「日没・茶屋・バラ・口紅・忘れられない」
夜もとっくにふけた、台風直撃のとあるパーキングエリア
豪雨の中、扉を開けた先に佇んでいたのは
あのあと何年経っても忘れられないほどの
赤いバラを何百と圧縮して絞ったような
まさしくそんな紅色の口紅だった。
「おや、お客さんだ。
こんな夜更けにお疲れ様です。
…お冷しかないけどいい?」
「口紅」
毎年恒例の台風による障害
もう分かり切った予測可能回避不可能の緊急対応
現場を取り仕切る中間管理職として
それらを何とか収めて本社へ報告し、
若手の社員を車で彼らの寮の前まで送った。
そこまでは良かった。まだ、予想の範囲内と言えた。
家族が待つ自宅へ高速道路を走りながら
日付が変わる少し前に自宅に着けそうな算段を立てることができたことに
ほっと一息ついた。
その矢先の10キロ先の「交通事故による道路通行止め」の文字
きっと仕方の無いことなのだ。誰だってミスはするものだ。台風だし。
とやり場のない怒りを何とか飲み込むことができた自分をほめたい。
勘弁してくれよと漏れてしまったため息と
握る力が抜けてしまったステアリングを持ち直し
手前のパーキングエリアに入るための指示器をだす。
疲れた。ちょっと寝よう。
今日帰るのは諦めよう。明日休みだし。
自宅に連絡して明日の朝帰るって言おう。
そう思って入っただけだった。
誰もいない駐車場のトイレ前
車をいそいそと止めエンジンを切る。
「広い駐車場ではなるべく車の少ないところに駐車する」
という社内規定のため普段だったら絶対に止めない場所だ。
ちょっとした優越感と
しょうもない自社規定への一掴みの寂しさを噛みしめる
提案したのは自分だけれど
さて、家へそろそろ連絡しようか、というその時
ダkkっこおぉぉぉぉん
と近くで大きな爆発音が響いた。
その瞬間 ふッ とパーキングのすべての電灯が消える。
落ちたか、まぁ、予備用電源があるはずだろうからカチすぐ復活するだろう。
そう思っていた矢先、「カチカチカチ」というクリック音と共に電灯が復活した。
ほらみろと言わんばかりにその少し向こうの電灯の方を見る。
すると 少し不思議なことが起こっていた。
先ほどまで電気が消えていた部分の電気がついている。
おそらくこの天気だ、主人も店を閉めて帰ったのだろうと思い
気にも留めていなかったパーキングエリアの端にある茶屋
そこの道路に面した四角窓から黄色の光が漏れている。
おかしい、さっきまでどこも灯ってなかったはずだ
それこそ
そもそもこのパーキングエリアを照らしていたのは外灯の白色だけだったはずだ。
こちら側のそうした戸惑いをよそに、その黄色の光は一向に消えない。
もしかして、さっきの雷のせいで何かが不具合を起こしているのか…?
まさか…漏電火災?そんなことあるか・・・?
職業病というべきか、一度気になりだすと、居ても立っても居られなかった。
ちょっと確認するだけ。
おそらく室内灯の類のスイッチがさっきの雷のせいか
何かの拍子で押されたんだろう。たぶん何もないだろう。
そう、何もないのを確認するだけだ。
そう自分に言い聞かせながら鞄に放り込んでいた
ブルゾン型の作業着を上にはおり後部座席のビニール傘を引きずり出してすぐ差せるように構えてからドアの取っ手をつかみ
意を決し横殴りの雨の中飛び出す。
雨と風が一瞬で自分を濡らしていくなか、
傘と共に転がりそうになるところを踏みとどまる。
日々のデスク業務の中で着実に増えていく憎い腹回りの脂肪が
まさかこんなところで役に立とうとは
作業員として現場に出ていた時はもっとシュッっとしていたのに…
そんな冗談で後悔を誤魔化しながら光の発生源へ急ぐ。
無いとは思うが、本当に無いとは思うが…もし、火災だったとしたらことが重大だ
片道30m、時間にして約35秒をずぶ濡れになりながらようやく歩き終わり、
たどり着いたドアの前で、私は奇妙な感覚に襲われていた。
中から、笑い声と音楽が聞こえる。
おかしい、これはおかしい
さっきも確認したが、このあたり一帯は外灯しか明かりがなかったはずだ。
こんなにもにぎやかだったら目を引いただろう。
それに今は台風直撃の真っただ中である。
開店しているとは正直考えにくいうえに、客が来るだろうか・・・?
そこではたと気付く
車がない
そう、ここはただの高速道路のコインパーキングだ。
お客である人の車が駐車場に一台もないのだ。
で、あればこれは何だ?
ぐるぐると思考が巡る
強盗?不法侵入?火事場泥棒?車もないのに?
