満月と踊る花
みなぎ
第1話
溢れんばかりのネオンの海に鳴り止まない喧噪、この町にはそんなものが似合うとずっと思ってきた。
けれど今、町は不気味なほど静まり返っている。
……戒厳令が敷かれているのだ。
妖(あやかし)とこの国の人々が呼ぶ者達の一人が暴れ回っているからだと言う。しかし、誰かを傷付けたり何かを壊したわけでもなく、ただ町中を高速で移動しているだけである。はっきり言って害はない。
それでも恐怖を感じる人間がいれば通報されるし逮捕……捕獲される。
「えー目標は“月華鬼(フロラーガ)”一体。見つけ次第捕獲とのことだが、暴れる様なら麻酔、それでも駄目なら発砲の許可が下りている。各自準備が出来次第任務に就くように」
これが二時間前に下された命令。
無線で連絡を取りながら目標を追っているが相手は異形の者だ、動くスピードが違い過ぎる。
月華鬼というのは吸血鬼(ヴァンパイア)に似た妖で、吸血を行い、外見の年齢変化に乏しい。
しかし、夜を好んで活動するものの日光を浴びても灰にならないし、銀の武器じゃなくても死ぬ。ぱっと見は人間とそう変わらない様に見えるが、身体能力は桁違いに高い。個体によっては特殊な力を持つ者もいるそうだ。
月華鬼という呼び名の由来は、彼らが眷属を生み出す時に左胸に花が咲くからだという。その種を相手に植え付けることによって契約とし、眷属とするのだそうだ。
少しだけ近付いた時に見た妖の顔に見覚えがあった。見間違いではない、この国にいる月華鬼は片手で足りる数だし、最近出入りしたとも聞かない。
どうにか接触したいと思うが、車で追うような速度で移動している現状では不可能である。
段々とオフィス街に入っていく。この辺りは高層ビルのない地区なので姿を視認しながら追うことが出来る。
艶やかな黒髪を背の中程まで伸ばした少女の姿をした妖は、突然ビルの屋上で動きを止めた。
こちらも素早く捕獲班と待機班に分かれビルを取り囲む。
僕も捕獲班に配属されているので装備を整え車を降りる。でも、どうしても確かめたいことがあって、指示があるより早く動いた。
「リコさん! 莉子さん、僕です光太です!」
地上から五階建てのビルの屋上に向かって声を張り上げる。隣に居た後輩の小田が驚いた顔をしてこちらを見たが、そんなことに構っていられない。
返事がない、やはり話がしたいなんて無謀なのだろうか。小田が小声で何事か言っているが、耳を素通りする。彼が息継ぎをしたほんの一瞬。
「……こーた?」
全身の皮膚が粟立った。
耳元で囁かれたような声の近さに身体が強張る。おそらく付近にいる全員に聞こえているのだろう、小田も身を強張らせたし無線でも何か言っている。
勝手な行動をするなと後で怒られるかもしれない、でも今を逃したら二度と会えない気がした。……説教は甘んじて受けることにしよう。
「……僕のことを、覚えていますか?」
この問い掛けに否定を返されると先程の行動がかなり痛々しいものだったことになるのだが、なぜだか肯定が返ってくるという確信があった。
「覚えてる……ウルフに食べられかけてた子」
「……そうです」
少々恥ずかしい話ではある。今から六年前、僕がまだ高校生だった時のことだ。
部活の後片付けが長引いてしまい、いつもより帰宅時間が遅くなってしまった。日はすでに落ち、月が顔を覗かせている。
運が悪いことに満月だった。
月が満ちると活動が活発になる妖が多いので、満月の晩に外出する人間は少ない。
近道をしようと、いつもは通らない道を通ったのが更に良くなかったようで、月光の降り注ぐ中に佇む“月狼(ルナウルフ)”に出会ってしまった。
月狼は狼男(ウェアウルフ)に似た妖で、月の光を浴びると獣が二足歩行をする状態の獣人型と、まるっきり狼になる獣型の二種類に変化する。人型から獣人型、そして獣型という風に順を追って変化するのだが、獣型になれるのは満月の時だけらしい。
今、目の前にいる月狼は獣人型で、これから獣型に変化するところだったのかもしれない。そこを闖入者によって中断させられたのだ、やや殺気立って見えるのも気のせいではないだろう。
普段はどの姿であっても人を襲うことなどない妖だが、変化の途中という一番気分が高ぶっているところを邪魔されたのだ、殺されるぐらいの覚悟はした方がいいかもしれない。
そんなことを思っていたせいか身体が強張って動けなくなっていた。
いや、動いた方がきっと酷い目に合う。獣は逃げるものを追う習性がある。
じりじりと近付いて来られても何もすることが出来ず、身体が小刻みに震えるだけだった。
予備動作もなく飛び掛かって来た月狼に脳は反応したが、身体は動けないまま目だけを強くつむった。
――殴ったような鈍い音と空気の振動が伝わって来たが、一向に痛みは訪れない。おかしいと思って開いた目に飛び込んで来たのは、黒い影……長い黒髪をなびかせ藍色のワンピースに身を包んだ小柄な少女だった。
「……大丈夫?」
不意にかけられた言葉に返事が出来ずぼんやりしていると、もう一度尋ねられたので今度は力強く頷いた。
一体何が起こったのか。
月狼は離れた位置にしゃがみ込んで唸っているし、突然現れた少女は僕と月狼の間に立っている。
彼女に助けられたのは一目瞭然だが、それ以外は何も分からない。
低い唸り声を上げた月狼が、再び飛び掛かって来た。しかし、少女が片手を前に出すと、さっき聞いた硬いものを殴るような激しい音と共に月狼は吹っ飛んだ。少し遅れて空気の振動がやって来る。
