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※※※※

日常というものはつまらないものだと思っていた


週に五日学校に行き

“家”に帰れば食って寝て

休みの日には市の中心で

カラオケやボウリングで時間を潰す

中学生なんてそんなもん

不良の先輩に誘われて

こっそりナイフを持ち歩いてみたり

施設のイベントの際に出される

健康飲料がいつもクソ不味かったり

サボって市内を一周して

おばさんにビンタされたこともあった


けれど結局

視界の隅に

あの“猛獣の歯”が入る度に

社会の様々な場所で

“当たり前”を知れば知るほど


自分が何者か思い出し

中心に居座る空洞を感じる


気のいい友達も


温かい家族も


何もかも隙間を埋めてはくれない

そんな寂しい実感があった


だけど

あの日

運命と出会い

世界の全てが動き出した


きっとこのために生まれてきたと

そう思える時間があった

名前は千代子


萠湯津もゆつ千代子ちよこ


それが運命の呼び名だった

※※※※

 



「透明人間…いいや、そんなもんはいねえ」



 東北地方某県丹畝市。

 人口およそ7万人。名産はラーメン…と主張しているが、実際には小麦の他に何もないだけである。

 西側はほとんどその小麦畑ばかりの農地であり、東端にある木和きわ川が隣の市との境になっている。

 もとは「丹畝」と「深詞」という二つの町だったのを、市制・町村制公布の際に、町村合併した土地である。

 再開発が進み、見てくれだけなら都市の仲間入り。中身は過疎化進行中、他の市と連携して何かすることもない。

 寺院は2・3程度。

 神社は無く、市内の山の上に小さな社が置かれているだけ。

 小さい市でありながら、一部の人間の仲間意識だけは厚く、閉鎖性は高まり、外からの移住は絶望的。

 市歌もある。



 〽東に清流 西に黄金

  北にまします 天子の腰掛け

  ああ丹畝よ 我らが母よ

  夕焼け小焼けで またおわす



 丹畝に伝わる昔話から作られたらしいが、大抵の住民は意味も知らずに歌っている。


 田舎としては発展しているが、都会と言うには小規模。いびつだが平穏そのものなこの土地で、事件は起こった。


 三絵図商店街役員失踪事件。


 後に三絵図商店街目潰し殺人事件とも呼ばれる。


 被害者はじゅう戌彦いぬひこ、当時65歳、商店街の役員で、かなり影響力の大きい、所謂中心人物だったらしい。写真で見た感じだと、どこにでもいる頑固親父といった風体。短く剃られたごま塩頭に、浅黒くガサついた肌、黄色く濁った前歯。目は睨みを利かせるようで、笑っていても迫力が出ただろう。

 2013年12月23日。三絵図商店街で、同商店街会長猿田さるた壅蔽ようへいとの会話中、一瞬目を離した隙にいなくなった。

 同月27日に、そこから1キロ西の資材置き場に、目の無い死体が放置されているとの通報があったが、駆け付けた警官が見つけたものは、灰の大地を朱に染める、広い血だまりのみであったという。