いやしかし、中の雰囲気からしてそういった類のものではない
豪雨を突き抜けてまで聞こえる和やかな雰囲気は
より一層自分に不可解な印象を与えていた。
伸るか、反るか
二つに一つ。
ええいままよとばかりにドアの取っ手に手をかける。
その瞬間、ドアの向こうの声が止んだ。
その一瞬にたじろいでゆっくりと手を放すかどうかを迷う
やはり逃げるべきか、いやしかし
もうここまで来た。引くに引けない
ガチャリとその木のドアを開けた先にいたのは
おそらく大学生ぐらいだろうか、
少し幼い顔つきに黒い髪を腰まで下ろし、
無地の緑のパーカーに黒いエプロンを羽織った
血のように紅い口紅が印象的な女性った。
「おー、やっぱり。
へー、お客さんだ。こんな日の夜更けに
ええっと…とりあえずそこにおかけになってください。
…お冷しかないけどいい?」
自分がドアを開けて固まっているのをみて、
一瞬大きく目を見開いた彼女は
どこかぎこちなく自分を挟んだ向かい側のカウンター席へ案内する。
ログハウス風の木を多く使った内装
黄色が強い室内灯に、懐かしい番組を写す天井隅のブラウン管テレビ
少し大きいシーリングファンが天井の低い店内でかすかに軋みながら回っている。
観葉植物がいたるところに置いてあり、
茶屋というよりは小型の植物園といった方がよさそうだ。
そこに一枚の大きな木材をそのまま使ったカウンター
その向こう側で彼女は後ろの食器棚らしき棚からコップを取り出そうとしていた。
「ちょっとまってねぇ。仕舞っちゃってて
よっと…はい、お冷です」
そういって差し出された水を眺める
いけない、流されている。ともかく、状況整理が先だ
「え?火事?どゆこと?
…ああ!もしかして急に電気着いたから見に来てくれたの?
はいはいはいはい、そういうことか。
いやーねぇ。そんなんじゃないですよ。
ちょっと今日はここに泊まっててね。
さっきまで寝てたんだけど。
ものすごい大きな音がして飛び起きて、
そのうえ、いきなり電気消えちゃったから参っちゃって。
で、電気どれつけていいかわからずとりあえず全部つけちゃったのよ」
そうカラカラと笑いながら自分と同じコップを取り出して水を飲み干す。
「もう寝れないだろうなって思ってたから、
テレビとかラジオとかつけちゃってね。
一人で楽しんでたんだけど…
ただ一応、クローズの札は出しておいたんだけどねぇ?」
そういいながらカウンターから出て私の後ろを通り、
ドアをためらいなく開ける。
その瞬間突風が入り込み彼女の正面前側半分を的確にずぶ濡れにしたように見えた
「…最悪。」
そりゃそうだろうな
心の中で これで仲間ができた、と一人ごちる。
残念ながら彼女は半分だけだが
文字通り「半人 前」という奴だろうか
「しかもクローズの札どっか飛んでるし。最悪」
どうやら自分が札を見逃したらしいというのではなさそうだ。
それを知れただけでも僥倖である。
「着替えよ…
…ともかく、うちは今閉店中なんです。
外の自販機にコーラ買いに行った帰りにたまたま開けたままだっただけでね
でも来ちゃったもんは仕方ないし、
雨がもう少しましになるまでいてもいいですよ?」
少し不機嫌になった彼女はそういいながらカウンターの奥にある暖簾の向こうに消えていった。
さてそういわれたか自分はどうしようか。
自分としては火事とかの不安は解決した。
正直これ以上ここにいる意味はない。
かといって正直彼女のことが気にならないわけではない
この天気のこの時間にあの年頃の娘が
一人でパーキングエリアの店で寝泊まりしている。
普通に考えても少しおかしい。
疲れてはいるもののまだ回る頭は
念のため、ここにもう少しいることを決めた。
「あれ、帰ってなかったんですか?」
同じ色のパーカーに着替えて戻ってきた彼女は開口一番にこう言った。
もう少し雨が収まるまで念のためここにいさせてほしいということを告げると
彼女はしぶしぶうなずいた。
「申し訳ないですけど、今はこれぐらいしか出せないんです。」
そういいながら自分と彼女の二人分のコーヒーを入れ始めた。
出来上がったコーヒーを二人してテレビを見ながらすする。
ふと、彼女のコップの口紅が目に入った。
凄く赤いね、それ
ついぽろっと自分の口からこぼれたことを認知するのに数秒かかった。
まだ回ると思っていた頭はその時すでにコールタールのように淀んでいたらしい。
そう後悔をした瞬間、
彼女は少しうれしそうに言葉を発した。
「私、口紅を集めるのが趣味なんです。
この子は本当にお気に入りで、
お気に入り過ぎてあんまり人前ではやらないんです。
だから、これを見られるのはレアなんですよ?」
そんなもんなんだろうかと、寝ぼけた頭で聞いていた。
そんなに赤いと、普通の口紅の時は誰かわからないかもね
そう適当に返したのは覚えている。
「ふーん。屋根を貸してくれた恩人にそんなこと言うんだ。
いいもん。そんな時はもっと紅い口紅を使うんだから。
またどっかであった時に私をみて驚くがいいわ」
ああ、そうなったら分かりやすくて良い
そういいながら、二杯目のコーヒーをもらう。
夜が明けた。
「ありがとう、楽しかった」
それだけ言って店を出る。
まだ、雨は止んでいなかった。
「次はもっと紅いのをつけておくわ」
そうだな。誰かわかりやすいようにしておいてくれ
そういってようやく帰路についた。
家に連絡をよこすのをすっかり忘れて
ご機嫌取りをしなくてはならなくなったのはまた別の話だ。
次にそのパーキングを訪れたとき、その店はつぶれてしまっていた。
それ以来、緋色を見たら彼女を思い出す。
あの口紅をしたあの子にまた会えるだろうか
鼻歌三文即興小説 珈琲P @coffee_p
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