監視と抑制だけが、効果である筈が無かったんです。それに気付くのが遅れました」

 もうこいつの脈絡の無さに慣れてきた俺は、「そうかよ」とだけ言って流す。

「例の、十七夜月望博士ですが」

 彼女もまた気にする様子が無い。壁に喋っているようなものなのかもしれない。

「前に一度、会う機会がありました。私は当時、ある事件で使用された薬物について、知ってそうな人物を片端から尋ねており、彼はその一人でした。その時からキナ臭さと胡散臭さの両方を感じていましたが…」

「どんな男なんだ?」

「典型的な、自分の欲望に忠実なタイプです。願望を表出させることや、それに周囲を巻き込む事に、恥じらいや躊躇いが一切ありません。それなのに、自分は遍(あまね)く人類にとって、英雄であると信じて疑いません。つまり、あらゆる次元でブレーキが無いんです。…ああ、その意味では、暗宮刑事に似ているかもしれませんね」

 独善的な科学者と、直情径行な刑事。ぶつかれば、大きな反発がある。

「何を研究してたんだ?」

「幸福ですよ。全ての人間に共通した幸せを発見し、量産することを夢見ていました」

「ハッ、その発想が既に『幸せ』っぽくねえな」

「全くその通りですよ」

 驚いた。

 日下が俺の意見に全面同意を見せるとは。

 彼女を振り返れば、苦虫どころか毒虫を嚙み潰したような、そんな顔で前を見ていた。

「人の感じ方を操作する、その思考は酷く危険なんです」

「まあ、そこは変えちゃいけない根幹、難攻不落でないと困る最後の砦だからな」


「逆ですよ先輩。やろうと思えば簡単に出来てしまうことが問題なんです」


「簡単に?」

 人の心は、操れるのか。

「“Blueブルー Whaleホェール Challengeチャレンジ”と呼ばれるゲームが大勢の子ども達を操って、自殺に追い込んだ話を知っていますか?」

 また、知らない言葉が出て来た。

「それは、課金とか依存症とかそういう話か?」

「いいえ、もっと単純で、おぞましいものです。今年の11月に、ロシアで逮捕されたメンターが行っていたもので、単に小さな命令を与えるものでしかありません。ただ具体的で、通常はやらないであろう特殊な行動。それを一つずつこなしていった先にあるもの。その50番目が、自殺」

「そ、」

 そんな馬鹿な。

「それで、人が死ぬのか?」

「実際、効果は覿面てきめんでした。100人以上が亡くなったと聞いています。体験を共有させ、単なる作業を特別な儀式へと変え、クリアするごとに自分を変えることが出来る。非日常に、別世界に、彼岸に送り出す技術。“死”というものを是とする世界に。時には死への恐怖すら、“特別”と“慣れ”という麻薬の前では無力です。この事件から分かるのは、人の“自由意志”なんてものは簡単に弄れる、ということです。ある価値観が『正常』とされる世界を作り、そこに招待するだけで、容易に人は染まります。一人一人別々に世界を作らせ、それで自身を縛って貰えば、もう言う事無しですね」


 だとすると俺達は、何を拠り所に立っているのか。

 俺は、俺の見ている世界は、明日また変わってしまうかもしれない。

 足裏が、急にぶよぶよとした感触しか返さなくなった。

 不定形の、タールみたいな地面。


 俺達は、こんなところを歩いていたのか。


 その不安定さも見ない振りして、その白い葬儀車は道を行く。


 終幕の舞台が、近づく。

 審判の下る時が、迫っている。

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