9

※※※※

どんな言葉で伝えようか


直接でないと届かない


遠回しでないと芸がない


空気とか趣とか流れとか

僕がここまで凝り性だとは

自分でも皆目思わなかった


そもそも言葉が最適な手段か

それすら僕には分からない


これからあいつに贈るものは


全てが詰まったものでなければ


世界で一つの最善でなければ


あいつの好きな食べ物はなんだった

あいつがいつも見ているものはどれだった

あいつが感じることのできる本物とは何か


僕は選ばなければならない


その瞬間は一度しか来ない


その一度をどのように彩るか


僕は決めなければならない


僕だけの「ありがとう」


僕だけの「これからもよろしく」


僕だけの「一緒に居たい」


僕だけの——

※※※※




「鬼のせいじゃないんですよぉ」



 早朝の住宅街。

 日下女帝陛下提案、「頻発している突然の引っ越し」という“事件”を探る、という方針の下、出勤・通学・ゴミ出しのために敷地から出て来る人間を待ち伏せ、詳しい話を聞き出す“作業”を続けている。

 4人の主婦——うち二人は子供の通学に同伴——、2人のOLらしき女性、3人の男性に無慈悲に避けられた後に、ようやくまともに会話をすることに成功した。


 思えば過酷な行程だった。


 俺は常日頃から、春眠より冬眠の方が暁を覚えないと考えている。ぬくい布団から、極寒の外気に踏み出す、思い切りと勇気が必要なためである。


 昨日日下がいなくなった後。

 警察による事情聴取や、いつ再びの襲撃を受けるか分からないというストレス、悪夢とすら言えない不条理な夢、そういったものが積もった結果、俺の疲労はピークに達し、朝起きてもそれは取り除かれていなかった。

 部屋の暗がりに潜む何かが、布団の中の俺を凝視している、そんな夢幻に囚われて、眠りが浅かったのも原因だろう。

 そして昨晩日下から、集合するべき場所と時間が、メールで送られてきたことを思い出し、俺は更なる絶望の淵へ。

 ただでさえ勝ち目の無い戦争が、より一層敗色濃厚。

 それでも俺はその戦いに勝利し、時間直前に這うように集合場所に。が、なんとその時日下は未だ、到着してはいなかった。

 忘れずに妹にメールをし、日下にも一応連絡を入れようとしたその時、

「朝一番に見る顔が先輩というのは、最悪ですね…」

 と寝ぼけまなこで時間ピッタリに日下は現れた。

 オーバーサイズの白いトレンチコートに白いマフラーに白いウールベレー帽…

——白っ。

 随分攻めたコーディネートしてやがる。美少女だから着熟きこなしてるのが余計に腹立つ。

 視線と言い色素の薄さと言い、彼女は涼やかな空気を漂せている。一見異様なそれらの服飾の組み合わせは、彼女のゾッとするような魅力を存分に醸し出していた。

 雪の精みてえな可憐さをしやがって。

 更にタイツも完備の重装備の割には、スカートという…寒がりならもうズボンで良いだろ。

 じっと見つめていたら、

「先輩、視線が粘っこいです」

 とか言って来やがり、俺は慌てて目を逸らした。

 朝と寒さにとにかく弱い探偵は、寝起きだけでなく機嫌も悪いようだ。

 だったら集合日時の設定を、こんな朝っぱらにするなとは思うが。


 ……別に見惚れてはいない。本当に。



 そういった最悪のコンディションにもめげずに臨んだ“釣り”だが、釣果ちょうかは芳しくなかった。ちょっとした不審人物扱いに、俺の目に映る世界がぼやけ始めて来た。自分の顔から出た塩辛い温もりで、溺れることを危惧するほどに。

 日下にそのまま言ってみたものの、「先輩の場合、体調が悪いくらいが丁度いいんですよ」だと。もう意味が分からない。つまり右から左に流された。



 彼女——表札によると苗字は片莉かたり——はそんな俺たちの前に颯爽と現れた、その日初めての“成果”である。

 

 およそ40代の主婦。頭髪は家事の邪魔にならないように纏められ、白いエプロンも着用している。ゆったりとしたVラインのブラウスに、黒いチノパン。申し訳程度に「困った質問をされた」と言いたげな態度を取っているが、表情から見てこういった世間話を楽しんでいることが見え見えだった。「噂好きの人間を狙い撃つ」という、日下の策は見事に当たったようだ。

