8

※※※※

陽の下で会えないのは何故だろう


どこにいるのか

何をしているのか


教えてくれないのは


何故なのだろう


嫌いになるから


そうあいつは言った

胸中の熱を

本物にしたいから


どういうことか

尋ねたところで

答えは返らず

何もできずに


そんなことは無いと

僕は言った


あなたは耐えられないと

あいつは言った


折角二人になったのに

また戻ってしまうから

※※※※




「透明人間…ですか…」



 薄暗い取り調べ室。

 対面には新顔の刑事。いや、彼が知らないだけで、もう古参なのかもしれない。

 見るからに困惑しているその男の態度も、暗宮にとっては見慣れたものだった。

 自身のキャリアまで賭けて、たかが怪談の“お化け”の不在を、証明しようとしていた日々を思い出す。あの頃も周囲の人間は、理解できないという視線を向けて来た。

「そうだ、彩戸にはそれを追わせてた。結果的に出てきたのは公安がどうのとかいう眉唾な代物だったが」

 暗宮は努めて淡々と語る。下手に感情を入れてはいけない。相手がこの話に疑いを持つことは百も承知。ならば事実に説得力を持たせるために、余計な脚色無く詳述するのみ。

「しかし、『透明人間を追いかけてたら、公安の影が見えて、すぐさま対処されました』という話を真に受けるわけにも——」

「あれが“対処”されたのか、身の危険を感じて逃げたのか、若しくは完全なる別件か。それは分からん。分かっているのは今まで語ったことで全てだ」



 暗宮は丹畝市の警察署まで出向いていた。彩戸の失踪について詳しく聞きたいということだったが、既に何度も繰り返した話である。そんなこともお構いなしに再び呼び出されたのは、やはり暗宮が重要な参考人であると向こうが思っているということを意味しているのだろう。

 だから暗宮は、証言しても全く相手にされないことを覚悟していた。

 だが、この轍という刑事は、現役時代の暗宮のことを知っていたようで、比較的真剣に耳を傾けてくれていた。

 そんな彼でもやはり、暗宮が語る顛末には懐疑的なようだったが。

 

 一応、怪しまれないように調査の内容を伏せることも考えた。それが彩戸失踪の原因であった場合、それを知った人間は危機に陥るかもしれないという懸念もあった。

 けれども暗宮は最終的に、自分の持っている情報の、ほぼ全てを開示することにした。

 散らかったピースが支離滅裂で、どれが重要か分からなかったという事情と、いっその事多くの人間に共有していた方が、むしろ手を出しにくくなるだろうという読み、それらを踏まえた行動である。

 これで暗宮が殺されたら、本気で公安が関わっているとバラすようなものである。狂人呼ばわりされようが、安全が確保できる分マシだった。


「その噂は聞いたことがありますが、公安がどうのみたいなのは無かったと記憶しています。それに三絵図商店街の事件とは関係ない内容です。仮にその内容で知れ渡っていたとしても、そんなのまともに信じる人間なんて、署内に一人もいませんよ。ましてやそれが原因で刺客が送り込まれるとか…それに、その理屈でいくなら暗宮さん、あなたが真っ先にいなくならなくちゃ」

「そう、それがまた疑問点だ。俺が見逃されて来たことと、彩戸への動きの早さが説明できない。しかも実行が俺との会話の後。奴から情報を広げないように口を封じることが狙いなら、それは失敗したと言っていい。奴と同時、少なくともその直後に狙われなければおかしい。俺が放置されていることは、重ね重ね不自然だ」

「なら結論は出たも同然では?酷い偶然が重なっただけということもあり得ます」


「同じ事件を追っていた者のうち、片方は捜査終了命令からの左遷、もう一方は行方を晦ます。偶然という可能性自体はあるが、それは一番こちらにとって嬉しい場合だ。最善の想定にすがることの危険性は、分かるだろ?」


 暗宮にとって「最悪」の想定とは、これら一連の事件や浮説ふせつが一本に繋がってしまうことである。その仮定が正しいのなら、闇に蠢く悪役が実在してしまう。それは暗宮を、大いに揺さぶるだけの力を持っている。だから彼も、否定できる材料を搔き集めている。


