第2話
ただでさえ眠たい午後に書類整理なんて、つくづくツイてないなと思う。
「おーい、五十嵐~ご指名だぞ~」
上司のやる気なさそうな声で呼ばれ、慌てて席を立つ。
ご指名、最近多いのだ。そこだけ聞くとホストクラブか何かのようだが、行く先は取調室である。部屋の前で待っていた上司は、困った顔で僕の頭をぐりぐりするとそのまま中に押し込んだ。
部屋の中にいたのは狼男が一人と監視員が一人。僕は小さく息を吐くと狼男の向かいに座った。
「あんたが五十嵐さん?」
「……そうです」
問われてため息混じりに返事をする。
男がニカッと笑うと犬歯が覗く、見た目が人間と変わらなくてもれっきとした狼男……正確に言うなら“人狼(じんろう)”である。
人狼と月狼の違いを簡単に言うと、獣型になるかどうかということだ。細かく分析すればもっとあるのだろうが、何せ研究が進んでいない。これは妖全体に対しても言えることだが。
「はぁ……なんで指名なんて」
思わず頭を抱えてしまう。いつからなのかは覚えていないが、本当に多いのだ。
「知らないんすか? あんたオレ達の間では有名人っすよ」
「はぁ!? なんで!」
当たり前だと言わんばかりに答える男に、つい声を荒らげてしまった。彼に突っ掛かってもどうしようもないのに。そんな僕の態度を気にもせず男は続ける。
「オレ達“妖”にも優しいって噂でさ」
「ああ、……そう」
言われた言葉に思い当たることがあり、声が尻すぼみになっていく。
「おい五十嵐、世間話しに来たんじゃないだろう」
「あ、すいません!」
監視員の男に怒られ、慌てて取り調べを始める。
一通り終わったところで、男は聞きたいことがあると言った。
「ずっと気になってたんだけどさぁ、あんたから月華鬼の匂いがするんだけど……あんた人間だよね?」
キョトン、という効果音が付いたかどうかは分からないが、僕は目を丸くした。
「人間ですよ。……ああ、これのせいかも」
言いながらシャツの中から引っ張り出したペンダントを示して見せる。トップにカプセル一個分の大きさのピルケースが付いているのだ。
「なんすか、ソレ?」
「種、なんだって」
「た、種!? なんでそんなもん持ってんすかあんた!」
興味津々といった感じの軽い口調で尋ねられたので、深く考えずに返答をすれば、予想外の驚きが返って来た。
「なんでって、持っててくれって言われたから」
ありのままに話せば、男はしばらくなんとも言えない顔をしていたが、やがて驚きを含んだ困惑の声を上げた。
「月華鬼の種って言えば、食料……じゃなくて眷属を作るための大事な物でしょう!?」
「そういう物らしいね」
淡々とした口調で返せば、男は少し大袈裟な話し方でなんとか自分の驚きを理解してもらおうと必死になる。
「一度に一つしか作れなくて、前のが消滅しないと新しいのは作れないって……」
「え、そうなんだ」
男は僕が種の重要性を全く知らなかったことに、驚きを通り越して呆れたようだった。
「……ソレを渡した相手は、あんたに判断を任せたかったんじゃないんすか」
「そうかぁ……」
ぼんやりとした返答をすれば、明らかに呆れたような視線を向けられた。
そういえば、なんとなく受け取ってしまって今に至るが、彼女がこれを“僕に”渡した意味なんて考えたことがないかもしれない。
なんだか無性にリコさんに会いたいなぁ……。
長閑な田園風景だと思う。
遠くまで続く畑に舗装のされていない農道。でこぼこの道をものともせずに進んでいくトラクター。道の先にあるのは農場かもしれない、牛らしき大きな生き物がゆったりと歩いている。
「リコさん!」
長い黒髪の後ろ姿に声をかければ、普段は伏し目がちの目をいっぱいに開いた驚きの表情で、彼女は振り返った。腰まである艶やかな黒髪が動きに合わせてさらりと流れる、初めて会った時からずっと変わらない姿。
「……こーた? ……どうしてここに」
驚きに彩られた深紅に一瞬、目を奪われる。
僕が近付いていることなんて気配で気付いていただろうに、驚いてくれる彼女に笑みがこぼれてしまう。二、三歩離れた位置で立ち止まり、もう一度にこりと笑いかける。
「こちらにいらっしゃるとお聞きしたので」
「そう、じゃなくて」
わざと論点をずらしてなるべく丁寧に返せば、困惑というか、どう言えばいいのか分からないといった感じの言葉が落とされる。次の言葉を促すように向けられた視線は思いの外弱々しい。
「返事をしに来たんです」
「へん……じ?」
秘密をばらすようにそっと告げれば、言葉を繰り返すだけで、まだ状況が理解出来ていないようだった。
軽く頷くとペンダントトップの小さな容器を捻って手の平に種を乗せ、そっと一歩踏み出してリコさんの前に差し出した。小さく息を飲む音がして、そのまま彼女は固まってしまう。まるで種を恐れているような彼女の行動に、僕は不思議な気持ちになる。優越感にも似た高揚感と、叫びながら走り回りたいような衝動。
「まだ、種は有効ですか?」
鼓動が速いのを悟られないように平静を装いながら尋ねれば、彼女は殊更ゆっくり頷いた後、震える唇を開いた。
「……もちろん」
その答えに破顔した僕は、躊躇いなく種を口の中に放り込む。
錠剤か何かのようにペットボトル入りのミネラルウォーターで飲み下すのが申し訳なくなるほど重要な物であるというのは、少し前に嫌というほど思い知ったわけだが。種は何の引っ掛かりもなく、するりと喉の奥へ流れていった。
結局、植え付けるといってもこんな簡単な行為で済んでしまうのだ。
「リコさん、好きですよ」
呆然としている彼女の華奢な身体を抱き寄せて告げれば、頷く気配の後に肯定の言葉がもたらされた。
「……うん」
そして聞こえるかどうかという微かな声で“私も好きよ”と告げられる。感極まって何も言えなくなってしまい、ただひたすら彼女を抱きしめた。
飛び出しそうな心臓も、歓喜の雄叫びも、踊り出したいような衝動も全部、全部、僕と彼女の隙間に押し込んで――。
感情の波が去ってからゆっくり身体を離すと、彼女と目を合わせて、最初に謝罪を口にした。
「長い間お待たせしてすみませんでした」
真剣にそう言えば、彼女は出会って初めて笑う。花弁が綻ぶように甘く、柔らかく。
「……五年なんて、長いうちに入らないわ」
悠久を生きる彼女達にとっては、確かに瞬きのような時間かもしれない。
種はまだなんの変化ももたらさないけれど、同じ時を過ごすことを許されたのだと、僕は静かに喜びを噛み締めたのだった。
満月と踊る花 みなぎ @minagi04
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