 ちなみに何故主婦が「噂好き」なのかを聞いてみたところ、「家中に居ることが多く、娯楽に飢えているから」とのこと。

 ただ、道端で近所の事情について聞いてくる怪しい男女に対し、それでも片莉が話したがった理由は、「暇だから」というだけでなく、「対外的な方便に覆われた、内部のいざこざについて知っている」という優越を誇示するためのように思われた。

 

三惠内みえないさん一家の急な引越しの理由に心当たりが?」

「私あそこの奥さんに相談を受けたことがあるんですよぉ」

「相談と言いますと…」

「何かぁ、お店の方でトラブルになっていたみたいでぇ。みんな透明人間のせいって言うけど、単純に人間関係で居づらくなったのかなぁって」


 かなりの大当たり。被害者——まだ“推定”被害者だが——が揉めていたという証言は、この上なく直球な手蔓てづるである。人によっては口角を吊り上げ、「勝ったな」と宣言しているところだ。

 俺はしないが。

「もしかして、『勝った』とか思ってます?先輩」

 俺はしないが。


「『お店』というと、どのあたりの?従業員だったのですか?」

「奥さん、三絵図駅前の商店街で、ペットショップの手伝いをやっていたんですよぉ」


 「商店街」そのワードと事件の剣吞さが上手く結びつかない。警察の暗躍とか鬼の跳梁ちょうりょう跋扈ばっことかとは無縁に思える。はっきり言ってミスマッチ、結局空振りかと落胆しかける。

「三絵図商店街…」

 だが日下にとっては違ったらしい。目元が小さく跳ね上がり、一瞬だが声音に昂奮が乗る。ここで俺は確信する。


——こいつ、まだ俺の知らない何かを掴んでやがる。


「それで、トラブルというのは、具体的にはどのような?」

 俺の内心を知ってか知らずか、たちどころにポーカーフェイスな探偵に戻ると、平坦な態度で問いかける。

「それがねえ、よく分からないのよぉ。何か大変なものを見たとかでぇ…」


 「見た」と言うからには、“鬼”や“透明人間”ではないのだろう。裏取引でも目撃したか?国家権力が絡む大きなものを?単なる田舎の商店街で?

 

「詳しい内容を覚えていらっしゃいませんか?どんなにくだらないものでも構いません」

「ええと…『“授かりもの”をいいように使うことに抵抗がある』とか…『隠せるようなことでも無い』…『ずっと見られている』とも言ってましたねぇ」

 彼女の証言はつまり、「意味不明なことを言っていた」という以上の意味を持たない。


 「分からない」ということのみが、繰り返し執拗に判明していく。


 呼吸をしようと水面を目指すも、どちらが上かも分からない。


 茫漠ぼうばくたる“謎”の地平。直に触れることは叶わず、それを見た者によって語られる姿は、いつだって目に捉えられないナニカ。


 そんな奴、正しく理解できるわけがない。


「三惠内さんご一家は、人とのトラブルを生みやすい性格でしたか?」

「まさか、むしろその逆よぉ。いつだって笑顔で優しいご主人と、ちょっと内気なところがある奥さん。息子さんも朗らかに笑う子でねえぇ。だから、私に相談しに来た時は驚いたのよぉ。怯えているけど、怒っているみたいな、怖い顔をしててぇ…」


 何が可笑しいのか、随分と愉快そうだ。

 神妙な顔を作ろうとしているが、口の端の歪みが隠しきれていない。

 それにしても、穏やかな人物の“怒り”。なかなか見られない分、一度爆発すると激しく強いと聞く。

 それが本当かどうかはともかく、何か尋常ならざることが起きていたらしい。

 寂れた商店街で発生した、感情を強く揺さぶる事態。


 想像がつかない。何があったというのか。


「揉戌彦というお名前を聞いたことはございますか?」

「ああ、あの商店街のお偉いさんねぇ。気性の荒い人で、いつも上から目線っていうのぉ?支配したがりみたいなぁ。ちょっぴり苦手な方だったけど、奥様がそれはもう綺麗な人だったわぁ。腫足君を生んだ時に若くして亡くなられてねぇ…。“別嬪さん”ってやつぅ?脈なしだったけれど、戌彦さんから猛アタックかけて、そのうちに子どもができたのよぉ。当時は私もあなた達くらいの学生だったから、ロマンティックだって話題にしてたわぁ」

「戌彦さんは殺されたらしいですが?」

「あらぁ、そうなのぉ?私は行方不明だって聞いたけれど…」

 知らない名前が生えてきた。

 殺人事件はもう一つあるのか?

