7

※※※※

かつての僕は学校には

特別大きな思い入れは無かった


家の近くのコンビニへ続く通り

排泄という義務を行う便所

そういったものと変わらなかった

通過点に過ぎなかった


あいつがそれを変えてみせた


いつもの夜の密会で

気づけばそこに足を運ぶ

あいつがいるだけで景色は色を持つ

あいつが話すだけでどんな時よりも賑やかに


あいつは運命


そして魔法


そこに行くのは責務でなくて

心が躍る楽しいひと時

深夜の学校で僕らは語る

誰かと共に生きること

誰かと共に行きたいところ

誰か仲良くなるということ

誰かを好きになったこと


そうだ


僕がはっきりと思いを伝えたのも


やっぱりあの場所だった

※※※※


「鬼にご自宅でも襲われましたか?」


 折り悪く入浴中だったのか、くぐもった反響が聞こえる。

 俺からの急な着信を受けるなり、日下はいきなりそう切り出した。

 こういうところが、また苛立たしい。

 まだ何も話していない段階で、先回りする意地の悪さが。


「な、なん——」

「私が貴方と別れてから結構経っていますので、距離的に帰っていてもおかしくない時間です。それに加えて現在私は、貴方にとって最も顔を合わせたくない、会話もしたくない人物な筈。それでも連絡してきたということは、誰でも良いので頼らざるを得ない程に余裕が無い状態、且つ探偵を名乗る怪しい私を選択するような案件。即ち透明人間関連。本人からの連絡のため、直接襲われたわけではない。あとはまあ、当てずっぽうです」


 こんな時は、解説よりも先に色々とやるべきことがあるだろうと思った。「自宅の位置まで把握しているのか」という憤慨も生じた。

 同時に、そんなことを指摘できるくらいには、冷静さを取り戻したことを自覚する。

 そんな俺の様子を正確に把握した日下は、俺に警察への通報や現場保持、大家への事情説明と協力要請など、やるべきことを迅速に指示していた。俺はそのノルマに追われ、ついでに妹に連絡するうちに、徐々に現実感を取り戻し、足元が浮ついたような感覚から復帰した。


 今から考えるとあの時の俺は、自分の“正常な世界”を取り戻す何かを求めていたのだろう。そして探偵は、見事にその要望に応えた。俺はその場での“常識的な行動”を取ることで、ギリギリ平静にしがみつけていた。

 俺は確かに、日下に救われたのである。その事実がまた腹立たしかった。


 それからやって来た警察に事情を説明し、彼らが捜査をするために俺の部屋を隅々まで調べているのを、阿保面下げながら目に入れていたら、制服姿の日下がやってきた。日付が変わった直後のことだった。

 どうやら新しい着替えを引っ張り出す暇すら、惜しんで来てくれたらしい。こういう熱心さは素直に有難かった。


微睡まどろみのお風呂タイムに割り込んでくるなんて無粋な人です。それともわざとですか?うっかりテレビ電話になることに全霊の祈りでも注ぎましたか?」

などと変わらぬ辛辣さを見せる日下に、

「魅力も興味も無いから安心しろ、これっぽっちもだ」

 と力無く返す。

「先輩は年下好きですからねえ…」

「どういう意味だよ…」

 昨日完膚なきまでやり込められたからか、感謝を漏らしたくなかったからか。俺は日下の前では余計なことを言う気になれなかった。

 日下もまた、昨日の続きをするつもりはないようだ。

 ただ、どうしても納得のいかないことがある。


「どうして俺の方なんだよ…」


 疲れ切っても、まだ愚痴を言うことはできる自分を、むしろ褒めてやりたいくらいだった。

「てめえが狙われるのなら分かるが」

「貴方もどうやら、私をうんざりさせる言葉でないと、発することが出来ないようですね。少し呼吸を止めてみませんか?きっと快適になると思います。主に私が」

 いつぞやの軽口をそのまま返される。

 今や睨み返す気力もない。

 日下はしきりに「ふわぁ」とか「ふみゃあ」とか奇声を発している。探偵様にも睡魔という天敵が居たらしい。そのことを指摘すると、400字詰原稿用紙5枚分くらいの罵倒が返ってきそうなので、下手につつくことはしない。