どうやら少女が手をかざすと、透明な壁のような物が現れるらしい。
「……退きなさい」
可愛らしい声だったが、低く重く吐き出された。
それでも唸り声を上げこちらを威嚇していた月狼だったが、突然おとなしくなる。
「……引き裂かれたいの?」
僕にはよく分からなかったが、おそらく少女から殺気めいたものを感じたのだろう。
おとなしくなった月狼は一目散にとでも言えばいいのか、驚くべき速さで去って行った。
夜空色のワンピースをひるがえして少女が振り返る。衣擦れの音だけが響く路地で、まだ実感がわかないまま僕は立ち尽くしていた。
僅かに覗き込んできた少女の深紅と目が合い、急速に現実が戻って来る。
「あ、あの、助けてくれてありがとうございます! 僕、五十嵐光太っていいます」
一気にまくし立てた僕に、少女は口元だけ笑った。
「こーた? ……私は、莉子」
名乗ることに戸惑ったのかもしれない、そんな“間”だった。妖にとって名前は、人間とは比べものにならないくらい重要な意味を持っていると聞いたことがある。
「リコさん、ですか。あ、あの、お礼……」
「こーた、真っ直ぐ家に帰るなら安全に帰れるよ」
こちらの話などまるで聞いていない少女は僕に言った。……有無を言わせない圧のようなものをやんわり感じた。
「へ? あ、はい」
なんとも間抜けな返事をした僕は、そのまま何事もなかったかのように家路についたのだった。
結局、あの日の出来事が夢だったのか現実だったのかも分からないまま、僕は今日まで生きて来た。
だから今日の捕獲目標が彼女だと分かった瞬間、あれはやはり現実だったのだと認識したのと同時に、叫び出したいほど歓喜した。
「あの、そちらに行ってもいいですか?」
さすがに五階建ての屋上まで届く大声を何度も出すのは辛い。
ためらっているのだろうか、返事がない。もしかしたら状況が把握出来ていないのでは、と思っていたら耳元に声が届く。
「こーただけなら、いいよ」
僕はすぐにでも彼女の提案を受け入れたかったが、小田は付いていくと言って聞かないし、近くで待機していた同僚にも止められた。それでもなんとか説き伏せて、僕はビルの屋上へ向かった。
「リコさん、お久しぶりです」
以前にも対峙したことのある彼女は、変わらぬ姿で佇んでいた。いや、一つだけ変わっていることがある。
彼女の左胸に拳より大きな蕾が生えている……契約のための花だ。
黒のキャミソールワンピースに、生成りの粗いレースのボレロを身にまとった姿だと装飾品のように見えるそれは、しかし確実に彼女の身体から生えている。
「ずっと、何かお礼がしたいと思ってたんです」
せっかく再会できたのに、すぐに逮捕して引き渡しなんて嫌だった。夢でなかったのなら、あの日のお礼がしたい、そう言うと困った顔をされた。
「別にそんなのいいのに……今更だし」
「いや、何かお礼させてください! 僕に出来ることなら何でもします」
僕の熱意というか勢いに負けて、彼女はとても控えめに……それも散々迷った挙げ句、望みを口にした。
「じゃあ……少しだけ、血をちょうだい」
「血、ですか」
僕が驚いたら、また困った顔をする。
「ほら、ダメでしょ?」
何でも、なんて無理だろうと彼女は言う。
「い、いや、ダメではないんです! ただ驚いただけで……」
幻滅したという訳ではないが、リコさんは血を欲しがっていないのではないだろうかと思っていた。
六年前のあの日も、無償で助けてくれたのだ。吸血種にも血を欲しがらない者がいるのだと勝手に思い込んでいたが、実際は彼女が欲を押さえ込んだ結果なのかもしれない。
「お好きなだけ、どうぞ」
そう言って、襟を緩めて首元を晒す。小柄なリコさんが届くようにと少しだけ前屈みになると、ほんの僅かためらった後、彼女は首に噛み付いた。
痛みは一瞬だけだった。
その後はなんだか背筋がぞわぞわしていたが、あっという間に彼女は離れていった。
姿を目で追っていくと突然、崩れ落ちた。驚いて手を伸ばすと、どうしてか胸元を掻きむしろうとするので慌てて腕を掴んで止めさせようとしたが、ものすごい力で抵抗される。
掴んだり振りほどかれたりしている内に突然、彼女の動きが止まる。驚いて手を離すと、苦しげに天を仰ぎ、声にならない悲鳴を上げた。空気がビリビリと振動する。
――不意に蕾が光った気がした。いや気のせいじゃない、開こうとしている?
血を吸ったからだろうか、薄桃色だった蕾は滲むように真っ赤に染まっていき、ゆっくりとほどけるように開いていった。
満月の光を浴びて花が開いていく様子は、言葉に出来ないほど美しかった。
痛いのか違う理由なのかリコさんは涙を流していたが、胸に咲いた花を愛おしそうに見てから、柔らかく微笑んだ。僕がそれに見惚れている間に、花は散り始めてしまった。
あっという間に何もなくなってしまった彼女の胸元を見つめていたことに気付き、慌てて目を逸らす。
そっと手を取られ視線を戻すと、リコさんは僕の掌に薬のカプセルくらいの大きさの、赤い楕円型の物を乗せた。
「これは?」
「種。こーたが持ってて」
やんわりと手を握らせられる。
「……はい」
後から考えれば不思議な話だが、この時は何故と問おうとも思わなかった。
先程のリコさんの悲鳴を攻撃と勘違いしたのだろう、騒がしく階段を上って来る音がする。
リコさんに逃げる意思がないので、のんびりと座って彼らが来るのを待つことにした。
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