 しかも世間話しか掘れなかった。

 他人の幸せにはあまり興味がないらしい。剣吞な話題には飛びつく癖に。

「その戌彦さんの美人の奥さん、彼女の懐妊時期は覚えてらっしゃいますか?」

「さぁ…何しろ昔の事でぇ…でもそうね、私が10代の頃だから、30年くらい前かしらぁ?」

 下世話な話においては、頼りになりそうな情報源である。

 不幸を蒐集するというのは、どういう心境なのだろう。

 自分が幸福だと確認したいのか。

 非日常を感じたいが、当事者にはなりたくない。そういう、ちぐはぐな欲深さか。

 それともは——

——やめろ

——そこまでだ

 これ以上は、危うい。

 俺は、踏み込みたくない。

 自分一人の重ささえ、支えきれない程脆弱なのに。


「そうそう、一つ思い出したわぁ」

 片莉との会話が終わった後、礼を言って去る途中、

「あの人、こうも言ってたのぉ」

 彼女は劇薬を投下する。


——“救世主”は、あそこに居ちゃあいけない。


 ………


 ………………


——何だ、それは?


 ぞくりと、生暖かい舌で、背骨を撫でられた。

 そんな、不快な、難解さ。

 皮膚が粟立ち、身の毛もよだつ。


 折角忘れていた視線を、再び強く意識してしまう。

 何もないのに、俺は背後を確認する。

 何度も何度も、振り返ってしまう。


 “救世主”。


 商店街には似あわぬ響き。


 満を持して登場、新たなる化け物。


 その名が示す、救われる“世界”とは、


 何処を、何を指すのか。




 結局そこから、それ以上の目立った収穫は無かった。

 目玉が遺棄された現場にも行ってみたが、得られる物は何も無かった。

 思ったよりも学校から近かった、湧いた感慨とはそれくらいである。


 話を聞いても出てくるのは基本、“揉戌彦”とやらの悪口くらいだ。

 人を見下し、上に立つことに快感を覚える。

 命令することは当然と思い、手足のように人を使いがる。

 よく代表の一人が務まったものである。


 あと強いて無理矢理挙げるとするなら、不信感が籠った眼差しに、何も感じなくなったくらいだ。

 片莉の証言で感じた気分の悪さ。それが甚だ強烈で、拒絶されることへのショックも、至極どうでも良くなった。



 それにもっと、気になる気配がある。

 気のせいかもしれない、いや、十中八九そうだ。

 でも、やっぱりそこに居るのでは?

——俺は、今も見られているのだろうか?


「ふぇんふぁい、ふぉんふぁいは」

「待て、その肉まんはいつの間に買ったんだ。それと、食い終わってから喋れ」

 こういう時だけ小動物みたいなやわい顔しやがって。

 笑顔でもないのに旨そうな態度を表出する彼女を見た俺は、なんだか血迷って無性に目の前の生き物を愛でたくなり、次いで自分の気持ち悪さに本気で嫌気が差した。

 日下はぺろりと平らげると、「これはあんまんですよ」と全く必要のない訂正を挟み、涼しい顔で嫌味を再開した。

「先輩、今回は捨てられたダンゴムシみたいに大人しかったですね。その調子で頼みますよ」

「せめて“借りて来た猫”で喩えろ。理解の困難さが粘りつくようで、ちょっと今余裕が無いだけだ。そしてナチュラルに俺の役立たず化を歓迎するな」

「何度も言うように、先輩の戦力は数値換算でゼロ以下です。せめてマイナスにならないように努力して下さい。あと喩えについてですが、殻に籠って動かずに、何も解決しないところなんか、本当によくお似合いですよ?」

「おそらくだが、その罵倒に脳の容量と時間を費やしていることこそが、一番のマイナスだと思うぞ」

「それは置いておくとして」

「そもそもお前が持ってきたんだろうが」


 二つ目をかじりながら、日下が話を軌道修正する。


「“救世主”。どう思われます?」

「商店街の救世主じゃあ、斬新な政策で売り上げに貢献するリーダーとかしか思い浮かばん」

「むぅ…資金面が一番怪しいのはその通りです」

 おいなんでこいつ不服そうなんだ。さては的外れな答えに痛罵で返すの楽しみだったな?そんなへきなど捨ててしまえ。

「なんにせよ、厭な響きです」

「やっぱり超人とか神様とかには懐疑的か?」

「仮にそういったものが居たとして、それを担ぐ側が信用できるかどうかは別問題ですよ」

「…というと?」

 三個目。

「先輩、『処女懐胎』という言葉を聞いたことは?」

 流石の俺でも知っている。

「聖母マリアが、婚約者と契りを交わす前に身籠ったって話だろ?」

「それで生まれたのが“救世主”。では、その“婚約者”についてどれだけご存知でしょうか?」

「ええと…」

 そう言われると、たまに絵で見る爺さん、といった印象しかない。

 なので、そのまま伝える。

「ナザレのヨセフ。大工を営み、大祭司の命によってマリアという女性と婚約していました。しかし、初夜を迎えずに子どもを孕むという、どう見ても不義密通としか思えない状況に出くわします。最終的には神の意志として受け入れますが、ここでマリアとイエスの母子を見捨てて離縁しても理解できるくらいです」