「彩戸は失踪ではなく、悪ふざけで隠れているだけという線は探ったか?」

 面白そうなことなら喜んでやる元後輩のニヤケ面を思い浮かべる。 「やつならやりかねない」というのが暗宮の見解だ。

「目撃者、監視カメラへの映り込みゼロ。暗宮さんと別れた後に何処で何をしていたか、一切分かりません。現役刑事が誰にも何の連絡もせずにドロンですよ。悪戯でこれだけやるでしょうか?あまりにお騒がせ過ぎて、下手をすると懲戒処分ものですよ」

「確かに、彩戸はそういう面倒は避ける奴だったな…」


 次に轍が切り崩しにかかる。

「彩戸さんが事件の犯人で、暗宮さんが調べ始めたのを見て逃亡…てのはどうです?」

「奴ならもっと上手く、波風立てずにやるよ。というか、きっと分からずに四苦八苦する俺の隣で、『鈍いなあ~』とか内心で嘲笑うタイプだ」

 轍にも特に異論は無いようだ。

 こうして改めて言葉にしてみると、彩戸広助という男の厄介さが浮き彫りになり、気が滅入る。


「彩戸に人間関係のトラブルとかは?あいつ性格的には嫌われやすいタイプだろ」

「あの人、要領がいいですからねえ。当事者や容疑者とはあまり顔合わせないですし、手柄に前のめりでもない。社交的ですけど、親友や彼女といった一歩踏み込んだ関係性は作らない。有能ではあるから、上司や同僚から睨まれてもいない。トラブルからは一番遠い人ですよ」

 どうやら怨恨も望み薄だ。彩戸広助に隙は無い。完璧な立ち回りには腹さえ立ってくる。


「じゃあ暗宮さんはやっぱり、彩戸さんが公安に消されたと?」

「それはそれで問題だ。そもそも、国の国家機密が何で田舎警察の署内で噂になってる?公安の関与があっさりと疑われたのも据わりが悪い。どこから情報が漏れたんだっていう話になるだろう。人を何人も手に掛けてまで守った秘密がほいほい囁かれてたら、公安の奴らだって笑うしかねえよ」

 そう、そこが最大の問題である。前提からしておかしいのだ。秘密保持の為の殺人が、風説の流布に繋がり、真文や彩戸、暗宮の耳に入るまでになった。本末転倒である。陰の黒幕が居るとしたら、糸を引いている彼の一手は、明らかに事態を悪化させている。彼ら自身にとって望ましくない方向へ。


「じゃあ事件について考えてみましょう。例えば、その商店街の全員が共犯というのは、あり得ないんでしょうか?」

 それは当然考えた。最もシンプルな解答である。

 だが——

「理由がねえ。奴らの中から一人の裏切者も出さずにいられるとは思えねえ。金でも怨恨でもそうはならねえだろ。しかも殺されたのが商店街の中枢だったのが最悪だ。せっせと自分達の勢力を削っていることになる。益々考えづらい」

 今日に至るまで、口裏を合わせ続ける、その原動力が見当たらない。

「あれはどうです?ほら、マジシャンがよくやる…ええと」

「“ミスディレクション”か?」

 右手で派手にパフォーマンスを披露し、その間に左手で仕掛けを完了する。

 注意を逸らされ、見ていないなら、無いのと同じ。


 種も仕掛けも、無くなる。


 基本中の基本のテクニック。

 人体消失マジックというわけだ。

「警察が捜査しても何の仕掛けも無く、そういったものを回収した形跡も、それを見た者も無い。消えたのは瞬き程の間。となれば、その魅力的な案にもノーと言わざるを得ねえな」

「ですよねえ…駄目です、万策尽きました…」


 仕掛けトリックを解くなら、糸口がもう一つ。

「サンシ製薬については、なんか情報は無いのか?」

 ならば、の異物はどうか。

「怪しいところは無いんですよねえ…。その、十七夜月…でしたっけ?あの人の研究は、慥かにワードだけ見ると穏やかじゃないんですよ。『寄生虫』とか『理想郷』とか『大いなる視線』とか」

 しかし、

「開示されている実験内容や、実際の成果物は、クリーンもクリーン。清潔過ぎて気味が悪いくらいです」

 「あれじゃあただの良く効く薬屋ですよ」、そう言い乍らも、それだけでないことは感じ取っているようだ。だからこそ、その煩悶は加速する。



 轍も暗宮と同じように、思考が堂々巡りに嵌り込んだようだ。四苦八苦しながら状況を整理する刑事は、自分の尾を追う犬の姿を連想させる。辿り着けないことを知らず、延々と同じところをぐるぐる回る。そんな哀れな犬だ。