 というか今更だが、「微睡のお風呂タイム」ってなんだよ。


「ようやく出てきたまともな台詞がそれですか?」

「一日関わっただけで、オカルトに傾倒している探偵よりも優先して襲われたんだ。それも鬼だか透明人間だかとかいう、理解に苦しむ存在に。言いたくもなる。」

「この場合はどちらでもないでしょう。単なる不法侵入です。」

「単なる…ねぇ…お前はもう少し、弱い人間の心理に寄り添うべきではないのかね?」

「人と表層で付き合うことを常としている先輩から、まさかそんなアドバイスを頂くとは」

五月蠅うるさい、余計なお世話だ」


 結果だけ見れば、留守中に押し入られただけ。

 壁の文字も動物の血で、誰かの死を示唆しない。


 だが問題は物色されたことでも、落書きされたことでもない。

 事態が動き出したことだ。


 それも飛び切り奇怪きっかいな形で。


「それでも“密室”が『不法侵入』で片づけられるのは、納得いかねえ…」


 そう、あの日はしっかりと戸締りをしていた。

 窓には内側から鍵が。

 扉もしっかり施錠されていた。

 ドアに鍵をかけたら、念のために引いて確認する。意識せずともやっている習慣によって、鍵のかけ忘れは否定される。

 にも拘らず、そのどちらも解錠されていないままに、部屋は荒らされ、言霊が撒かれた。

 マスターキーは大家も所持している。ということで犯人が彼であるという推理が成り立つ。あの「人のいいおじさん 」といった風貌の男が、俺を脅す理由がないという、その一点に目を瞑れば。

 だったら犯人が部屋の中に潜んでいたパターンである。人の気配にいちいちビビっていた俺が、部屋の前で立ち尽くしていたために、一刀両断できてしまう仮説ではあるが。仮に俺の目を盗んでも、このボロアパートで物音一つ立てず、扉を開け、一階に降り、闇に紛れる…

——うん、無理だな。

 ここらにはセキュリティ機器の類が無いため、犯人の姿はまたもや視認できない。アパートの近くに鎮座ましましているカメラは——俺は知らなかったが——どっこい紛い物だった。記録能力どころか映像入力すら持ち合わせていないと来れば、もはやカラス避けの案山子と変わらない。


 詰まる所、八方塞がり。


 そうして頭を抱える俺に、日下はなんてことなく述べる。

「ここの錠はピッキングが簡単過ぎました。セキュリティの強化をお勧めします」

 ピッキングが…「」?

「何で過去形だ!?」

「検証は大事ですから」

「当然のように自白したが、当然犯罪行為だからな!」

 こいつ、少し目を離したら前科三犯とかになってるんじゃなかろうか。

「大丈夫です。しっかり証拠は残しませんし、確実に息の根を止めます」

「想定が不法侵入から強盗殺人にランクアップしてねえか…?」

「現時点で私の超法規的行為を知っているのは、先輩と私の二名のみですので」

「『証拠を消す』工程の一貫で、未来を奪われる身にもなれ。せめて“ついで”とかじゃない劇的な退場を求める」

 というか発言が危な過ぎる。録音しとくだけで出るとこ出れるぞ。

「残念ながら、私のコネクションの前には、その程度の脅しは無力ですね」

「人の心読むのやめろ。というか、探偵のセリフにしては汚すぎるだろ…ロンドンで犯罪界のナポレオンでもやってた方が向いてるぞ」

「数学は95点でした。成程適任ですね」

「自然な流れで自慢しやがる。つーかそれ逆に何を間違えて引かれたんだ勿体ねえ」

 「先輩はさぞ優秀なようで」とか言いながら睨んできた。どうやら余程口惜くやしいミスだったようだ。

「そこで先輩に質問ですが、何か無くなっている物はありませんでしたか?」

 コードというコードは抜き放たれ、箪笥、戸棚の類は中身を全てぶち撒けられ、それでも、金銭はそのまま。それが余計に不気味である。

「破壊されたものならあるが…。被害が大きかったのはコンセント回りだが、それだって元々一つのタップにこぞって繋がってたから、何が何だか分からんのだよな…。と言うかそれ以外でも、一々自分の部屋に何があったか覚えてねえ…ってこれを言わせてこき下ろす気だな、おい?普通覚えてないからな?」