 考えてみれば、寛容と言うか、信心深いというか、宗教的理想人物といった男なのか。

「けれど、後世の人々の彼への仕打ちは、むごいものでした」

「えぇ…?何されたんだよ…」

「先刻ご自身で仰っていたでしょう?『爺さん』、と。本来ヨセフとマリアは結婚適齢期の男女で、一般的な夫婦だったんですよ?しかし、多くの絵画では老人として描かれている。彼は、処女おとめマリアの純潔を穢さない為に、様々な媒体で生殖能力を奪われたんです。マリアの父のように描かれ、彼と彼女が交わる場面なんて想像すら出来ないように」

「日常系アニメの男性キャラの比率が低くなっていくのと、同じようなことが起こってたわけか?ストレスを排除していった結果、マリアが処女でなくなるという解釈違いの犠牲になったか」

「まあ…その理解でだいたい合ってます」

 だとしたら、酷い話である。

 急に婚約者が誰の子かも分からない赤子を腹に宿し、それでも神の教えに従った結果、本来の自身の姿さえ否定される。

 妻と子が、これでもかと美化され続けていることも併せて考えると、その末路は対照的と言えるだろう。

「神様がどれだけ完全でも、それを崇めるのは結局、迷いも間違いもするヒトです。特に、“救世主”という言葉を使っている人間は、酔っていることが多いんです。自分が救われる為なら、他人の尊厳なんて、容易に踏み潰すような方もいます。集団なら、その傾向はより顕著でしょう」

 “救世主”という言葉は、それが「正義」であると言外に主張している。担がれる側とその周囲の迷惑も、見えないか「仕方ない事」として切り捨てられる。

 

 その“教義”に合わない者には、なんの手も差し伸べない。

 また、“救世主”のことを救ってくれる人間は、大抵存在しないのだ。

 


 いやもう四個目かよ食べ過ぎだろ。ていうか、サラッと大量に買い込んでんじゃねえ。


「とは言え、あの商店街で夜持さんの事件の前後にリーダーが変わった、カリスマが現れた話は聞きませんね。寧ろ、人が減っていた筈です」

「減っていた?」

「名産も観光資源も無い田舎ですからね。その上中途半端な開発によって、自然が特別豊かなわけでもない。元々過疎化の傾向があったところに、度重なる引っ越しや行方不明。むしろあの時とどめを刺されていてもいいくらいです」

「自分が住んでいる場所ボロクソ言うじゃねえか」

「事実です。それに私は依頼のために最近引っ越したばかりですからね。転入の手続きは苦労しました」

 日下は五個目を頬張りながら、すまし顔でとんでもないことを言い出した。

「優子の同級生だから依頼されたんじゃなかったのか!?」

「そんなこと何時いつ言いました?優子さんが私の活躍を耳に挟んで呼び寄せたんですよ」

 そう簡単に「耳に挟む」ことができる情報じゃない。とすると、優子はかなり必死に探していたことになる。


 家族の仇を見つけ、姉の心を救ってくれる、そんな銀の弾丸を。


「それで、何に『止めを刺された』んだ?さっき明らかに『繋がった』って感じだったよな?」

「先輩に見通されるのは不覚ですね…末代までの恥です」

「そういうの良いから」

 日下は拗ねたように半目で俺を一瞥し、渋々その小さく健康的な唇を開く。


「3年前、その商店街で人が一人行方不明になっているんです。しかも目が欠落した遺体の目撃情報まで存在しています」


 その話は、迷宮踏破の第一歩では?