 発見者は直前まで死体があったと証言しており、それが本当なら彼は二回消えたことになる。当初は却下された考えだったが、その後それが冗談ではなくなった。

 血液のDNAが揉のものと一致したこと、流れ出た血液が致死量を超えていたことから、行方不明事件は殺人事件に。当時、所轄は騒然となった。

 通行人に周囲の店舗の従業員、遊んでいた子どもにまで、徹底した地取じどり捜査を行い、付近の記録映像全てを調べたが、足取りは杳として掴めなかった。

 鑑取かんどり班による人間関係からの容疑者の絞り込みも進まず、特命班に至っては「血液以外の遺留品が無い」と頭を抱えていた。

 当時所轄の出世頭だった暗宮は、この事件を解決し、その地位を盤石なものとするべく奮闘した。

 しかし、ある時唐突に捜査は打ち切られた。それはもう、誰でも勘繰りたくなる程突然に。


 圧力を掛けてきたのが何者なのか、それがまた問題だった。

 警察のお偉方が介入してくるのは分かる。勿論、本来は許されざることだが、捜査を中断するなら登場して当然の勢力だ。


——そこでなんで、製薬会社が出しゃばって来やがる。


 暗宮が尾けた彼の上司は、大層な黒塗り車と密会していた。

 調べた先には、大手の薬屋。

 誰もが知っているその名前。


 サンシ製薬。


 道士姿で巻物を持ち、頭が牛に似た狛犬が、大きな瞳を背負っている、化け物にも見えるロゴマーク。

 「『生きる』に安心を」という文言を掲げる、創薬・製薬の巨大企業。

 服用する痒み止めから、最先端脳科学まで。

 事件との関連もへったくれも無かった。

 寝耳に水。

 青天の霹靂。

 予期しない者が壇上に躍り出て、国家権力の降板を要求した。

 秩序の代行者が唯々諾々と、それにおもねり意のままになる。


 納得のいかない彼は上層部に猛抗議した。そして独断で捜査を続行した。


 サンシ製薬の最前線、創薬プロジェクト発案部、その主任研究員が、出社するその時を狙って、下車してから本社ビルに入る、その間隙かんげきを突き強行した。


 奴は、掴みどころの無い男だった。


 まだ30代前半であり、見方によっては20代でも通用する若々しさ。その歳で大企業でも指折りの、エリート社員を纏めるトップ。

 艶のある髪にシミひとつない肌。

 撫で付けられたオールバックは、強さと活力を感じさせ、着用するビジネススーツは、几帳面が行き過ぎて神経質になっているような、無機質な鋭さを持っている。

 にこにこニコニコと、愛想を振りまいてはいるものの、重苦しさを放っており、それでいて言動は嫌に軽い。


「アナタ、そうアナタ!ようこそ!我々の無謀バベルへ!私が君の探している者。十七夜月かのうのぞむ!」

 慇懃に、胸に手を当て礼をして、気分はまるで主演男優。

「早速だがご協力を!アナタのような方にも聞いておこう」


 距離を詰めた暗宮が、名乗るよりも前に問い掛けられた。

 機先を制され後手に回る。

 男は目を輝かせて、鼻歌混じりにスキップしてくる。

 所作が一々芝居がかって、空隙あらば首を刈る鋭利さ。


 その一瞬だけ、笑顔が消えた。


「アナタは、幸せですか?」


 それは、抽象的に過ぎて、なんら具体性が伴わず、故に一切の効力を発揮しない。

 そんな質問の筈だった。

 だが、暗宮はそれを跳ね除けることが出来なかった。

 適当に返すことも、自信満々にうそぶくことも出来なかった。

 この男の口から放たれたら、愚者に道理を諭されたような、不気味な居心地の悪さがあった。


「てめえ…聞きたいことがあるのは、こっちだぜ…?」


 息も絶え絶えに発せた音は、そんな情けない負け惜しみだった。

 

「てめえらのところの親玉が、真実をひた隠そうとしてやがる。そこで聞きたい。いや、聞かせろ。いいや、全て吐け。お前らは——」


——何をやってる?


 十七夜月は顔を綻ばせる。

 誇らしげに「よくぞ聞いてくれました」、両手を広げて示したものは、巨大なビルとその蠕動ぜんどう


「我々は、人に安心を与えます!それも、永遠に」


 観客へ謡い、魅せるように。

 

 滔々と吟ずるは彼岸の理屈。


「人は生まれてから様々なものを手に入れると言われています。それを受け継いでいくのだとも。分かり合い、愛し合い、それによって自己を後世に保存する。それこそがホモサピエンスの究極」


——何を、

 いや、今はその話をしていない。

 何故邪魔をしたのか。

 それを聞きに来たのだ。


「しかし!しかしです!そこまで必死になって、それで人間は自分の“魂”をどこまで世界に刻めるでしょうか?肉体は遺伝子によって一部が残ります。けれど思想も、記憶も、想いも、原風景も、他のどこかに持ち出すことが出来る人間は一人として存在しない!どれだけ愛していると言っても、その人間当人になることができない以上、本人以外が全く同じものを出力することは不可能!畢竟、人間とは生まれてから死ぬまで孤独のままなのです!」

 

——何を、

 違う。

 真意を見通すことなんて簡単だ。

——だから答えろ。

 どうして暗宮の敵となったのか。

 詰問の為に口を開けるも、俯いていた十七夜月がパッと顔を上げ、またしても端緒を潰される。


「そこで!私は考えました。一人と一人な人々を、全部“ふたり”にする方法!死が恐ろしいのは自らが消えるから。自分の一欠片かけらすら置いていけないから。ならば、完璧に同調し理解してくれる、理想の他者を生み出せばいい。そして人類は不安から解放される!死は終わりでは無くなる!」