「私の部屋は、色はチークのレバーハンドル式の標準扉を内側に開けて、まず右の壁に大きな窓、深緑の遮光カーテンと白いレースカーテン。左の壁には縦50×横75のコルクボードが縦並びで二枚、現在この件に関する調査資料として写真44枚メモ用紙52枚、まだ未使用のメモは283枚に画鋲95個」

「待ってくれ、俺が悪かった」

「奥には床から1.4mのところに明かり窓、その下には左奥に引き出し収納付きシングルベッド、右側に作業机。ベッドの上には…いえ、まあもういいでしょう。兎に角、いつも聞こえる音や、普段の匂い等にも気を配っていれば、異変があれば直ぐに分かりますよ?先輩も次に襲われた時のために、是非訓練しておいてください」

 こんな事、二度とあってたまるか。

 …ん?というか、今何故唐突に攻勢が止んだ?

「なんだ、ベッドにデカいぬいぐるみでも置いてるのか?抱き枕代わりに」

「どうしたんですか先輩あれですか先輩は女性は皆ぬいぐるみをモフりながらゆるふわしてるとか妄想逞しくしてる夢見がち少年ですか残念ながらそんな理想の女の子はいないんです分かったらその可能性を頭から排除してください出来れば物理的に」

「お前がどうした」

 そんなに分かりやすいヤツじゃなかっただろ。睡眠関連でどんだけ弱点を抱えているんだ。

「別に恥ずべきことじゃないだろ?この歳になっても人形遊びとか、案外楽しめるもんだしな。そういうのに安心する気持ちは分かる」

「先輩にフォローされるなどと、今世紀最大の屈辱です。いえまあ事実無根の言いがかりですが」

「今世紀はまだ四半世紀すら経ってないだろ、気が早過ぎるぞ」


 悪態を吐きながらも、この問答にどこか安堵している俺が居た。少なくとも、俺は日常とは地続きの場所に居る、そう思える。いけ好かない探偵に、憎まれ口を叩く余裕も戻ってきた。


 それもなんだか、この後輩に気遣われたようで、どうにも気に入らなかったが。


「真見ちゃん、ご苦労様」

 そこで、刑事と思しき男が歩み寄ってきた。

「おや轍さん、奇遇ですね」

「いや、どう考えても君のお膳立てだよね?普通不法侵入とか脅迫ぐらいじゃ、僕呼ばれないから」


 犬が居た。


 …いや、失礼。

 犬男がいた。

 犬はわだちさぐると名乗った。

 年の頃は恐らく20代後半。人の好さそうな笑みは、どうやら愛想笑いではない。瞳はさっきから細められており、口も笑みを象ったまま。茶色がかった髪はボブカットで纏められ、眉も唇も薄い。

 鼠色の草臥れたスーツの上に、ベージュのチェスターコート。全体的に頼りない印象。

 どこにでもいる優男。ただ雰囲気からなんとなく、忠犬を連想してしまった。

 成程、こいつが探偵様の“コネクション”らしい。

 俺が失礼なことを考えている間にも、二人の情報交換は進む。

「つまり帰ってきた時には、確かに鍵が開いていた、と」

「先輩の脳はステゴサウルス並ですので、そこだけはしっかり念を押して確認しました。間違いありません」

 誰の脳がクルミ大だって?

「ふーん、困ったなあ…よく分かんないよ…」

 …この人本当に大丈夫か?