「待て待てド級の重要情報じゃねえか。詳しく聞かせろ。てか先に言っとけ」

「関連があるかは五分五分だったんですよ。先輩みたいな浅慮モンスターに聞かせたら、情報の確度を検証する前に暴走しそうでしたので。ただこれで、方向性が定まりました。先輩にも一応把握しておいてもらいます」



 そうして日下が語ったのは、もう一つの不思議な事件。


 一瞬で起こった消失、両目を失った死体、痕跡を消された現場、被害者も犯人も居ない推定殺人事件、あまりにも早い捜査の終わり、広まる“透明人間”の噂。


 両目、消失、鬼と透明人間。夜持の事件と似ていたが、それ以上に奇妙な出来事の連続だった。特に一度見つかっていながら、結局姿をくらました屍。何の意味のある行動なのか、まるで意図をはかりかねる。



「『その死体が実は夜持だった』ってことは無いのか?両目を抉ったのは、そこで勘違いさせる為の仕掛けだとか」

「可能性としては低いでしょう。時期的に夜持さんの遺体は腐敗している可能性が高く、入れ替えトリックとしてはお粗末です。更に言えば、そのトリックが成功したとして、何もメリットがありません。結局死体無き殺人事件が二つになるだけです。そもそもその二つの関連性に気づかれていなかった為、やっていることは全くの無意味です。連続殺人であると睨まれるデメリットまで発生する以上、遺体を隠し続けた場合以上のメリットがあるとはとても思えません」

 

 つまり、こういうことだ。

 まず前提として、警察が二つの事件を別々のものだと考えているとする。

 その上で、「目の無い死体」を隠し通す場合と出現させる場合、その両方のケースを想定してみる。

 死体を隠せば、殺人事件にはならない。関連性が疑われる余地など一切無くなる。行方不明事件だから、捜査がおざなりでも比較的不自然にはならない。

 一方、死体が一度出てきた場合、殺人事件に発展し、警察にもしっかり調べられることが予想される。しかも「眼球の欠損」という、二つの凶事を結ぶ糸を可視化することになる。実際日下が「関連性あり」と判断した大きな理由の一つはそれであろう。余計なことをして、証拠を残す危険性を増すことにも繋がる。


 犯人の行動は、まるで全てを一本の線にして欲しいかのようだ。伏線を撒くのが下手な小説家のように、あからさまなまでにアピールしている。

 その反面、徹底して何の手掛かりも残していない。立ち回りが矛盾している。見せたいのかそうじゃないのか分からない。「目立ちたがり屋の透明人間」とは、素敵な程笑える冗談である。


「で結局それが『止め』になる理由がよく分からないのだが?」

「先輩、やっぱり論理思考できないタイプの霊長類ですね?殺人事件なんて、殺伐とすることこそあれ、活気を呼び寄せることなんてないでしょう?おまけに被害者は商店街でも屈指の実力者だったと聞いています。会長を差し置いて、実質的なトップだったと。その会長は事件後直ぐに、心臓発作で亡くなっています。」

 初めに日下が見せた“証言”を思い出す。「目の前で人が消えた」という話をした男は、その話を自身で語り継ぐことが出来なくなった。成程、あれはその「会長」の娘から得た情報だったのか。

「名実両トップがほぼ同時にいなくなり、しかも片方に至っては、原因が“殺人”。もともと目立って集客力があったわけでもない。商店街がシャッター街になってもおかしくない、というよりそうならないとおかしいくらいの『止め』ではありませんか?」

 成程、こいつが俺の誤謬ごびゅうを見つけた途端に、生き生きとし始めること以外は納得できる。

 

 だがしかし——

「実際あの商店街、そんなに寂れてないぞ?」

「目下のところ、それが一番の疑問です。先程の証言から、内部での不和までは確実に存在していました。実際、2年前の事件前後から、多くの人間が転出・引っ越しでいなくなったと分かっています。ところが、ボロボロに瓦解する筈の共同体が、奇妙に生き残り続けているんです。採算が取れないとなったら、真っ先に撤退しそうな大手の小売店までもが、今でも店舗を置いているくらいです。どんな秘策を使ったのかは不明ですが…いえ、あるいはそれが——」


「『救世主』…か?」


 商店街の終焉を食い止めた存在。

 人手の流出にすら対抗して見せた、実在も怪しい大いなる扶助。

 気が進まない。

 俺達は、俺はそいつと目を合わせたくない。

 しかし他に探せるものが無い以上、やることはたった一つである。

 首を斜めに熟考した、日下探偵の結論も同じ。


「行きますよ、“三絵図商店街”へ」


 「近場のアーケードへ冷やかしに行く」

 言ってしまえばそれだけなのに。


 俺がその時感じていたのは、


 全身隈なく纏わりつく


 「見られている」感覚と、


 伏魔殿ふくまでんに踏み入らんとする決意、


 更に加えて、

 

 胸を締め上げるおぞましさだった。


——今の怯えた俺を、


——何処からか見て、



 笑っているのか?

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