 そしてその姿は鏡像だと気づき、余計に消沈する。


 それに暗宮は、そろそろ轍が心配になってきた。いくら知っている人間だからといって、あまりにも鵜吞みにし過ぎではなかろうか。これで本当に刑事をやっていけるのか。


 暗宮が老婆心から忠告するが、

「あ、それは大丈夫です。皆さんどうやら疑っている人ばかりなので、僕は取り敢えず信じることにしました。全員が全く同じ方向しか向かなかったら、間違っていた時大変でしょう。僕が暗宮さんのことを信じていれば、誰かが必ず正解を引き当てるというワケです。完璧でしょう?」

 穴だらけな方法論で黙らされた。

「お前最初に『真に受けるわけには』とか言ってなかったか?」

「暗宮さんが本気で言ってると信じた上で、それが勘違いや騙された結果であるということもあり得るってだけですよ」

 「成程」と暗宮は納得してしまう。どうやら犬には犬なりの持論が、しっかりと確立されているようだった。確固たる理論にって、「暗宮進次の証言を精査する」という結論に至ったと信用できる。


 ならば、暗宮がやるべきことは一つ。


「まずは俺の証言の裏を取れ。防犯カメラで失踪当日の俺の動きを追うくらいはもうやってるだろう?だったらあとは彩戸が話を聞いたという同僚を探しておけ。公安の話についても本人から詳しく聞き出せ。男を見かけて公安だと断定した『上司』とやらが誰なのかも知りたい。今一番の手掛かりがそれだ」


 暗宮は指し示す、自分を信じる為の道を。

 暗宮は導く、味方になる為に立つべき場所へと。


 実際、彼の証言を裏付けるにしても崩すにしても、それらは必要な作業と言える。そのため轍も二つ返事で了承した。


「“丹畝の猟犬”にご教授頂けるとは光栄です。」

「その呼び方はやめろ。恥でしかない」


 轍は謙遜と受け取ったようだが、暗宮にとってその通り名は、受け入れ難いものであった。

 的を射ていないからではない。

 むしろあまりにも彼の本質を突いてしまっているからである。

 彼がやっていたことは、ご褒美欲しさにできるだけ大きな獲物を狩ろうとする、飼い犬の行動そのものなのだから。

 



 その後、不利になるような事実が出ることもなく、かと言って大して実のある話ができたわけでもなく、暗宮は解放された。



 明日は当番日。8時半の勤務開始時間を、意味もなくズルズルと遅らされる朝。その到来を予感して、今から暗宮の心身は重い。

 それと同時に、体にへばり付く不定形の焦慮しょうりょが、彼の歩みをいたずらに速め、自宅に着く頃には疲労困憊という有り様だった。

 何かをしなければ、真相はまた手の届かないところへ行ってしまう。その意に反して、具体的な行動の指針は一切見当たらない。



 寝床に入っても目は冴えてしまう。深海に沈むような疲れはあるのに、脳が休もうとしてくれない。



 耳鳴りがする。

 頭蓋の中で金属音が木霊する。

 頭を搔きむしって叫び出したくなる。

 大声を上げながら、走り回りたくなる。

——お願いだ

——静かに

——眠らせてくれ

——そんなに響いていたら

——思い出してしまう

 そこで暗宮は気づく。耳障りに鳴っていたのは——


「はい暗宮」

「もしもし、轍です」


 知らず、眠りに落ちていた。

 轍にこうやって叩き起こされるのは、二度目である。

 あの時彼は、凶報を持ち込んで来た。或いは暗宮にとっては吉報だったか。

 今回はその口から何が飛び出るのか。

「彩戸の死体でも出たか?」

「いえ、そういった劇的な展開ではないのですが…」

 轍の歯切れがいやに悪い。言いにくいことを吐露する子どものように。

 そんな彼の口から出たのは、更なる混迷の開幕を告げる音。


「聞き込みをした結果、彩戸さんから『透明人間』や『国の計画』についての話を聞かれた人間は、署内に存在していませんでした。現段階では暗宮さんが虚偽の証言をしていると考える他なく、あなたが第一容疑者に認定されました。つきましては明日、直ぐにでも——」


 存在しない。

 一人もいない。

 彩戸と会話した人間居ない。

 或いは、

 彩戸が調査した、その


——そんな、馬鹿な

 

 もしそんなことが可能なら。

 それを暴こうと足掻くことの


 その無意味さは。


 暗宮進次はその時、


 自らを吞み込まんとする


 巨大なあぎと


 幻視した。

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