「すいません、何が『困った』なんですか?」

 質問が口を出てしまってから、それを聞く権限があるのか不安になる。

 だが轍刑事は、あっさりと情報を開示した。


「どうもねぇ…玄関の鍵には、ピッキングで付くような傷跡がなかったらしいんだ。窓の方も調べたんだけど、痕跡ゼロ」


「ほう…それはそれは」

 おい探偵、どういうことだ。感心してる場合じゃねえぞ。

「密室じゃねえって話はどうした!?」

「私そんなこと言いました?ピッキングなら簡単に開けられるという事実を申し上げたまでです」

「てめえ…!」

 俺の感情を振り回して遊ぶな。

 ちょっとでも頼もしく思った俺はまた馬鹿を見る。

 小首を傾げて眠たげな半目を開く探偵から、切迫感が急激に失せていく。

 その上、日下は追い打ちのように、脱力しながらとんでもないことを言い出した。


「なら…そっちは。この話はここでおしまいです」


「…なんだって?」

 耳を疑った。

 何を言ったのか理解出来なかった。

 「問題ない」?

 事件に関わって半日もしない間に、正体不明の襲撃者が現れ、脅し文句と不可能犯罪を残していった、その状況を「問題ない」と言ったのか?


「おい、おいおい、おいおいおい。探偵はこういう時にスパッと解決してくれるものだろ?責任を放棄するな。それとも何か?この事態の裏側が分かったのか?見えない鬼の正体が?」


「先輩、“透明”という神秘と、“密室”という結果は別のことですよ?自分に理解不能なことを、全て鬼のせいにしていませんか?それは思考の放棄ですよ。きちんと向き合えば答えはシンプルです。それに“責任”と言うなら、これは先輩自身で解かなければならない事件です」


 どうも日下は本気のように見えた。

 本当に、俺の問題を解消するつもりが無い。

 啞然とする俺を尻目に、彼女は轍に「もう戻っていいですよ」などと言っている。


「お、おい待て」

「それでは先輩。この後は事情聴取等で時間が無いと思いますので、また明日に協力してもらいます。時間と場所は後で連絡しますので、遅れないようにお願いします」


 そう言って、「うみゅう…」と欠伸をしながら、日下は離れ始めてしまう。

 「人使いが荒いなあ。透明人間も再ブーム来てるみたいだし」などと意味不明なことを呟きつつ、怒った様子もなく轍も撤収を開始する。


 「置いていくな」と哀願しそうになる。跪いて慈悲を請うことすら考えた。表面ばかり安定しても、内側は無遠慮に攪拌かくはんされたまま。

 一人切りになった途端、あの恐怖がぶり返してくる。

 誰かが俺を、見ている気がする。

 そんな筈がない。

 俺をずっと見張り続けるなんて、そんなことが出来るわけが。

 分かっている。

 それでも不安は昂じていく。

 心細さに支配され、目尻には涙すら滲む。

 

 日常の中にいたい。

 安心したい。

 妹の声が聞きたい。

 

 ただ一人残された俺は、


 満身の力を振り絞って——


「どうしろってんだよ…」

 

 力無く、不平を垂れることしか出来なかった。


 その日の夜、俺は球体だった。


 青く満たされた大気の中


 坂道を転がり落ちていた。


 「青く」?


 何故そう思ったのだっけ。


 コロコロ


 ころころ


 この坂は、


 こんなにも真っ白だというのに。


 ここはどこなのだろうか。


 妹は、どこだろうか。


 自分の下の白が雪だと気付いて


 刺すような痛みに襲われた。


 違う

 これは寒さだ。


 いや

 「寒い」では生温い冷たさだ。


 到着。

 檻の中。


 ここで大人しくしてなきゃいけない。

 

 何故?

 なぜだろう。

 

 目の前を屍が通っていく。


 みんな目が無い


 何かを探している。


「君を探しているんだろう」


 よう夜持

 なんでそうなるんだ?


「だってみんな

 君を失ったから」


 そうだ

 


 そうだった

 彼らのところへ行かなければ。


「ダメだよ」


 なんで止める。


 お前だって

 そうだよ

 愛子が探してたぞ。


「見えてたら見つけられないから

 青くなくなってしまうから

 だから君は

 ここにいなきゃ」


 相変わらず、意味わかんない事ばっか言いやがる。

 

 でも

 それが正しい気がする。


 俺はここでじっとして

 その時を待ってなければならない。


 全てが見える、

 その時を。


 なに、水の中よりはいいさ。


 いくらだって待てるものだ。


 そう思い出した俺は、


 ゆっくりと、


 融けていった。

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