 次には悪戯っぽくウインクまでして。


「おっと、理論はシンプルですが、簡単なことではないですよ?何せ人類最大最高最古のブラックボックス、人体、そして意識との戦いです。精神は肉体を作り変え、肉体は精神を塗り替える。よって我々は人類意識との闘いを迫られる!たいへん試練を予感させますが、だからこそ、だからこそ!我々の胸は高鳴るのです。障害無き愛が味気無いように、不可能無き偉業もまた、有り得ないのだから!そう、我々の全てはこのために!」

 

——何を、言ってやがる


 暗宮には理解不能だった。

 目の前の存在が、世界で初めて見る異物だった。

 食いしばった歯の間から、千々の熱気が漏れて行く。

 これは怒りだ。憤怒の息吹だ。

 人が死んで、混乱が起きて、それを収束させるなと言って、それが「安心」だとかす。

 

 こんな狂人の戯言に、自分の使命は遮られたのかと。


 胸倉に掴みかかり、警備員に取り押さえられ、それでも十七夜月は笑っていたし、暗宮は諦める気は無かった。

 つまりは両者、何も変わらず。

 二者間の溝が浮き彫られただけ。

 

 暗宮が躍起になったのは、自分の住む町を想っての正義感といったような、高尚な動機からではない。ただの暗宮の性分に基づいた行動だった。


 昔から、はっきりしないことが嫌いだった。偶然やら運命やら、曖昧な理由や原因を基に考える人間を見ると、無性に腹が立った。

 物事には因と果が存在し、起きたことが全てである。そこに在るものが全てであり、魔法も妖怪も存在しない。そう考えていた。

 だからこそ、彼は刑事を目指した。犯罪者かそうでないか白黒はっきりつけられる職業であり、物的証拠がものを言う世界でもある。

 まさに天職に思えた。


 しかし実際のところ、本当にそうだったかと言えば微妙である。


 犯罪者を捕まえてみても、悪人であるとは限らない。悪人であったとしても、法を犯していなければ捕まえることはできない。捕まえても、法廷で目一杯罰を軽くされることもある。

 「白黒つける」のは警察ではなく裁判所であり、その裁判所もまた、「情状酌量」だの「心神喪失」だの「司法取引」だのといった曖昧で目に見えない何かが横行している。


 暗宮の求めた明快さは、そこにはなかった。


 そうして彼の原動力は“真相”と“出世”だけになっていった。

 事実を解き明かすことで、その事件を理解する。容疑者を捕まえることで、より偉くなる。それが暗宮に残された唯一の“分かりやすさ”だった。

 そんな彼だから、「揉は透明人間に殺された」という噂の蔓延は許し難いことだった。


——可哀想なあの人が、悪い透明人間に連れ去られた。


 大方、そんな感じだろう。

 そんなものがいるものか。

 それを捕まえれば、皆が幸せ。

 そんなに上手く運ぶものか。


 自分が諦めたもの——明々白々な悪役——に未だに縋りつく人々、そんな姿を見た彼の神経は、直に引っ掻かれたようにズクズクと疼く。

 一度、近所の少年までもが聞いてきたことがあった。

 何かの折に、暗宮が刑事だと話した相手。それだけ心を開いていたのだと思う。

 そんな彼に、透明人間がいるのか、そのような趣旨のことを尋ねられたその時。暗宮は絶望した。かつての幼稚な自分が、底なし沼に引きずり込んでくるように感じた。

 だからになって調べ続けた。

 そんな不明瞭な代物で、明確な事実に蓋をする。そんなことを許すものかと。

 筋を通そうと藻掻いた結果、無数のみちに絡め捕られた、自身の失敗を繰り返させぬと。


 結果、上層部から交番勤務を言い渡され、キャリアを失った時、彼に残されたものは「あの事件は何だったのかを知りたい」という欲望だけであった。


 そしてそれも、その後の日々によって摩耗していくことになる。


 御偉方の自己満足や保身の為にあるとしか思えない、「朝礼」や「訓示」といったつまらない行事の積み重ねで、「朝8時半交代」という約定が虚しく踏みにじられていく。警官のはんたる者達が、“分かりやすい”ルールを軽視する場面の積み重ね。

 そういう日常によって。


——ああ、だからあれも嘘だったのだ。

 もう暗宮は整理をつけたというのに、惑わせるようなことを言ったって、目障りな誘惑でしかない。


 そう、思っていたのだが。


 兎に角。


 今は追い回す為の気力が、はらの中からとめどなく溢れ。


 彼は止まらず、やがて成し遂げる。


 “敵”が動いたのなら、望むところ。


 かつての人脈が、彼を導いてくれる。


 今度こそ、正せる。


 暗宮進次は、


 暗闇の中の怪物に、


 果敢に挑む


 騎士のように。

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